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第2章

Penulis: さざ波
私は直哉の言葉など聞こえなかったふりをして、ただ目の前で私をまっすぐ見つめる蓮に笑いかけた。

「いいよ」

大きくも小さくもないが、その場にいる全員にはっきり聞こえるくらいの声だった。もちろん、聴力を取り戻したばかりの直哉にも。

直哉の表情が一瞬で変わった。今度こそ構わずこちらへ来ようとしたそのとき、美緒が手を滑らせグラスを床に落とした。

甲高い音を立ててガラスが砕ける。そこへ美緒のか細い悲鳴まで重なり、まるで黒板を爪で引っかいたような耳障りな音が響いた。

やり方は単純だが、効果は抜群だった。

直哉は迷うことなく振り返ると、美緒の両手を取って怪我がないか確かめた。美緒の目に浮かんだ涙を指先でそっと拭い、優しい声で宥めている。

美緒は形ばかり手を引こうとしたあと、甘えるように直哉の胸元へ身を寄せた。

「直哉くん、真帆さんのところに行ってあげて。怒らせたらダメだよ。私はちょっと脚をガラスで切っただけ。大丈夫だから」

二言目を聞いた瞬間、直哉は美緒を横抱きにした。

「病院に行くぞ」

焦りきった声だった。

私はその光景を興味深く眺めていた。高校時代、私がいじめっ子にガラスを投げつけられて怪我をしたときも、直哉はあんなふうに私を心配してくれたからだ。

華奢でか弱い美緒は、確かに男の庇護欲をそそる。でも直哉はまた忘れている。

どん底にいる人間を引っ張り上げるのは、ただ守られるだけの存在では無理なのだ。

三年前、私は海外で学ぶ機会を断った。昔から目をかけてくれていた先生は、そんな私に失望を隠そうともしなかった。

先生が一人で去っていくのを見送りながらも、私の頭の中にあったのは直哉のことだけだった。

17歳の頃の直哉は、私にとって大きくて頼れる存在だった。

いじめられていた私を助けてくれたのも直哉。泣く私を抱きしめてくれたのも直哉。自分の身を自分で守る方法を教えてくれたのも直哉だった。

けれど24歳になった彼は変わってしまった。両耳を押さえ、暗い部屋の隅で力なくうずくまるようになった。

恋人に捨てられたあとは、意識が飛ぶほど酒を飲み、私の腕の中で泣きじゃくった。

そして私が海外へ行くと知ったとき、直哉は私の小指を頼るように握り、今にも壊れそうな声で言った。

「真帆。俺にはもうお前しかいない」

そんな直哉を、私はどうしても置いていけなかった。

だからまだ付き合ってもいないのに、私は半ば押しかけるように直哉のマンションへ引っ越した。そして食事から日々の生活まで世話をするようになった。

初めて直哉のために料理をした日、包丁で指を深く切った。

抜け殻のようになっていたはずの直哉が、慌てて駆け寄ってきた。私の指を強く押さえて止血しながら、その目から涙がこぼれ、私の手の甲に落ちた。

あのとき私は確信した。直哉も私に対して満更でもないのだと。

だから直哉が自暴自棄になり、何度もピアノの鍵盤に頭を打ちつけたときも、私は迷わずその間に手を差し入れた。何度も鍵盤に打ちつけられた手は血だらけになった。

痛かったが、その痛みが直哉の閉ざしていた心をこじ開けた。

その日、震える手で私の傷を手当てした直哉は、そのあとすぐ、美緒が残していったものをすべて片づけた。

それまでなら誰にも触らせなかった、大切な思い出の品だった。

嬉しくなかったと言えば嘘になる。

直哉は読唇術を嫌がった。だから私は、何度拒まれても根気よく彼と一緒に手話を覚えた。何度突き放されても、二人だけの特別な会話の方法ができていくことが、密かに嬉しかった。

この三年間、直哉が私に向けてくれた優しさだって、嘘ではなかった。

私が手を怪我したあの日、直哉は傷ついた私の手を握り、こう約束した。

「俺が自分を傷つけるたびに真帆まで傷つくなら、もうやめる。お前のために生きる」

手話がうまくできずに苛立ったときには、私にすがるように抱きつき、顔を私の胸に埋めて言った。

「真帆がいてくれてよかった」

そして私たちが正式に付き合い始めた日、直哉は一曲の音楽を私に贈ってくれた。

音楽に詳しくない私でさえ、その曲に込められた深い想いはわかった。あの瞬間、私は完全に直哉に心を奪われた。

この曲は私から着想を得て作ったのだと直哉は言った。私がいなくなったら生きていけないとも言った。

藤井家の人たちも、そんな私に心から感謝してくれた。直哉の父親に至っては、将来の嫁として迎えるつもりで、多額の自社株まで私に譲ってくれた。

ずっと願い続けてきた恋がようやく叶おうとしていた。だから私は本当は簡単に諦めたくなかった。

蓮とみんなの前であんなやり取りをしたのだって、少しは直哉の心を取り戻したいという気持ちがあった。

頭の中はぐちゃぐちゃだった。直哉が私を愛していた証拠を必死になって思い返す。だが何よりも鮮明に浮かんできたのは、美緒を抱き上げ、私を置き去りにして去っていく直哉の後ろ姿だった。

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