ANMELDEN「翼さん、何かあった?」「どうして?」 「なんとなく、いつもと様子が違うから」私は隣に座っている桐生の顔を覗き込んだ。すると、桐生は私の唇に一瞬キスをした。 「もう!/本気で心配してるのに」「ごめん。知英ちゃんが可愛くてつい」「そういうことなら、許すわ」「さすが、知英ちゃん。こっちおいで?」桐生は私を手招きした。桐生は私の右腕を掴み、膝の上に座らせた。「知英ちゃん、顔見せて?」「恥ずかしいから無理/」「いつも見てるでしょ」「そうだけど……/」桐生は私に弱音を吐かないつもりだろう。私も無理に聞こうとは思っていない。ただ、私は桐生が辛い時に、寄り添える存在になりたいのだ。「知英ちゃん」桐生が私を呼ぶ声が、背中越しに聞こえた。私は思わず振り返った。そこには、私を見つめる桐生が居た。私はそのまま桐生と向かい合った。そして、お互いの吐息を至近距離で感じながら、私は桐生を見つめた。「少しだけこうさせて」「うん」私は桐生を抱き締め、彼の髪を優しく撫でた。私の存在が桐生の癒しになることを願いながら。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「寝よっか。知英ちゃん」「もういいの?」「もっといいの?」「そういう意味じゃなくて/」「ははっ、分かってるよ」桐生が笑った。「ねぇ。もっとしたら元気になる?」「なるね」桐生の返事を聞いた私は、彼の首に両腕を回した。そして、桐生の唇にそっとキスをした。自分からキスをするなんて、恥ずかしくて堪らない。 「どう?/」「もっと」私はもう一度、桐生の唇にキスをした。すると、桐生がソファーに私を押し倒した。「ちょっと、翼さん/」「始めたのは知英ちゃんでしょ?」桐生の目が変わった。まるで、獲物を狩るよう目で私を見下ろしている。この目を見ると、私の全身が疼き出す。「だって、それは……んん...///」「ごめん、今日は加減できないかも」桐生が苦しそうに言った。我慢する必要なんてないのに。私は桐生の全てを受け止める覚悟でいるのだから。だけど、優しい桐生はいつも私のことを気にかけてくれる。「言ったでしょ?私、身体は丈夫なの。だから、翼さんのこと受け止めるから」桐生が抱えているものを、少しでも私に背負わせて欲しい。桐生がいつも私にそうしてくれているように。「んん……/////くるしっ」桐
「終わった」「お疲れ様です。社長」俺は社長室の椅子に座り、ネクタイを緩めた。そして、社長室の窓から外を眺めた。ここは24階。階下を見下ろすと、人も車も米粒のように小さく見えた。その度に俺は、自分がちっぽけな存在だと思い知らさせる。俺は引き出しから煙草の箱を取り出し、一本口に咥えた。それを見計らって、芹沢がライターの火を煙草に近付けた。「てっきり禁煙なさるのかと思ってました」「それならどうして、芹沢はライターを持ってるんだ?」「要る時が来るかもしれないと思いまして」「禁煙は辞めたよ。知英にもバレたしな」「そうなのですか?」「ああ」俺はゆっくりと煙を肺まで吸い込んだ。今日、初めての煙草は身体に沁みた。「社長、今回の件、決着を急がれたのは桜井様のためですか?」「それ以外何がある」「左様ですか」「知英は、大事な人から散々裏切られてきたんだ。それでも俺の事を信じてくれているのに、後ろめたいことはしたくないだろ」今後も取引を理由に、水野と関わることになれば、彼女は必ず俺の体を求めてくる。俺の身体は知英に捧げた。他の者が触れていい訳がない。「社長、人間らしくなりましたね」「どういう意味だ?」「そのままの意味です。いい傾向です。桜井様に感謝しなければ」「ところで今何時だ?」「21時を回ったところです」「え!?」俺は煙草の火を消し、慌ててスマートフォンを確認した。通知は一件届いていた。知英からだ。俺はすぐに知英に電話をかけた。トゥルルルルルルル……3コール目で知英が電話に出た。「もしもし」「もしもし、知英ちゃん。仕事が立て込んでて、連絡出来なくてごめん」「ううん、仕事お疲れ様。今日は残業?」「今、終わったんだ。だから、すぐに帰るね」「分かった。待ってるね」時間にしては、2分弱。だけど、知英の声が聞けて俺は癒された。早く家に帰りたい。「社長、送ります」「ありがとう」「急いで帰らないと」「そうだな」俺は帰り支度を急いで済ませ、地下駐車場へと向かった。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「社長、今日はお疲れ様でした」「芹沢もお疲れ様」「ありがとうございます。明日の会議は、11時に変更しておきましたので、今夜はゆっくりとお過ごしください」「相変わらず、気が利くな」「では、私はこれで失礼します」芹沢の車
ピピピピピピ……「ん……」俺はスマートフォンのアラームで目を覚ました。隣に知英の姿は無かった。俺はゆっくりとベッドから起き上がり、リビングへ向かった。「おはよう、翼さん。体調はどう?」「知英ちゃんのお陰ですっかり良くなった」「良かった」「朝食?」「そう。でも、翼さん食べられそう?」「うん。お腹空いてる」俺はキッチンで料理をする知英の元へ近付いた。そして、知英を後ろから抱き締めた。最近の俺は、知英が腕の中に居ないと安心できないのだ。「え!?これって……」「昨日、木村さんに教えてもらって作ったの」「知英ちゃんが作ってくれたの?」「うん、翼さんの思い出の味を知りたくて」「嬉しい。すごく嬉しい」俺のために作ってくれたなんて、どれだけ健気なんだ。今すぐ押し倒して、俺の全身で愛情を伝えたい。知英への愛は言葉では足りない。「食べる?」「もちろん。食べたい」「すぐ準備するから待ってて」「分かった」俺は知英を解放し、リビングに戻った。朝からこんなに幸せな時間を過ごしていいのだろうか。俺は自分の顔が緩むのを感じた。「お待たせ」「ありがとう、知英ちゃん」俺はナイフとフォークで、アップルパイを一口サイズに切り、口へと運んだ。口に入れた瞬間、程よい甘酸っぱさが広がった。それは、子供の頃に食べた味そのものだった。俺は、次から次へとアップルパイを食べ、あっという間に完食した。「ご馳走様でした。美味しかった。作ってくれてありがとう」「どういたしまして」知英は俺の言葉に嬉しそうな表情を浮かべた。俺は知英の笑顔を守りたい。そのためなら、なんだってできる。ましてや、知英の表情を曇らせる原因が俺であっては決してならない。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄出社すると俺は、社長室に芹沢を呼んだ。「芹沢、例の件、進めてくれるか?今夜、決着をつける」「承知しました」「大手取引先を失うことになる。芹沢には苦労をかけてすまない」「社長らしくないですよ。あなたは堂々としていてください。私は社長の進む道を、信じて着いていくだけです」「ありがとう。これからも頼りにしてる」早速、俺は標的に電話をかけた。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄午後6時。そろそろ標的がやって来る。「社長、水野様がお越しです」「通して」芹沢がゆっ
食材が届くと、私と木村は並んでキッチンに立った。「さて、始めましょうか」「はい」「と言っても、難しいレシピでは無いのだけれど」そう言いながら、木村は手際よく、りんごを切り、鍋で煮始めた。甘酸っぱい香りがキッチンに広がった。「知英さん、味見してくれる?」「はい」「熱いから気をつけてね」木村は、小皿に一口分のりんごのフィリングをよそい、私に手渡した。「美味しい!甘さは控えめですね」「そうなの。翼様はあまり甘いものは口になさらないから」「なるほど」言われてみれば、桐生が甘いものを食べているところを見たことがない。コーヒーも毎回、ブラックコーヒーを飲んでいる。「あとは、パイシートに包んで形を整えて、表面に卵液を塗って、オープンで焼けば完成よ」「私、包んでもいいですか?」「もちろん」「こうですか?」「そうそう。上手」木村との共同作業はとても楽しかった。今まで、私は誰かに料理を教えてもらったことはなかった。木村のような大人が、私が子どもだった頃に傍に居てくれたらどんなに良かったかと、考えずにはいられなかった。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「今日はありがとうございました」「知英さん、こちらこそありがとう」「またお話ししましょうね」「そうね。来週、また伺います」「お待ちしています」「翼様にもよろしくお伝えください」木村は私に会釈し、帰っていった。木村が帰ったあと、私は出来上がったアップルパイを切り分け、そのうちの一切れを皿に乗せた。香りだけでも十分美味しいことが分かるアップルパイを、一口口に運んだ。「美味しい」絶妙な酸っぱさと、上品な甘みが広がり、美味しい以外の言葉が見つからなかった。これが桐生の思い出の味なのか。私はまたひとつ桐生を知った。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄私は寝る支度を済ませ、リビングのソファーで寛いでいた。久しぶりにひとりで過ごす夜は、なんだか心細かった。桐生は仕事だと分かっていても、早く会いたいと思ってしまう。私はスマートフォンの画面を見た。桐生からの通知は無かった。そもそも、最近の桐生が私のために、仕事を早く切り上げて、傍に居てくれたのだ。だから、独りで過ごす夜にも慣れなければならない。ガチャ……すると、玄関の鍵が開く音がした。私は立ち上がり、桐生を出迎えた。「おか
私は寝室のベッドに横になった。広すぎるベッドに一人で眠るのは寂しい。さっきまで一緒に居たのに、もう桐生のことが恋しい。会いたい。でも、桐生は忙しいひと。私の我儘を押し付けるわけにはいかない。私は目を閉じた。すると、あろう事か昨夜の桐生との営みばかり頭に浮かんできた。私はどうしてしまったのだろう。今すぐ桐生に触れて欲しくて、身体が疼きだした。私は身体を鎮めるために、深呼吸をした。いつの間に、私は桐生が居ないとだめな身体になってしまったのだろう。「だめだ、眠れない……」あんなに眠かったはずなのに、すっかり眠気が覚めてしまった。私は起き上がり、リビングへ向かった。「おはようございます」「おはようございます。桜井様、まだ休まれていいのですよ?」「少し横になったら楽になったので大丈夫です」「それは良かった」木村は私に微笑んだ。木村の笑顔を見ると、なぜか懐かしさを感じた。「あの、木村さんにお伺いしたいことがあるのですがよろしいですか?」「はい。もちろんです」「翼さんが好きな料理を教えてくれますか?」桐生は私の料理を美味しいと食べてくれる。桐生と食卓を囲む時間は私にとって特別だった。「アップルパイです」「アップルパイ?」木村の予想外の返答に、私は驚きを隠せなかった。「翼様は幼い頃から、私の作るアップルパイをよく食べてくれました。ですが、最近は作る機会も減ってしまって……」そうだったのか。ということは、久しく桐生はアップルパイを食べていないことになる。私も桐生の思い出の味を知りたい。「もし、よろしければ、そのレシピを私に教えてもらえませんか?」「もちろん、喜んで」「ありがとうございます!」「今から作りますか?」「でも、木村さんの勤務時間は終了しましたよね。それなのに申し訳ないです」「では、ここからは仕事ではなくプライベートということで」「そういうことなら……」木村の砕けた雰囲気に、私の肩の力を抜けた。木村は早速、冷蔵庫を覗いて材料を確認した。「食材が足りないわね」「それなら私が注文します。翼さん、私が一人で出歩くことをすごく心配してるんです。だから食材はネットスーパーで買うようにしています」「翼様から聞いてるわ。怖かったでしょう。知英さんが無事で本当によかった」なぜ、桐生の周りの人はこんなにも温かい人ばかりなのだろう。桐生
「ん……痛っ、」私は朝、目覚めると腰に鈍い痛みを感じた。胸元を見ると、桐生が付けた痕が残っていた。だが、この痛みも、桐生に愛された証拠だと思うと嬉しくなる。私は隣で眠っている桐生を起こさないように、そっとベッドから起き上がった。身支度を済ませた私は、早速、朝食作りに取り掛かった。桐生は今夜、会食の予定が入っている。私の手料理が食べれないことを桐生は残念がっていたので、朝食だけでも食べてもらいたい。愛する人のために、食事を作る日が来るなんて私にとって夢みたいだ。私は昨日、ネットスーパーで注文した食パンをトースターにセットした。その間に、フライパンで目玉焼きとベーコンを焼いた。それから簡単なサラダを作った。一通り朝食の準備が出来た頃、桐生がリビングへやってきた。「おはよう」「おはよう、翼さん」「朝から作ってくれたの?」「うん、大したものじゃないけど」「俺、昨日、無理させたのに」「大丈夫。私、身体は丈夫なの。座って?食べよう」「うん」桐生が椅子に座ったタイミングで、私はコーヒーを運んだ。桐生はブラックコーヒーしか飲まない。先日知った情報が役に立った。「いただきます」「どうぞ、召し上がれ」昨日と同じく、今日も桐生は美味しそうに私の料理を食べてくれた。二人で食卓を囲みながら、他愛のない会話をする。何気ない日常が私の心を満たしていく。「ご馳走様でした。美味しかった」「良かった」「食器は俺が洗うから、知英ちゃんは休んでて?」 「翼さんこそ、もうすぐ出勤でしょ。それまでゆっくりしてて」「分かった」連日、桐生は私のために早く帰宅してくれていた。自宅に仕事を持ち帰っていたことも知っている。なのに、私に疲れた顔ひとつ見せなかった。だからせめて、休める時は休んで欲しい。「あ、そうだ。知英ちゃん」「なに?」「今日の午後に、ハウスキーパーの木村さんが来るから。俺が本家に居た頃から、世話になってる方で、知英ちゃんのことも伝えてあるから良くしてくれると思う」「うん、分かった。私のこと伝えてくれたの?」「当たり前でしょ。俺にとって、知英ちゃんはこの世で一番大切な人だから」桐生の言葉はいつも真っ直ぐで、私の心の奥まで届く。幸せすぎて怖いとは、きっとこのことを言うのだろう。「知英ちゃん、そろそろ会社行くね」「うん、行ってらっしゃい」「行ってきま