Masuk「知英ちゃん、お腹空かない?」「空いたわ」「よし、夕飯食べに行こう。食べたいものある?」「何でもいいの?」「もちろん。行きたいところある?」「翼さんの特別な場所。また、甘口ワインが飲みたいな」「知英ちゃん、気に入ってくれたんだ」「うん。ワインも料理も最高だし、なによりマスターがいい方だもの」桐生にとって大切な場所は、私にとっても大切な場所だ。目的地が決まったところで、桐生は車を発進させた。しばらく車内に沈黙が流れた。それを破ったのは桐生だった。「知英ちゃん、ひとつ聞いてもいい?」「なに?」「知英ちゃんはどうして、ジュエリーデザイナーの道を選んだの?」私は桐生の質問に答えるために、幼少期の記憶を呼び覚ました。そして、私は左手首につけているブレスレットに触れた。「私、親に捨てられたのは自分が悪い子だからだって、子どもの頃思ってたの。それで、ずっと、自分のこと責めてた。生まれてきてごめんなさいって思いながら」「知英ちゃん……ごめん、辛いこと思い出させてしまって」「ううん、今はもう大丈夫だから。それに、翼さんには私の事知って欲しい」暗い過去も知って欲しいと思える相手は、この先もずっと桐生だけだ。「そんな時に、園長先生が誕生日プレゼントにこのブレスレットをくれたの」信号待ちのタイミングで、桐生が私のブレスレットに優しく触れた。「この石はエメラルド?」「そう!5月の誕生日。石言葉は、〝希望・再生〟園長先生がね、これはあなたの誕生石だよって教えてくれたの。あなたはこれから前を向いて、自分のために、希望を持って生きていけるからって」私は当時の事を思い出して、涙が零れた。あの日の園長先生の言葉は、今の私の心の支えとなっている。「その日までは、自分のために生きるなんて考えたことすら無かった。だけど、園長先生の言葉で少しずつ前向きになれた。それから、このブレスレットは私のお守りになったの」「知英ちゃんにとって、このブレスレットはとても大切なものなんだね」「うん。だから私も誰かを勇気づけられるジュエリーを作りたいと思ってこの道を選んだの」私が話し終えたタイミングで信号が青になった。桐生は再びハンドルを握り、アクセルを踏んだ。私は車窓から外の景色を眺めた。夜なのに、街灯ばかりで外は眩しいくらいに明るかった。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「今、何時だろ?」私はスマートフォンで時刻を確認した。時刻は17時を過ぎたところ。桐生からいつ連絡が来てもいいように、私は身支度を始めることにした。部屋着から黒のワンピースに着替え、いつもより入念に化粧をした。ネックレスとピアスを身につけ、髪はヘアアイロンでストレートにした。私は着飾った自分を鏡で見た。仕上げに香水をつけた。準備を終えた私は、リビングのソファーに腰掛けた。しかし、私は久しぶりのデートに緊張して、じっとしていられなかった。そこで、私はハンドバッグに入れていたブレスレットを左手首に付けた。すると、嘘のように私の気分は落ち着いた。私は再びソファーに座った。それからしばらくして、桐生からの着信が鳴った。「もしもし」「もしもし、知英ちゃん。今から会社出るけど、出掛けられる?」「うん。いつでも大丈夫」「15分くらいで着けると思う」「分かった。エントランスで待ってるね」桐生との通話を終えた私は、部屋の戸締りをし、新品の黒のヒールを履いた。玄関を開けると蒸し暑い空気を感じた。汗をかいたら化粧が落ちてしまう。私は足早にエレベーターに乗り、エントランスに向かった。マンションのエントランスに着くと、桐生の車が停まっているのが見えた。私は桐生の元へ急いだ。すると、私に気づいた桐生が車から降りてきた。「知英ちゃん、すごく綺麗だ」「ありがとう/」桐生のエスコートは今夜も完璧だった。桐生は慣れた手つきで助手席のドアを開けた。「どうぞ。足元気をつけて」「ありがとう」「ドア、閉めるね」「うん」車に乗った私はシートベルトを締めた。ちょうどその時、桐生が車に戻ってきた。今夜はどこへ連れて行ってくれるのだろうか。私は胸を弾ませた。「どこ行くの?」「内緒」「え、気になる」「楽しみにしてて」桐生は私に微笑みかけてから、ゆっくりとアクセルを踏んだ。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「知英ちゃん着いたよ。行こう」「はい」車から降りた私は、桐生に手を引かれ、あるビルの入口に来ていた。しかし、そのビルのドアには〝CLOSE〟の札がかかっていた。それにも関わらず、桐生は何食わぬ顔でドアを開け、中に入っていった。「お待ちしておりました。桐生社長」桐生が私を連れてきた場所は、今、ジュエリー展が開催されているギャラリーだった。貴重なジュエリ
ピピピピピピ…… 「……ん、そろそろ起きないと」 私は眠気まなこを擦りながら目を開けた。私の隣には綺麗な寝顔をした桐生が居た。私は桐生を起こさないように、そっとソファーから起き上がろうとした時、彼が私の腕を引っ張った。 「おはよう、知英ちゃん。もう起きるの?」 「翼さん、9時よ。起きないと」 「もう少しだけ」 桐生は私を後ろから抱き締めた。私に甘える桐生が可愛くて、愛おしい。 「翼さん、そろそろシャワーを浴びたいのだけど」 「いいよ。俺も入る」 「え……?/」 桐生は有無を言わさず、私を抱きかかえてバスルームへと向かった。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 私は桐生と向かい合って、バスタブに浸かった。桐生の裸体は何度も見ているのに、明るい室内では、より一層、色気が増して直視できなかった。 「知英ちゃん、もっとこっちおいでよ」 「お構いなく/」 朝から私は何をやっているんだ。桐生のペースにのまれ、流され、風呂まで一緒に入るなんて。すると、桐生がゆっくり私に近付いてきた。そして、私の肩にそっとキスをした。 「翼さん、くすぐったいから……だめ/」 「だって、知英ちゃんが俺の事を見てくれないから」 「見るから/」 観念した私は桐生と向き合った。桐生の鍛え上げられた胸板が、私の目の前にあった。私は桐生の肌にそっと右手を這わせた。 「知英ちゃん、誘ってる?」 「あ、ううん。違うの……これは……」 「そんなに慌てなくても、取って食べたりしないよ。それに昨日は、相当無理させたみたいだしね」 桐生は私の首から鎖骨にかけて、無数にあるキスマークにそっと触れた。桐生に触れられる度、昨夜の記憶が鮮明に蘇った。 「俺は知英ちゃんが傍に居てくれたら、他は何も要らない」 桐生は縋るような目で私を見つめた。私は桐生の脆さに触れた気がした。そして、私は桐生の両頬にそっと触れた。 「大丈夫。私はずっと翼さんの傍に居るから」 「ありがとう」 「どういたしまして」 「知英ちゃん、今日、デートしよっか」 私は桐生の言葉に目を輝かせた。よく考えたら、付き合う前に食事に行ったきり、桐生とデートらしいデートはしていなかった。 「する!」 「知英ちゃん、嬉しそう」 「嬉しいよ。翼さんとお出かけできるんだもの」 「仕事早めに
「翼さん、何かあった?」「どうして?」 「なんとなく、いつもと様子が違うから」私は隣に座っている桐生の顔を覗き込んだ。すると、桐生は私の唇に一瞬キスをした。 「もう!/本気で心配してるのに」「ごめん。知英ちゃんが可愛くてつい」「そういうことなら、許すわ」「さすが、知英ちゃん。こっちおいで?」桐生は私を手招きした。桐生は私の右腕を掴み、膝の上に座らせた。「知英ちゃん、顔見せて?」「恥ずかしいから無理/」「いつも見てるでしょ」「そうだけど……/」桐生は私に弱音を吐かないつもりだろう。私も無理に聞こうとは思っていない。ただ、私は桐生が辛い時に、寄り添える存在になりたいのだ。「知英ちゃん」桐生が私を呼ぶ声が、背中越しに聞こえた。私は思わず振り返った。そこには、私を見つめる桐生が居た。私はそのまま桐生と向かい合った。そして、お互いの吐息を至近距離で感じながら、私は桐生を見つめた。「少しだけこうさせて」「うん」私は桐生を抱き締め、彼の髪を優しく撫でた。私の存在が桐生の癒しになることを願いながら。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「寝よっか。知英ちゃん」「もういいの?」「もっといいの?」「そういう意味じゃなくて/」「ははっ、分かってるよ」桐生が笑った。「ねぇ。もっとしたら元気になる?」「なるね」桐生の返事を聞いた私は、彼の首に両腕を回した。そして、桐生の唇にそっとキスをした。自分からキスをするなんて、恥ずかしくて堪らない。 「どう?/」「もっと」私はもう一度、桐生の唇にキスをした。すると、桐生がソファーに私を押し倒した。「ちょっと、翼さん/」「始めたのは知英ちゃんでしょ?」桐生の目が変わった。まるで、獲物を狩るよう目で私を見下ろしている。この目を見ると、私の全身が疼き出す。「だって、それは……んん...///」「ごめん、今日は加減できないかも」桐生が苦しそうに言った。我慢する必要なんてないのに。私は桐生の全てを受け止める覚悟でいるのだから。だけど、優しい桐生はいつも私のことを気にかけてくれる。「言ったでしょ?私、身体は丈夫なの。だから、翼さんのこと受け止めるから」桐生が抱えているものを、少しでも私に背負わせて欲しい。桐生がいつも私にそうしてくれているように。「んん……/////くるしっ」桐
「終わった」「お疲れ様です。社長」俺は社長室の椅子に座り、ネクタイを緩めた。そして、社長室の窓から外を眺めた。ここは24階。階下を見下ろすと、人も車も米粒のように小さく見えた。その度に俺は、自分がちっぽけな存在だと思い知らさせる。俺は引き出しから煙草の箱を取り出し、一本口に咥えた。それを見計らって、芹沢がライターの火を煙草に近付けた。「てっきり禁煙なさるのかと思ってました」「それならどうして、芹沢はライターを持ってるんだ?」「要る時が来るかもしれないと思いまして」「禁煙は辞めたよ。知英にもバレたしな」「そうなのですか?」「ああ」俺はゆっくりと煙を肺まで吸い込んだ。今日、初めての煙草は身体に沁みた。「社長、今回の件、決着を急がれたのは桜井様のためですか?」「それ以外何がある」「左様ですか」「知英は、大事な人から散々裏切られてきたんだ。それでも俺の事を信じてくれているのに、後ろめたいことはしたくないだろ」今後も取引を理由に、水野と関わることになれば、彼女は必ず俺の体を求めてくる。俺の身体は知英に捧げた。他の者が触れていい訳がない。「社長、人間らしくなりましたね」「どういう意味だ?」「そのままの意味です。いい傾向です。桜井様に感謝しなければ」「ところで今何時だ?」「21時を回ったところです」「え!?」俺は煙草の火を消し、慌ててスマートフォンを確認した。通知は一件届いていた。知英からだ。俺はすぐに知英に電話をかけた。トゥルルルルルルル……3コール目で知英が電話に出た。「もしもし」「もしもし、知英ちゃん。仕事が立て込んでて、連絡出来なくてごめん」「ううん、仕事お疲れ様。今日は残業?」「今、終わったんだ。だから、すぐに帰るね」「分かった。待ってるね」時間にしては、2分弱。だけど、知英の声が聞けて俺は癒された。早く家に帰りたい。「社長、送ります」「ありがとう」「急いで帰らないと」「そうだな」俺は帰り支度を急いで済ませ、地下駐車場へと向かった。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「社長、今日はお疲れ様でした」「芹沢もお疲れ様」「ありがとうございます。明日の会議は、11時に変更しておきましたので、今夜はゆっくりとお過ごしください」「相変わらず、気が利くな」「では、私はこれで失礼します」芹沢の車
ピピピピピピ……「ん……」俺はスマートフォンのアラームで目を覚ました。隣に知英の姿は無かった。俺はゆっくりとベッドから起き上がり、リビングへ向かった。「おはよう、翼さん。体調はどう?」「知英ちゃんのお陰ですっかり良くなった」「良かった」「朝食?」「そう。でも、翼さん食べられそう?」「うん。お腹空いてる」俺はキッチンで料理をする知英の元へ近付いた。そして、知英を後ろから抱き締めた。最近の俺は、知英が腕の中に居ないと安心できないのだ。「え!?これって……」「昨日、木村さんに教えてもらって作ったの」「知英ちゃんが作ってくれたの?」「うん、翼さんの思い出の味を知りたくて」「嬉しい。すごく嬉しい」俺のために作ってくれたなんて、どれだけ健気なんだ。今すぐ押し倒して、俺の全身で愛情を伝えたい。知英への愛は言葉では足りない。「食べる?」「もちろん。食べたい」「すぐ準備するから待ってて」「分かった」俺は知英を解放し、リビングに戻った。朝からこんなに幸せな時間を過ごしていいのだろうか。俺は自分の顔が緩むのを感じた。「お待たせ」「ありがとう、知英ちゃん」俺はナイフとフォークで、アップルパイを一口サイズに切り、口へと運んだ。口に入れた瞬間、程よい甘酸っぱさが広がった。それは、子供の頃に食べた味そのものだった。俺は、次から次へとアップルパイを食べ、あっという間に完食した。「ご馳走様でした。美味しかった。作ってくれてありがとう」「どういたしまして」知英は俺の言葉に嬉しそうな表情を浮かべた。俺は知英の笑顔を守りたい。そのためなら、なんだってできる。ましてや、知英の表情を曇らせる原因が俺であっては決してならない。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄出社すると俺は、社長室に芹沢を呼んだ。「芹沢、例の件、進めてくれるか?今夜、決着をつける」「承知しました」「大手取引先を失うことになる。芹沢には苦労をかけてすまない」「社長らしくないですよ。あなたは堂々としていてください。私は社長の進む道を、信じて着いていくだけです」「ありがとう。これからも頼りにしてる」早速、俺は標的に電話をかけた。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄午後6時。そろそろ標的がやって来る。「社長、水野様がお越しです」「通して」芹沢がゆっ







