เข้าสู่ระบบ「……副団長殿が呼んでいます」
「あ」 ミラはようやく振り返った。 「こんにちは、副団長殿」 「やぁ、ミラ。昼間に会うのは初めてだね」 息を切らしながら前髪を掻き上げる姿は、やけに眩しいなとミラは目を細めた。太陽の光が金髪に反射しているから、だろうか。 ヴィクトルはちらりとレオンを見た。 レオンと目が合った。 レオンは無言で会釈した。 (この人、絶対俺のこと邪魔だと思ってる) レオンはそう思ったが、何も言わなかった。 レオンは毎朝欠かさずミラに話しかけるヴィクトルの努力を知っていた。ミラの背中を追うように、石畳の小径の上を彼も歩いて研究室へ向かっているからだ。 (副団長の忍耐力は、尊敬に値する) レオンはミラから一歩下がった。 二人にしてやろう、という彼なりの気遣いだった。ミラは気付いていないが……。 「そんなに急いで、どうされたんですか?」 「ミラが食堂にいると聞いて、急いで追いかけたんだが、もう既に出て行った後だった」 「そうですか。何か忘れ物でもありましたか?」 ミラは眼鏡に触れた――集中し過ぎて良く忘れるアイテムの一つだ。 「私、何を忘れたんでしょうか」 「いや、何もない……」 「何もないのに追いかけてきたんですか?」 こてん、とミラは首を傾げて見せた。息を切らしてまで追いかけてきたから、それほど重要な何かを忘れたのだと思ったのだが……どうやら違ったようだ。 「レオン、何か忘れ物しましたか?」 肩越しに振り返ると、どうしてか彼は両眉を八の字に下げて悲しそうな表情を浮かべたまま、首を左右に振った。 「レオンも忘れていないみたいです。その忘れ物というものは他の方の物のようです。持ち主が分からないようでしたら、魔法で」 「いや、だれも、何もないんだ」 ヴィクトルがミラを遮った。彼女は「そうですか」と小さく頷いた。 「追いかけた理由なんだが……明日、食堂でランチでも一緒にどうだ?」 「無理です」 「無理か」 「はい」 「しかし、今日は珍しく食堂にいたが」 「師匠からたまには人の顔を見て食事をするように、とレオンと共に研究室を追い出されたのです」 今度はヴィクトルの両眉が情けなく下がった。ミラはそれに気付かず、理由を述べる。 「魔術を使わずに傷を防ぐことができるポーションの研究が佳境に入っているのです。だから食堂に行く暇はないのです」 「……そうか……そのポーションが完成すれば戦場だけではなく、市場でも役立てることができるもんな」 「そうなんです!」 ミラは眼鏡の下の瞳を輝かせ、一歩前に足を進めた。ヴィクトルとの距離が、拳約一個分まで縮まった。 顔を上げ、ヴィクトルを見上げる。彼の青い瞳が戸惑いに揺れたことにミラは気付かなかった。 「治癒師による治療は値段が高く市井では手は出せませんが、ポーションにすれば量産しやすく手軽な価格で手に入れることができるのです、これは画期的な――」 「ヴィクトル!」 廊下の向こうから、グレンの声が響いた。 その声でミラは、やっと口を閉じた。つい熱が入ると止まらなくなるのは悪い癖だ。 ヴィクトルから一歩下がったミラは、廊下の向こうを見た。黒髪に白髪交じりの、ガタイがいい厳つい男――ミラの見知った顔だ。 「グレン団長がお呼びです」 「休憩時間はまだある。俺はまだミラと話したい」 「上長からの呼び出しはいかなる時も答えなくてはなりません。あの感じだと、緊急のようです」 「尚更、答えなければ」と、ミラは真顔でヴィクトルを見上げた。 ヴィクトルは「そうだな」と小声で呟いた。 ミラはヴィクトルの言葉を聞いて、小さく頷くと彼女の視線は研究室の方向へ向いた。 「……また明日」 「はい」 レオンは去り際のヴィクトルの表情を見逃さなかった――下唇を噛み締め、その瞳は潤んでいた。 (大の大人が、あんな表情を……) 哀れだ。 ヴィクトルが去って研究室に歩き出したミラの隣にレオンは並んだ。 「副団長に最近、誘われてますよね?」 「そういえばそうですね。お友達がいないんでしょうか」 「私にだって友達くらい居るのに」と、誇らしげだった。 「副団長と一度でも良いから、カフェに行ってあげたらよいのでは……」 「私があの人とですか?私はカフェに行く必要ないです。自分でお茶を淹れたら良いですしケーキも作ったら良いですし。それに、お金は研究材料を買うのに使いたいです」 「貴女、一度だって自分でお茶を淹れたことも、ケーキも作ったことないでしょう」 いつも用意しているのはレオンだ。レオンは呆れ顔を浮かべた。 「そういえば、ないですね」 「それよりも、一度くらい一緒に行ってあげて下さい。見ていて不憫なんです」 レオンからは見えるのだ。ミラから素っ気なくされて――本人は悪気はないが――今にも泣きだしそうな表情を浮かべ、項垂れている姿が、見えるのである。 「あの人も一緒に行くなら会話が弾む人と行くべきでは?」 研究オタクと騎士、この二つは噛み合わない――ミラはそう思っている。 「……ミラさん」 「はい」 「さっきから気になってたんですけど」 「なんですか」 「副団長の名前、知ってますよね?副団長のことを『あの人』とか『副団長』としか言わないので、気になりまして」 ミラは首を傾げ――「知らないですね」と告げた。 「本当に?」 「本当です、嘘を吐いても意味ないです」 レオンは立ち止まった。 (まずは、そこから!?) 「ちなみに、彼が王弟だということはご存じですか?」 「知らないですね」 (それも!?!?!?) 魔術のことしか頭にないせいで、他の情報は入らないのか。 いやしかし、流石に有名人。数は少ないが、一緒に前線に立ったことがあるはずなのに。 (世間知らずにも程がある) 毎朝挨拶をされ、カフェに誘われ、花束を貰った。 それでも名前を知らなかった。 (ヴィクトル副団長……) レオンは天を仰いだ。 彼が哀れでしょうがなかった。ミラはそんな視線に気づかず、マイペースに話を進めた。「ハンカチを常に清潔に保つ魔法をかけることも可能ですし、これを床に応用すれば、土のついた靴で踏んでも汚れない空間を作れます。……これは、そうですね。そういうモップを開発したら非常に売れそうです」「ミラは相変わらず商売上手だな」「これはすぐに商品化できるよう、魔術塔の開発課に今すぐ相談を――」「ミラ様。まずは皆様へのご挨拶を済ませませんと」 脱線しかけたミラを、シャルロットが穏やかに制した。「……そうでした。つい、研究会にいるつもりになっていました」 コホンと小さく咳払いをしたミラが、最後にライラの前へとやってくる。「ミラ付きの侍女、ライラだ。彼女はレオンの妹だよ」 ヴィクトルの紹介に、ミラの黒い瞳が丸くなった。「レオンの、ですか。お兄様にはいつも大変お世話になっています。ヴィクトルとの散歩に出かけるため、お洋服をお借りしました。ありがとうございます」 丁寧かつ深々と頭を下げるミラ。ライラも「は、はいっ!」と慌てて頭を下げ返した。「ミラ。散歩じゃない。デートだ」 ヴィクトルがすかさずミラに訂正を入れるも、彼女はそれを聞かずにライラに質問を投げかける。 「ミラ付きというのは、普通の侍女とどう違うのでしょう?」「身の回りのお世話全般をさせていただきます」「なんと」 ミラの目が、一瞬でパッと輝いた。「では、着替えやお風呂のお手伝いも……?」「は、はい! 可能な限りは」「これは素晴らしいです」(えっ、なぜ急にこんなに喜ばれているんだろう……?) 理由が分からず困惑するライラに、ミラは一人で納得したように頷いた。「レオンに着替えとお風呂の補助を頼んだ際は、『さすがに無理だ』と即座に断られましたので。同性だからこそ可能な領域ということですね」
「ライラ、いい給料の仕事に興味はあるか?」 食事の時間にローブ姿で突然現れた兄・レオンにそう切り出されて、ライラはスープを掬う手を止めた。 詳しく話を聞けば、今の教師職よりも遥かに高給であり、かつ仕事内容も「教師の延長線のようなものだ」という。 だが、条件を説明するレオンの口から出た言葉に、ライラは思わず首を傾げた。「相手は大人だが……まあ、『人間六年生』として扱ってくれればいい」 「人間六年生……? それと……あの、王弟のお相手様は黒の魔術師ですよね。黒髪は怖くないのでしょうか?」 何気なく口にしたその一言だった。しかし、次の瞬間、レオンの鋭い眼光がライラを射抜いた。「ライラ。魔術師である俺を前に、黒を差別するような口を叩くな」 低く重い声が部屋に響く。レオンはライラの顔を真っ直ぐに見据え、容赦なく言葉を続けた。「人は色で判断すべきじゃない。子供たちを導く教師であるお前が、そんな先入観を口にするのは間違いだ」 面と向かってはっきりと叱られ、ライラは顔が一気に熱くなるのを感じた。己の視野の狭さと無意識の偏見が情けなく、心から反省して小さく身を縮める。「このまま教師を続けるか、それともミラ付きの侍女として仕事を変えるか。……お前自身で決めろ」 提示された条件は、宿あり食事あり、福利厚生は最高峰、そして破格の高給。だが、ライラが引き受けると決めた一番の理由は、条件ではなかった。厳しいながらも、自分を正しい道へ導いてくれた兄の叱責。あれで気づいた自分のちっぽけな恐怖心を、きちんと払拭したかったのだ。 ♦ ♦ ♦ そして迎えた、顔見せの日。 指定された広い屋敷に足を踏み入れたライラは、すでにずらりと並んでいた使用人たちの姿を見て、緊張で押し潰されそうになった。 執事、メイド長、そして洗練された身のこなしのメイドたち。誰もが自分などより遥かに仕事ができそうで、熟練した使用人ならではの落ち着きと気品を漂わせている。(うう……私なんかがここでやっていけるのかな……) ガチガチ
「結婚します」 ミラの黒い瞳が、まっすぐにヴィクトルを捉えて離さなかった。 あまりにもあっさりと、けれどはっきりと発せられたその五文字に、ヴィクトルの思考回路は完全にフリーズした。(……結婚します? いま、なんて言った……? 聞き間違い、か……?) つい数秒前まで「嫌です」「好きではない相手と結婚する意味が分かりません」と、ヴィクトルの胸を容赦なく抉り抜いていたミラだ。あまりの展開の早さに理解が追いつかない。「ミ、ミラ……。今言ったこと、もう一回言ってもらえるか……?」 ヴィクトルは、情けないほど掠れた声で問いかける。 ミラは「はい」と頷き、もう一度その小さな唇を開こうとした――その瞬間。「考え直せ、ミラぁぁぁーーっ!!」 絶叫しながら二人の間に割り込んできたのは、グレンだった。 目の前で頭を抱え、必死の様相で叫ぶグレンの姿を見て、ヴィクトルはようやく悟った。 ――幻聴ではない。ミラは、本当に「結婚する」と言ったのだ。「いいかミラ、結婚は研究とは違うんだぞ!? お前、実験感覚で人生最大の決定を下すな!」「何事もやってみないと分かりません。陛下もおっしゃっていました」 淡々と答えるミラに、グレンはさらに頭を抱え込んだ。「だから! そういう問題じゃねぇだろ!」「はぁ……。ですがグレン、貴方は独身ですから、結婚生活というものがお分かりにならないのでは?」「ミラ、お前、容赦なく人の心をずたずたに切り裂いていくんじゃない……っ!」 悪気ゼロの会心の一撃を食らい、膝から崩れ落ちそうになっているグレンを余所に、ミラは至極真面目な顔で丸眼鏡を指で押し上げた。「我々は成功例を見てきましたので、見本にしてみてはいかがでしょう?」「見本……
「嫌です」 ミラは、丸眼鏡を押し上げながら、あっさりとそう言った。 謁見の間の空気が、びしりと固まる。「そもそも、なぜ友人と結婚するのか、意味が分かりません」 ミラの黒い瞳が、まっすぐにヴィクトルを捉えた。悪意はない。ただ、本気で分からないだけだ。「好きではない相手と結婚する意味が分かりません。……メリットはあるんですか?」 ぐさり、ぐさり、と。 悪気のない正論が、復活したばかりのヴィクトルの胸へ的確に突き刺さっていく。せっかく取り戻した金色の輝きが、また少しずつ陰りを帯びていくのが、傍目にも分かった。(うわ……) その様子を横から見ていたグレンが、思わず眉を下げた。 さっきまで「勝ちやがったな」と悔しがっていたはずなのに、ここまで一方的に抉られる部下を見ていると、さすがに少しだけ可哀想になってきた。 当のミラは、王とアルバがなぜ結婚などを勧めてくるのか、心底理解できずにいた。「私の計算で言いますと、結婚すれば家庭というものに時間を割かれます。これは、実際に研究にも出ていまして……確か、書物名はですね――」「ふぉっふぉっふぉっ。黒い子、話がずれとる」 資料の海へ潜っていこうとするミラの首根っこを、アルバが髭を撫でながら引き戻す。「ふむ。何が言いたいかと申しますと、研究時間が減ります。不都合が予測されますので、結果、結婚はしません」「わしは結婚しても、研究時間が減ることはなかったぞ」「……確かに、そうですね」 ミラは丸眼鏡の奥で、こつん、と思考が引っかかったように瞬いた。「近くに、結婚成功者がいました」 ミラは、仲睦まじい夫婦を誰より近くで見てきた。アルバは家では常に妻の傍を片時も離れず、二人で寄り添って内緒話をしていたことをミラは思い出した。――と言っても、その内容はミラの脳内に駄々洩れだったが。 「結婚も悪くないぞ」
「グレン、お前が交際を認めようが認めまいが、私は結婚を命じているのだ」 アルノルトは事も無げに言ってのけ、片眉を上げて不敵に笑った。「段階が! 段階が狂ってるでしょうが! 恋人飛ばして夫婦ってどんな飛び級ですか! まして、この二人は友人という段階止まり! それに、ミラは俺の、妹みたいなもんで――」「グレンは、今回の王命の立会人として呼んだのだ。それに、反対の意見は聞いていない」「そもそも王命だから、覆せない」とアルノルトは楽しげに玉座で踏ん反り返った。 あまりの横暴さにグレンは唖然とした。そして、隣で未だに石化したままピクリとも動かないヴィクトルへ、恨めしげに視線を移す。(……待てよ。こいつ……) 段階を踏めと散々私室の前で喚いていた自分を置き去りにして、まさか王命で、一撃でゴールへ叩き込まれようとしている。「お前……勝ちやがったな」 という、なんとも言えない複雑な敗北感と悔しさをヴィクトルに吐き捨てた。 一方、ヴィクトルはゆっくりと意識を取り戻しつつあった。 顔はまだ羞恥で微かに赤みを帯びているものの、その青い瞳にはいつもの、いや、それ以上の鋭い光が宿っている。 確かに段階は狂っている。友人としての足場を固めようとしているところに、こんな王命が降ってくるなんて思ってもいなかった。不本意だ。手順がめちゃくちゃすぎる。(つまり、ミラと結婚しなければならない。……王命によって。強制的に。合法的に、俺の妻に……) そこまで思考が至った瞬間、ヴィクトルの脳裏にある規則が思い出された。 騎士は結婚すると、あの騎士寮から出て生活していいことになっている。 ということは、ミラと一緒に過ごすための家が必要になる。朝起きたら、隣にミラ。寝るときも、隣にミラ。おはようではじまり、おやすみで終わる。毎日彼女の顔を見て、彼女の気配を感じて暮らすのだ。(最高では……?) 最初は困惑と羞恥しかなかったヴィクトルの脳内で、急速に都合の良い計算式が組み立てられていく。頬の赤みは引くどころか、別の熱を帯びてさらに増していくようだった。不本意だと思っていたはずの王命が、今や天啓のように思えてくる。(しかし――ミラは、ミラは何て言うんだ?) 我に返り、ヴィクトルはハッとした。 自分をまだ『友達』としか認定していない男と、急に結婚しろなどと言われたのだ。
ミラの頭を、アルバが軽く小突いた。 「黒い子に予算の話をするはずなかろう」「緊急に招集されましたので、五倍の話を受けてくれるのだとばかり……」「予算の話に黒い子を呼ぶはずなかろ。しかももう予算三倍は使い切ったぞい」「ええっ、いつですか、いつですか!?」「魔術塔の雨漏りを直して一番古い研究室を最新のものに改装したろう」「私の研究室は!?」「黒い子の研究室が一番新しかろうて」「壁に穴が開いているのに!?」「あれは黒い子があけたんじゃろ。それより黙らんか」 アルバが長い髭を引っ張りながら「ふぉっふぉ」と窘めると、ミラは「解せません……」と言いたげに丸眼鏡の奥の瞳を不満げに細め、ようやく口を閉ざした。 「……コホン。話を戻してもよろしいでしょうか、陛下。我らを招集した理由とは?」 ヴィクトルがこれ以上ないほど真剣な、張り詰めた声を響かせる。 すると、玉座に腰掛けるアルノルトは、ミラの的外れな乱入によってすっかり和んでしまった空気を楽しむように、ふっと不敵な笑みを深めた。「まあ待て、ヴィクトル。実はな、我が弟が……あまりにも盛大に、木っ端微塵にフラれる姿を目撃してしまってな」「……は?」 ヴィクトルの思考が、一瞬で停止した。 隣のグレンが「ぶふっ!?」と吹き出し、必死に口元を押さえて小刻みに震え始める。「我が弟ながら、あそこまで一筋の慈悲もなく一刀両断される姿は実に見事だった」(何故、あの場に兄上が?) ヴィクトルが疑問に思っていると、アルバが教えてくれた。「陛下と王妃にの、魔術研究室の最新器具のお忍び視察に来ていただいた帰りじゃよ。ちょうど魔術塔の窓から、お前さんたちの声が実によく響いてのぅ。ふぉっふぉっふぉ」 長い髭をさすりながら、アルバが楽しそうにその時の状況を暴露した。 よりによって、ミラに惨敗したあの決定的な瞬間を、実の兄である国王と王妃、そして魔術師長という国の中枢に特等席で見物されていたとは。ヴィクトルは顔がカッと熱くなるのをどうすることもできなかった。「見てたぞ」 にー、と笑う兄を見ていられず、ヴィクトルは顔を伏せ、手で覆い隠した。 「しかしまあ、上手くやれているようで安心した」 兄は楽しげに喉を鳴らし、弟のそんな様子を心底面白そうに眺めている。「放っておいてくれ……!」 覆った手の隙間
※ ※ ※一週間後。ヴィクトルはついに本題を切り出した。「騎士団の近くに、女性に人気のカフェがあるんですが、一緒に行きませんか。男一人だと気が引けて」ミラは少し考えた――なんと、歩く足を止めて。しかし、少し、というのは本当に少しで、三秒も経たなかった。「研究で忙しいです」やはりそうか、とヴィクトルが思った瞬間、ミラが続けた。「あそこの令嬢が時間が空いているようです。私から誘いましょうか」ミラの視線が、回廊の向こうへ向いた。確かに、木に隠れて、こちらをチラチラと見ている貴族の令嬢がいた。「あちらの令嬢は、騎士団の殿方に贈り物を届けにいらっしゃった一人です。確か、副団長の親衛
※ ※ ※ 一週間後。 ヴィクトルはついに本題を切り出した。 「騎士団の近くに、女性に人気のカフェがあるんですが、一緒に行きませんか。男一人だと気が引けて」 ミラは少し考えた――なんと、歩く足を止めて。 しかし、少し、というのは本当に少しで、三秒も経たなかった。 「研究で忙しいです」 やはりそうか、とヴィクトルが思った瞬間、ミラが続けた。 「あそこの令嬢が時間が空いているようです。私から誘いましょうか」 ミラの視線が、回廊の向こうへ向いた。確かに、木に隠れて、こちらをチラチラと見ている貴族の令嬢がいた。 「あちらの令嬢は、騎士団の殿方に贈り物を届けにいらっしゃった一人で
※ ※ ※ 任務から戻った後、部下に何気なく聞いた。 「あの魔術師は誰だ」 「ああ、ミラさんです。魔術師長アルバ直々の弟子ですよ」 「初めて見たな」 (あんなに可愛い笑顔を今まで見なかった) それ以外にも。 魔力がもっとも高いとされる黒髪と黒い瞳の魔術師は、戦場では最も頼りになる存在だ。先ほど見たバリアは見事なものだった。不吉などという迷信とは無縁の、純粋な実力。そんな人物が表舞台に姿を現さなかったのが不思議だ。 「研究室に籠もってばかりで滅多に顔を出さないんですが、聞いた話では、魔術師長から追い出された時だけ前線に出るらしいんですよ」 「普段の彼女と別人みたいでしたね」
――数ヶ月前。 ミラ・アッシュフィールドは魔術師だ。 黒髪に黒い瞳。この国では不吉とされる色を全身に纏い、それでも臆することなく研究室から魔術塔に続く石畳の小径を、長いローブを靡かせながら速足で歩いていた。丸眼鏡が鼻の上で僅かにずれているが、本人は気にしていない。いつもそうだ。 その背中を追う影があった。 金色の髪に、青い瞳。この国では王家直系だけが引き継ぐとされる色だ。ヴィクトル・ルーカス・エルンスト――王位継承権を破棄した、騎士団副団長。(あんなに小さいのに、歩くのが早いな) 足が長い俺には造作もないことだが。 (逃がすか) 手を伸ばせば届く距離まで詰めて、息を吸った。







