LOGIN高宮陸人(たかみや りくと)は、私――小林美鈴(こばやし みすず)がもう彼に関心を寄せていないことに気づいた。 飲み会で、陸人の親友が笑いながら彼に尋ねたという。 「お前のあの超献身的な彼女、迎えに呼ばないの?」 陸人から迎えに来てほしいとLINEのメッセージが入っていたが、私は残業で忙しく、返信するのを忘れていた。 彼の誕生日にも、例年のように三ヶ月前からサプライズを準備したりはしなかった。 ただLINEで「お誕生日おめでとう」と一言送っただけ。 彼の母親が入院し、私の働いている病院に来た時でさえ、私は病室に一歩も足を踏み入れなかった。 彼はついに私の仕事終わりに待ち伏せし、穏やかな口調で言った。 「一緒にご飯でも食べよう。レストランはもう予約してあるんだ、君の一番好きなあのお店だよ」 私は半歩下がり、よそよそしく距離を置いた。 「やめておくわ、今日は少し疲れているから、早く帰って休みたいの」 彼はその場に立ち尽くし、何が起きたのか飲み込めない様子だった。 無理もない。一ヶ月前なら私は24時間連続の勤務明けでも、無理をして彼に会いに行っていたのだから。
View More陸人は私にお金を振り込んできた際、一度会いたいと言ってきた。私は応じなかった。貸していた金を返してもらい、株式譲渡契約書も受け取った。私の中で、この件はもう完全に過去のことになっていた。彼からのメッセージも途絶え、これで本当に終わりだと思っていた。あの日の午後、里美から電話がかかってくるまでは。受話口から聞こえる彼女の声は、異様なほど興奮していた。「美鈴、早くトレンド見て!」送られてきたリンクを開くと、ある動画が再生された。誰かが、あの日のカフェでのやり取りを隠し撮りし、ネットにアップしたらしい。添えられたキャプションにはこうあった。【カフェで激撮、神対応のお姉さんが浮気男を完全論破。スカッと成敗】いいねはすでに数十万件に達しており、コメント欄は陸人への非難で埋め尽くされていた。中には、陸人の会社名を特定して晒している者までいた。私が画面をスクロールしていると、医局のドアをノックする音が響いた。「小林先生、お客様です」看護師が顔を覗かせたが、その表情はどこか気まずそうだった。「先生のお知り合いだと名乗る男性が、エントランスの前でお待ちです」断ろうとした矢先、看護師は小声で付け加えた。「あの……先生が降りてこないなら、ずっとここで待っていると言っていて」私は窓辺へ歩み寄り、視線を落とした。病院のエントランス脇に植えられたイチョウの木のそばに、陸人が立っていた。私は眉をひそめ、あの炎上動画のことを思い出した。結局、私は下へ降りることにした。陸人は足音を聞きつけて顔を上げた。そのやつれきった姿を見て、私は思わず足を止めた。陸人はひどく痩せこけ、顎には青黒い無精髭が伸びていた。目は充血し、何日もまともに眠っていないことが、ひと目で見て取れた。「……おめでとう。ニュースを見たよ、美鈴は本当にすごいな」私は冷たい視線を向けた。「あなたに会うつもりはないわ。すぐに帰らないなら、警察を呼ぶ」陸人が恐る恐る浮かべていた媚びるような笑みが、凍りついた。彼はすがるように私を見つめ、掠れた声を絞り出した。「俺には、君に会いに来る資格がないことくらい分かってる。君にとっては、もうただの元彼にすぎないかもしれない……でも、どうしても聞きたいんだ。俺たち五年間も一緒にい
私は陸人と五年間付き合ってきた。こんなにも惨めな結末を迎えるなんて、以前は思いもしなかった。この二年間、彼のためにあまりにも多くを犠牲にしてきた。費やした時間も労力も大きすぎたのだ。そのせいで、この一ヶ月間、実はあまり良い状態ではなかった。長年のパートナーと縁を切ると、まるで禁断症状のような苦しさが襲ってくるのだ。陸人と連絡を絶ってからの半月以上、私は何か変なものに憑かれたように彼の動向を注視していた。彼のSNS、そして親友たちのSNSを。どんな些細な痕跡も見逃さなかった。スマホが鳴るたびに彼からのメッセージだと思い、すぐに確認した。けれど、どれも違った。陸人とその親友たちのSNSには、いつも伊織の姿があった。それらを見るたび、私は何度も自分を抑えきれずに陸人に会いに行きそうになった。そんな、抱いてはいけない感情を押し殺すために、私は狂ったように残業を始めた。クタクタに疲れ果て、倒れ込むように眠る。翌日は目もろくに開かないまま、仕事へ向かった。あの人のことや、あの出来事を思い出す暇もないほど忙しくした。そうしているうちに、不思議と慣れていった。病院の仕事は本当に忙しくて、感傷に浸っている時間なんてこれっぽっちもなかったからだ。たとえ長年付き合った彼氏と大喧嘩して別れたとしても、患者が運ばれてくると、私はすぐに気を引き締め、手術に臨んだ。私は医者だ。患者の命を預かっている以上、手抜きなんて許されない。私の患者には、階段から転げ落ちて頭蓋内出血を起こしていた七歳の女の子がいた。救急科に運ばれてきた時には、すでに意識がなかった。手術は十時間近くに及び、途中、何度か血圧が安定しなくなる場面もあった。手術台の前に立っている時、私の頭には一切の雑念がなく、ただ一つひとつの処置を正確かつ慎重にこなすことだけに集中していた。最後の一針を縫い終え、モニターの数値がようやく安定した。術後三日目、女の子は目を覚ました。彼女の両親は病室の入り口で私を見ると、深々と腰を折って何度も感謝してくれた。「小林先生、ありがとうございます、うちの子の命を救ってくださって本当にありがとうございます!この子は私の命よりも大事なんです。先生がこの子を救ってくださったことは、私たち家族全員の命を救っ
その言葉を聞いた瞬間、陸人の顔色が劇的に変わった。彼は一瞬にして眉間に深いしわを寄せ、非難するような目で私を見つめた。「美鈴、いくらなんでもやりすぎだ!」陸人の声が低く沈んだ。「俺に文句があるなら俺に言え、伊織を巻き込むな。あいつは大学を出たばかりの純真な女の子なんだぞ。君のそんな言葉が広まったら、彼女の立場がなくなるだろうが」私は呆然とし、ただ真っ直ぐに陸人を見つめ返した。一瞬、どう反応すればいいのか分からなかった。私はたった今、あんなにも多くのことをぶちまけた。私の抱えていた無念さや辛さ、そして怒りと失望を。それなのに、五年間も付き合ってきた彼氏であるはずの陸人は、それらをすべて聞き終えた後、真っ先に私に弁解するわけでもなく、謝って慰めてくれるわけでもなかった。彼の最初の反応は、あろうことか伊織をかばうことだったのだ。私に、伊織を巻き込むなと警告してきたのだ。「ははっ」私は片手で額を押さえ、ふっと二度ほど笑い声を漏らした。あまりの滑稽さに、もはやどう反応していいのかさえ分からなかった。「陸人」私は手を下ろして彼を見つめた。その目には皮肉がたっぷりと込められていた。「自分が何を言っているのか、よく考えてみて。伊織を巻き込むな、ですって?」私はその言葉を反芻した。考えれば考えるほどバカバカしく思えてきて、いっそ笑い出したいほどだった。「私がこれだけ言ったこと、その一つ一つの原因が全部、彼女とあなたにあるじゃない。それなのに私に彼女を巻き込むなと?じゃあ教えてよ、どうやったら巻き込まずに済むの?私が伊織の首にナイフを突きつけて、あなたの助手席に座らせたとでも言うの?私が彼女に、何度もあなたへアプローチするように仕向けた?」陸人は口を開きかけた。「あれは全部――」私は彼の言葉を遮り、冷たく笑って言い放った。「全部何?全部ただの偶然で、誤解で、私の考えすぎだとでも言うつもり?」今この期に及んでまだ伊織をかばおうとするその姿を見て、私は失望のあまり首を横に振った。「陸人、あなたがいつからこんな最低な男に成り下がったのか、私には分からないわ」実のところ、今日ここへ来る前まで、私はまだ陸人にほんのわずかな希望を抱いていた。けれど、冷酷な現実を思い切り突きつけら
コーヒーが陸人の額から滴り落ち、顔中を濡らした。まつ毛にまでミルクの泡がこびりついている。彼は二度瞬きをしてようやく目を開け、信じられないという表情で私を見た。「美鈴……何をするんだ?」陸人は怒りを露わにしかけたが、私が放った言葉に衝撃を受けてもいた。しばらく固まった後、ようやく一言を絞り出した。「俺たち、いつ別れたっていうんだ?」彼は手を挙げて顔を拭ったが、指はコーヒーまみれで、シャツの袖口にも飛び散っていた。眉をひそめながらテーブルのペーパーナプキンを手に取り、無造作に顔を拭った。しかし、ナプキンはすぐにぐっしょりと濡れ、使い物にならなくなった。もう一枚引き抜いて顔を拭く頃には、怒りのせいで彼の指先が小刻みに震えていた。周りの席の客がすでにこちらに注目していた。ある女子客が小声で呟いた。「うわ、あのお姉さん、クズ男にコーヒーぶっかけたんだ。超カッコいい!」トレイを持った店員が少し離れた場所で、声をかけるべきか迷ったように立ち尽くしていた。私は席に座ったまま腕を組み、冷ややかな視線で彼の慌てふためく様を眺めていた。その無様な姿を見て、胸のつかえがほんの少しだけ取れた。陸人がようやく顔の汚れをある程度拭き取ると、彼は濡れた紙の束をテーブルに叩きつけ、顔を上げて私を睨みつけた。その瞳の奥には怒りが渦巻いており、声も自然と荒くなっていた。「美鈴、いくらなんでもやりすぎだろ!」私は鼻で笑った。「やりすぎ?私が何をしたっていうの?たかがコーヒーを一杯かけただけでしょ、そこまで大げさに怒ること?」陸人の額に青筋が浮かんだが、彼は怒りをぐっと押し殺した。私は冷たい目で彼を見据えた。「今日だって、本当は会いたくなかった。あなたがどうしても話があるって言うから来てあげただけよ。まさか、またこんな不快な思いをさせられるとは思わなかったけど」陸人の表情がどんどん険しくなっていくのも構わず、私は背もたれに深く寄りかかった。「いいわ、話がしたいんでしょ?なら今日は、とことん白黒つけましょうか」陸人はまだ状況が呑み込めていないのか、ただ呆然と私を見つめていた。私は皮肉たっぷりの眼差しを向けた。「さっき、お母さんが入院したのに私が一度も顔を出さなかったって文句を言ったわね。お