LOGIN「拒否権まであるのか」 「終業時刻も書いてあるぞ」 「終業時刻……?」 そこが妙に話題になった。 王宮筆頭実務顧問は、王太子妃より偉いのか。 そう囁いていた者たちの一部は、首を傾げた。 無制限の権力者なら、終業時刻など明記しない。 拒否権も、休息規定も、補佐官制度も必要ない。 それは、権力というより職務だった。 もちろん、すべての噂が消えたわけではない。 「書いてあるからといって、本当かしら」 「王弟府の影響は残るでしょう」 「公爵家の娘であることは変わらないわ」 そう言う者もいる。 だが、噂の形は少し変わった。 漠然とした嫉妬や恐れから、職務
イリスが大変満足そうに頷いた。 午後、ジュリアスが顧問室へ来た。 手には王太子府の差し戻し分類表を持っている。 だが、今日はその件だけではないようだった。 「噂の件を聞いた」 「早いですね」 「王太子府にも入ってきた」 彼は苦い顔をした。 「すまない」 言いかけて、途中で止まる。 最近、ジュリアスは謝罪の扱いに慎重になっている。 謝れば済むわけではない。 それを学び始めているのだ。 「……いや、まず状況を確認したい」 「はい」 クラリスは説明文の草案を見せた。 ジュリアスは丁寧に読み、途中で何度か頷いた。 「よく整理されている」 「王太子
王宮筆頭実務顧問職に関する権限誤解 イリスが頷く。 「よい名前です」 「嬉しくない名前だけれど」 「名前がつけば扱えます」 それは、最近の合言葉のようになっていた。 昼前、レオンハルトが顧問室を訪れた。 彼は噂の件をすでに知っていた。 王弟府の情報網は、こういう時だけ異様に早い。 「クラリス」 「はい」 「噂の出所を調べる」 「お待ちください」 クラリスは即座に止めた。 レオンハルトの眉がわずかに動く。 「なぜだ」 「王弟府が動けば、余計に本当らしく見えます」 「事実でないものを放置しろと?」 「放置ではありません。別の形で対応します」 レ
噂というものは、廊下を歩かない。 なのに、誰よりも早く廊下の先へ行く。 王宮筆頭実務顧問室の扉に新しい木札が掛けられてから、まだ半月も経っていない。 それなのに、王宮内外ではもう別の名前がついていた。 ――影の王太子妃。 最初にその言葉を耳にした時、クラリスは思わず羽根ペンを止めた。 それは王宮廊下の曲がり角だった。 慈善記録官室へ向かう途中、反対側の柱の陰で、二人の若い貴族令嬢が声をひそめていた。 「だって、王太子妃にはならなかったのに、王太子府にも王妃執務院にも口を出せるのでしょう?」 「王弟殿下も後ろ盾ですもの。実質、王太子妃より上なのでは?」 「怖いわ
時に、見えないものを指し示すためにも使う。 かつてローゼン自身が言った言葉に近い。 グラナート夫人は、しばらく黙っていた。 やがて、静かに言う。 「あなたは、本気で社交界を変えるおつもりなのね」 「届かなかった膝掛け一枚分くらいは」 「一枚?」 「いえ」 ローゼンは微笑んだ。 「三十枚分でしたわね」 部屋に、静かな緊張が走った。 これで、ローゼンは確実に敵を作った。 グラナート侯爵夫人は、彼女を許さないだろう。 少なくとも当分は。 高位夫人の一部も反発する。 ローゼン侯爵夫人は王宮に媚びた。 社交界の伝統を壊した。 善意を帳簿へ売り渡し
「あの」 声は小さい。 だが、全員が彼女を見た。 若い男爵夫人は一瞬ひるんだが、膝の上の手を握り直した。 「私は、空欄を出します」 ローゼンは彼女を見る。 リント夫人は続けた。 「昨年の毛布の件です。商会報告はあります。でも、孤児院からの受領確認がありません。礼状にも品目名がありませんでした」 数人の夫人が、わずかに目を伏せた。 それは、同じ経験がある顔だった。 寄付はした。 礼状は来た。 でも、本当に品物が届いたかまでは見ていない。 リント夫人は声を震わせながら言った。 「以前なら、商会報告があるから届いたことにしていたと思います。でも、今は







