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彼が悔いるとき
彼が悔いるとき
Penulis: こがね

第1話

Penulis: こがね
「明弘様、奥様よりお尋ねです。『今夜はお時間ありますか、和紀様を連れて一度お顔を見せに来てはくれないか』と」

「状況次第だ」

会議を終えたばかりの荒井明弘(あらい あきひろ)は、病院のロビーへと足を踏み入れた。

季節は秋。小児インフルエンザの流行期だ。院内は額に冷却シートを貼った子供たちで溢れかえり、至る所からゴホゴホと咳き込む音が聞こえてくる。

明弘は通話を切り、視線を巡らせた。ようやく待合椅子に座り、薬の受取番号が表示されるのを待っている息子・荒井和紀(あらい かずき)を見つける。歩み寄ろうとした時、和紀のそばにしゃがみ込んでいる、ある女医の姿が目に留まった。

白衣越しでも分かる痩せた背中。無造作に束ねたミディアムヘア。

あまりにも見慣れた背中だった。

何年も会っていないはずなのに、その影ひとつで、明弘の足は釘付けになる。

女は昔と変わらない穏やかな目元で、声を潜めて和紀に問いかけていた。

「どうしてまた一人で、薬ができるのを待ってるの?ご家族は?」

七歳になる和紀は、まるで人生を何周もしたかのような落ち着き払った様子で座っていた。

「父なら今着きました。先生の後ろに」

桑原奈々美(くわばら ななみ)の動きがわずかに止まる。振り返った彼女の視線が、そのまま明弘のそれと衝突した。

目が合う。

それは、あまりに長い時を隔てた対峙だった。

彼女も一瞬呆気にとられたようだったが、すぐに平然とした表情に戻り、立ち上がった。

長年の空白などなかったかのように、挨拶ひとつよこさない。

奈々美はただ医師として事務的な態度を崩さず、まるで過去の愛憎など、すべて過ぎ去った雲か霞であるかのように、両手をポケットに突っ込んで言った。

「これほど小さいお子さんを、院内で一人にするのは避けてください。危険ですし、医者たちも四六時中見守れるわけではありませんから」

明弘は彼女を見つめたまま、言葉を発しない。

「桑原先生、ちょっと来てください!」

同僚の医師に呼ばれ、奈々美は短く応じると踵を返した。

「今行く」

言い終わるとすぐに立ち上がり、外来の方へ歩いていく。立っている時は目立たなかったが、早足になるとその歩行の違和感が露わになる。

右足が、わずかに不自由そうに引きずられていた。

明弘のまぶたがピクリと跳ねる。

その表情は深く、重苦しい。

まるで海面に突如として沸き起こる波のようだった。

*

病院の救急外来において、発熱した小児患者の多くは子供と母親のセットでやってくる。

これが最もありふれた光景だ。

そしてどの母親も大きなバッグを持っており、中には子供用の水筒やウェットティッシュ、ティッシュペーパーなど、子供に必要なものが大量に詰め込まれている。

だが明らかに、この黒いロングコートの裾を翻し、まるでドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」の世界から血を浴びて出てきたような男には、そんな準備があるはずもない。

そのせいで隣にいる和紀は、待合室の自販機で買ったスポーツドリンクを飲むしかなかった。

大人と子供。二人の表情はあまりにも一致している。

明弘は彫りの深い眉骨を持ち、独特の気質を纏っていた。型にはまらず、冷淡とも違う、本能的な危険さを感じさせる男だ。

一方、彼が連れている息子は、気性に関しては随分と異なるようだった。明弘が放つ狂気じみた殺伐としたオーラとは違い、この子供は理知的で冷静、この年齢にしては稀有なほど沈着で内向的だった。

「ねえ見た?外にいるあの男の子のパパ、荒井明弘よ」

「見た見た。さっきインタビュー記事を読んだばかりだわ」

「気のせいかな……あの人、ずっと診察室の中を見てない?」

「うそ、本当?誰を見てるの?」

荒井明弘。医療機器業界の大物であり、各紙の一面トップを飾る常連だ。

その手腕は冷酷果断、振る舞いは傲慢不遜。なんのルールにも縛られず、野良から這い上がってきた男。

彼の私生活に関する噂を聞く者はほとんどいない。

メディアは彼に息子がいることだけは知っているが、その母親に関する情報は一度も報じられたことがなかった。

そんな彼が今、こうして無造作に息子を連れて病院に現れた。

神秘は好奇心を駆り立てる。数人の医師たちが、彼が誰を見ているのかと興味津々だった。

優秀な副院長の愛弟子、岩本彰(いわもと あきら)先生か?

それとも家柄が良く美人の伊東蛍子(いとう けいこ)先生か?

しかし、不意に軽薄な声がふわりと響いた。

「もしかしたら、私を見てるのかもよ」

全員が一斉に振り返ると、そこには夜勤明けのボサボサ頭を適当に束ね、口にミニパンを詰め込んでいる、身なりの構わない奈々美がいた。

「……」

皆、視線を戻し、乾いた笑いで気まずさを誤魔化す。

奈々美はパンを一気に口に押し込み、頬を膨らませたまま、気にする様子もなく手を振った。

「冗談よ」

もちろん冗談だと皆わかっている。

奈々美は病院で最年少の医長であり、ハストン王国から招聘されたエリートだ。

院内の医師紹介ボードにおいて、彼女の欄だけは院長、副院長や部長たちと並び、その取得資格や肩書きが、枠に収まりきらないほどびっしりと記されている。

誰もが彼女の専門能力には感服しているが、彼女と明弘を結びつける者は絶対にいない。

何しろ奈々美は美人ではないし、その上、足が不自由だからだ。

だから、誰も信じないだろう。彼女こそが明弘の前妻だとは。

偏見だが、それが世の常だ。

これからまだ手術が一件ある。奈々美は一日半洗っていない髪を再びまとめ直し、低い位置でお団子にした。

外は相変わらずの豪雨。彼女は病院の廊下の待合椅子に座り、患者が病室に忘れたレントゲン写真を取りに行くのを待っていたが、ふと背後から足音が聞こえた。

これほどの年月が経っても、認めざるを得ない。その足音への馴染み深さは、少しも減退していないことを。

「いつ戻った」

奈々美は本当に真剣に考えたような素振りで、小首を傾げ、癖のように両手をポケットに入れた。

「半年ほど前かしら」

数秒の沈黙の後、相手は再び問う。

「この数年、どうしていた」

「まあまあね。なんとか生きてるわ」

二人はまるで旧友が挨拶を交わすかのように、穏やかに一問一答を繰り返す。

だが当時の別れは、実は見るに堪えないほど酷いもので、身を切られるような痛みすら伴っていた。

かつては太陽のように明るく朗らかだった奈々美は、半死半生になるまで痛めつけられ、何度も崩壊と絶望に陥った。涙も枯れ果て、赤く腫れたうつろな目で、最初から最後まで麻痺したように彼にただ一言だけ告げた。

「ここから出たい」

奈々美は明弘を恨んでいた。

彼だけでなく、雁取(かりとり)市も、この街が彼女にもたらしたすべてを憎んでいた。

十数年の幼馴染。かつてどれほど明弘を愛していたか、その後、同じだけ彼を憎んだ。

長い沈黙の後、患者の家族がまだ下りてこないため、奈々美は入院病棟へ探しに行こうとした。立ち上がった瞬間、吹き込んだ雨水に足を取られ、よろめいた。

だが腰に男の手が触れそうになった刹那、奈々美は弾かれたように身を捩り、その手を避けた。眼底に一瞬浮かんだ嫌悪はすぐに消え、彼女はまたすぐに穏やかで淡々とした表情に戻る。

明弘に軽く微笑みさえした。

「ありがとうね。じゃあ」

「奈々美」

背後から低く硬い声がしたが、奈々美は一瞬たりとも足を止めず、一度も振り返ることなく、そのまま歩き去った。地面に落ちた影さえも消えていく。

病院の壁にあるテレビでは、二時間前の会議での明弘の演説が流れている。メディアの前では余裕と風格に満ちた男。

しかし数十分しか経っていない今、彼の背中は重く、深く沈んでいた。

*

深夜。

屋敷の奥にある静謐な仏間。

そこには威厳ある不動明王像が安置されていた。燃え盛る炎を背に、右手に降魔の剣を構え、その瞳には凄まじい殺気と強さが宿っていた。

明弘は執事・奥村哲男(おくむら てつお)の手から線香を受け取る際、ふとした拍子に二本、折ってしまった。

哲男が尋ねる。

「明弘様、今夜は何か心残りが?」

雷鳴が轟き、別荘の外は猛烈な雨が降っている。

明王像の前に立つ端正で高大な影。明弘の横顔は何度か雷光に照らされ、明滅する中、彼は淡々と、そして静かだった。

「昔馴染みに会ったんだ」

一人、長い間彼のそばに現れることのなかった、かつての妻である昔馴染みに。

明弘は気を落ち着かせると、改めて三本の線香に火を灯した。

不動明王へ合掌する。立ち上る紫煙が幾筋にも絡み合い、静かに天井へと溶けていく。

どれほどの時が過ぎただろうか、線香が燃え尽きる頃。

背後で足音がした。

和紀が彼の後ろに立ち、静かに口を開いた。

「お父様の仰るその昔馴染みとは、お母様のことですか」

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