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第1169話

Auteur: かおる
「でも──」

謙信が言いかけた瞬間、通話は無情にも、ぷつりと切れた。

謙信はしばらく携帯を見つめたまま、呆然として言葉を失った。

仕事に集中していた雅人が、横目でその様子をちらりと見る。さっきの会話の断片だけで、大体の事情は察したようだった。

「ほらな。前から言ってただろ。仁志さんの我慢にも限界があるって。ここまで抑え込めてたのは……全部、あの人の存在があったからだよ」

謙信は、ゆっくりと我に返った。

「……つまり、星野さんこそ、仁志さんの本当の逆鱗だ、ってことね」

雅人は、肩をすくめてみせた。

「さあ、どうだろうな。だってさ、前にも特別だと思ってた人、いたじゃないか。結局、今こうなってみれば……大差ないだろ?」

謙信は、ふと口を開いた。

「本当にもう特別じゃないって、どうして言い切れる?」

雅人は目を瞬かせ、すぐに謙信の意図を理解した。言い返そうとして──言葉が出てこない。

少しの沈黙のあとで、ぽつりと漏らした。

「……まあ、確かにな。仁志さんが本当のところどう思ってるかなんて、誰にも分かんねえ」

謙信は静かに続けた。

「でも一つだけ確かなのは……仁志さ
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