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第236話

Author: かおる
勇の顔は厚い包帯でぐるぐる巻きにされ、目だけが出ていた。

その目も腫れ上がっていて、滑稽なほどの姿ではあったが、同時に彼の怪我の深刻さを物語っていた。

雅臣は訝しげに彼を見つめる。

「これを星がやったと?」

勇は憤然と叫ぶ。

「そうだ!

あの女と、あのガキに、あのクソじじいだ!」

だが雅臣は馬鹿ではない。

「怜はまだ五歳、葛西先生は七十を超えている。

三人がかりだとしても、おまえにここまでの怪我をさせるのは不自然だろう」

男と女では本来体格差も大きい。

ましてや相手は老人と子ども。

到底こんな傷を負わせられるとは思えなかった。

その時、病室の扉がノックされ、制服姿の警官数名が入ってきた。

「山田さん、あなたは他人の財産を損壊し、さらに暴力的に脅迫した容疑があります。

情状は悪質です。

現在入院中のため、ここで事情を伺います」

勇は目を剥いた。

「ふざけるな!

俺は病院で寝てるんだぞ。

あいつらを捕まえもせず、俺を取り調べだと?」

警官は厳しい表情で告げる。

「山田さん、あなたが入院しているのは、彼らのせいではなく、自分で掻きむしったせいです。

調べはついています。

あなたが扉を無理やり壊して押し入った際に、棚を倒し、薬品が散乱してアレルギーを起こしたと。

相手とは無関係です」

そう言いながら、警官の視線は傍らの雅臣に向かった。

すでに調査の段階で、星の周囲の人間関係は把握していたのだ。

当然、雅臣の素性も知っている。

「神谷さん、奥様はひどく怯えたご様子でした。

様子を見に行かなくてよろしいのですか?

いずれにしても、今回の件は山田さんが一方的に仕掛けたことであり、彼に理はありません」

口調はあくまで職務的だったが、その視線にはどこか複雑な色が滲んでいた。

――兄弟同然の相手が愛人を連れて正妻を挑発するなど、あまりに無茶だ。

星が理知的に立ち回り、法律を心得ていたからこそ大事に至らなかったが、もし手を出していたら双方の暴行とされ、彼女の立場は危うくなっていたに違いない。

そのとき初めて、雅臣はすべてを理解した。

眉間に深い皺を刻み、胸中に苛立ちが広がる。

――勇が、これほど厄介な問題ばかり起こす人間だとは。

だが当の勇は納得せず、反発した。

「嘘だ!

清子を先にいじめたのはあいつらだ!

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