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第255話

Author: かおる
勇が望んでいたのは、雅臣が星を突き放し、彼女が誰からも顧みられない捨てられ女になることだった。

星が雅臣を振り捨てた後、華やかに生きる姿など見たくはない。

彼は星を心底憎んでいた。

星が不幸になればなるほど、彼は胸のすく思いをするのだ。

かつては、二人が離婚して星が涙に暮れる姿を心待ちにしていた。

だが今、星の方から離婚を言い出したことで、彼は逆に、その望みがあっさり叶うことに納得がいかなかった。

「雅臣、気づいてないのか?」と勇は言う。

「星は最近すっかり変わった。

前はおまえに大声で言い返すことすらできなかったのに......今じゃ離婚を口にしてる」

「俺の見立てじゃ、きっと後ろ盾を見つけたんだ。

だから離婚を急いでる」

彼は続けざまにあげつらう。

「最近、星は怜の父親――あの影斗って男と妙に親しくしてる。

子どもまで世話してやってるらしい。

あれはもう、裏でつながってるに決まってる」

「それに、星の先輩ってやつもいただろ。

清子が二人で食事してるのを見たって。

あれも怪しいもんだ」

「男をとっかえひっかえする尻軽女が、雅臣から二百億せしめて別の男を養おうだなんて、ふざけるな!」

憤りを隠さず、彼は雅臣に言い募った。

「雅臣、今の時代結婚するのは簡単でも、離婚は難しい。

絶対にあの女の思うようにしてやるな!

おまえが離婚を望まないなら、徹底的に引き延ばしてやればいい」

「たとえ訴えられたとしても、二年三年は引き延ばせる。

そうすれば簡単には離れられない」

「その間に婚内財産を全部合法的に移してしまえばいい。

あいつには一銭も渡らない」

「星が急に頑なになった理由なんて、金が欲しいからに決まってる!」

「ならば逆に、財産を渡さないだけじゃなく、女の方の金を奪ってやればいい」

勇にはごろつき仲間が多く、離婚の修羅場も散々見てきた。

大金持ちの離婚はほとんど裁判沙汰で、財産分与が絡む。

無一文で放り出される例などほとんどない。

離婚が裁判に持ち込まれるのは、すでに情が尽きている証拠。

情が尽きれば尽きるほど、相手に一銭も渡したくなくなる。

そうやって憎しみに変わり、何年も泥仕合を続ける夫婦も珍しくなかった。

彼らの世界では、浮気や離婚の前に資産を隠すのは常套手段。

卑劣な場合は、女の金まで奪ってい
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