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第215話

Author: かおる
ただ、この時代において離婚とは実に厄介なものだった。

弁護士も繰り返し忠告していた――もし可能なら、協議離婚がもっとも迅速で、そして体面を保てる方法だと。

訴訟に持ち込めば、裁判所での審理だけでも通常は半年を要する。

財産分与まで争点に含めれば、神谷家の資産の複雑さからして、九ヶ月はかかる可能性が高い。

しかも開廷の前にはまず調停があり、最短でも一ヶ月ほど費やされる。

調停が不調に終わって初めて、正式に立件されるのだ。

弁護士は遠回しに言った。

「ここまで裁判になると、たとえ最終的にお二人が合意しても、お子さんがいる以上、しかも神谷さんに重大な過失が認められない場合、離婚できない可能性は非常に高いのです」

「信じ難いかもしれませんが、これが現実です。

私は長年数え切れない離婚訴訟を扱ってきましたが、このようなケースは決して珍しくありません。

星野さんが早く離婚を望むなら、やはり協議に持ち込むのが一番です」

星は問いかけた。

「私が持っている証拠は、彼を婚姻破綻の責任者として立証できます?」

弁護士は首を振った。

「残念ながら、あの程度では不倫の証拠にはなりません。

仮に不倫を立証できても......原則として財産分与には影響しません。

よほどの現場を押さえるか、同居して夫婦同然に生活していることが証明されれば不貞行為として扱われる可能性はありますが、そうでなければ全財産を放棄させるなどという判決はまず下りません」

――結婚する時はただ紙切れ一枚で済んだ。

離婚はどうして、これほどまでに難しいのか。

星はこの時、初めて思い知った。

悪事を働けば必ず報いを受ける――そんなものは美化されたお伽噺にすぎない。

現実では、悪人は罰を受けるどころか、むしろのうのうと良い暮らしをしていることさえあるのだ。

三十分後。

星は病院に足を運んでいた。

すでに彩香から、清子の病室番号を聞き出していた。

エレベーターが静かに最上階へ到着する。

降り立った瞬間、左右から現れた二人の屈強な警備員に行く手を塞がれた。

「申し訳ありません。

このフロアはすでに貸し切りとなっています。

部外者の立ち入りは固くお断りします」

星は足を止めた。

「誰が貸し切ったの?」

彼らは指示されているらしく、即座に答えた。

「山田さんです」

――山
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Comments (1)
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橋田光代
思い込みの激しい人間って扱いづらい。
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