Masuk翡翠の後に付いていこうとした涼の足が縺れ、体が宙に浮く。
「痛たたた……。え ? 」
その体をしっかりと翡翠が受け止めていた。
「随分副作用があるようだな。それとも俺の感情は毒でもあるというのか ? 」
涼を抱えあげる眼差しは穏やかさまである。初めて会った時、恐ろしい程に冷酷な印象は消えていた。獅子の牙が折れたとはまさにこの事か。
触れられている事で更に涼は翡翠の感情を吸わされる。これは涼の意思に関係なく起こる現象だった。「ダメだ……。触らない方がいい……」
「気にするな。好都合だ」
翡翠の微笑みを目の前にして、涼は深く微睡みの中に落ちていく。
□
涼を抱えて囚人塔へ戻ってきた翡翠の姿を見て、皆が一斉に頭は下げるも驚きを隠せなかった。
「怪我でもしたんか ? 」
「んな訳ねぇだろ」 「翡翠様と面談中に居眠りこいたんか ? 」 「そんな馬鹿な事ねぇだろ。大事な一生物の道具を選ぶって時によぉ」 「じゃあ、あれだ。睡眠導入剤とか、ヤク中か ? 」 「ここじゃそんな物、認められないの知ってるだろ ? 」ザワつく塔の異変。
涼を抱えた翡翠が房の前に来て、ようやく京は鏡の中に写る自分から格子の外を見る。「失礼。同居人が昏睡してしまってね」
寝込んでいる涼をそっとベッドに降ろす。
「……」
昏睡とはおかしなものだ、と京の眉が跳ね上がる。
そもそも起きるまで部屋に寝かせておけばいいものを、わざわざこれ見よがしに連れてくるのも不自然だと早々に京は見抜く。「では、あとはよろしく頼む」
「こいつ、何したの ? 」
「なかなか興味深い囚人だ。時折また、話を聞くかもしれん」
そう言い出ていこうとする翡翠の背に京は態とらしい溜息をつく。
「翡翠さん。囚人の一人を特別扱いするなんてアンタらしくないね。それがどういう事か分かってんのかな ?
それとも、こいつ何か問題でもあんの ? 」「……ああ。そうだな。気をつけよう」
それだけ言い残し、ざわつきが収まらない塔の中、翡翠は戻って行った。
「はぁ〜」
京は寝かされた涼を見下ろす。
気絶……暴力で昏睡しているようには見えない。パーツの破損も無いようだ。かと言って性暴力などの被害があったようにも見えず、ますます何故寝ているのか不思議でならない。 むしろ涼の寝顔は母親と添い寝する子供のように何とも無防備で、完全に緊張感の無い様子なのだ。「おい、京よぉ。同居人どうしたんだぁ ? 」
隣房の気の良い中年男が格子越しに、恐る恐る声をかけてきた。
京は涼が見えない位置に立つと、面倒そうに振り返る。「あー、なんでもねぇ。緊張してぶっ倒れたんだとよ」
「はは ! なるほど可哀想にな。確かに最初はそうだよなぁ。気の毒だ」
そう言い、他の囚人にも「問題ない」と仕草を送る。
京は涼に掴みかかるとグイグイと揺さぶる。「おい、起きろ ! おい。おーい」
眠そうに目を擦る涼が、今度は一気にガバッと起き上がる。
まるで突然、強い生命エネルギーを打たれた動物のように驚いた顔で房の中を見回す。そしてその側で、涼に触れた瞬間に違和感を感じた京が怪訝な顔をして立ち尽くしていた。
「京……。俺、いつの間に戻ってきたんだ…… ? 」
「……お前……。今のなんだ ? 」
「え ? 」
京が体の前に突き出している手先を見て、涼は京が自分に触れてしまったのだと気付いた。
「あ、あの。これは……」
ふと、翡翠との約束を思い出す。
『幻のドールアイの片目を探し出す』
『自分には人を癒す効果がある(という体の嘘をつく事)』しかし京は同居人だ。
更に鈍感なタイプの男には見えない。 嘘をつくにも半々だ。慎重に言葉を選ばなければ、これからの生活の保証は無い。「えっと……。意外と、想像より違ったモノを貰って……混乱したんだ」
下手だ。
嘘をつき慣れていないのだ。軽快な人付き合いをした事の無い涼にとって、これは難題であった。
京は涼が口篭るのを見て、一度向かいの自分のベッドに腰を降ろす。「アレと話したか ? 翡翠じゃない、得体の知れないものさ」
「キューブ型の『核』の事 ? うん。話したよ。俺、てっきり翡翠がなんかくれんのかと思った。なんで皆んな『翡翠が与える』みたいに言うんだ ? 」
最もな涼の質問だ。
ここから出ていく時も、京も「翡翠さんにいっぱい強請れ」と軽口を叩いていたし、フェンランも「翡翠の旦那との面会」と表現していた。京は膝を組みながら首を傾げる。
「皆んな『核』を見てるけど、あれがそもそもなんなのか、分かんねぇんだよな。
だから翡翠に丸投げって感じ。 あの『核』は翡翠ではないし、会話が通じるもんな。ここは人間の世界ではないし。案外本当の権力者はあの『核』なのかもな」京はヘラヘラと笑い答えるが、涼は翡翠がドールアイを手に入れた経緯を思い出していた。
最初の管理人の尼僧。 彼女達の存在無くして、この世界によく分からない監獄が出来上がるだろうか ? 生前の世界で言えばここは死後の世界との通過点。そんな場所に自分たちは封印をされている事になる。神憑り的な能力が必要なはずだ。 あの『核』は、機械的で感情のない会話しかできなかった。 しかし確実に会話は成立していた。「ここに来た時、「この城は生きている」って言ったよな ? 」
「そうだっけ ? まぁ、皆んなそう感じてるぜ。でもあの『核』所有者が翡翠であることに変わりはねぇからな。現状はなんも変わんねぇよ」
あの『核』が最初の管理人の魂のような物ではないだろうか ?
涼はそう思えてならなかった。「気分大丈夫か ? 」
京は相変わらずヘラヘラと涼と話す。
「うん」
身を起こしたばかりの涼に、京は突然踏み込み涼の手首を鷲掴みにした。
「っ !! 何すんだよ ?! 」
驚いた顔をするもすぐに異常な反応を見せる涼と、変わった玩具を見つけたとばかりに笑う京。
「へぇ〜」
すぐさま反射的に京の手を振りほどき、涼は言い訳を考える。だが京は実にあっけらかんとした態度で格子扉を開ける。
「そんな焦んなって。何もしねぇよ。
なぁ。この城、中庭があるんだぜ。行ってみねぇ ? 」「中庭 ? 」
これには流石に涼は食いついた。
まさか城から出れるとは思って無かったからだ。「い、行ってみたい ! 」
「だろ ? 貴重品とかねぇか ? ここには常に盗まれてもいい物しか置くなよ」
「何も無いよ」
「よっしゃ。散歩だ散歩。あ、そこの白いの持ってこいよ」
京が指差したのは洗面台に置かれた小さな一輪挿しだった。
「はは……やっぱり気になる ? よね。京は ライターを貰ったんだっけ ? 」「あぁ。まぁね。お互いプライバシーは大事だよな。悪ぃ。じゃあ別の質問にしようかな。 俺がお前の手に触った時、変な感じがした。なんか全部どうでもいいっていうか、無関心……とは違うな……。強いていえば……気分爽快 ? スッキリしたな。 あ、勘違いすんなよ。俺の好みは清純系の美少女だから」「勘違いはしてないよ。 えっと、それには確かに俺のせいだけど。順を追って話すと……」 涼は脳内をフル回転させる。「俺、昔から……変な力があってさ」「……霊界で言うのも悪ぃけど、スピリチュアルとか神様とかマジで興味ねェんだけど」「俺も好きで持ってる力じゃないし、スピリチュアルでも無いよ。 とにかく、相手の気分を好転させることが出来たんだ」「それって、ノイローゼが消えるとか ? 」「そこまで重大な人と関わったことないからなぁ。俺が出会った連中はロクな大人じゃ無かったし」「それは俺も一緒だな」 京はしょうもなさそうに笑う。 涼も気にせず続けた。「最初は母親の連れて来た男と、手を繋いで歩いたんだ。それが凄くストレス解消になったって、リピーターになった。単なる変態かと思ってたけど、他にも色々。 それで気付いたんだ。 俺、人のストレスとか悩みを吸い取れるみたい。『核』に欲しいものを聞かれた時、この能力なら、盗まれる心配ないから安心だなって。 高価な武器を持ったところで使えないしさ」「ふーん。ストレスと悩みねぇ。 もぅ一回触ってもいい ? 」「いいよ。でも、『核』の奴、予想より強いアップデートしてきたせいで、すげぇ酔うんだ」「ここでゲロ吐かれても&h
中庭に出るには、まず一階の闘技場があった場所まで階段を降りる。 グレーチングの冷たい材質に京の履いた黒いブーツの靴底がガツガツと音を立てる。そして誰もがこの慣れた狭い世界の中で、この足音が誰の物か判別が付いている。 しかし、ついつい振り返って見てしまうのは後ろにちょこちょこついて行く涼の姿だ。 ふわふわした銀色の髪に、顔付きより幼く見える体付き。ここに来る者のほとんどは成人で、京と涼は互いに最年少クラスの幼年だ。 それも一人は凶暴。一人は翡翠が目に掛けている、となれば自然と興味の対象になる。「散歩かい ? 袋をやろうか ? 花瓶が割れちゃいかんだろ ?」 それでもこういう者はいる。「要らねぇよ ! 」 京が呆れたように老人を睨む。「涼、こういうの簡単に受け取るなよ ? じゃあ袋くださいなんて、今の話に乗ったら「代わりにそのナイフを寄越せ」とか言われるかんな ? 」「おじいちゃん……」「し、しねぇよ〜」「いや、頻繁にやってんだろアンタ。とにかく、物の貸し借りとかマジで。俺、最初しか言わねぇかんな。 その後で起きたトラブルでお前がどうなっても知らねぇから」 そう言いつつ、京は涼がここへ来た時から世話を焼き続けている。そんな京の後ろ姿を追いながら、涼は平常心を装いながら内心ドキドキしていた。 京の体に纏わり付く金色にも似た輝かしい色。『楽』の感情。 房の中で涼の体に触れ、京は既に何かを感じ取っている。それからだ。この感情が吹き出すように大きく肥大して、中庭に誘われたのだから恐怖しかない。 それでも涼は断ったら不自然と自身に言い聞かせ、行く他の選択肢がない。 闘技場まで降りると、周辺にある商売房の中心に短い廊下があった。 どう見ても先にあるのはエントランスルーム。その奥には大きな扉が見える。 出口だ。「なんか欲しいもんある ? 」 商売房を親指でクイッと指しながら京は涼に尋ねた。「それだけど、ここは金ってないんだ
翡翠の後に付いていこうとした涼の足が縺れ、体が宙に浮く。「痛たたた……。え ? 」 その体をしっかりと翡翠が受け止めていた。「随分副作用があるようだな。それとも俺の感情は毒でもあるというのか ? 」 涼を抱えあげる眼差しは穏やかさまである。初めて会った時、恐ろしい程に冷酷な印象は消えていた。獅子の牙が折れたとはまさにこの事か。 触れられている事で更に涼は翡翠の感情を吸わされる。これは涼の意思に関係なく起こる現象だった。「ダメだ……。触らない方がいい……」「気にするな。好都合だ」 翡翠の微笑みを目の前にして、涼は深く微睡みの中に落ちていく。 □ 涼を抱えて囚人塔へ戻ってきた翡翠の姿を見て、皆が一斉に頭は下げるも驚きを隠せなかった。「怪我でもしたんか ? 」「んな訳ねぇだろ」「翡翠様と面談中に居眠りこいたんか ? 」「そんな馬鹿な事ねぇだろ。大事な一生物の道具を選ぶって時によぉ」「じゃあ、あれだ。睡眠導入剤とか、ヤク中か ? 」「ここじゃそんな物、認められないの知ってるだろ ? 」 ザワつく塔の異変。 涼を抱えた翡翠が房の前に来て、ようやく京は鏡の中に写る自分から格子の外を見る。「失礼。同居人が昏睡してしまってね」 寝込んでいる涼をそっとベッドに降ろす。「……」 昏睡とはおかしなものだ、と京の眉が跳ね上がる。 そもそも起きるまで部屋に寝かせておけばいいものを、わざわざこれ見よがしに連れてくるのも不自然だと早々に京は見抜く。「では、あとはよろしく頼む」「こいつ、何したの ? 」「なかなか興味深い囚人だ。時折また、話を聞くかもしれん」 そう言い出ていこうとする翡翠の背に京は態とらしい溜息をつく。「翡翠さん。囚人の一人を特別扱いするなんてアンタらしく
「何それ。お前の……スペアか ? 」 翡翠はすぐにその箱をしまい込む。「初代管理人は人間だった。俺の遠い親族の尼僧だ」「人間が霊界にこんな場所を建てたってのか ? 」「勿論、他の僧侶もいたらしいが全て人間だ。その時、この『城』の全てのキーは、その尼僧の網膜スキャンとパスワードの打ち込みだけ。年配のせいか、全てを同じキーで賄っていたそうだ。 その頃、俺がここに来た。身内の情なんて無かったな。この『城』は裁かれる場所だから。当時の俺は酷くそいつを恨んだよ。 そして、脱獄に賭け、その尼僧の目を抉って剥製にした」「え !? じゃあ、ここに来て一日経たずに管理人の親族を……」「……当時の俺にとってはなんでもないことだったからな」 なんでもない、とは。 目を抉る事か。 それとも身内を殺める事なのか。 どちらにせよ、翡翠の罪状も重いものなのだと察した。「目玉は囚人の剥製職人に依頼し加工した。後にイチャモンを付けて、俺は『ドールアイ』に関わった者全てをファイトで葬った。他の管理人達も囚人のドールも全て。そして今の俺がある。 だが、ある日呆気なく、この『ドールアイ』の片目は盗まれてしまった」「それで……」 翡翠の絶望と哀しみ、後悔の色。 これは『ドールアイ』を失くし、ここにいるしかなくなった囚人としての末路に悲観した結果だった。「『ドールアイ』は両眼が揃わないと意味が無いんだ」 その言葉に涼の眉が寄る。「え ? じゃあ、盗んだやつはなんの為に盗ったんだ ? 」「さあな。 涼。そいつを見つけて欲しい。『幻のドールアイ』……これが揃えばここから出れる。 お前は感情を読める。長く生活すれば恐らく犯人が視えてくるだろう」「脱獄……出来るなら……
「つまり、『相手の感情が視える』。その中でも『負の感情だけを吸い取ることが出来る』というわけか……」「多分。あんたみたいなお堅い管理人は自分の心なんて覗かれたくないだろうけど、でも見た感じ、今は『好奇心』の色が強い……薄い橙色で『楽』に似てるけど、違う。 どっか触っていい ? 」 翡翠が返事をする前に涼は方に手を置く。「『好奇心』は消えた ? 消えてないよね ? 多分、人の持つ感情の中で、『吸えるものと吸えないものがある』んだ」 翡翠は眉を寄せると思わず涼の肩を揺さぶる。「俺から吸った負の感情ってなんだ ? 俺には別にそんなものは !! 」 突然取り乱した翡翠に驚きながらも、涼は一度深呼吸をして翡翠の手を握り返す。「はっきり言えば、貴方からは深い『哀しみ』を感じたから。 普段はそんな事を吐き出せない立場なのは分かるけど、俺も分かってしまうんだ。 だから……」 言いかけた涼の言葉が途中で止まり、自分が握り返した翡翠の手の違和感に気付く。「…… ??? 」 白い手袋の下。 温もりこそ感じるものの、人の手の感触では無いと気付いてしまった。 思わずパッと手を離し、不味いものを見てしまったと翡翠を見上げた。 だが、それには翡翠は冷静だった。「そうか。つまり……お前には詰まらん意地や虚勢は見え透いてしまうということか」「……そ……言う事……ではありますが……。別に俺も悪意は……」「ああ。『城』で生き残るために自分の感情を視る力の補正を望んだお前に、『核』はその力を『相手の負の感情を吸う』所までバージョンアップさせたわけだ」「こんな力で……どうやって…&helli
「終わったか ? 」 近付いて来た足音に翡翠の方から扉を開けて迎え入れられる。「うん。魔法使いは本当に駄目だった」「はは。まさか本当に言ってみるとはね。 さぁ、これから『城』での生活が始まる。殆どの者はここへ来ることは二度と無いが……お茶くらいはご馳走しよう」「……まるで最後の晩餐みたいだな」「君は突然死では無かったな。最後の晩餐を済ませて死んだか ? 」 翡翠の質問に悪意を感じた涼は、肩に置かれた大きな手を思い切り振り払う。 その瞬間── ヒュウ……──── 一凪の風が二人の間を駆け抜けるように。 何かが起きた。「 !? 」「今のは…… ? なんだ…… ? 」 涼と翡翠、それぞれに走る感情の流れ。 強制的に感情を捻じ曲げられるような感覚。 涼も体感したことのないものだったが、『城』に要求した事を思い出す。『人の感情が視える力の強化』 それは。 今目の前にいる翡翠を見れば一目瞭然だった。 執務室に来た時に視た翡翠が持つ絶望と哀しみの暗く深い青色が、今はなんとも薄まって視える。 そして気付いた。 翡翠の手を払った自分の人形の指先から、不必要な程伝わる快楽的感覚。それは人の行う性的快楽とは別の種類のなにかであった。「うぅ……」「大丈夫か ? 」 しゃがみ込んだ涼を翡翠が支え、ソファに座らせる。「なぁ、触んないで。なんかこれ、おかしいかも……」「身体に異常は無さそうだが ?」 翡翠は無遠慮にペタペタと確認するようにまさぐって来る。「違う。そうじゃない……。俺の……能力だ…&he