Masukある日、夫の岩崎翔平(いわさき しょうへい)が秘書・加藤美月(かとう みつき)の電話番号を、私たちの家族割プランに追加していることに気づいた。 アプリに表示される、私と翔平のものではない携帯番号。 私は翔平を問い詰めた。「彼女を家族扱いするなら、私は一体何?」 彼は面倒くさそうにこう言った。「毎晩、夜通し電話をするのは俺の電話代が心配だって、美月が言ってくれてさ。美月も家族割プランに入れれば、通話代は無料になるだろ?それに、あの子は昔から倹約家なんだ。あまり深く考えすぎるな」 美月は重度のうつを抱えており、眠れないのだという。翔平は毎晩7、8時間も、彼女の寝かしつけに電話を繋いでいた。 私は翔平の通話履歴をこっそり確認する。 私が目を閉じ、次の10年を、そして銀婚式や金婚式までも共に歩めるようにと願っていた結婚記念日でさえも、翔平はその横で美月と電話を繋ぎ、彼女を寝かしつけていた。 何も言い返さない私を、翔平が意外そうに見ている。 「今日は大人しいんだな。ようやく分かってくれたのか?」 私はもう、彼らにこれ以上何かを言いたくなかった。 かつて何度もしてきた喧嘩は、翔平が私よりも美月を選んでいることの証明でしかなかったから。 翔平との10年間の結婚生活。この腐りきった関係は、そろそろ潮時のようだ。
Lihat lebih banyak翔平がうちに引き取られた頃、彼は拾われてきた野良猫のようだった。食事にも手を付けず、ずっと隅っこに縮こまっていた。私は何とか元気づけようと美味しいものをあげてみたが、翔平は膝を抱えて蹲るだけだった。転機が訪れたのは、学校の調理実習で作ったケーキを家に持ち帰ったときだった。翔平の口元に生クリームをつけてあげると、それを舐めた彼がぱっと目を輝かせたのだ。「おいしい?甘いでしょ?」翔平が小さく頷く。彼がこの家に来てから初めて完食したのは、私が作ったそのケーキだった。私は笑って言った。「あなた、自分の誕生日が分からないんでしょ?だったら、今日をあなたの誕生日にしよう!」翔平はケーキを口にしたまま顔を上げ、躊躇うように聞いた。「じゃあ、これからも、ケーキはある?」私は彼の頭をぐしゃぐしゃになでて、自信たっぷりに言った。「当たり前だよ!ケーキだけじゃなくて、私だって一緒にいてあげるんだから。これからの誕生日は全部、私がケーキを焼いてお祝いしてあげる!」あの日交わした約束は、20年以上経っても続いていた。私たちは、数え切れないほどの誕生日を一緒に過ごした。最初は私が作るのを翔平が見ていたのだが、いつしか一緒に作るようになった。しかし最後、美月が現れたその年の誕生日には、翔平のために用意したケーキは一晩中置かれたままだった。美月のインスタアップされた写真。そこには、私が翔平に教えた方法で、誕生日ケーキを作る翔平と美月の姿があった。「なつ、これが最後だから」私が頷くと、翔平の瞳は星のように輝いた。その後の彼はとても早く、わずか30分で材料一式を揃えた。「もう作り方なんか忘れちゃったよ」そんな私の言葉に翔平の表情は強ばったが、すぐに穏やかに笑顔を作った。「大丈夫。俺は覚えているから、お前のために作ってあげるよ」1時間後、翔平がケーキを差し出してきた。「同じ味だろ?」それは、去年の翔平の誕生日に私がゴミ箱へ捨てたあのケーキと、同じ味だった。私は小さく「うん」とだけ言い、「願い事でもすれば?」と促す。蝋燭の火を灯し、翔平が目を閉じたその時、着信音が響いた。勲からだった。少し迷ったが、私は受話器を取る。「奈津美さん、少し来てもらえないですかね?なんだか体調が悪くて……」
翔平は車のそばに立ち、夕陽がその影を長く伸ばしている。「なつ」1ヶ月ぶりに会う翔平は、ずいぶんと痩せていた。疲弊した顔で彼は言った。「お前なら、きっとどこかの村にいると思ったんだ。だから、村をひとつひとつ探して……ようやく見つけた。なつ、会いたかった」そう言いながら翔平が数歩近づいてくる。私は距離をとりながら、冷ややかな口調で言った。「何しに来たの?」翔平は足を止め、自嘲気味に笑う。「俺たちは夫婦だろ?夫が妻を探して何が悪いんだ?」私は淡々と告げた。「翔平。私たちは離婚したんだよ」「俺はまだサインしてない」「裁判だって起こせるよ?」「そんなの認めない!」翔平の瞳には影がさし、苦々しい笑みを浮かべている。「俺は絶対に離婚なんてしない。一生、お前を守り抜くと、お前のお父さんの墓でも誓ったんだ」まだ覚えていたのか。私は黙ったまま翔平を見つめる。「美月は、もう遠くへやった。二度とお前の前には姿を現さないから」私は翔平を見つめ、笑みを浮かべようとしたが、何故だか涙が溢れ出してくる。この男は理解していたのだ。理解していないと思っていたのに……美月との関係が普通ではないことを……私を悲しませていた存在が美月だということを、翔平は知っていたのだ。それでも翔平は美月を傍に置き続け、私たちの関係に入り込むことを黙認してきた。「翔平、本当に最低」私が翔平と共に帰ることを拒否すると、彼は村にそのまま住み着いてしまった。毎日毎日私たちの壊れた関係を修復しようとしてくる。現場の作業員に混じって児童養護施設の建設に励み、子供たちと遊んでは、根気強く読み聞かせをし、勲と一緒に子供たちの備品を買い出しに行くと。時には、口すら挟んでくるようになった。かつて「1分で数億円を稼げるのだら、時間は一秒だって無駄にしない」と言っていた翔平が、この村ではそんな時間の無駄さえも、むしろ嬉々として受け入れていた。償いのつもりなのだろう。しかし、一度壊れた心は、そんなに簡単に戻りはしない。翔平がどれだけ懸命に尽くそうとも、私の心には彼と美月が共に過ごす日々がこびりついて離れないのだ。特に、美月が再び私の前に現れた時はなおさらだった。……「奈津美さん。お願いです。翔平さんを私に返し
この夜、街は騒然となった。I&Oグループの社長である翔平が、街をひっくり返す勢いで人探しを始めたからだった。市内のあらゆるホテルでも、一斉に緊急捜索が行われた。豪雨によって暗闇に包まれていた路地裏も、捜索隊が放つライトで昼間のように明るくなっている。街中の川には捜索ボートが並び、水中では百名以上のダイバーが探索を続けていた。翔平は、あらゆる人脈を総動員した。関連企業までをも動かし、巨額の報奨金を約束する。ただ奈津美を見つけ出すためだけに奔走した。街の記者たちもこぞって張り込みを始めた。魂が抜けたように憔悴した翔平の姿もカメラに収められ、その写真が出回ったことで、翌日にはI&Oグループの株価まで大きく下落した。翔平の捜索が最高潮に達していた頃、そんな事態になっているとは知らない私は、奥山家が代々所持してる山がある村へと向かっていた。私の祖父の代から、奥山家は各地の過疎地域の教育支援を行っている。そして、児童養護施設を建てる際には、必ず奥山家の当主自らが現地視察へ向かうことになっていた。父が初めて私を児童養護施設へ連れて行ったとき、こう言っていた。「奈津美、覚えておけ。慈善事業というものを、しっかりとやりたければ誰かに丸投げしてはいけない。利権を貪る隙なんて、いくらでもあるんだから」子供だった私は、聞いてもいまいち何のことだか分かっていなかった。それから時は過ぎ、奥山グループでの活動が私に任されるようになった。金銭的に困窮していた数年間を除けば、ずっとその活動を続けてきた。やがて翔平が奥山グループを再興させたことで、この教育支援も再開されることとなったのだ。美月と出会ったのも、ある児童養護施設を建設している時だった。彼女は、多額の借金を抱えた毒親によって、ヤミ金のカタとして売られていたのだ。私が見つけた時、彼女はボロボロの廃納屋に閉じ込められ、体中傷だらけでうずくまっていた。話によると、借金取りに乱暴されそうになり、必死に抵抗して男に噛みつき怪我を負わせたらしい。そんな納屋の中でうずくまっていた美月が私に手を伸ばし、か細い声で助けを求めてきたのだった。情に流された私は、彼女を助け出した。病院に連れていったのだが、その後誰に会っても怯えるばかりで、私にしか心を開かなかったので、彼女を自
電話の向こうから、まだ声が聞こえていた。「岩崎さん。I&Oグループの設立資金を提供されたのは奥さんですので、彼女は財産分与を強く主張されており……」翔平は何とか平然を装おうとしたが、口から出る言葉には隠しきれない焦りがにじみ出る。「わかりました。今すぐそちらへ行きますので」美月はあわてて胸元を押さえ、うるうるとした瞳で彼を見つめた。「翔平さん……何だか……胸が苦しい……です」しかし、翔平の視線は冷たく、表情には一切の温もりがなかった。「気分が悪いなら、誰かに病院へでも連れてってもらえ」窓の外にはネオンが輝き、夜空にはまだ打ち上げ花火が上がっている。法律事務所へ向かう道中、翔平は何が何だか分からなかった。二人で過ごした20年近い歳月に、10年の結婚生活。なぜ奈津美が離婚を望むのか、どうしても理解できない。ただの家族割の問題か?美月との間に男女の感情など一切なく、ただ妹として扱っているだけだとも説明したのに。翔平は疑問を抱えたまま清栄法律事務所の扉を叩く。そこで目にした、奈津美が求める財産分与のリストに彼は凍りついた。奥山家の屋敷、オークションで落としたサファイアの指輪、そして……湊が項目を読み上げるたびに、翔平の顔は暗く沈んでいく。奥山家の屋敷は、美月に譲ってしまっていた。それにあのサファイアの指輪だって、本来は奈津美のために落札する予定だったのだが、美月が欲しがったので何気なく渡してしまったものなのだ。その時はただの指輪としか考えておらず、またいくらでも希少なものをプレゼントすればいいと思っていた。それが奈津美が母から受け継いだ嫁入り道具だとは知らなかった。もし最初から知っていたら、あんなことはしなかったのに。最後に、奈津美の要求が告げられた。個別項目のほか、会社設立時の資金配分に基づき、翔平の財産の8割を分与せよというものだった。湊がメガネをずらして言った。「奥さんは『命の恩人としての価値を考えれば、8割など高くない』とおっしゃっております」財産のことなど、どうでもよかった。なんなら、何もかも奈津美に渡してもいい。ただ、奈津美が今どこにいるのかを知りたかった。翔平は押し寄せる圧倒的な無力感に飲み込まれそうになる。彼は焦ったように問いかけた。「奈津美は、今どこに?」湊はわ