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第2話

作者: 晴天に会う
結衣は病院へ向かった。医師から自分の診療記録を受け取り、直樹に送って所見を仰ぐつもりだった。

エレベーターが三階で止まり、扉が開いた。そこには、莉子が力なく晃の胸にもたれかかっていた。

視線がぶつかった瞬間、三人とも固まった。腫瘍内科は五階にあるが、結衣は病気のことを晃に知られたくなくて、そのまま一歩踏み出し、エレベーターを降りた。

降りてから気づいたが、三階は産婦人科だった。結衣は信じられない思いで振り返り、晃と莉子を見つめる。

晃が何か言いかけたところで、莉子が先に声をあげる。

「結衣、どうして産婦人科に?もしかして、妊娠したの?どうりで下腹が少しふくらんできたと思ったわ。三か月くらいかしら。お兄ちゃん、おめでとう。でも……赤ちゃんができても、私のことは見捨てないでね」

赤く泣きはらした目のまま、莉子は晃の上着の裾をそっとつまみ、か細く続ける。

「私には、もうお兄ちゃんしか家族がいないの」

晃の顔色がみるみる沈んだ。半年前に莉子が帰国してから、仕事に追われ、莉子の相手もし、結衣には半年触れていなかった。それなのに、妊娠?誰の子だ。

「説明してくれ」

細めた目、歯の隙間から冷たくこぼれる短い言葉。晃はまるで犯人を取り調べるかのように、鋭い視線で結衣を射抜いた。

結衣の胸はひりつくように痛み、心の中で自分の不甲斐なさを罵った。二年ものあいだ晃を追いかけ続けて、ようやく彼が自分との交際を受け入れてくれたというのに。

あの日の浮き立つ気持ちは、永遠に忘れられないのだ。彼の首に腕を回して跳ねるように抱きつき、結衣は胸を弾ませながら叫んだ。

「ずっと一緒にいる、ずっと」

それからの結衣は、晃のあとを追いかける子どものようになった。年収一千万円を超える仕事を辞め、彼の会社に入り、ごく普通の一社員として一からやり直した。

晃は特別に抜擢しようとしたが、結衣は言った。

「晃、私は自分の力で、あなたの隣に立ちたい。あなたを困らせたくないの」

結衣は一年もかからず実力だけで下積みから彼の専属秘書にまで昇りつめた。けれど二人が付き合っていることを知る者は誰ひとりいない。

晃の養父母が事故で亡くなり、彼はその事業をすべて引き継いだ。私情を持ち込んでいると言われないよう、養父母の遺したものを汚さぬように、二人の関係は秘められたままだった。

そのころ結衣は思っていた。晃は自分を愛している。たとえ誰も自分が彼の恋人だと知らなくても、自分だけが知っていれば、それでいいのだと。

莉子が現れてはじめて、結衣は気づいた。自分がただの笑いものだったのだと。

彼女が帰国するなり、晃の時間も心も、まるごとさらっていった。

結衣はそっと視線を伏せ、こみ上げる痛みを隠す。もう一度顔を上げたとき、その瞳には一片の温もりもなかった。

「昨夜、帰ってこなかったわね」

晃は眉間に深い皺を寄せた。結衣のこの態度が気に入らない。まるで、彼が何を言おうと意に介していないように見えるからだ。

けれど結衣が裏切るはずもない。自分が疑いすぎなのだろう。晃は表情を和らげ、説明しようと口を開きかける。

莉子の涙が、ぷつりと糸の切れたようにこぼれ、晃の手の甲を打った。

「結衣、ごめんなさい。全部、私が悪いの。お兄ちゃんを呼んだりなんかして、私なんて厄介者よね。パパとママが死んで、ほんとは海外に隠れていればよかったのに……私が悪かった。だから、お兄ちゃんを責めないで」

和らぎかけた晃の表情が、再び厳しく引き締まる。彼はそっと手を伸ばし、莉子の涙をぬぐった。その仕草はまるで宝物を扱うようだった。

「莉子、お前のせいじゃない。これはお前の問題じゃない。俺は言っただろう、いつだってお前を守るって」

そう言ってから、晃は結衣に顔を向け、非難の色を宿した目で射抜いた。

「莉子は俺の妹だ。彼女に口出しする資格は、お前にはない」
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