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第221話

作者: かおる
星はその言葉を聞いて、胸の奥がほんのり温かくなった。

最近、怜はやけに彼女に懐いていて、どこへ行くにもついて来たがる。

翌日、星はまた雅臣に電話をかけたが、やはり誰も出なかった。

スマホの画面には、自分が雅臣に送ったメッセージが並んでいる。

【雅臣、私たち、いつ離婚届出しに行くの?】

【雅臣、もう約束したのに、また約束破るつもり】

【雅臣、約束を守らないなんて、男としてどうなの?】

【あなた、本当に離婚する気があるの?】

しかし、これらのメッセージに、雅臣は一通も返していない。

星の指先が無意識に上へと滑り、以前のメッセージにまでさかのぼってしまった。

そこに並んでいるのも、ほとんどが彼女からの一方的な言葉ばかり。

雅臣の返事といえば、ほんの数語――「うん」「わかった」「今忙しい」「了解した」程度。

そして「折り返す」と言いながら、本当に電話をかけ直してきたことなど、十回に一度あるかないかだった。

――この不誠実な男。

いや、違う。

彼が不誠実なのは、彼女に対してだけ、なのだ。

電話を切って間もなく、今度は別の着信音が鳴った。

弁護士からの電話だった。

「星野さん、裁判所がすでに離婚訴訟を受理しました。

祝日明けには神谷さんの方にも通知が行くはずです。

撤回するお考えはありませんね?」

「ありません」

「それなら結構です。

そちらに動きがあれば、必ず早めにご連絡ください」

電話を切ると、星は大きく息を吐いた。

――よかった。

備えをしておいて。

さもなければ、また雅臣に振り回されていたに違いない。

ただ......この道のりは、長くて骨の折れる戦いになることは間違いなさそうだった。

星は怜を連れて、中医の診療所を訪れた。

ひっそりと静まり返り、薬を処方してもらう人も診察を待つ人も誰一人いない光景に、怜は目を丸くする。

「星野おばさん、本当にここで合ってるの?」

星はうなずいた。

「うん、間違いないわ」

怜はきょろきょろと辺りを見回し、不思議そうに言った。

「でも、葛西おじちゃん、このところ忙しくて人手が足りないって言ってなかった?」

星も首をかしげた。

これまで手伝いに来たときは、忙しい時間帯には必ず何人かの患者が並んでいたものだ。

けれど今日は一人もいない。

二人が中へ入って間もなく、葛
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