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第3話

Author: ニタマゴ
彼が持っていたコップが、ピクッと揺れた。そして、馬鹿にしたように鼻で笑う。

「今度はそういう作戦?わざと黙っててやったのに、まだ続ける気かよ」

私は呆気にとられ、一瞬彼が何を言っているのか理解できなかった。

迅は冷ややかな笑みを浮かべたまま続ける。

「今日、凪に言わせたんだろ?俺にプロポーズを急かすためにさ。

なんだ?プロポーズ作戦が失敗したから、今度は別れるとか言って気を引こうってわけ?」

ここでようやく合点がいった。迅は、今日進水式で凪が怒鳴ったあの言葉を、私が言わせたのだと思い込んでいたのだ。

あまりの馬鹿馬鹿しさに言葉も出なかったが、わざわざ弁解する気にもなれなかった。

私は静かに頷いた。

「そうね。プロポーズ作戦が失敗したから、もう別の人と結婚しようと思って」

私がそう返すと、迅の顔に浮かんだ嘲りの色はさらに濃くなった。

「宵、お前が俺と別れられるわけないだろ?

いい加減にしとけよ。あんまり拗らせんなって。

お前ももう28だ。俺以外に、そんな行き遅れの女を貰ってくれる奴がどこにいるんだよ。

ほら、さっさと寝ろ。明日はイトばあちゃんの誕生日で、実家に顔出さなきゃならないんだからな」

そう言い捨てて、迅は一人で寝室へと消えていった。

残された私は、彼の背中を見つめながら、ただ泥のように重い疲労感だけを感じていた。

翌日、私はそれでも迅の祖母・イトおばあちゃんの誕生日会へと足を運んだ。

以前、イトおばあちゃんから翡翠の指輪をいただいていた。それだけは、どうしても返しておかなければならなかったからだ。

周防家の玄関に着くと、迅の母・芙美代(ふみよ)さんの姿があった。その腕にゆのがしっかりと抱きつき、目を細めて笑っている。その様子は、まるでこの家のお嫁さんのようだった。

一緒に到着した私たちにいち早く気づいたゆのが、パッと満面の笑みを浮かべて自分から歩み寄ってきた。

「あ、宵さん!迅くんが、宵さん怒ってるって言うから、今日はてっきり来ないかと思っちゃった!」

そう言いながら、ゆのは自分の手首で揺れる翡翠の腕輪をわざとらしく見せびらかした。それは、周防家が代々、嫁に贈るものだ。

祖母からは指輪を、母親からは腕輪を。

実は、迅はだいぶ前に芙美代さんからその腕輪を預かっており、「いつか俺の手で宵に着けてやるからな」と約束してくれていた。

もっとも、その約束が果たされることはもうないけれど。

迅も腕輪に気づいたようで、バツが悪そうに弁解した。

「ゆのがちょっと着けてみたいって言うから貸しただけだ。後でちゃんと返してもらうから、変な誤解するなよ」

そこへ芙美代さんも歩み寄ってきた。私を見るその目は冷ややかで、チクリと釘を刺すような口調で言った。

「いらっしゃい。昨日の話は聞いてるわ。けど、たかが舟一つのことじゃないの。

ゆのちゃんは身寄りがないんだから、私たちが少し多めに可愛がってあげるのは当然でしょう?あなたも大人気ない真似は慎みなさい。周りから笑われるわよ」

誰もが、私がここでキレると思っている。なのに、誰も迅の身勝手な振る舞いを止めようとはしない。

その事実が、たまらなく滑稽に思えた。

迅がいつもの癖で私の腰を抱き寄せ、スキンシップで機嫌を取ろうと手を伸ばしてきた。だが、私はサッと身をかわしてそれを避けた。

空を切った手が宙で止まる。迅の眉間が一瞬にして険しくなった。

「またかよ」

声を潜めつつも、その口調には明らかな苛立ちが混じっていた。

「今日はばあちゃんの誕生日なんだぞ。変に意地張って空気悪くすんなよ。帰ったらちゃんと謝るから、な?」

私は堂々と顔を上げ、迅の視線をまっすぐに受け止めた。

「本当に、怒ってなんかないよ」

そして、持参した翡翠の指輪を取り出すと、芙美代さんに向けて静かに差し出した。

「芙美代さん。これも、ゆのさんに差し上げてください。私はイトおばあちゃんのお邪魔になるといけませんので、これで失礼します」

その言葉を聞いた瞬間、迅はハッと息を呑み、目を見開いた。

ゆのはスカートの裾をぎゅっと握りしめ、いかにも健気でかわいそうな被害者を演じ始めた。

「宵さん、もしかして意地張ってるの?

迅くん、ごめんなさい……私が図々しくあの舟をもらっちゃったから……

私のせいで宵さんを怒らせちゃった。やっぱり、舟も腕輪も宵さんに返した方が……」

そう言いながら、ゆのは慌てた様子で手首の腕輪を外そうとする。

だが、どういうわけか、あんなにサイズが緩そうなのに一向に外れる気配がない。

私の差し出した指輪を見て一瞬動揺していた迅だったが、ゆののその姿を見てすっかり落ち着きを取り戻したようだった。

彼は鼻で冷たく笑うと、私の手から指輪をひったくり、ゆのの方へ歩み寄った。

「返す必要なんてない。お前にやるって言ったんだから、お前のものだ。ほら、この指輪も着けとけ」

そして私を振り返り、見下すような目を向けた。

「上等だよ。宵、いつまで意地張ってられるか見ものだな!

お前が要らないって言うなら、全部ゆのに着けさせておくからな。

中に入らないって言っただろ?だったらさっさと帰れば?」

以前の私なら、こうやって挑発されればされるほどムキになって、絶対に帰ったりしなかった。

けれど今は、肩の荷が下りたような清々しさすら感じていた。

「じゃあ、これで失礼します」

私は踵を返し、その場を後にした。

背後から、ゆののわざとらしい「迅くん、そんな言い方ダメだよ」という声が聞こえる。

それに火に油を注がれたのか、迅の怒鳴り声がさらに大きくなった。

「放っとけ!どうせ結婚焦って俺の気を引こうとしてるだけだろ。自分の歳も考えないで、バカみたいに!」

私は一度も振り返ることなく、拾ったタクシーに乗り込んだ。

ちょうどその時、お母さんからメッセージが届いた。

【宵、見てごらん。これがあなただけの嫁入り舟よ】

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