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第8話

Auteur: すずめ
盛沢市での最後の5日間、梓は病院で過ごした。

その間、智哉からは一度も連絡がなかった。

退院当日になってようやく、梓が入院していたことをどこからか聞きつけたらしく、智哉が慌ただしく駆けつけてきた。

包帯が巻かれた彼女の頭を見て、智哉は申し訳なさと心配を滲ませた表情で、すぐに言い訳を始める。

「梓さん、あの時は焦ってたから、病院に運ばれたなんて知らなくて……その怪我、どうしたの?」

詳しく説明するのも面倒だったため、梓は「逆恨みかなんかで、シャンパングラスで殴られたの」と簡潔に伝えた。

智哉は一瞬呆然とし、すぐ瞳に怒りの火を灯した。「誰にやられたの?そんな奴、俺が殺してやる!」

梓が目を伏せ、あの日彼が立ち去った後に起きた出来事を話そうとした矢先、芽衣が病室に飛び込んできた。

「梓さん、また具合が悪くなったって聞きました。大丈夫ですか?」

芽衣を見た梓は、言いかけた言葉を飲み込み、淡々と答える。

「かすり傷よ。もうすぐ退院するから」

二言三言話した後、看護師に呼び出され、智哉は退院手続きへと向かった。

梓が荷物を片付けていると、芽衣の顔から笑みがさっと消え、冷酷な眼差しで梓を睨みつけてきた。

「もう智哉先輩がいなくなったんですから、被害者ぶるのをやめたらどうですか?今日は言いたいことがあって来たんです。智哉先輩は、高校からずっと私のことを想ってくれているんです。だから、あなたが入り込む余地なんてないので、無駄なことはやめてくださいね?」

かぶっていた仮面を脱いだ芽衣を見て、梓の心もなぜだか軽くなる。

一切揺らぎのない、穏やかな梓の声。「その話なら知ってるし、あなたと争うつもりもないから」

「争うつもりもない?じゃあ、なんでいつまでも智哉先輩のそばにいるんですか?まさか、智哉先輩があなたに本気だとでも思ってるんですか?あなたみたいに、男に取り入ってのし上がろうとする女なんて、今まで何人も見てきたんですから!

それに、先輩だって、もうあなたに飽き飽きしているはずですよ?」

その無遠慮な言葉を聞き、梓は思わず眉間にしわを寄せ、問い返した。

「じゃあ、海外では好き放題遊んでおきながら、帰国した途端に清純ぶってるあなたは何なの?清純派の仮面をかぶった腹黒女?それとも男を手玉に取る計算高い女?」

過去のことに触れられた芽衣は、表情を一変させる。「あなたには関係ないですから!」

「じゃあ、本当ってこと?」

堪えきれなくなった芽衣は、勢いよく梓の頬を叩いた。

「本当だとしても、それがどうしたっていうんですか?あなたには関係ないって言いましたよね?あなたみたいなおばさん、今のうちに真面目な男と結婚しておかないと、そのうち生理が止まって子供も産めないまま孤独に老いていくんですからね!」

頬に走る鋭い痛みで、梓は小さく息を呑んだ。

赤くなった自分の頬に触れ、梓は指を軽く動かす。

そして次の瞬間、持てる全ての力を込めて、芽衣の頬に一撃を叩き込んだ。

屈辱にまみれた芽衣が梓の髪を掴もうとした時、閉じられていたドアが開けられた。

智哉の姿を確認するやいなや、芽衣は涙を溢れさせ、智哉の胸へと飛び込む。

「智哉先輩……智哉先輩が出ていったあと、梓さんと先輩が付き合ってるって言われて。でも、信じられなかったから、証拠見せてってお願いしたら、急に怒って叩かれたの!」

芽衣の顔に赤々と浮かび上がった手形を見た智哉は、一気に怒りに支配され、芽衣を背にかばい、鬼の形相で梓を怒鳴りつけた。

「梓さん、いい加減にしてくれよ!」

5年間一緒にいて、智哉に怒鳴られたのは、これが初めてだった。

それも、他の女のために。

きっと、智哉が芽衣のために必死で駆け回る姿を、これまで何度も見てきたからだろう。梓の心には、もう失望も、苦しみも、怒りも……何も湧いてこなかった。

何の感情もこもっていない、冷たく淡々とした声で静かに言った。

「叩いたのは事実。でも彼女に叩かれたから、やり返しただけ。ねえ、智哉。どうして何があったのか聞こうとしないの?」

そこで初めて、智哉は梓の赤く腫れた頬に気づく。

智哉が違和感に気づいたその矢先、彼の胸の中にいた芽衣がふらりと意識を失った。

焦った智哉は、芽衣を抱きかかえて一言だけ残し、救急治療室へと走り出していった。

「先に帰ってて。この話は帰ってから聞くから」

「もう会うことはないよ」

走り去る背中に、梓は小さく微笑んだ。

アパートに戻った梓は、不動産屋に鍵を預ける。

「残っているものは、まとめて青葉山にある別荘へ郵送してください。送料は着払いで構いませんので」

梓の荷物の多さを見て、不動産業者は少し驚いた様子で尋ねた。

「江崎さん、この街を去られるんですか?戻ってはこないと?」

「ええ。戻ってはきません」

ここにはもう、梓が未練を感じるものは何も残っていない。

最後にもう一度だけ、住んでいた自分の部屋を見つめ、階段を降りた。タクシーを停めて空港へと向かう。

飛行機が飛び立つ直前、キャビンアテンダントから携帯の電源を切るようにと、アナウンスが流れた。

梓は智哉のラインを開き、最後のメッセージを送信した。

【智哉。実はね、あの日の食事会での会話、全部聞いてたの。愛していたからこそ、裏切られた痛みも大きかったし、あなたを憎みもした。でも今は、もうそこまであなたを恨んでいない。それはきっと、もうあなたを愛していないから。

年上の女のいいところは、始める覚悟もあれば、終わらせる覚悟もあること。あなたが本当に想う人と結ばれることを願ってるよ。私たち、もうこれで終わりにしよう】

そうして、智哉の連絡先を削除する。

携帯の電源を落とすと同時に、飛行機が滑走路をゆっくりと離れていった。

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