Partager

第137話

Auteur: つき酔
長いテーブルの奥には、黒いソファが一列に並んでいた。

そこに座っている数人が、このVIPルームで発言権を持つ者たちらしい。

中央に座る、知的で穏やかそうな男が笑った。

「今回の取引は、あいつのおかげでもある」

「いずれ椎名家を完全に牛耳るのはあいつだ。これくらいの力もないようなら、俺たちと組む資格なんてないだろう」

――椎名家。

莉奈はマスクの下で下唇を噛んだ。

けれど手元には、少しの乱れも出さない。莉奈はそのまま、酒を並べ続けた。

そのとき、突然、腕をつかまれた。

莉奈の心臓が、激しく跳ねる。

耳元に、冷たい声が落ちた。

「早くしろ。聞こえないのか」

「すぐです。すぐ終わります、お客様」

莉奈は動きを少し速めた。

すべての酒を並べ終えると、ワゴンを押してVIPルームの出口へ向かう。

前から人が歩いてきた。

莉奈はワゴンを少し脇へ寄せる。そのわずかな隙に、部屋の中でまだ撮れていなかった死角を、気づかれないように撮影した。

それから扉を開け、外へ出る。

扉を閉める瞬間、莉奈は気づかなかった。黒いソファに座っていた穏やかそうな男が、護衛に向かって指先だけ
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Dernier chapitre

  • 婚姻生活にさようなら、椎名さん   第446話

    夜明けが近づき、空の端に残月が浮かんでいたが、ほどなくしてまた厚い黒雲に覆い隠された。莉奈が目を覚ましてからというもの、直哉は根気よく水を飲むよう彼女を宥めていた。ようやく一口飲んでくれたものの、彼女はすぐにそれを吐き戻してしまった。その時、コンコンとドアをノックする音が響いた。廷治がドアを開けると、外には黒いキャップを深く被り、黒いマスクをつけた壇将が立っていた。だが、廷治は少しも驚かない。壇将はまだ怪我が完治しておらず、仕事を受けられないため、最近はずっと東安市に滞在している。昨日帰る前にも、また来ると言っていた。「向井さん、Jさんが来ましたよ」莉奈はベッドの背もたれに寄りかかり、入口で松葉杖をついて立つ男へ目を向けた。さっき何度もえずいたせいで喉はひりつき、目にはまだ生理的な涙がにじんでいる。だが、その瞳からはかつての光がすっかり消え失せていた。莉奈は直哉に向けて、ひどく小さな声で言った。「今日は、介護施設にいるじいちゃんに会いに行く日じゃなかった?」直哉は間髪を容れずに答えた。「じいちゃんにはいつでも会える。今日はお前のそばにいるよ」医師からは、今の莉奈は治療に協力できる精神状態ではないと聞かされている。そんな彼女を残して、安心してここを離れられるはずがなかった。莉奈は唇をきゅっと結んだあと、テーブルの上のコップを自ら手に取り、ほんの少しだけ水を飲み下した。「帰りに、牛カツサンドを買ってきてくれない?今日はなんだか、少し食べたい気分なの」自分からコップを手に取り、今度は吐き戻さずに水を飲んだのを見て、直哉はいくらか安堵した。だが、まだ不安は拭いきれない。「今すぐ、誰かに買いに行かせるよ」「何をそんなに心配してるの?廷治も壇将さんもいるし、あとで真央さんも来るわ。ちゃんと付き添ってくれる人はいるんだから」直哉は振り返り、松葉杖をついて病室へ入ってきた壇将を見た。これまで壇将と間近で顔を合わせたことはなく、これほど近い距離で見るのは初めてのことだった。壇将は、廷治が傭兵をしていた頃に知り合った男だ。そうした裏の世界で場数を踏んできた者には、独特の張り詰めた鋭い気配がある。壇将からはそれがさほど強く感じられなかったものの、決して侮れない迫力をまとっていた。直哉は壇将を一瞥すると、す

  • 婚姻生活にさようなら、椎名さん   第445話

    莉奈はゆっくりと目を動かし、病床のそばに座る白崎執事を見た。けれど何も言わなかった。その虚ろな瞳には、もう何の光も宿っていない。「莉奈の好きな牛カツサンド、買ってきたんだけど……一口だけでも食べないの?」真央がやわらかい声で言った。莉奈は口元をわずかに動かした。だが、やはり何も言わなかった。ただ涙だけが、音もなく目尻から滑り落ちる。白崎執事の目は、莉奈が目を覚ます前から赤くなっていた。今は胸が痛み、ぽろぽろと涙をこぼしている。彼は莉奈の手を両手で強く握り、根気よく宥めた。「泣かないでください。少しだけ、ほんの少しだけでも、何か召し上がりませんか」ようやく莉奈の喉から、ひどく掠れた声が出た。「お腹……空いていないの」直哉は言葉を詰まらせ、いたたまれずに顔を横へ背けた。白崎執事は縋るように頼んだ。「一口だけでいいのです。お願いです」けれど莉奈はもう答えなかった。力なく目を閉じる。直哉のスマホに電話が入った。海外から招いた最も権威ある精神科医が、東安市へ到着したという知らせだった。直哉は足早に病室を出ていき、真央も後を追って医師を迎えに向かった。「お嬢様、どうか……どうか少しだけでも召し上がってください」白崎執事の辛抱強く宥める声が、静かな病室に響いた。だが莉奈には、もうその声すら届いていないようだった。白崎執事の視線は、ひと回り痩せてしまった彼女の顔へ落ちた。喉を詰まらせ、深くうつむく。ふいに、彼の髪をそっと撫でる手があった。白崎執事の身体が止まり、すぐに顔を上げた。顔に喜びの色が浮かぶ。「お嬢様……」だが莉奈の言葉は、冷たい水を浴びせるようだった。「白崎さん、私のことは心配しないで。お腹が空いたら……食べるから」まる一日、何も食べていない。昼に口にしたわずかなものも、すべて吐き出してしまったのだ。空腹でないはずがない。空腹でないのではない。食べられないのだ。ようやく少し食べる気になってくれたのかと思ったのに、彼女はただ、泣いている白崎執事を慰めようとしただけだった。白崎執事は莉奈の手を固く握り、骨が浮き出た細い手の甲に額を押し当て、声を殺して泣き崩れた。莉奈が眠る前、看護師が薬を持ってきた。直哉が彼女の背を支えて起こし、薬を飲ませた。夜が深まると、周囲は

  • 婚姻生活にさようなら、椎名さん   第444話

    莉奈の痛ましい状態と、耳に入ってきた言葉を思い出し、承也は両手の指を強く握り締めた。指の関節は白く強張り、細かく震えている。彼は一度目を閉じ、ようやく問いを口にした。「医者は何と言った」直哉は短く告げた。「うつ病だ」その言葉が落ちた瞬間、悠斗は眉をひそめ、浩平の目には複雑な色が浮かんだ。――どうして……直哉もその言葉を口にしたくはなかった。それでも、現実に向き合わないわけにはいかなかった。承也の目の奥で激しい動揺が渦を巻いていることに、直哉は気づかなかった。ただ彼を厳しく問い詰める。「彼女は五年前からうつだったんだろう?」承也は答えなかった。代わりにもう一度、念を押すように確認する。「医者が、彼女をうつ病だと診断したのか」直哉が答えた。「ああ」承也の顔色が変わった。呼吸がまた詰まる。莉奈は、五年前からうつだったわけではない。五年前、莉奈は自分の両親が承也によって死に追いやられたことを知った。両家の深い因縁も知った。失意のあまり承也のもとを離れようとし、自分の命を盾にしてまで去ろうとした。承也は、そんな彼女に自分勝手な催眠をかけ、記憶を消した。莉奈が空港から引き返し、承也の前へ駆けてきて告白したことを忘れさせた。島で二人が過ごした半月も忘れさせた。さらに、自分が彼女の両親を死に追いやったことも忘れさせた。莉奈にはただ、海外旅行へ向かった日に事故に遭い、頭を打ったという記憶だけを残したのだ。あの時の催眠は、決して完璧なものではなかった。いつか記憶が戻る可能性は、最初から残されていた。すべては、承也が彼女の愛に執着して蒔いた種だ。今日、この苦い報いを受けるのは、彼にとって当然のことだった。だが、莉奈のうつ病は五年前に始まったのではない。一年以上前、人工死産のあとに起きたものだった。人工死産のあと、承也は莉奈を松風レジデンスへ連れ帰り、身体を休ませた。莉奈は誰にも会いたがらなかった。その後、承也は彼女を無人島へ連れて行って生活したため、直哉が彼女に会う機会はほとんどなかった。あの頃の莉奈は、あまりにも苦しんでいた。承也は世界中からトップクラスの心理カウンセラーや精神科医を呼び寄せ、彼女の治療に当たらせた。最後にカウンセラーが提案したのは、一般的には推奨されていない、む

  • 婚姻生活にさようなら、椎名さん   第443話

    直哉が戻ってきた時、莉奈の嘔吐はもう収まっていた。真央は直哉より数分早く到着していて、莉奈の顔を丁寧に拭いている。白崎執事はそばで目を赤くし、うつむいたまま床の吐瀉物を黙々と片づけていた。「彼女は、いったいどうなってしまったんですか」莉奈がベッドで横になったあと、直哉は主治医が連れてきた精神科医へ尋ねた。口を開いた瞬間、自分の声がひどく震えていることに気づく。今の莉奈の状態は、もう単に「食欲がない」という程度ではなかった。直哉は、莉奈を失ってしまうことが怖かった。精神科医は静かに告げた。「向井さんには不眠の既往歴があり、睡眠薬も長期間服用されています。現在の状態と合わせて考えると、うつ病とみて間違いないでしょう」――うつ病。その言葉は、重い拳のように直哉の胸を激しく打った。一瞬、直哉は自分が聞き間違えたのだと思った。「うつ病……そんなはずは」だが精神科医は冷静に答えた。「向井さんは今、こちらの診察に十分協力できる状態ではありません。それでも、判断を誤っているとは思いません」うつ病。その言葉は直哉から遠く、莉奈からはもっと遠いものだと思っていた。彼女は昔から自分の感情をコントロールするのが得意で、精神的な面で直哉に心配をかけたことなど、これまで一度もなかったのだ。「今は食事を一切受けつけない状態です。まずは点滴で栄養を補給するしかありません。そうしなければ、身体が持ちません」直哉の足元はふらついた。医師たちのその後の説明も、ほとんど耳に入らない。胸いっぱいに広がる強烈な自責の念で、目が赤くなった。自分は今まで、いったい何をしていたのか。莉奈が睡眠薬を飲んでいたことすら知らなかった。なぜもっと早く異変に気づいてやれなかったのか。なぜ早く専門の治療へ連れていかなかったのか。彼女はいったい、どれほど長いあいだ一人で睡眠薬を飲み続けていたのだろう。直哉はすぐに手の者を動かし、莉奈の過去の受診記録を徹底的に調べさせた。そこでようやく分かった。莉奈は約一年にわたり、いくつもの病院を変えながら断続的に睡眠薬を処方されていた。最も古い記録は、人工死産から三ヶ月後だった。直哉は自分の頬を力任せに叩いた。処方された回数と、当時診察した医師の所見を見る限り、その時点ではまだうつ傾向に

  • 婚姻生活にさようなら、椎名さん   第442話

    廷治は言い終えた途端、後悔した。壇将は、そもそもそんな人ではない。向井さんを慰めるためだとしても、他人の悪口を言うような真似はできないはずだ。だが次の瞬間、壇将の指先が画面を何度かタップした。【椎名承也は最低のクソ野郎だ】廷治は呆然とした。――あのJさんでも、人の悪口なんて言えるのか。莉奈はスマホの画面を一目見て、唇の端をわずかに引いた。力のない、かすかな笑みだった。壇将の喉の奥で、押し殺した咳がくぐもった。杖をつく手に力が入り、彼は重い身体を支える。それから杖で椅子を引き寄せ、病床のそばに座った。壇将はさらに画面へ文字を打ち込む。【分からないことは、無理に分かろうとしなくていい。すべてに明確な答えがあるわけじゃない。椎名承也にどれほど人生をかき乱されようと、君は今も向井莉奈のままだ。君を本当の意味で変えられるのは、君自身しかいない】【君が自分を諦めたら、向井莉奈という存在は本当に消えてしまう。いつか愛する人と『共に白髪の生えるまで』寄り添って生きてほしいというご両親の願いまで無かったことになってしまう】莉奈の赤い目元が潤んだ。彼女は目の前の男を見た。涙でぼやけた視界の中で、深い褐色の瞳だけが静かに映っている。【少し食べてくれ。自分のために生きるんだ】莉奈の混濁した頭の中に、細い裂け目が入ったようだった。そこから、かすかな光が差し込む。白い唇が動いた。乾いて掠れた声が落ちる。「……分かったわ」その返事を聞くと、男の固く寄っていた眉がゆっくりとほどけた。廷治は興奮したように食事のトレイを持ってきた。黒いストレッチ手袋をはめた手がそれを受け取り、莉奈の前へ差し出す。……浩平は車を走らせ、結城邸へ戻った。中庭まで来たところで足を止め、横へ目を向ける。赤いスポーツカーが1台、そこに停まっていた。――ふん。一応、帰る家は覚えていたらしいな。浩平は執事に結城黎(ゆうき れい)がどこにいるのかを尋ねることもなく、そのまま屋敷へ入り、二階へ上がった。部屋の前を通りかかると、中からかすかに水音が聞こえた。浩平の口元に、意味深な笑みが浮かぶ。指を上げてシャツの一番上のボタンを外し、半開きの扉を押し開けながら、残りのボタンも外していった。かつて浩平が初めて黎の浴室へ押し入り、無理やり関

  • 婚姻生活にさようなら、椎名さん   第441話

    だが壇将は、廷治の忠告など聞こえなかったかのように、その手を無言で振り払った。莉奈はベッドの背にもたれていた。その座り方のせいで肩甲骨がひどく浮き出て見え、どれほど痩せ細ってしまったのかが分かる。「壇将さん、わざわざ来てくれてありがとう。もう帰って。ちゃんと怪我を治してね」壇将はスマホに一行打ち込んだ。【自分の体も大事にできない状態で、俺に何を言えるというんだ】莉奈の目が、少し止まった。――そうだ。今の自分に、誰かを説得するだけの力などない。自分の体すら大切にできていないのに、他人へ「体を大事にして」などと何を偉そうに言えるというのだろう。莉奈は目を伏せ、小さくつぶやいた。「ただ、どうしても分からないの。私の父が、彼の両親を死なせた。彼は、私の両親を死に追いやった。まるでそれで、二人のあいだには決着がついた、相殺されたみたいでしょう。承也は両親の仇を討った。じゃあ、私は?」廷治は呆然とし、すぐに背筋が凍りついた。莉奈がひどく落ち込んでいることは知っていた。だが、まさかそんな凄絶な事情が裏にあったとは。自分は本当にどうしようもない馬鹿だ。莉奈に、「ひとまず椎名社長へ折れてから、機会を見て逃げればいい」などと、軽々しく何度も勧めてしまった。廷治は自分を殴りたくなった。莉奈の父親が承也の両親を死なせたのだとしても、それは彼女本人とは何の関係もない。だが承也が彼女の両親を死に追いやったのなら、それは本当に、彼女にとって親の仇ではないか。彼女が承也に折れられるはずがないのだ。莉奈の肩が微かに震えていた。押し殺した声が、途切れ途切れにこぼれる。「七歳で両親を失い、二十歳で記憶を消された。承也が私の親の仇だということを忘れさせられて、ただ彼を愛しているという感情だけを残されていた。だから、意地でも彼と結婚しようとしたの。私はまるで操り人形みたいに、人生をずっと誰かに操られていたわ。私は……いったい何なの?」莉奈は胸元の病衣を強く握りしめ、息を吸い込もうとした。けれど肺の中に無数の針が刺さっているようで、呼吸をするだけで身を切られるように苦しかった。「今はまた、彼に病院へ閉じ込められている。こんな私に……まだ生きている意味なんて、あるの?」莉奈は見ていなかった。その「生きている意味」という言

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status