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第526話

Author: 夜月 アヤメ
若子は小さく頷きながら続けた。「あの時、私はすごく慎重にあなたに近づいて、できるだけ『いい子』に見えるようにしてたの。もし私が『いい子』じゃなかったら、きっとみんなに嫌われるって思ってたから。でも、あなたのそばまで行った時、あなたはそっと私の手を握ってくれたわ」

「お前、あの時震えてたよな」修が静かに言った。「握った手越しに伝わってきた。すごく震えてた。お前がどれだけ怖がっていたのか、よく分かったよ」

「でも、あなたは手を離さなかった。それどころか、耳元でこう言ってくれたの。『怖がらなくていい。もう傷つくことはないよ。俺が守ってあげる』って」若子の声は穏やかで、懐かしさが滲んでいた。「それから、私はずっと藤沢家で暮らすようになった。そして、いつもあなたと一緒にいた。どこへ行くにも私を連れて行ってくれて、分からない問題があれば、飽きずに教えてくれた。私が理解するまで、絶対に怒ったりしないでね」誰かにいじめられた時は、いつもあなたが一番に駆けつけて、相手を追い払ってくれた。パパとママが恋しくなって泣いていた時は、ただ黙って私のそばにいてくれて、何も言わずに一緒にいてくれた。私が泣き疲れると、水や食べ物を持ってきてくれて......本当に、まるで私の守護神みたいだった。いつも私のそばで、私を守ってくれていたのよ」

修の目はどこか柔らかく、優しい光を帯びていた。まるで、その思い出に心が戻されたように。彼が若子をじっと見つめているその表情には、あの頃の無垢で純粋な子どもだった自分と若子が映し出されているかのようだった。

あの頃は、何もかもが単純だった。二人の間には何のわだかまりもなく、ただ互いに依存し合っていた。だが、大人になるとすべてが変わってしまった。単純さは消え、複雑さと苦しみだけが残った。

「若子......でも、その『守護神』は、最後にはお前を深く傷つけた。お前をがっかりさせたんだろうな」

修の目には痛みと失望の色が浮かんでいた。

「修、私がこんな話をしたのは、私たちが子どもの頃の時間を忘れることは決してないって、あなたに伝えたかったからよ」

「だから、どういう意味なんだ?」修は困惑しながら尋ねた。若子がなぜ急に過去の話を持ち出したのか、彼には分からなかった。それに、彼女はまだ自分の疑問に答えていない。彼女はまだ、あの事故や雅子への心臓提供者の死につ
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