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第393話

Author: かおる
「神谷社長、それでは......別の作曲家を探してみますか」

誠の問いに、雅臣の瞳は深く沈む。

「必要ない。

スターの居場所を突き止めろ。

俺が直接会って話す」

誠は目を見張った。

「......承知しました。

すぐに取りかかります」

スタジオでは、星が最新作の曲を奏でていた。

それは、コンサートの幕開けに用いる予定の一曲。

澄んだ旋律が泉のように流れ出し、聴く者の心を揺さぶる。

窓辺に立つ彼女の姿は、一枚の絵画のように優美だった。

薄いカーテンを透かして降り注ぐ陽光が、彼女の全身に金のヴェールを纏わせる。

曲が終わった瞬間、扉の方から拍手が響いた。

「パチ、パチ、パチ」

振り向いた星の目に映ったのは、航平の姿だった。

「いつからそこにいたの?」

彩香が答えた。

「さっき演奏を始めてすぐよ。

鈴木さんが、邪魔しない方がいいって言うから呼ばなかったの」

昨夜の食事の席で、航平は彼女のスタジオを見てみたいと口にした。

今は昼間のほとんどを練習に費やしているし、いずれ商業活動をするうえでも場所を隠す必要はない。

だから快く承諾したのだが、まさかこんなに早く訪れるとは思わなかった。

「素晴らしかったよ」

航平の声は低く温かい。

「ありがとう」

星は彩香に向かって言う。

「もうすぐ応募者が来るから、接客お願いね。

私は先に航平を案内してくる」

「わかったわ。

行ってきて」

星は航平を連れて、スタジオ内を案内した。

この場所は、まだ離婚する前に奏が借りたものだった。

独立して自分のチームを持とうと考え、大規模なスタジオを契約したのだ。

広さはおよそ八百平方メートル。

建物は三層に分かれ、演奏ホール、練習スペース、オフィスなどが整っている。

星はそのうち一層を仮に借り受けているが、家計を切り盛りしてきた彼女の蓄えでは、この規模の家賃や内装費をまかなえるはずもない。

今は借金として抱え、少しずつ返済していくしかなかった。

星は自分の階を案内したあと、残りの二層も見せて回った。

ひととおり歩き終えると、再び彩香のもとへ戻った。

その背後から、航平の視線が静かに注がれていた。

普段は穏やかで落ち着いたその眼差しが、このときだけは熱を帯びて揺らいでいる。

だが星は気づくことなく、ふたたび部屋へ入っていった
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