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第336話
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婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ 第337話
慎一は静かに言った。「新しい道に挑戦してみたかったんだ。妻のために、少しでも道を広げてやりたかった。でも、今はもう契約も終わった」その言葉を口にしながら、彼の優しい手はずっとテーブルの下で私の手を握りしめていた。その瞳は、まるで世界に私しかいないかのように、深い愛情で満ちている。彼の言葉がどこまで本当で、どこまで嘘なのか、そんなこと私には分かっているつもりだった。それでもこの瞬間だけは、彼の優しさに心が溶けてしまいそうだった。真思はすでに顔面蒼白。それでも周囲の人々は慎一を褒め称える。「部下思いの素晴らしい社長だ」と。今や真思もキャリアを築いたのだから、彼は彼女を裏切ったわけではない、と。慎一は身を乗り出し、熱い吐息を私の耳元に落とした。「安井先生、ちょっと外に出ないか？このままじゃ、旦那さんが飲み過ぎちゃうぞ」心臓が、バクバクと跳ねた。胸の奥で抑えきれない感情が、ついに檻を壊して飛び出してしまいそうだった。慎一に手を引かれ、私はテレビ局の外へ連れ出される。彼は運転手に車をまわさせたが、自分は乗ろうとせず、私を車のドアに押し付けて、いきなりキスをしてきた。私は彼の肩に手を乗せ、指先が小刻みに震えるのを感じながら、恐る恐る、そして不器用にキスを返した。あの頃の佳奈を装いながら、あの頃の心の中で輝いていた彼に、もう一度触れた。慎一は私の後頭部をしっかりと抱き寄せ、興奮したようにキスを深めていく。だが、彼は涙の味に気づいた。慎一は額を私の額にそっと押し付け、両手で私の頬を包み、親指で溢れた涙を拭ってくれる。「なんで泣いた？俺、今日何か間違ったことした？」私は首を振った。「ありがとう、大事にされるって、こんな気持ちなんだって初めて知った」その言葉を吐いた瞬間、私の魂が震えた。乾いた砂漠に突然降った恵みの雨のように、全身を感動が駆け抜けていく。避けられないなら、せめてこの一瞬を味わい尽くすしかない。ふと、自分を大切にしてこなかったことを痛感する。どれだけの悔しさと苦しさを、私は自分に押し付けてきたんだろう。自分で選んだ男に、どれほど苦しい思いをさせられたことか。好きな人に大事にされるって、こんなに幸せなことだったんだね……だが、この幸せは鋭利なナイフのように、私の胸の傷を何度も抉る。思い出すのは、過去の一
婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ 第336話
カメラが真思に切り替わると、彼女はひどく傷ついたように、喉を詰まらせながら必死に涙を堪えていた。だが、一番驚いたのは私だった。慎一は、いつも外では穏やかで冷静な人。公の場で誰かと真正面から衝突する姿など、これまで一度も見たことがなかった。その彼が、こんなにきつい言葉を真思に向けて投げるなんて、夢にも思わなかった。監督は空気を読む天才で、すかさずゲストたちに合図し、話題を私に振ってくれた。一瞬、あまりの驚きに私の表情がそのままカメラに映し出されてしまった。だが私はすぐさま顔を整え、にっこりと微笑む。「七瀬さん、ご質問ありがとうございます。正直、私もそんな風に思われているなんて知りませんでした。私がこの番組に参加したのは、皆さんに今の社会にはしっかりとした法律の仕組みが存在していることを知ってもらいたかったからです。困った時に、独りで戦わなくていいと伝えたかったです。ここにいる皆さんも、きっと同じ思いでこの場に集まっているのだと思います。こんなに志を同じくする仲間がいるなら、私がいなくても安心しています。私は本業が弁護士なので、番組に出るよりも実際に困っている方のために働くべき場所が他にもあります」私の言葉が終わっても、会場は静まり返っていた。みんなが私の話に感動したのか、それとも先ほど慎一が私をかばったことにあまりに驚いたのか、誰も反応を返してこない。「パチ、パチ、パチ」静寂の中、ふいに拍手が鳴り響き、続くようにどっと大きな拍手が巻き起こった。私は慎一を見上げる。心の中で、複雑な感情が渦巻いた。これほど熱い拍手を受けたのは、人生で初めてかもしれない。しかも、その中には彼――かつて私の仕事に反対していた彼の拍手も混じっている。私は笑った。照明の下、満面の笑みを浮かべる。慎一も、同じく柔らかな微笑みを見せてくれた。監督は、私と慎一、そして真思の三人の顔を一枚の画面に並べた。真っ白に蒼ざめた真思と対照的に、私と慎一の笑顔は幸福そのものだった。こうして、番組の打ち上げパーティーは完璧に幕を閉じた。番組の最後、監督がゲストたちを夕食に誘い、その様子も特典映像として配信されることになった。もちろん慎一も招待された。彼は何の迷いもなく私の肩に腕を回して舞台に上がり、私が逃げようとしても全く離してくれない
婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ 第335話
慎一は、視線をゆっくりと私の肩越しに送り、その先にいる真思の姿を捉えた。【自分で裏でデマを流すだけじゃ飽き足らず、今度はネットにまで持ち込むのか！】【ほら、本人がやってきたぞ。さてさて、どんな修羅場が見られるかな？】【まるで三人のラブストーリーに名前も出ないエキストラだな、安井】会場はざわめき立つ。誰もが、今日ここで「ヒーロー」が現れるとは思ってもみなかった。みんな好奇の目でこちらを見ていて、どうせ私が恥をかく瞬間を見届けようとワクワクしている。だって……今の慎一の黒いタキシード姿、そして真思の白いドレス。どう見てもカップルにしか見えない。この新しい監督も慎一とは顔見知りだ。慎一の後押しがなければ、この監督がこんな役得にあずかれるはずもないし、今日のような地位を手に入れることなんて到底無理だっただろう。そして、スタッフたちは大慌てで、会場のど真ん中の席を急いで片付け、彼専用の椅子を用意した。このときばかりはカメラすら脇役だ。やっとカメラが慎一を捉えたが、撮れたのはたった一瞬だけ。彼は椅子にゆったり腰掛け、少しだけ顔を上げてステージを見つめる。無表情のままでも、その端正な顔立ちはどこか冷たくて、スクリーンいっぱいに映し出されたその姿は、見る者すべての価値観を一瞬で塗り替えるほどの美しさだった。【女二人が取り合う気持ちも分かる。私だって、こんなイケメンのベッドサイドで姉妹たちの奪い合いを眺めたい！】真思は堂々と背筋を伸ばした。さっき佳奈を責めたときは多少不安もあったが、今は慎一とお揃いの服で並んでいることで、すべての自信を手に入れたようだ。やっぱり慎一は情に流されやすい。酔った勢いで彼女を追い出そうとしたのも、ただの気まぐれだったのだろう。彼は昔から、根は優しい男なのだ。もし彼女がもうすぐ離れると頼めば、彼は最後まで付き合ってくれるに違いない。たとえこれから彼の後ろ盾がなくなったとしても、慎一の名を借りて好き勝手やっていける。真思は見下すような目で佳奈を見下ろし、唇の端を冷たく吊り上げる。こんなにいい「資源」があっても、愛しか求めないなんて、バカみたいだと思ってるだろう。愛だけ欲しがって他を手放すなんて、どれだけ愚かなことか。でも、それでも彼女は嫉妬していた。羨ましかった。努力しなくても、望むものす
婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ 第334話
盛大な花火が夜空を彩り、街の人々は歓声を上げる。ネット上ではすぐに盛り上がり始めた。【またどっかの御曹司が、奥様を喜ばせてるんだろう？】そんな冗談も飛び交う中で、ふと気づいた人がいた。【この花火、前にも見たことある……】それもそのはず。少し前に上がった花火と、今回の花火がまったく同じだったのだ。そんなことから、慎一と真思の名前が、またしてもネットで話題になり始めた。そんな中、とあるID【彼女はなぜヤキモチしないのか】が、私のツイッターのアカウントにメッセージを送ってきた。【他人の言葉なんて気にするな。あの花火は、全部お前だけのために打ち上げたんだ】ふと顔を上げると、慎一がちょうどスマホを伏せてテーブルの上に置いたところだった。彼はどこか緊張したように喉を鳴らし、喉仏が上下している。「匂い付きギフト」とこのIDのことを思い出すと、昔の記憶が微かに蘇った。慎一がこのIDでメッセージを送ってくるということは、きっと、そろそろ言わなくちゃいけない時だと覚悟を決めたのだろう。これまでの数々のおかしな出来事、もし全部が、慎一が私に嫉妬させたくて真思にやらせていたことだとしたら、この関係に私は終止符を打つどころか、むしろもっと曖昧なままでいたいと思ってしまう。時は流れ、今となっては彼の行動を子供っぽいと思えるけれど、あの頃の私の孤独や無力感は、私しか知らない。今、彼に微笑みかけたいと思っても、なぜか笑顔が作れない。その時、不意に慎一の電話が鳴った。静かな室内に、真思の声が漏れ聞こえてくる。「慎一、この花火、私のために打ち上げてくれたの？言ってくれればよかったのに。さっきまでシャワー浴びてて、慌てて窓辺まで駆けつけたの。最初の瞬間、見逃しちゃったけど……すごく感動した」私は何事もなかったようにスマホで仕事を続ける。「考えすぎだ」慎一は淡々とした口調で電話を切り、ため息をつくと食事の支度にキッチンへ向かった。この話には、もう二度と触れなかった。翌日、私は予定通りに打ち上げパーティーへと出席した。この件について慎一ときちんと話せていないし、彼が真思と一緒に来るのかも分からない。私はペアルックを避けるため、別のドレスに着替えて、彼を呼ぶこともなく家を出た。ゲストは簡単なレッドカーペットを歩くことになっていた。司会
婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ 第333話
私は彼を押しのけた。口の中に広がる酒の匂いに、まるで私まで酔ってしまったような気がした。彼の「初めて」は、私がまだ若かった頃にしかできなかったことだ。あの頃は毎日が不安と高揚の間をさまよい、闘志に燃えては「もう諦めようか」と思ったり、そんな日々を繰り返していた。こっそり寮を抜け出して、彼のために初めてお酒を飲んだ夜もあった。彼の「好き」は、あまりにも突然訪れた。もし昔の私だったら、きっと待ちきれずに応えていただろう。だって、彼の「好き」は、私がずっと欲しかったものだったから。あの頃の私は、慎一という名前を聞いただけで、何も考えずに駆け寄っていった。でも今は、何かが足りない気がして仕方がない。二人で一緒にいる意味、好きかどうかなんて、もう大したことじゃないように思えてしまう。私は彼の腕を支え、コートを脱がせ、靴も脱がせた。「私は、酔っぱらいとは話したくない」お酒って不思議なものだ。人の感情を際限なく膨らませて、刹那の気持ちさえも本物にしてしまう。でも酔いが覚めれば、彼は軽く「ごめん、飲みすぎた」とでも言うのだろう。もしかしたら、その「ごめん」すらないかもしれない。私は彼をベッドまで運ぼうとした。すると彼は私の腕を強く引き寄せ、両手で私の頬を包み込む。次の瞬間、胸が苦しくなるほどの真剣な眼差しが私に注がれた。彼はもう身を屈めてくれているのに、私の方はつま先立ちにならないと、その高さに届かない。彼が言った。「キスだけでいい」彼のキスは、まるで口の中で花火が弾けるようだった。手も落ち着きがなくて、私たちは唇で踊るワルツを踊っているみたい。彼に押し倒され、ベッドの上、私の服はもうほとんど残っていなかった。その時、私はぽつりと訊いた。「あなたさ、自分が私を好きなのは男の本能からじゃないかって、考えたことある？」彼の目はもうとろんとしていて、私の上に覆い被さる熱い胸から汗がぽたりと落ちる。私は、その瞳の中にある葛藤を、確かに見た。「他人には触れられるのも嫌なのに、私に触れるのは平気で、それどころかこんなにも求めてる。それって、ただ本能的にこの女なら子孫を残すのに適してるって感じてるだけで……本当の好きじゃないのよ」慎一は動きを止めた。彼には、本当なら子どもがいたはずだった。「子どもが欲しくないなら、作らな
婚約崩壊寸前！初恋は遠ざかれ 第332話
「あなたって本当に、自分のことを買いかぶりすぎよ」慎一は、私の気持ちを分かるわけがない。かつて私は、彼を心の底から愛した。でも彼の言う「辛かった」とは、強引な独占欲を満たすためのものだった。私のために苦しんだことなんて一度もない。「私は、愛する人に全身全霊で愛されたいと願っていた。けれど、あなたは、愛というものを全然わかってない」愛を知らない人が、わかったふりをして愛に執着している。愛なんて、争って勝ち取るもんじゃない。私が争おうが争うまいが、ちゃんと私自身に価値があれば、それだけで良かった。だけど、慎一は一度だって私にその価値を与えたことがない。「お前の言う愛って何？跪いて『愛してる』って叫んでほしいか？」「そんなの、昔の冗談よ。私はもうあなたに愛を求めない。だって、もうあなたを愛してないから。もしこれから誰かに出会うことがあったら、その人に本当の愛を教えてもらいなさい」ペアのはずだったスーツのジャケットは、ソファに投げ出されたまま。その持ち主は、一晩中帰ってこなかった……翌朝、卓也から連絡があった。安井グループの株の買収、ちょっと厄介な動きがある。どうも誰かが裏で手を回してるみたいだって。誰がやったかなんて、考えるまでもなかった。慎一が、こんなやり方で私をコントロールできると思っているのなら、大間違いだ。「安井グループの持ち株、今のうちに高値で全部売って。代わりに霍田グループの株を5パーセント手に入れてほしい」全てを賭けても、霍田グループで自分の足場を作れたらいい。その株を手に入れたら、彼と条件を対等にできるかもしれない。卓也の存在は心強く、私はしばし「お飾り」のような生活を楽しみながら、資料を読み込む余裕もできていた。そんな時、電話が鳴った。相手は真思だった。「収録最終回の打ち上げで、会わない？」私も行くつもりだった。「いいよ。でも、私に何の用？」「本当はあったけど、もうない。言いたいことなんて何もない。ただ証明したかっただけ。霍田家の奥様の座を守れても、彼の心は守れないって。彼はもう、私と一緒に打ち上げに行くって約束したの」私は淡々と返した。「そう、よかったね」「昨日はずっと一緒だったの。今も彼、私の隣で寝てる」その時、玄関で大きな音がして、女の人の声が響いた。「奥様！奥様、
