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3話

Author: 籘裏美馬
last update Last Updated: 2025-09-20 07:40:49

3話

瞬と麗奈がホテルで夜を過ごしている頃。

私は片付けた料理の皿を洗っていた。

皿にこびり付いた料理のゴミや、匂い。

それが鼻に届いた瞬間。

「──うっ!」

私は込み上げる吐き気に、咄嗟に自分の口元を手で覆った。

急いでトイレに駆け込む。

「うぅ…っ、う…」

けほけほ、と何度も咳き込んだあと、トイレを流す。

「どうして…?風邪もひいてないのに…」

私は昔から風邪などひかず、健康だった。

それなのに、突然吐き気が襲ってくるなんて。

「…ストレスや、疲れなのかな」

この2年。

瞬がプロポーズしてくれた日から、徐々に瞬は冷たくなっていった。

最初の1年はまだ付き合った頃のように優しく、瞬は私を愛してくれていた。

けれど、時折寂しい横顔を見せたり、苦痛に耐えるような顔でスマホをじっと見つめる事が増えていた。

そして、次第に瞬の仕事が忙しくなり、家に帰る事が少なくなり、忙しさに比例して出張も増えた。

長期間出張に出たあとはきまって瞬の機嫌は悪くなり、この頃からは些細な事で喧嘩も増えた。

けれど、瞬は元々とても優しい性格だ。

瞬と喧嘩をし、私が寝室のベッドで泣いていると瞬も言いすぎた、と反省してくれるのだろう。

いつも「ごめん」と謝り、私を優しく抱きしめてくれた。

だが、ここ1年はどうだろう。

瞬の口調がきつくなり、冷たい視線を向けられる事が増え、酷い態度を取られる事も増えた。

そして、愛し合う行為も減り、時折接待でお酒に酔った瞬が乱暴に私を抱く事が増えた。

「あ、…待って」

その事を考えていた私の頭に、ふとある考えが浮かんだ。

そして私はドキドキと速まる鼓動をそのままに、自分のお腹にそっと手を当てた。

「そう言えば、ここ最近は…」

生理がきたのはいったいどれくらい前だろう。

ストレスで遅れてしまっているとばかり考え、次第に生理の事すら忘れてしまっていた。

私はスマホを開き、スケジュールを確認する。

「…!もう、2ヶ月もきてないわ…!」

嬉しくて、弾んだ声を上げてしまう。

もしかしたら、今私のお腹には瞬と私の子供が宿っているのかもしれない。

「早速明日、薬局に行って、病院に行かなくちゃ!」

もし、本当に瞬と私の子供が宿っていれば。

瞬も、冷たい態度はなくなり、麗奈の事は忘れ、私を見てくれるようになるかもしれない。

それに──。

「お父様も、お母様も初孫を喜んでくれるかもしれないわ!」

うずうずして、今にも連絡をしてしまいたい気持ちを抑え、私は明日に備えて早めに眠る事にした。

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