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第5話

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飛行機は寒さ厳しいM国に着陸した。

私はダウンジャケットをぎゅっと身にまとい、こちらに手を振っている光の姿を見つけた。

彼女のもとへ歩み寄った瞬間、大きなハグをしてくれた。

「過去にサヨナラできて、おめでとう!」

私は軽く彼女の肩を拳でコツンと叩いた。

その次の瞬間、光の表情が一変する。

「さ、行くよ。スタジオの仕事が山積みなの」

「そうだ。この人が時雨のために雇ったアシスタントの手塚和真(てづか かずま)よ」

そう言って、彼女はずっと後ろにいた男の人を紹介してくれた。

軽く挨拶を交わしたあと、そのままスタジオに連れて行かれた。

光に会ってからというもの、私は慌ただしい日々に突入した。

その日の夜、部屋に戻ったのは11時過ぎ。

翌朝8時にはもう出勤。

そんな二点間の往復生活が一週間続いた。

スタジオは無事に正式オープンを迎えた。

開業式の日、さすがに身体は疲れ果てていた。

でも、心の満たされ方は今までにないものだった。

野上家にいた頃の私は、毎日丈の周りを回るだけで、自分の時間なんて一秒もなかった。

夢を追いかける余裕なんて、なおさらだ。

そんな私の今とは対照的に。

野上家に戻った丈は、まるで別世界のようだった。

時間を一週間前に戻そう。

私が電話を切った直後、丈はどこか言い知れぬ不安に襲われた。

もう一度電話をかけようとしたところで、萌々が「式が始まるよ」と声をかけてきた。

丈は仕方なくスマホをポケットに戻した。

式が終わると、萌々が「旅行に行きたい」と言い出した。

丈は、彼女のどこか初恋に似た顔を見て、拒否の言葉を口にできなかった。

そのままチケットを手配し、彼女と国外旅行へ出発した。

一週間後、帰宅した丈。

ドアを開けると、無意識のうちに私の名前を呼んだ。

しかし何度呼んでも、返事はなかった。

丈の眉間に皺が寄る。

思い返せば、このところの私の変化を彼は確かに感じていた。

見て見ぬふりをしていた不安が、再び胸を占めていく。

慌てて私に電話をかけるが、どれだけかけても聞こえるのは無機質な音声案内だけ。

その時、ちょうど執事が帰宅した。

丈はすぐに私の行き先を尋ねた。

執事はしばらく口を濁していたが、丈の表情がますます険しくなるのを見て、ようやくおずおずと答えた。

「矢口さんは……一週間前
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