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第7話

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けれど丈は忘れていた。

私が家を出たあの日が、ちょうど彼と萌々の婚約式の日だったことを。

それに、もともと紙切れ一枚の契約で成り立っていた結婚に、彼が誰と結婚しようが、私が気にするはずもない。

その日以降、丈と萌々の結婚式はネットで大きな話題になった。

萌々はこの話題性を利用して、SNSアカウントを作り、丈との結婚準備の日常を記録し始めた。

このことを光が教えてくれたとき、私は手にしていた資料を置いて、疑わしげに彼女に言った。

「光の仕事、増やそうか」

光はにこにこ笑いながら言った。

「面白いもの見つけたから、時雨とシェアしたくなっただけだよ〜」

私は彼女のスマホの動画を一瞥して、すぐに目を逸らした。

「……あの女の子のことかなり甘やかしてるみたいだね」

私が黙っていると、光はつまらなそうに舌打ちした。

そして帰り際、ふと振り返って聞いた。

「彼と離婚できたの?」

私は手の動きを止めて、ため息混じりに答えた。

「さっき弁護士から連絡があって……離婚に同意してないって」

「彼が何を考えてるのか、正直わかんないけど……ここが一段落したら、ちゃんと処理しに戻るつもり」

光は「もしかして彼、時雨のことまだ忘れられないんじゃない?」なんて軽く言って、そのまま走って出て行った。

私もかつて、そういう可能性を考えたことはあった。

けど、すぐに自分で否定した。

丈は、自分の快適さを優先する利己的な商人。

私の存在が彼の生活を快適にするからこそ、お金や条件を提示して私を連れ戻そうとする。

でも、私がその提案を拒んだことで、彼のプライドがそれ以上折れるのを許さなかった。

だからこそ、萌々との結婚をカードとして使い、私を脅そうとしたのだ。

けれど私は、もう昔の時雨じゃない。

そんなことで動揺したりはしない。

私がようやく一段落ついたのは、それから一週間後だった。

スマホを開くと、ちょうど丈と萌々の結婚式がライブ配信されていた。

興味本位で、私はその配信をタップした。

萌々は純白のウェディングドレスを身にまとい、満面の笑みを浮かべていた。

だが丈の表情は、決して幸せそうではなかった。

彼は式場のあちこちを見回し、まるで誰かを探しているかのようだった。

式が始まる頃には、丈の顔色はほとんど真っ黒。

萌々が何度か声をかけて、よう
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