Masuk既に大きな罪を犯してしまった今になって日菜乃の黒い本性に気付くだなんて、亮太は情けなくて言葉も出せなかった。絶望の表情で項垂れる彼を前に、警官たちは同情もせずにただ軽蔑の視線を向けているだけだった。――彼がどれだけ後悔したところで、香織は返ってこない。毒を盛ったと思ったのなら警察に突き出すだとか他にいくらでも制裁する方法はあったはずだ。数々の断罪方法があった中で、わざわざ最も残忍な方法を選んだのだ。取り調べを行っていた警官は立ち上がると、俯く彼に向けてハッキリと告げた。「羽川亮太……あなたは人間ではありません」「……」亮太は否定も肯定もせず、ただ黙っているだけだった。それはまるで、自分が人間ではないということを事実として認めているようだった。「香織さんとそのご家族のためにも……私たちはあなたに無期懲役を求刑します」「な、何だと!?」――無期懲役。一般的に死刑の次に重いことで知られる刑罰であり、その刑を言い渡された者は死ぬまで刑務所から出られない。運良く仮釈放の機会を得られたとしても、三十年近くを刑務所で過ごさなければならないのだ。「ま、待ってくれ……無期懲役だなんて一番地獄じゃないか……」彼は立ち去ろうとする警官に縋り付いた。無期懲役になるのならば、まだ死刑のほうがよかった。惨めな男として刑務所の中で生きるくらいなら、彼は死んだほうがマシだったからだ。「死刑にしろよ!俺のことを人間だと思ってないんだろ!?だったら死刑にしろよ!香織の家族のためにもそっちのほうがいいに決まってるだろ!?」警官はそんな彼の気持ちを見抜いているようだった。亮太にとっては死刑よりも無期懲役のほうが罰になる。香織は楽に死ねなかったのだから、お前もそう簡単に死なせるわけにはいかないという心の声が聞こえたような気がした。(ふざけるな、俺はただあの女に騙されただけだ!)無期懲役だなんて、あまりにも重すぎるだろう。彼のそんな願いは届くことなく、裁判当日を迎えた。***「――被告人、羽川亮太に無期懲役を言い渡す!」事件の凄惨さ、亮太の身勝手な犯行動機、そして無実を主張する彼の態度は反省の様子なしと判断され、亮太には第一審から無期懲役が言い渡された。「無期懲役だと!?死刑にしろよ!」反省していないフリをしたのは死刑になるためだったのに、そんな彼の目論見は外
亮太は警官に向けて、自らの犯した罪を自白した。香織を地下牢に閉じ込め、凄惨な拷問を加えたこと。そしてボロボロになった彼女の遺体を道端に捨てたことも。あまりの残酷な仕打ちに、ベテラン刑事たちも絶句するほどだった。彼は日菜乃と関係を持つようになってからというもの、人の心を捨てた。なぜそのようになってしまったかはわからない。ただ、彼女を幸せにしたいという思いが行き過ぎたものとなったのだろうか。振り返れば振り返るほど、自分が人間ではないと感じてしまう。「なぜだ、被害者の女性はお前の妻だろう?なぜそんなに残酷な仕打ちができる?」「……さっきも言ったが、俺と彼女は政略結婚で愛なんてないんだ」「仮にそうだったとしても!他に好きな女ができたのなら、ただ離婚すればいいだけの話だろう!彼女に一体何の恨みがあったんだ!?」警察の言っていることはごもっともだった。日菜乃と一緒になりたいのであれば、香織と離婚すればいいだけだ。仮に亮太側に非があったとしても、別居期間が長ければ有責配偶者側からでも離婚はできるのだから。なぜ、彼が離婚という道を選ばずにあのようなことをしでかしたのか。きちんとした理由がそこにはあった。「お前たちは知らないだろうがな……あの女は日菜乃に毒を飲ませたんだ」「……何だと?」そう、香織は何の落ち度もないただの被害者ではない。彼女には当時愛人だった日菜乃の飲み物に毒を盛り、飲ませたという罪があった。そのせいで日菜乃は、数日間地獄のような苦しみに耐えなければならなかった。幸い一命は取り留めたものの、香織のせいで日菜乃がどれほどの苦痛を受けたか。流石にこの話には警官も気持ちを理解してくれると思っていた彼だったが、返された言葉は予想だにしないものだった。「……お前、どこまで愚かになれば気が済むんだ?」「……何だと?」警官は一枚の紙を取り出した。「お前の今の嫁――羽川日菜乃、旧姓山川日菜乃については既にこちらで調べてある。あの女、かなりの虚言癖があるようだな。学生時代から嘘で人を貶めることが趣味だったそうだ」「……う、嘘だ……そんな……」そこで語られたのは、亮太が初めて知る日菜乃の過去。彼に事前に教えていた過去の話とは全く違っていて、彼は動揺を隠せなかった。(ということは……日菜乃は香織を貶めるために自ら毒を飲んだということか……!?)彼
亮太は自らの発言が最悪の事態を招いてしまったことに、そのときようやく気が付いた。警官たちの目が険しくなっていく。もう気付かれているような気もするが、犯人だと疑われるわけにはいかない。彼は慌てて弁明をした。「ち、違う……俺はただ、知り合いの警察からそのことを聞いただけだ……ほら、俺はアイツの親族だから、聞かされていてもおかしくはないだろ?」「……さっきは他人だって言ってませんでした?」先ほどまでは他人のフリをしていたくせに、都合が悪くなったら親族を気取るとは。一体どこまで亡くなった被害者を侮辱するつもりなのか。彼らは今まで警察として、多くの事件の加害者と向かい合ってきたが、ここまで自己保身に走る人間は珍しかった。上級国民だからといって、必ずしも人格がまともであるというわけではないのだ。「警官が、事件の詳細なんて話すわけないでしょう――容疑者の最有力候補に」「な、何だと……?」警官は、亮太に向かってハッキリと容疑者の最有力候補と言った。(コイツらもしや、既に俺がやったことを突き止めているのか……?)嘘だ、そんなはずはない。俺には警察幹部がついている。バレるわけがないのだ。彼はそのように考えることで何とか心を落ち着かせた。しかし、そんな彼の希望はすぐさま粉々に砕かれた。「我々は一年前からずっと、あなたをマークしていました。あなたが上層部と繋がっていたおかげで、逮捕するまでずいぶんと時間がかかってしまいましたがね」「な、なぜそれを……!」驚くことに、警官たちは彼が幹部と繋がっていたことを既に調査済みだった。「あなたと関わっていた上層部の者は、全員今回の一件で解雇されることとなりました――つまり、もうあなたの味方はいない」「……」亮太に、もう逃げ道は残されていなかった。みっともなく最後まで悪あがきを続けていた彼は、警官のその一言でとうとう観念した。たとえ、地位や名誉を全て失うことになったとしても……日菜乃と朱里だけは守り抜かなければならない。窮地に追い込まれてもなお、亮太は愛する二人の未来だけは守ろうと必死だった。その愛を、優しさを、僅かでも香織に与えてあげられたなら。きっとこのような末路は迎えていなかっただろう。「さぁ、社長。いえ、羽川亮太。全てを話してもらいましょう」「……」しばらく俯いていた彼は、顔を上げると、ゆっくりと口
先ほどから何度も向けられる、軽蔑の眼差し。それは少なくとも、何の罪も犯していない一般人に向けられるようなものではなかった。亮太は罪を犯していないわけではないから、考えられる可能性はただ一つ。(コイツら……一体どこまで知っているんだ?)彼には警察の上層部が付いているはずだった。しかし、警察の手が及んだということは何らかの異常事態が発生したのだろう。バレている可能性が高かったが、彼もそう簡単に罪を認めるわけにはいかなかった。警察がまだ確実な証拠を手に入れていない以上、彼が自白さえしなければ有罪になることはない。(それに、俺は何も間違ったことはしていない。全ては日菜乃に毒を飲ませたあの女がいけないんだ)愚かにも、彼は本気で香織に非があると思っていた。「……何のことだか、全くわからないな」「しらばっくれるおつもりですか?社長――いえ、もう何と呼べばいいのかわかりませんね」「……何だと?」亮太は地元ではかなり名の知れた人物だった。当然、彼の地区の管轄である警官たちも彼の存在を知っていた。いつも町内ですれ違うたびにペコペコと頭を下げてくるような男たちが、今日に限ってやけに威圧的だった。釈放されたら必ず報復してやる――と彼は心に誓った。「今からおよそ一年前……あなたの住む羽川家の近くから一人の女性の遺体が発見されました。遺体は至るところが激しく損傷しており、死因が特定できないほどでした」「……」一年前と言えば、ちょうど香織を地下牢に閉じ込めて拷問を加えた時期だった。亮太は全てを実行犯たちに任せたこともあって、彼女の最期を詳しくは知らなかった。――死因が特定できないほどに損傷した遺体。彼女があの地下牢で、凄惨な拷問を受けて死んでいったという証だった。「遺体の身元は……あなたの前の奥さんでした」「……それがどうした?俺と彼女は既に離婚しているんだ。何の関係もない」亮太は香織が亡くなる数日前に、彼女との離婚届を役所に提出していた。当然、彼女は記入などしていない。亮太が捏造したものだった。その時点でれっきとした犯罪ではあるが、あまりにも罪を犯しすぎている彼にとってはそんなもの気にもならなかった。何より、愛する日菜乃と一緒になれるのなら一抹の迷いさえ抱かなかった。「あなたは前の奥さんの葬儀にも出なかったそうですね?離婚して数日しか経っていないにも
この一年間、亮太はまるで夢のような日々を過ごしていた。邪魔な本妻を残酷な方法で始末した後、愛する女性と彼女との間に生まれた子供と共に毎日を過ごすことができるという幸福感。あまりにも幸せで、彼は自身が犯した罪のことなどとうに忘れていた。――崩壊は、すぐそこまで迫っていた。亮太は突然家にやって来た複数人の警官を前に、動揺を隠しきれなかった。「け、警察がなぜ俺の元へ……」「……羽川亮太社長、署まで同行願えますか?」亮太を見る彼らの眼差しに込められているのは、軽蔑。既に亮太が犯した罪を知っているかのようで、彼の心臓がうるさいくらいに鳴り響いた。(俺には警察の上層部がついている……何の心配もないはずだ……)彼は警察の幹部と知り合いであり、あの事件に関してはもみ消してもらったはずだった。それなのに、なぜ警察が今になって自身の元へ来るのか。彼は理解することができなかった。「社長、どうかしたんですか……って、あなたたちは一体……!?」リビングからやって来た日菜乃が、玄関に立つスーツ姿の男たちに狼狽えた。「……奥さんですか?ずいぶん、良い暮らしをしていたようですね社長」「……彼女には手出しするな」日菜乃を守るためにも、ここは一度警察の要求を呑んだほうがいいだろう。大丈夫、話さえ終わればきっとすぐに家に帰れるはずだ。そうすれば、またいつも通りの幸せが俺たちを待っている。「日菜乃……ちょっと出かけてくるから、大人しく待っていてくれ……」「社長……」普段と違う彼の様子に気付いたのだろう。彼女は納得いっていない様子だったが、渋々受け入れた。それから亮太は警官に両脇を抱えられたままパトカーに乗せられた。まるで罪人のような扱いに、目撃した近隣住民たちは衝撃を受けた。元々有名な彼のことだ、あっという間に良からぬ噂は広まっていく。彼を乗せたパトカーは、近くにある警察署まで一直線に向かった。「な、なぁ……俺をどうする気だ?」「……」自身の両脇にいる警官たちに声をかけても、何の反応もない。ただ、蔑みの眼差しを向けられるだけ。パトカーから降ろされた彼は、署内の取調室まで通された。(クソッ……これでは本当に罪人ではないか……!)彼は狭い一室にある椅子に座らされ、正面には一人の警官が座った。部屋の隅ではもう一人の警官が、パソコンと向かい合っている。おそ
その夢は、香織のいなくなった世界から始まっていた。彼の最愛の人である日菜乃と、二人の間に生まれた朱里。亮太はこれ以上ない幸せを感じていた。邪魔な本妻の香織がいなくなり、心から愛する二人と過ごせるという喜び。ちょうど今は、三人でテーブルを囲み、食事をしているところだった。「社長、本当に私を奥さんにしてくれるんですか?」「当然だろう、俺の妻はお前以外にあり得ない」「わぁ、とっても嬉しいです社長。奥様がいなくなってくれてよかった」二人が娘の朱里がいる前にもかかわらず、平然とそのような話をしていた。もちろん、まだ幼い娘は両親の裏の顔を知らなかった。今日は香織がいなくなってから三日後のことだった。亮太は日菜乃に毒を盛った愚かな香織を閉じ込め、凄惨な拷問を加えた。非人道的行為であることはわかっていたが、彼女が日菜乃にしたことを思えば到底許すことなどできなかった。そのうえ、死にかけの彼女を極寒の外へ放り出した。(あの女はきっともう死んでいるだろうな……あんなズタボロの身体で生きていられるはずがない)もちろん、生かしておくつもりなど最初からなかったのだが。日菜乃を殺そうとした罪は重い。自らの命をもって償うほかはなかった。食事を終えた亮太は椅子から立ち上がった。「明日にでも籍を入れよう。これで俺たちは、正式に夫婦となれる」「はい、社長」亮太は日菜乃の額にそっと口づけを落とした。彼女は嬉しそうに微笑んだ。このとき、亮太は幸せの絶頂にいた。愛する女と、彼女との間に生まれた小さな天使。二人がいるだけで彼の心は明るく照らされた。***予期せぬ事態が起きたのは、籍を入れてから一年後のことだった。このときには既に亮太は前妻の香織のことなど忘れ、日菜乃と新しい生活を送っていた。結婚指輪は世界的に有名なハイブランドのものを贈り、最高級のホテルで挙式を行い、新婚旅行はヨーロッパへ行った。この一年間、彼はとても幸せだった。しかし、そんな偽りの幸福の崩壊はすぐそこまで差し迫っていた。当然、本人たちはそのことに気付いてもいなかったが。ある日の朝、亮太はいつものようにリビングで日菜乃とくつろいでいた。彼女は仕事をしていないうえに家事もほとんどしなかったため、やることがない。毎日のように遊び歩いていることは知っていたが、亮太は特に咎めることもしなかった。そのとき
あっという間に五日が過ぎ、パーティーの日になった。「香織お嬢様、本当によくお似合いです。会場にいる全員がお嬢様に目を奪われるでしょう!」「そうかしら?」華やかな青いドレスに身を包み、長い黒髪を結い上げた香織は、行きつけの美容院の店長――鏑木壮太(かぶらぎそうた)の手を取り、彼の車へと向かっていた。「あなたの腕がいいのよ、いつも感謝しているわ」「それはこちらのほうですよ、お嬢様。お嬢様の父君には感謝してもしきれません」壮太は優雅に香織をエスコートし、車のドアを開けた。香織が黒のSUVの後部座席に乗り込むと、壮太が運転席に座った。「あなたが運転してくれるのね」「安物の車で申し訳
有真は結婚する十年前まで、忠嗣の経営する会社の社員として働いていた。彼女は一般家庭の生まれだったが、努力を重ねて有名大学を卒業後、大企業へと就職することができた。そんな有真は、学生時代から明るい性格でクラスの人気者だった。絶世の美人というわけではなかったが、穏やかで優しく、いつだって周囲に気さくに振舞うその姿は男女問わず魅了した。――そんなところが、彼を虜にしたのかもしれない。彼女が九条グループに入社してから一ヵ月、有真は広い会社内で迷子になっていた。(道に迷っちゃったわ……会議室はどこかしら……)会議が始まるまではあと少しだ。入社早々遅刻するわけにはいかない。有真は焦っていた。彼
夜になり、ドキドキ初出勤を終えた香織は九条邸へと戻った。結婚前はどんな小さな用でも車で送り迎えをしてもらっていた香織だったが、今日は歩きだった。(職場まではそう遠くないし……運動のためにも歩こう)羽川家では車に乗れないのが普通だったせいか、歩きに慣れてしまったようだ。しばらく歩くと、羽川家の邸宅に到着した。(今でもここへ帰るのは慣れないわね)香織はそう思いながら鍵を使って中に入った。「香織さん、おかえりなさい」「ただいま、有真さん」帰宅した香織を、継母の有真が出迎えた。夜ご飯を作っている最中だったのか、長い髪を一つにまとめてエプロンを着ていた。有真は忠嗣の二十歳年下で、香織の
それから一週間後。「初めまして、九条香織です。これからよろしくお願いいたします」「……」香織は父親の会社で新入社員として入社していた。彼女を見た社員たちはしばらく固まったあと、ヒソヒソと噂話をし始めた。「九条って言った……?もしかして社長の娘さん……?」「間違いないわ。社長の娘、夫と離婚して実家に帰ったらしいわよ」「よりによって何でこの部署に……社長の娘とか気使うわー……」「……」香織の第一印象はあまり良くなかった。コネ入社、血筋が良いだけ、だとか散々な言われようだ。しかし香織はそんな中傷など気にも留めなかった。彼女が羽川家で受けた屈辱に比べれば、こんなもの大したことないか







