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離婚の先で、幸せを見つけました

離婚の先で、幸せを見つけました

By:  墨野玉Completed
Language: Japanese
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あるパーティーで、神崎グループの御曹司は、本当に結婚したいのは、婚約者の私ではなく、親の再婚で妹になった一ノ瀬絵麻(いちのせ えま)だと言い放った。 私は身を引き、長年思いを寄せてくれていた藤堂司(とうどう つかさ)と結婚した。 それから6年。幸せな結婚生活が続いていると信じていたある日、私にようやく子どもができた。 ところが妊婦健診で私に処方されていない、避妊作用のある薬を長期間摂取していた可能性を指摘される。 思い当たったのは、司が毎晩用意してくれた温かいミルクだった。 さらに、司が金庫へ大切にしまい、いつかプロポーズに使うつもりだと話していたダイヤモンドネックレスには、絵麻のイニシャルが刻まれていた。 私は愛されていたのではない。司は絵麻の将来を守るために私を一ノ瀬家から遠ざけ、6年もの間、愛情深い夫を演じていたのだ。 もう、自分を欺くのはやめよう。 手術同意書と、署名を終えた離婚協議書。 その2枚を手に、私は司との人生に終止符を打つと決めた。

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Chapter 1

第1話

「お嬢様、あれほど待ち望んでいた赤ちゃんなのに……本当に、手放してしまうんですか?」

「一ノ瀬美桜(いちのせ みお)さん」

看護師に呼ばれ、私は立ち上がった。

幼い頃から私の世話をしてくれた佐伯澄江(さえき すみえ)は、目を真っ赤にし、私の腕をつかむ手には力が入った。

「旦那様が知ったら、きっとお怒りになります」

私は澄江の手をそっとほどき、手術室へ向かった。

「怒るどころか、きっと喜ぶわ」

この子は、初めから彼に望まれていなかったのだから。

司と結婚して6年。子どもができないことを理由に、私は義母から散々責められてきた。

ようやく授かった命を手放すのが、つらくないはずがない。澄江は、この妊娠を私がどれほど待ち望んでいたか、ずっとそばで見てきた。

私は手にしたネックレスへ目を落とした。

司にもらった品の中では、いちばんささやかなものだった。それでも、私にとっては何より大切だった。

結婚した夜、司は自らこのネックレスを着けてくれた。

「美桜、君と結婚するのがずっと夢だった。これから先、何があっても俺が守る」

私は幼いころから、白い蓮の花が好きだった。だから司が、この蓮をかたどったネックレスを選んでくれたのだと思っていた。

あの頃は、一生をともにしたい人にようやく出会えたのだと信じていた。

ところが妊婦健診で、医師から思いもよらないことを告げられた。

「検査結果を見る限り、避妊作用のある薬を長期間摂取していた可能性があります」

頭の中が真っ白になった。

医師の言葉を聞いた瞬間、毎晩の光景がよみがえった。司は寝る前になると、決まって温かいミルクを用意し、「よく眠れるから」と私に飲ませていた。

私はずっと、司が気遣ってくれているのだと思っていた。

違った。彼は、私との間に子どもを望んでいなかったのだ。

優しさだと信じていたものは、すべて嘘だった。そう気づいた途端、胸の奥が冷たく沈んだ。

手術を終えて家に戻ってからも、澄江はずっとそばについていてくれた。

麻酔が切れるにつれ、下腹部が重く痛み始めた。

そのとき、不意に寝室のドアをたたく音がした。

「美桜、どうした?どうして鍵をかけてるんだ?」

ドアの向こうから、司の声がした。 心配しているようで、どこか苛立ちもにじんでいた。今にもドアをこじ開けて入ってきそうな勢いだった。

私は慌てて布団を引き上げ、痛みをこらえながら答えた。

「ちょっと体調が悪いだけ。今は顔を見られたくないの」

「具合が悪いなら病院へ行くぞ。注射も薬も嫌だからって、また我慢してるんじゃないだろうな。美桜、開けないならドアを壊すぞ!」

司がドアを蹴り、大きな音が響いた。

だが、廊下に誰かが近づいて小声で何かを告げると、その動きが止まった。司の秘書の声だった。

さっきまで何度も私の名を呼んでいた司の声が途切れたあと、ドアノブにかかっていた手が、ゆっくりと離れていく気配がした。

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10 Chapters
第1話
「お嬢様、あれほど待ち望んでいた赤ちゃんなのに……本当に、手放してしまうんですか?」「一ノ瀬美桜(いちのせ みお)さん」看護師に呼ばれ、私は立ち上がった。幼い頃から私の世話をしてくれた佐伯澄江(さえき すみえ)は、目を真っ赤にし、私の腕をつかむ手には力が入った。「旦那様が知ったら、きっとお怒りになります」私は澄江の手をそっとほどき、手術室へ向かった。「怒るどころか、きっと喜ぶわ」この子は、初めから彼に望まれていなかったのだから。司と結婚して6年。子どもができないことを理由に、私は義母から散々責められてきた。ようやく授かった命を手放すのが、つらくないはずがない。澄江は、この妊娠を私がどれほど待ち望んでいたか、ずっとそばで見てきた。私は手にしたネックレスへ目を落とした。司にもらった品の中では、いちばんささやかなものだった。それでも、私にとっては何より大切だった。結婚した夜、司は自らこのネックレスを着けてくれた。「美桜、君と結婚するのがずっと夢だった。これから先、何があっても俺が守る」私は幼いころから、白い蓮の花が好きだった。だから司が、この蓮をかたどったネックレスを選んでくれたのだと思っていた。あの頃は、一生をともにしたい人にようやく出会えたのだと信じていた。ところが妊婦健診で、医師から思いもよらないことを告げられた。「検査結果を見る限り、避妊作用のある薬を長期間摂取していた可能性があります」頭の中が真っ白になった。医師の言葉を聞いた瞬間、毎晩の光景がよみがえった。司は寝る前になると、決まって温かいミルクを用意し、「よく眠れるから」と私に飲ませていた。私はずっと、司が気遣ってくれているのだと思っていた。違った。彼は、私との間に子どもを望んでいなかったのだ。優しさだと信じていたものは、すべて嘘だった。そう気づいた途端、胸の奥が冷たく沈んだ。手術を終えて家に戻ってからも、澄江はずっとそばについていてくれた。麻酔が切れるにつれ、下腹部が重く痛み始めた。そのとき、不意に寝室のドアをたたく音がした。「美桜、どうした?どうして鍵をかけてるんだ?」ドアの向こうから、司の声がした。 心配しているようで、どこか苛立ちもにじんでいた。今にもドアをこじ開けて入ってきそうな勢いだった。
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第2話
「美桜、急用ができた。すぐ戻る」司が寝室のドアの前から立ち去る気配を感じた途端、張り詰めていた力が抜けた。冷や汗にぬれた手が、ベッドの上へ力なく落ちた。藤堂グループでは名目上の役員にすぎない司に、夜中に飛び出すほどの仕事があるとは思えなかった。きっと、また絵麻から連絡が来たのだ。あの人は、絵麻のことになると周りが見えなくなる。今の私を気にかける余裕など、もう残っていないのだろう。澄江は私を抱きしめ、声を震わせた。「お嬢様、もう十分です。一ノ瀬家へ戻りましょう」私はどうにか笑ってみせた。「そうね。帰りましょう」忘れかけていた。私はかつて、財界でも知られた一ノ瀬グループの令嬢だった。司の妻でなくなったからといって、私の人生まで終わるわけではない。むしろ、この家を出たほうが、きっと穏やかに暮らせる。……ミルクのことだけなら、まだ司を信じようとしたかもしれない。6年間、私を大切にしてきた姿まで、すべて絵麻のための演技だったとは思いたくなかった。けれど数日前、彼の書斎で偶然見つけたジュエリーケースを見て、もう信じ続けることはできなくなった。そのケースは、司が長年金庫にしまっていたものだった。蓋の内側には「プロポーズ用」と記されている。もちろん、私のためではない。中には、アイリスをかたどった特注のダイヤモンドネックレスが収められていた。留め具の内側に刻まれていたのは、絵麻のイニシャル「E.I.」だった。思い返すと、さらに気持ちが冷めていった。「もう離婚するしかない」そう決めると、私の中の迷いは消えていた。私は痛む身体を起こし、用意しておいた離婚協議書に署名した。すると、これまで腑に落ちなかった出来事が、ひとつずつつながり始めた。私と司が結婚式を挙げた日は、神崎グループの後継者、神崎晃(かんざき あきら)が絵麻と結婚した日でもあった。私のベールを上げた司の目は赤かった。「美桜、やっと君を妻に迎えた」私は喜びの涙だと思っていた。けれど本当は、絵麻を別の男へ渡す苦しさを隠していたのだ。昨年、晃のプール付きの別荘で開かれた、彼の誕生日パーティーでのこともそうだった。突然飛び出した猫に驚き、私と絵麻は同時にプールへ落ちた。司は私が水を怖がると知っていた。それでも、迷わず絵麻のも
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第3話
下腹部に走った鈍い痛みで、すぐに我に返った。私は何も言わず、司の腕を避けた。「忘れたの?きつい香水は苦手なの」司の服から、絵麻がいつも使っている香水の匂いがした。笑みをこわばらせた司は、慌てて上着を脱いだ。「今日の会食に香水のきつい女性がいたんだ。席が近かったから、そのときについたのかもしれない。すぐ着替えるよ」もう問いただす気力もなかった。私は背を向け、ベッドへ横になった。司はしばらくクローゼットで待っていた。いつものように私が着替えを用意しに来ると思っていたのだろう。やがて、苛立った声が飛んできた。「今日は何なんだよ。さっきから不機嫌な顔ばかりして。香水の匂いくらいで、いちいち疑うなよ」吐き捨てるように言って、部屋を出ようとした司の足が止まった。廊下では、澄江が血の付いた部屋着のズボンを片づけようとしていた。司の表情が変わった。澄江の腕をつかみ、問い詰めた。「これ、美桜のだろ。どうしてこんなに血が付いてるんだ?」澄江が答えに詰まると、司はズボンを奪い、寝室へ戻ろうとした。そのとき、聞き覚えのある着信音が鳴った。絵麻からの電話だ。画面を見た途端、司の顔色が変わった。「美桜、悪い。どうしても行かなきゃならない」司は血の付いたズボンをソファへ放り出すと、上着だけをつかんで、そのまま家を飛び出していった。こんな時間でも、絵麻から呼ばれれば迷わず駆けつける。私が何を失ったか確かめようともせずに。澄江が心配そうに私を見た。私は照明を消してもらい、そのまま目を閉じた。……朝になっても、隣に司はいなかった。午前中、神崎家の前当主、神崎静江(かんざき しずえ)から、神崎邸へ来てほしいと連絡があった。リビングへ入ると、背筋を伸ばして立つ司が見えた。その隣では、絵麻が泣いていた。私に背を向けたまま、司は静江へ詰め寄っていた。「晃は、絵麻を幸せにすると約束して結婚したはずです。それなのに、妊娠している絵麻を放って、ほかの女性との関係まで続けている。これが神崎家のやり方ですか?」司は声を低くし、絵麻の肩を抱いた。「このまま絵麻を傷つけるなら、藤堂家と神崎家の関係がどうなろうと、俺が連れて帰ります」息が止まりそうになった。使用人たちは気まずそうに目を伏せていた。中には、私の反
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第4話
絵麻は涙を浮かべ、私へ駆け寄った。「姉さん、誤解しないで。司さんが私を助けてくれたのは、私がお姉さんの妹だからよ。司さんとは、本当に何もないの。私がかわいそうだから、味方をしてくれただけなの。お願い、誤解しないで」涙をにじませて訴える絵麻を見て、司はたちまち表情を和らげた。それから私の手を取り、声を落とした。「美桜、さっきは腹が立って、つい言いすぎただけだ。気にするな」「大丈夫。説明しなくていい」司は何か言いかけたが、結局、口を閉ざした。私は司の手を離し、静江の前へ進んだ。「先日お話しされていた掛け軸の写しが仕上がりました。今日はそれをお持ちしたんです」受け取った静江は穏やかに礼を言い、司へ厳しい目を向けた。「神崎家のことに、あなたが口を出す筋合いはありません。それに絵麻さんは、自分で晃との結婚を望んだのでしょう。今さら思いどおりにならないからといって、周りを巻き込むのはおやめなさい」絵麻は悲しげに司を見た。「神崎家では誰にも必要とされていません。もう生きていても仕方がない。司さん、いままで優しくしてくれて、ありがとう。さようなら」そう言い残し、玄関へ走り出した。今にも命を絶つような口ぶりだった。司は血相を変え、絵麻を抱きとめた。「俺がいる。誰にも傷つけさせない」騒ぎの中、司は妻である私をリビングに置き去りにして絵麻と出ていった。あまりに滑稽で、泣くことさえできなかった。私は静江へ向き直り、静かに告げた。「もう疲れました。夫とは離婚します。手続きが済んだらご一報します」静江は少し驚いたようだったが、やがて静かにうなずいた。神崎邸を出ると、帰りの車の中で、過去の記憶が次々とよみがえった。かつて晃が皆の前で絵麻を選んだとき、私は自ら身を引き、長年思いを寄せてくれていた司と結婚した。その晃も絵麻に愛想を尽かし、今ではすっかり冷え切っている。静江が私を呼んだのは、この騒ぎを見せれば、私のほうから司に妹の面倒を見るよう頼むと思ったからだろう。けれど、私があっさり身を引き、その場で離婚を切り出すとは思っていなかったはずだ。……家に帰る車内で、私は蓮のネックレスを外した。窓から投げ捨てようとしたが、思いとどまり、ケースへ戻した。帰ったら、司から贈られたものと一緒に処分し
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第5話
「私はどうなってもいい。でも、この子には何の罪もないのに……お姉さん、どうしてこんなひどいことができるの?」司は絵麻を支えながら、私をにらみつけた。そして、私の胸元を蹴った。「美桜、見損なったぞ」庭に倒れたまま、痛みをこらえて動画に目を凝らした。映っていたのは、以前、絵麻に嫌がらせをしていた人物と、私が話している場面だった。映像は都合のいいようにつなぎ合わされ、音声まで加工されている。これでは、私がその人物に絵麻を傷つけるよう指示したようにしか見えない。これまで少しでも私のことを見ていたなら、あの映像が不自然だと気づけたはずだ。けれど司には、初めから絵麻を疑う気などなかった。私は身体を丸め、司の足元で必死に声を絞り出した。「違う。私はそんなこと……」言い終える前に、絵麻がふらつき、そのまま司のほうへ倒れかかった。司から見えないところで、絵麻は私へ勝ち誇った笑みを向けた。彼はすぐに絵麻を抱き上げ、離れへ向かった。立ち去る間際、司は振り返りもせず、冷たく言い放った。「仮にも藤堂家の嫁が、嫉妬で妹を陥れるとはな。今夜は庭で頭を冷やせ。絵麻にきちんと謝るまで、屋敷には入れるな」意識が薄れていく。私は必死に手を伸ばした。「助けて……」真冬の庭に一晩いれば、命に関わる。それでも警備員は、司の命令に逆らえず、私を押さえたままだった。司は一度だけ振り返り、言い聞かせるように話した。「美桜、自分がしたことには責任を持て。絵麻がここで暮らすことになっても、お前が俺の妻であることに変わりはない。今は気が立っているだけだ。しばらくの間だけ我慢して、絵麻の言うとおりにしてやってくれ」差し出した手は、靴先で払いのけられた。寒さと痛みに耐えきれず、私はその場で意識を失った。……目を開けると、祖母の一ノ瀬千鶴(いちのせ ちづる)が心配そうに私をのぞき込んでいた。「美桜、よかった……やっと目を覚ましたのね」温かいスープを持つ祖母の顔を見た途端、涙が止まらなくなった。私は祖母にすがり、子どものように泣いた。祖母は悔しそうに唇をかんだ。「司さんが一ノ瀬家の前で、あなたと結婚させてほしいと頭を下げたとき、心から愛しているのだと思った。私が見誤ったせいで、あなたにつらい思いをさせてしまった。景人さ
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第6話
司は、使いの者へこう言い放ったという。「美桜が自分から戻って謝らないかぎり、絶対に許さない。ほかの男と浮気した女にでっち上げて、俺のほうから捨ててやる」司は、私が今も彼を愛していて、そこまで追い詰めれば必ず折れると思い込んでいた。その話を聞いても、もう腹は立たなかった。ただ、呆れるばかりだった。「話し合いで片付かないなら、法的な手続きを取るだけよ」私は婚姻関係が破綻していたことを示す資料をそろえ、離婚の手続きを進めた。当初は拒んでいた司も、調停が進むうち、最後には離婚に同意した。こうして、私たちの離婚は正式に成立した。……それからしばらくして、私は景人の申し出を正式に受けた。景人も私も、もう若くはない。しかも、私にとっては2度目の結婚だ。だから式は、身内だけでささやかに挙げるものだと思っていた。ところが景人は、結婚の挨拶のため自ら一ノ瀬家を訪れ、驚くほど多くの贈り物を用意していた。その量は、かつて司から贈られたものをはるかに上回っていた。驚く私に、景人は穏やかに微笑んだ。「たいしたものじゃありません。いつか美桜さんに受け取ってもらえたらと思って、前から少しずつ揃えていたんです」高価な贈り物より心に残ったのは、景人が私の体調を気にかけてくれたことだった。主治医や栄養士と相談し、無理なく身体を整えられるよう手配してくれた。父の一ノ瀬隆臣(いちのせ たかおみ)も祖母も、そんな彼の気遣いに安心したように喜んでいた。ある日、庭を歩きながら、私は隣の景人へ尋ねた。「景人さんがここまでしてくださるのは、一ノ瀬グループと組みたいからですか?」景人は足を止め、不意を突かれたように私を見た。「父ももう年です。私との結婚のために、余計な負担をかけたくありません。一ノ瀬家の後ろ盾が目当てなら、結婚のお話はお断りします」景人はしばらく私を見つめ、やがて穏やかに笑った。「何もいらない。ただ、美桜さんと一緒にいたいと言ったら、信じてもらえますか?」その言葉を聞くと、何も言えなくなった。景人は手首から、色とりどりのガラス玉をつないだブレスレットを外した。「僕がずっと独身なのは、若くして亡くなった恋人を忘れられないからだと噂されています。でも、その人は生きています。ずいぶん前に、別の人と結婚してしまっ
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第7話
ベッドのそばには、景人が選んだ上質なカシミヤのひざ掛けがあった。そしてテーブルには、栄養士に相談して用意してくれた、滋養スープが置かれている。大切なのは、高価な品ではなかった。私の身体を気にかけ、何ができるかを考えてくれることだった。藤堂家に高級な食材が用意できなかったわけではない。司に、その気がなかっただけだ。景人と過ごすうち、形だけでいいと思っていた再婚を、心から楽しみにするようになった。結婚式の前日、司が一ノ瀬家へやって来た。私が藤堂家を出たあと、神崎家は絵麻が海外で療養していると発表し、その居場所を伏せていた。だが、絵麻が別名を使って藤堂邸の離れで暮らしていることは、関係者の間では公然の秘密だった。司は、晃の子まで自分が育てるつもりだったんだろう。望んでいた生活を手に入れたはずだった。それなのに今さら、私を連れ戻そうと一ノ瀬家まで押しかけてきたのだ。執事に行く手を阻まれた司は、苛立ちをあらわにして門を何度も叩いた。「美桜に会わせてくれ。6年も夫婦だったんだ。話す権利くらいあるだろ」幼い頃から私を知る執事たちは、誰も門を開けようとしなかった。父の指示で、警備員が司を敷地の外へ下がらせた。司は門の前へ手土産を並べ、閉ざされた扉に向かって話し始めた。「美桜、これまで傷つけたことは謝る。でも、6年一緒にいたことまで消えるわけじゃない。まだやり直せる。怒りが収まるまで待つから、戻ってきてくれ」通りがかりの人たちが足を止め、司を一途な元夫だと持ち上げた。代わりに私は、嫉妬から夫を捨てた冷たい女にされていく。父はとうとう我慢できなくなり、門を開けさせた。「調停で離婚に同意したのは、あなた自身だろう。今さら何をしに来た」そして結婚式の招待状を司の前へ差し出した。「美桜は明日、景人君と結婚する。祝いに来るつもりなら止めはしないが、邪魔をするなら二度と近づくな」司は招待状を見つめたまま、動かなくなった。やがて、信じられないというように首を振った。「違います。離婚に応じたのは、美桜に少し時間をやれば戻ってくると思ったからです。こんなことで、別の男と結婚するはずがない」司は招待状を握りつぶし、無理に笑みを作ったが、すぐに顔が引きつっていた。私は父の後ろから門前へ出た。「司。離
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第8話
一ノ瀬家をあとにした司は、藤堂邸へ戻ると、まっすぐかつて美桜が使っていた部屋へ向かった。離婚が成立したことは知っている。それでも、美桜がなぜ自分を見限ったのか、何を見落としていたのかを確かめずにはいられなかった。部屋を探すうち、司はベッド脇の引き出しから、美桜が以前署名した離婚協議書を見つけた。その下には、妊娠中に処方された薬の一覧と、手術同意書も残されていた。どれも薄い紙切れにすぎない。それなのに、手にした司の指は震えた。紙に残る血の跡を見た瞬間、あの夜、澄江が片づけようとしていた血の付いた部屋着が脳裏によみがえった。その瞬間、これまで見過ごしてきた出来事が、一つにつながった。美桜が口数を減らし、笑顔を見せなくなったことも、次第に自分を避けるようになったことも、司にはようやく理解できた。あの夜、ほんの少しでも美桜に目を向けていれば、彼女が子どもを失ったばかりだと気づけたはずだった。それなのに自分は、絵麻から電話がかかってきただけで、美桜を残して出ていった。美桜が手術後の痛みに耐えていた頃、自分は離れで絵麻のために食事を用意し、そばに付き添っていたのだ。司は何かを求めるように、部屋中を探し始めた。けれど、どこを探しても、美桜が日々使っていた物は一つも見つからなかった。残されているのは、自分が贈った品ばかりだった。美桜が自ら選び、大切にしていた物は、すべて持ち去られている。まるで初めから、この部屋で暮らしていなかったかのようだった。司はその場に座り込み、両手で顔を覆った。「美桜……どうして何も言わなかったんだ」絵麻のために特注したアイリスのネックレスも、若い頃の淡い思いの名残でしかなかった。夫婦として過ごした6年の間に、司の心はいつしか美桜へ向いていた。ただ、美桜が自分のもとを離れることなどないと、信じきっていたのだ。たとえ子どもに恵まれなくても、美桜を大切にしていくつもりだった。絵麻を離れに住まわせても、自分の妻はただ一人。その考えは変わらないつもりだった。司は突然、顔を上げた。美桜を追い出したあの日、絵麻が動画を持ち込み、美桜にやられたと泣きついてきたことが頭をよぎった。もし、あれがすべて仕組まれたものだったとしたら。司は目を真っ赤にし、絵麻のいる離れへ駆け込んだ。
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第9話
絵麻は床へひざまずき、何度も頭を下げた。「お姉さん、お願い、もう許して。わざと陥れようとしたわけじゃないの!一ノ瀬家では、誰も私を好きになってくれなかった。私はただ、生きていくための道が欲しかっただけ。いったい、私の何が悪いの?」景人は眉を寄せ、私の前へ出た。そして警備員へ、2人を外へ出すよう指示した。私は景人の腕へそっと触れ、司の前まで歩いた。司の顔が明るくなった。「美桜、やっぱり、まだ俺のことを……」私は司の伸ばした手を避け、静かに告げた。「私はあなたを許さない。6年間、絵麻のために私を愛しているふりをして、利用し続けたことも」一度言葉を切り、司をまっすぐ見据えた。「それから、子どものことも。私たちの子どもは、あの夜、庭で失ったんじゃない。その前に、私は手術を受けていたの。あなたが毎晩私に飲ませていたのが避妊薬だと知ったから。あの子は、生まれる前からあなたに拒まれていたのよ」司は言葉を失い、力が抜けたようにその場へ座り込んだ。そして両手で顔を覆い、うめくように泣き始めた。あれほど自信に満ちていた人が、私の前で泣いていた。けれど、もう心は動かなかった。私は景人の腕を取り、式場の奥へ向かった。背後から司が何度も私の名を呼んだが、一度も振り返らなかった。……あの日の結婚式を境に、司は心身ともに追い詰められ、酒に頼るようになり、体調も急速に崩したという。結婚式での騒動をきっかけに、絵麻が藤堂邸の離れで暮らしていたことは、瞬く間に世間に知れ渡った。神崎家の孫を身ごもった嫁が、別の男の屋敷で暮らしていた。それだけでも十分な醜聞だった。だが、事態はそれだけでは終わらなかった。やがて藤堂邸の使用人から、司が絵麻と絵麻が雇った男たちを地下室に一晩閉じ込め、暴行を加えさせたという証言が出た。その夜を境に、絵麻は子を失ったのだという。晃は、司が自分の妻を監禁し、子どもを失わせた責任を追及するという名目で、藤堂グループとの提携を全面的に解消した。神崎グループが手を引くと、金融機関や主要取引先も相次いで取引を見直し、藤堂グループの経営は急速に傾いていった。一見すると、晃は妻を傷つけられたことへの復讐に動いたように見えた。ところが、ほどなくして、絵麻は路上で亡くなっているのが見つかった。
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第10話
藤堂グループが崩れれば、当時まだ離婚手続きの途中だった私や一ノ瀬家も、両家の争いに巻き込まれかねなかった。景人はもともと、神崎家と藤堂家の争いに関わるつもりなどなかった。それでも私を守るため、黒瀬家が一ノ瀬家の味方であることを、自ら明らかにしてくれたのだ。そこまで考えて、晃の周到さに初めて恐ろしさを覚えた。「神崎晃が何を考えているのか、昔からわからなかった」かつて私は晃と婚約し、心から慕っていた。若い頃には、晃も同じ思いを抱いていた時期があったのかもしれない。けれど晃にとって、私への思いなど、権力や利益の前では取るに足りないものだったのだろう。景人は、晃とも司とも違う。私を誰かのための駒として利用したりはしない。私は景人の胸へ寄り添った。「遠回りしたけれど、もう一度、景人と巡り合えてよかった」景人は少し耳を赤くしながら、私を抱き寄せた。「あのとき、僕がもっと勇気を出していれば、美桜も司と結婚せずに済んだのに」私は笑い、頬へ軽く口づけた。「もう過ぎたことよ。今は幸せだから」結婚して2年目、私は妊娠した。以前の流産があまりにもつらいものだったため、景人は私の身体をこまやかに気遣い、少しの無理もさせまいとした。不安に駆られると、涙声で言うことさえあった。「絶対に無理するな。僕は、美桜が無事でいてくれればそれでいい」私は笑って景人の手を取り、そっとお腹へ当てた。「私は、この子に会いたい。景人と私の子だから」景人の母は、出産時の合併症で亡くなっている。そのことが、今も心に深い傷を残していた。少しでも不安を和らげようと、景人は私を郊外のお寺へ安産祈願に連れていってくれた。お寺の山門近くで、思いがけず過去の人と再会した。片脚が不自由な男が地面に手をつき、私たちの前へ出て金を求めてきた。汚れた服に伸び放題の髪。見る影もないほど、みすぼらしい姿だった。景人は男を遠ざけようとしたが、祈願に来た日でもあり、財布から何枚かの札を取り出した。「これで食事でもしてください。妻が怖がっているので、道を空けてもらえますか」景人が私の腰を抱いて通り過ぎようとすると、男が顔を上げた。悲しみに満ちた目で、まっすぐ私を見つめている。「美桜……」司だった。わずか2年で、かつて自信に満ちてい
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