Share

第95話

Author: 迷い魚
怜央は目を赤くしながら、紗和の顔をじっと見つめていた。

その顔には、何の感情も浮かんでいなかった。

別居してからというもの、怜央の頭には何度も紗和の顔が浮かんだ。

目を閉じれば、思い出すのはいつも彼女の顔だった。

初めのうちは、紗和が拗ねているだけだと自分に言い聞かせることができた。

しばらく腹を立てれば、いずれ戻ってくる。

この8年間、ずっとそうだった。

紗和が本気で自分のもとを去ろうとしたことなど、一度もない。

どれほど冷たく接しても、数日もすれば紗和のほうから折れ、謝ってきた。

だが今、怜央の胸には、本当に彼女を失うかもしれないという恐怖が湧き上がっていた。

そのときになって初めて、自分は紗和を失うことなどできないのだと気づいた。

莉乃に対して、こんな気持ちを抱いたことは一度もない。

莉乃は自分を助けてくれたのだから、持てるものすべてで恩を返すのは当然だと思っていた。

だが莉乃が国外へ追いやられることになっても、不安にも恐怖にもならなかった。

ただ今回のことを教訓にして、これ以上愚かな真似をせず、今後は順調に生きてほしいと思うだけだった。

たとえ二度
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった   第100話

    怜央が目を覚ますと、開いた傷口に激痛が走り、慌てて身体を起こした。すると、裸の莉乃が、同じく何も身につけていない自分の上に横たわっていた。頭はひどく重く、背中も激しく痛む。怜央はすぐにホテルを飛び出し、救急車を呼んで病院へ向かった。そして、開いた傷口を改めて縫合してもらった。処置を受けている間に、怜央は莉乃が自分に何をしたのか理解した。またしても莉乃に騙され、思いどおりにされたことを後悔した。今回ばかりは、莉乃も完全に一線を越えていた。怜央が最も嫌悪する手段を使ったのだ。その顔に、激しい怒りが浮かんだ。怜央はただ、莉乃に自殺してほしくなかっただけだった。それに、確実に国外へ送り出すつもりでもいた。まさか莉乃が、また自分を陥れるとは思ってもいなかった。怜央は銀行の担当者へ連絡し、莉乃が持っているカードをすべて停止させた。以前振り込んだ金も回収するよう求めたが、銀行からは、莉乃の口座には一円も残っていないと伝えられた。傷口の縫合が終わると、怜央は病室の看護師に、誰か見舞いに来なかったか尋ねた。千鶴子の側から問い合わせがあっただけだと聞き、ほっと息をつく。紗和は来ていなかったのだろう。怜央はそう思った。その後、本邸へ戻ると、庭へ入った途端、晴翔が駆け寄ってきた。大きな目で怜央を見つめ、尋ねる。「パパ、もうパパって呼んじゃいけないって言われた。本当なの?」怜央は息を吐いた。心の中では、莉乃を恨んでいた。子どもを産んでおきながら育てようともせず、自分が妻の座を奪うための道具にした。その結果、最も大きな犠牲を払うことになったのは、まだ幼い晴翔だった。怜央は答えず、晴翔の頭を撫でると、足早に中へ入った。屋敷へ入るなり、執事に尋ねる。「妻はどこだ?」「旦那様、奥様とご一緒にお食事中です」しばらくして、怜央もテーブルへ向かい、席についた。怪我のため酒は飲めず、茶を酒の代わりにして年長者たちへ挨拶をした。その後は壇上に立ち、親族や御堂家と親しい客たちへ、改めて支援への感謝を述べた。最後には珍しく、紗和にも感謝の言葉を口にした。これまで紗和は、自分のためにすべてを尽くし、見返りなど一切求めなかった。紗和の自分に対する気持ちは、痛いほどよく分かっている。

  • 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった   第99話

    「知らない、知らない!みんなで私をいじめて、傷つけて……つらくてたまらないの!」莉乃は感情をぶつけるように、怜央を何度も叩き、爪を立てた。怜央は、莉乃には双極性障害があり、発作を起こすと理不尽に取り乱すこともあるのだと理解していた。そのとき突然、背中に傷口が裂けるような激痛が走った。莉乃はようやく手を止めた。「どうしたの?怜央くん、私、痛くしちゃった?」怜央は首を横に振った。少し落ち着いてから莉乃を送り出し、自分は病院へ戻って診てもらうつもりだった。だが莉乃は無理やり怜央のシャツを開いた。「傷口から血が出てる。かなりひどそうよ」怜央には自分で見えなかったため、鏡の前へ行って確かめた。確かに、莉乃が暴れたせいで傷口の一つが開いていた。莉乃は手に軟膏のチューブを持ち、顔を上げた。その目には、鋭い光がちらついていた。「痛い?さっき病院で傷に塗る薬を買ってきたの。先に塗ってあげようか?すぐ楽になるわ」怜央はその言葉を信じた。傷が開いたまま処置が遅れれば、感染する恐れもある。ひとまず外用薬を塗っておくのも悪くないと思った。莉乃が見せたチューブも、確かに外傷用の薬だったため、手当てを任せた。莉乃は怜央の背後へ回ると、手にしていた外傷薬を別のものへすり替えた。そして、あらかじめ用意していた、男性の身体を強く興奮させる薬を怜央の背中に塗り込んだ。血のにじむ傷口から、薬はすぐに吸収された。だが目の前に莉乃がいると、怜央は必死に衝動を抑え込んだ。冷水のシャワーを浴びて頭を冷やそうとしたものの、傷口を水に濡らすことはできず、ただ耐えるしかなかった。莉乃が見逃すはずもない。すぐに、あらかじめ用意していた媚薬入りのアロマキャンドルを、ベッド脇で焚いた。香りは室内全体へ広がるため、火をつけて間もなく、莉乃自身にも作用し始めた。身体が熱を持ち、焦りが募っていく。一方、怜央は薬が強すぎたせいか、そのまま意識を失った。莉乃は期待を裏切られ、激しい苛立ちを抱えた。だが怜央のスマホへ目を向けると、すぐに別の考えが浮かんだ。それに、身体の苦しさにも耐えられなかった。莉乃は怜央のそばで一人、衝動を紛らわせ始めた。そして、そのまま紗和へ電話をかけた。紗和が電話を切らないかぎり

  • 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった   第98話

    紗和はスマホを手に取り、電話に出た。すると、受話口の向こうから、絡み合うような艶めかしい声が聞こえてきた。紗和は未成年の少女ではない。結婚して何年も経つのだから、それが何の音なのかくらい、すぐに分かった。莉乃はわざと怜央のスマホを使い、今この瞬間を聞かせているのだ。紗和に、はっきり聞かせるために。紗和は当然、相手は怜央なのだと思った。怜央と莉乃が深い関係にあることは、もう十分すぎるほど理解している。だが、頭では分かっているのと、実際に耳で聞かされるのとでは違った。その屈辱は、比べものにならないほど重かった。たとえもう怜央を愛していなくても、耐えられるものではなかった。莉乃の目的が、自分を傷つけることだけなのも分かっている。わざわざこの電話をかけてきたのも、そのためだ。ここで傷つけば、莉乃の思うつぼだ。そう分かっているのに、紗和の目からは涙が次々とこぼれ落ちた。堰を切ったように、止まらなかった。――2時間前。怜央は処置室から出てきたばかりだった。背中から腰にかけて白い包帯が巻かれている。最も長い傷は19針も縫っており、今回の怪我は決して軽くなかった。CT検査も受けたが、幸い骨や内臓には異常がなく、すべて外傷で済んでいた。執事も、多少は手加減していたのかもしれない。怜央がそう考えていたとき、病室の扉が開き、絵里香が入ってきた。「怜央、莉乃に対して、少しひどすぎると思わない?あの子だって被害者なのよ」絵里香は長年、こうした言葉を怜央に吹き込み続けてきた。怜央の母方で、同世代の親族として唯一近しい存在だったため、怜央もほかの兄弟姉妹より絵里香を大切にしていた。絵里香の言い分では、莉乃は怜央の妻になるつもりで、長年彼と付き合ってきた。それなのに、怜央が結婚した相手は莉乃ではなかった。大切な恋を奪われた莉乃こそ、この関係の被害者だというのだ。その一言で、莉乃が自ら御堂家の本邸へ乗り込み、騒ぎを起こした事実は消え去り、残るのは莉乃への同情だけになる。「莉乃は子どもまで奪われて、もう母親として会うこともできないのよ。それに皆の前で頬まで叩かれた。あなたもあの子の性格は知っているでしょう。プライドが高いんだから、あんな仕打ちに耐えられるはずがないわ」怜央も、莉乃

  • 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった   第97話

    紗和は、別に知りたいとは思わなかった。自分はただ形だけ整えるために、食事を届けに来ただけだ。だが絵里香はすでに紗和のそばまで歩み寄り、得意げに答えを口にした。「紗和、怜央は莉乃を海外へ送るために出ていったのよ。今頃は空港にいるんじゃない?今から向かえば、別れのキスくらい見られるかもしれないわね」絵里香の声には、あからさまな嘲りがにじんでいた。その態度は、こう言っているようだった。自分が優位に立ったつもりでいるのかもしれない。後継者の地位を盾に、怜央に謝らせたつもりかもしれない。だが実際には、怜央は紗和の気持ちなど少しも気にしていない。ただ屈服しただけなのだ、と。絵里香は、紗和が終始何も気にしていないような顔で、妙に澄ましているのが何より気に入らなかった。御堂家の妻という地位を失えば、どれほど焦るかなど誰にでも分かる。だからこそ紗和は、何も言い返さず、宗一郎の判断に従ったのだ。莉乃と怜央に5年間も裏切られ、しかもその子どもを5年も育てさせられていたのに、それでも耐えた。絵里香は確信していた。紗和はただ平気なふりをしているだけだ。離婚すると口では言いながら、少し逃げ道を与えられれば、すぐに引き下がる。どこまでも惨めな女だと見下していた。だから今、紗和の澄ました態度を崩し、現実を突きつけてやりたかった。怜央は一度も紗和を大切にしたことなどない。愛したこともない。紗和は永遠に、最も惨めな立場の女なのだと。紗和は少し考えたあと、顔を上げた。そして淡々と、絵里香に細かく尋ねた。怜央が病院を出たのは何時頃なのか。どれくらい前に出ていったのか。どこへ向かったのか。本当に莉乃に会いに行ったのか。絵里香は嬉々として、話を大げさに膨らませた。怜央は背中の傷を処置したばかりなのに、鎮痛剤すら使わず、莉乃を見送りに駆けつけた。それほど莉乃を大切に思っているのだと、得意げに語った。すべて聞き終えると、紗和は一言だけ感想を述べた。「確かに、大切にしているのね」そう言って、背を向けて立ち去ろうとした。絵里香は、紗和が取り乱すどころか、涙すら見せないことに苛立ち、腕をつかんだ。「国際空港へ行くつもり?」「いや。私はもう帰るわ」紗和は答えた。「まだ食事をしていないなら、おばあ

  • 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった   第96話

    市場ではすでに怜央が経営者として定着しており、今ここで切り捨てるわけにはいかなかった。御堂ホールディングスの将来を考え、宗一郎は怜央を守ることにした。ただし同時に、同じような事態が二度と起きないよう、徹底して封じなければならない。利益の面から見ても、この結婚は維持する必要があった。離婚が公になれば、株価の急落は避けられない。宗一郎は体面を脇へ置き、紗和にもう一度だけ機会を与えてほしいと頼んでいた。紗和はうなずいた。「ありがとうございます、おじいさま。ただ、もしこの1か月の間に怜央が態度を改めるどころか、何度も決定的な過ちを繰り返した場合、おじいさまはどのように私の味方をしてくださるのでしょうか」その問いは、あえて皆の前で投げたものだった。口調こそ控えめだったが、意思は揺るがなかった。宗一郎の頬がわずかに引きつり、しばらく考え込んだ。怜央が紗和を愛していなかったとしても、権力と金は手放せない人間だということを、宗一郎はよく分かっていた。すでに今の地位と暮らしに慣れきっている。自ら前途を潰すほど愚かではないはずだ。莉乃を遠ざけるという怜央の意思も固く見えた。そのうえ、涙を流しながら紗和にすがっている。ようやく自分の過ちに気づき、誰が自分の事業を支えてくれるのか理解したのだろう。たとえ芝居だったとしても、1か月程度なら演じきれないはずはない。宗一郎は何度も考えた末、ようやく答えた。「それでもなお、あいつが救いようのない人間なら、自ら破滅を選ぶ者をわしにも止められん。そのときは離婚を認めよう」そう言って、怜央を鋭く睨んだ。紗和がもう一度機会を与えてくれると分かり、怜央の顔にはわずかな喜びが浮かんだ。「ありがとう、紗和。ありがとうございます、おじいさま」そう言い終えると、怜央は痛みに耐えきれず意識を失った。背中には血が固まり、服が傷口に貼りついていた。執事は使用人たちに命じ、怜央を病院へ運ばせた。夜になり、皆が夕食を終えても、怜央はまだ入院していた。千鶴子はわざわざ立派な弁当箱を用意した。肉料理も野菜料理も十分に詰め、別にスープまで煮込んでいた。それを紗和に病院まで届けるよう命じた。紗和が千鶴子を見ると、彼女は言い聞かせるように話し始めた。「婚外子のことも片づい

  • 夫と息子に捨てられた私、大物の子を授かった   第95話

    怜央は目を赤くしながら、紗和の顔をじっと見つめていた。その顔には、何の感情も浮かんでいなかった。別居してからというもの、怜央の頭には何度も紗和の顔が浮かんだ。目を閉じれば、思い出すのはいつも彼女の顔だった。初めのうちは、紗和が拗ねているだけだと自分に言い聞かせることができた。しばらく腹を立てれば、いずれ戻ってくる。この8年間、ずっとそうだった。紗和が本気で自分のもとを去ろうとしたことなど、一度もない。どれほど冷たく接しても、数日もすれば紗和のほうから折れ、謝ってきた。だが今、怜央の胸には、本当に彼女を失うかもしれないという恐怖が湧き上がっていた。そのときになって初めて、自分は紗和を失うことなどできないのだと気づいた。莉乃に対して、こんな気持ちを抱いたことは一度もない。莉乃は自分を助けてくれたのだから、持てるものすべてで恩を返すのは当然だと思っていた。だが莉乃が国外へ追いやられることになっても、不安にも恐怖にもならなかった。ただ今回のことを教訓にして、これ以上愚かな真似をせず、今後は順調に生きてほしいと思うだけだった。たとえ二度と莉乃に会えなくても、何とも思わない。だが紗和を失ったら、この先どうすればいいのか分からなかった。怜央は強く首を横に振り、一歩前へ出た。声は苦しげにかすれていた。「嫌だ。離婚なんてしない。紗和、俺は絶対に離婚しない。紗和、お前は誤解してる。俺はちゃんとお前のことを想ってる。あの日は、ただ腹が立って、意地になっていただけなんだ。お前が思っているほど、俺は最低な人間じゃない。紗和……」怜央は紗和の手を取った。「紗和、そんなふうに俺を突き放さないでくれ。俺は離婚しないし、したくもない。莉乃を甘やかしていたのには、別の理由がある。だが、お前に対しては……」怜央は紗和の手を握りしめた。その指先は、彼女の眼差しと同じように冷え切っていた。「お前に対する気持ちは、莉乃へのものとは違う。俺たちは5年も夫婦として暮らしてきただろう。今までは俺が悪かった。もう二度と同じことはしない。紗和、もう一度だけ機会をくれ。俺を置いていかないでくれ」傍らに立っていた莉乃は、全身を震わせていた。我に返ると、慌てて背を向け、その場から逃げるように立ち去った。これ以上ここ

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status