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翌日。
私は、同期入社で仲の良い友人・水野円花と、会社近くの和食屋でランチを取っていた。
カウンター席に並んで座りながら、昨夜の出来事を淡々と語る。
「……だから、そのまんま。呪いで、結婚することになったの」
白米を口に運びながら言うと、円花は箸を止めて、ぽかんとした表情で私を見た。
「……呪い?」
「そう。たぶん。いや、恨み? どっちだったっけ? もうよく分かんないんだけど、とにかく、ご先祖様が勝手に決めたことで、今この時代に生まれた男女が結婚しないと不幸になるとか、なんとか……」
ようやく西京焼きの鮭に手を伸ばした円花は、呆れを隠せない様子で呟いた。
「……そんな時代錯誤な話、ほんとにあるんだ……」
「ね? 今どきドラマでもここまで強引な設定ないと思わない?」
「うん。たぶん視聴率取れないと思う」
同意するようにコクコクと何度も頷いた円花は、ふと真剣な顔で私を見つめた。
「ねえ、でも優里香、それで本当にいいの? この前さ、牧野さんのこと気になるって言ってたじゃない」
──うっ。
思わず喉が詰まりそうになる。
牧野さん。それは、総務部の上司で、私が密かに想いを寄せている人。
二歳年上で、仕事ぶりは丁寧で的確、なにより誰に対しても優しい。
私はずっと、彼に憧れのような気持ちを抱いていた。
「……よくないけど……でも、お祖母ちゃんの言うことって、どうやっても断れないみたいで……」
呟くように言った私に、円花は箸を置き、少しのあいだ黙って何かを考えていた。
そして、ぽつりと提案するように言った。
「……なんかさ、私が言っても仕方ないんだけど、やっぱり納得いかないよ。優里香が一番そう思ってると思うけど。
だったらさ、向こうから断ってもらえばいいんじゃない? わざとひどい態度を取って、“こんな子と結婚なんてできない!”って思わせるの。どう? 嫌われ作戦!」
「それ……! それだよ!」
思わず大声を上げ、勢いよく立ち上がってしまった。
──しまった。
周囲のテーブルから一斉に注がれる冷たい視線に気づいて、私は慌てて咳払いをひとつ。
小さく「すみません」と呟きながら、そろそろと腰を下ろした。
ちょっとはしたなかったけど……でも、光が見えた気がした。
ああ、もう……。恥ずかしいったらない。
さっきの勢いのまま立ち上がってしまった自分を思い出しながら、私は円花の顔を見つめた。
そして、改めて言葉を口にする。
「円花、本当にありがとう。そうだよ、それだよ。嫌われればいいんだ。私、全力で嫌われるように頑張る。……なんだか、希望が見えてきた気がする!」
喜々として宣言する私に、円花も満足げに口元をほころばせた。
「で? その“嫌われるべき”相手って、誰なの?」
──ごもっともな質問だった。
私は記憶をたどるように目を泳がせ、名前を思い出そうとする。
「えーと……ケン……じゃなくて、太郎……シンタロウ……? いや、違うな……。あっ、そうそう。翔太郎。うん、翔太郎だ。なんか、和風な名前だなーって思った」
「翔太郎、ね。ありそうで、あんまりいなさそうな名前……。で、部署は?」
「え、知らない。っていうか、聞いてない」
「はぁ……。あんたさ、それぐらいはちゃんと確認しときなよ。同じ会社なんだから」
「うん……今日、確認する」
スッキリした気分で、生姜焼きを口に運びながら答えた私に、円花はみそ汁を一口すすると、妙に含みのある声で言った。
「ねえ……まさか“小泉翔太郎”じゃないよね?」
「え、小泉翔太郎って誰?」
心底ぽかんとした顔で返した私に、円花は呆れたように目を丸くしてため息をつく。
「ちょっと本気で言ってる? 自分の会社の副社長だよ。世界的企業“KOIZUMIグループ”の御曹司。うちの副社長が、小泉翔太郎」
──副社長?
──御曹司?
──翔太郎って、そんな名前だったっけ……?
あまりに雲の上の存在すぎて、名前なんて気にしたこともなかった。けれど……確かにそんな名前だったような、気もする。
「そんな、まさか……違うでしょ。うちみたいな普通の家が、そんな大企業の副社長と知り合いなんて、あるわけ──」
恐る恐る否定の言葉を口にした私に、円花もぎこちない笑みを浮かべた。
「そうだよね。社員数も多いし、翔太郎って名前の人ぐらいたくさんいるよね」
「そうそう。だって、あの副社長って──」
「うん、“ありえないほど整った顔立ち”で、“冷徹”って噂の、あの副社長……」
思わず二人で顔を見合わせる。
……いやいや、ないない!
そんな“選ばれし系男子”と、うちみたいな庶民家庭が繋がってるわけがない!
「そんな人は、もっと名家のご令嬢と結婚するに決まってるって。私は、そこらの平社員の翔太郎さんに、全力で嫌われるだけなんだから!」
意気込むように言い切ると、円花も勢いよく「がんばれ!」と笑ってくれた。
その後、残り少なくなった昼休みに慌ててご飯をかきこみ、みそ汁を流し込みながら、なんとか時間内に食べ終えた。
けれど、心の奥にはずっと、うっすらとした不安が残っていた。
──まさか、ね。
──いや、ないない。ないってば。
***翌日。私は、同期入社で仲の良い友人・水野円花と、会社近くの和食屋でランチを取っていた。カウンター席に並んで座りながら、昨夜の出来事を淡々と語る。「……だから、そのまんま。呪いで、結婚することになったの」白米を口に運びながら言うと、円花は箸を止めて、ぽかんとした表情で私を見た。「……呪い?」「そう。たぶん。いや、恨み? どっちだったっけ? もうよく分かんないんだけど、とにかく、ご先祖様が勝手に決めたことで、今この時代に生まれた男女が結婚しないと不幸になるとか、なんとか……」ようやく西京焼きの鮭に手を伸ばした円花は、呆れを隠せない様子で呟いた。「……そんな時代錯誤な話、ほんとにあるんだ……」「ね? 今どきドラマでもここまで強引な設定ないと思わない?」「うん。たぶん視聴率取れないと思う」同意するようにコクコクと何度も頷いた円花は、ふと真剣な顔で私を見つめた。「ねえ、でも優里香、それで本当にいいの? この前さ、牧野さんのこと気になるって言ってたじゃない」──うっ。思わず喉が詰まりそうになる。牧野さん。それは、総務部の上司で、私が密かに想いを寄せている人。二歳年上で、仕事ぶりは丁寧で的確、なにより誰に対しても優しい。私はずっと、彼に憧れのような気持ちを抱いていた。「……よくないけど……でも、お祖母ちゃんの言うことって、どうやっても断れないみたいで……」呟くように言った私に、円花は箸を置き、少しのあいだ黙って何かを考えていた。そして、ぽつりと提案するように言った。「……なんかさ、私が言っても仕方ないんだけど、やっぱり納得いかないよ。優里香が一番そう思ってると思うけど。だったらさ、向こうから断ってもらえばいいんじゃない? わざとひどい態度を取って、“こんな子と結婚なんてできない!”って思わせるの。どう? 嫌われ作戦!」「それ……! それだよ!」思わず大声を上げ、勢いよく立ち上がってしまった。──しまった。周囲のテーブルから一斉に注がれる冷たい視線に気づいて、私は慌てて咳払いをひとつ。小さく「すみません」と呟きながら、そろそろと腰を下ろした。ちょっとはしたなかったけど……でも、光が見えた気がした。ああ、もう……。恥ずかしいったらない。さっきの勢いのまま立ち上がってしまった自分を思い出しながら、私は円花の顔を見つめ
あれ……?もしかして、ずっと前から知っていたの?私が、こうなる運命にあるって──。だから、今まで何も言わずに、好きにさせてくれていたの?遠くから見守るように。そう考えた瞬間、気がつけば私は無意識のうちに一階へと足を運んでいた。階段を降りる足音も聞こえないほど、頭の中はざわめいていた。「ねえ! 一体いつから知ってたの?!」勢いよくリビングの扉を開け放つと、目に飛び込んできたのは、涙を浮かべた母の姿だった。……え?普段、あんなにも明るくて元気な母が、そんな顔をしているなんて──想像もしなかった。立ち尽くす私に、母が静かに名を呼んだ。「優里香……」その一言だけで、体から力が抜けていくのを感じた。怒りとも戸惑いともつかない感情が、すっと冷めていく。私はかすれた声で、もう一度だけ尋ねた。「……いつからなの?」すると、沈黙を破って父が口を開いた。その声には、どこか後悔と覚悟が滲んでいた。「優里香が二十歳になった年だよ。母さんに呼ばれてね……そのときに、初めて話を聞かされたんだ」言いづらそうに視線を外しながら語る父の隣で、母が目元の涙をぬぐいながら、かすれた声で続けた。「ごめんね、優里香……。私たちがちゃんと、この話を断っていれば、こんなことにはならなかったのに……」本当に……そうだよ。そんな馬鹿げた話、もっと早くにきっぱりと拒否してくれていれば──。もし、母の頬を伝う涙を見ていなければ、私は今すぐにでも声を荒らげていたと思う。けれど、あの涙を見たら……もう何も言えなかった。「……お祖母ちゃん、なのね……」ようやく口からこぼれたのは、その一言だけだった。自分でも聞き取れたかどうか分からないほどの、かすかな声でこぼれた「お祖母ちゃん」。その一言を口にした瞬間、私の中で何かが静かに折れたような気がした。同時に、胸の奥で、ほんの少しの諦めが芽生えていくのを感じた。──ああ、そうか。そうだった。思い出した。うちはごく普通の家庭だ。特別な家柄でも、伝統ある旧家でもない。それでも、なぜか昔から、父方のお祖母ちゃんには誰も逆らえないという、暗黙の空気があった。親戚の集まりでも、お祖母ちゃんの言葉は“絶対”のように扱われていたし、父でさえ、何かあれば「母さんが言うなら……」と従っていた。そんな存在が関わっているのなら──話
「はあ?」あまりにも予想外の言葉を耳にすると、人ってこんな声を出すものなんだな……。自分でも驚くほど間抜けな反応しか返せなかったのは、それほど現実味のない話だったからだ。私は、目の前に座る父と母の顔をじっと見つめた。「だからな、優里香。これは冗談でもなければ、夢の話でもない。現実に起きていることだ」父の真剣な口調。それに反して、私は完全に呆れた表情をしていたと思う。自覚はある。それでも言わずにはいられなかった。「ちょっと待って? この令和のIT社会で、何を言い出してるの? そんな突拍子もない話、信じろってほうが無理があるでしょ?」常識的に考えて、そんな非現実的な話を素直に「はい、わかりましたお父様」なんて答える娘、世界中探したってそうそういないはずだ。私は、ふざけてばかりの性格で、結婚30年になる今でも「バカップル」という言葉がしっくりくる両親を、じろりと睨みつけた。まるで陳腐な昼ドラか、チープなラノベの設定みたいじゃない。ありえない。そう心の中で毒づきながら、視線を窓の外へと向ける。広がる夏の空は、どこまでも青くて、白い雲がゆっくりと流れていた。──あーあ、夏季休暇にはどこか出かけたいな。海? いや、山もいいかも。涼しい高原も捨てがたいし……。「優里香! ちゃんと話を聞きなさい!」母の大きな声に、思わず肩がびくりと跳ねた。あんな風に叱られたのは、もしかしたら子供の頃以来かもしれない。小さくため息をつきながら、私は渋々ふたりのほうに顔を向けた。「……ねえ、お母さん。本気であの話を信じろって言うの? 何だっけ、何百年前の“言い伝え”? それとも“ご先祖様の約束”?」ひとまず質問を投げかけて、彼らの反応を待った。けれど、父も母も一切表情を変えることなく、ただ黙って私を見つめている。……どうやら、本気らしい。観念して、私は話を続けた。「つまり、昔、結ばれることのなかったご先祖同士のせいで、私がある男性と結婚しないと両家が不幸になるってこと……で合ってる?」「そうだ。それがわかっているなら、話は早い」父は淡々と頷いた。「いやいや、ちょっと待ってよ。言ってる内容自体は理解できるけど、それを“現実として受け入れろ”っていうのは無理があるってば」「信じるんだ、優里香」……え? 本気で?即座に返された父の言葉と、その真顔