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第4話

Author: もなか
そう言うと、慶は人ごみをかき分け、狂ったように会場を飛び出していった。

あそこは屋上じゃなくて、ホテルのスカイテラスなのって言いたかった。地面からの高さも2メートルちょっとしかないのに。

とっくに警備員も手配して、万全の態勢だった。

でも、慶は説明するチャンスをくれなかった。さっきまで羨ましそうに見ていた招待客たちが、ひそひそと噂話を始めた。

「さっきの長谷川社長の目つき、まるで彼女を食い殺しそうな勢いだったじゃない!二人の仲が順調?よく言うわ!」

「自業自得よ!どう見ても腹黒い女じゃない。長谷川社長の妹さんを追い出して自分がのし上がろうなんて、玉の輿に目がくらんだのね?」

「兄妹?長年一緒に暮らして、情が移っちゃったんじゃないの?山本さんが可哀想ね」

その一言一言が胸に突き刺さり、私は深い奈落の底に落ちていくようだった。

記者会見の総責任者として、私も人々の後を追ってスカイテラスへ向かった。

スカイテラスにはすでに大勢の人が集まっていて、みんな同じ方向に向けてスマホを構えていた。

慶が、杏奈の前にひざまずいて、少しずつにじり寄っていた。

「杏奈、下りてきてくれ。お願いだ」

彼の声は震えていて、今までにないほどの恐怖がこもっていた。

「お兄ちゃん、私があなたにとって一番大事な人?」

「そうだ!もちろんだよ!」

慶は必死に答えた。その声はうわずっていた。

「杏奈、俺が一番大切に思っているのはずっと君だ。君を超える人なんてどこにもいない。今までも、これからも!」

杏奈はようやく慶に視線を戻した。

彼女は無邪気な子供のように、こてんと首をかしげた。

「じゃあ……あの女は?」

そう問いかけながら、杏奈はまた少し身を乗り出した。

慶は恐怖で顔面蒼白になった。

「結衣は……ただの仕事のパートナーだ!

杏奈、君こそが俺の命なんだ!」

その言葉を聞いて、私の心臓をえぐられたようだった。苦しくて、息もできない。

もう手放そうと決めていたけど、それでも7年間も付き合ってきたんだ。

さっきは二人の仲は順調だって言ったのに。ふん、順調なパートナー関係ってわけね。

杏奈はついに泣き止んで笑顔を見せると、慶に両腕を広げた。

慶は駆け寄って彼女を抱きしめ、長いため息をついた。

杏奈は慶の首筋に顔をうずめ、ほっとしたように、でも辛さをこらえるような声で言った。「お兄ちゃん、そばにいさせて。もう恋愛しろなんて言わないで、お願い」

そして、みんなが見ている前で、おもむろに袖をまくり上げた。

腕には痛々しい傷跡が何本も走っていた。

慶は瞬時に目を赤くした。「木村の野郎がやったのか?」

私の心臓がどきりと跳ねた。

木村正人(きむら まさと)は、杏奈が3ヶ月だけ付き合った元カレで、私が紹介した人だった。

次の瞬間、慶が鬼の形相で私の前に駆け寄り、髪の毛を掴んだ。

「結衣、お前はいったい何がしたいんだ!

小さい頃から、俺は杏奈に指一本触れたことなかったのに!

お前がこんな目に遭わせたのか!」

ものすごい力で、髪を引っぱられて痛いのもおかまいなしだった。

「杏奈はただのか弱い女の子だ。お前の悪口なんて一度も言ったことがないんだぞ!

なんでいつも彼女を陥れようとするんだ?俺が結婚を延期したからか?

なんてひどい女なんだ!」

そう言うと、慶は私を力任せに突き飛ばした。

胸の奥から、どうしようもない切なさがこみ上げてきた。

正人は私が小さい頃から知っている。物腰の柔らかい男で、話し方もおとなしい。

それに、そもそもは慶が彼を良い人だと思って、私に紹介を頼んできたんじゃない。

なのに今は、怒りにまかせてすべての責任を私に押し付けてくる。

「ひざまずけ!杏奈に謝れ!」

あまりの怒りに、私は逆に笑ってしまった。「どうして?

私は彼女に悪いことなんて何もしてない。謝る理由なんてないわ」

慶は首を横に振ると、私を杏奈の前に引きずり出した。そして、ひざの裏を思いっきり蹴りつけた。

私はバランスを崩して前のめりに倒れこみ、ひざを砂利に打ちつけた。たちまち血が流れ出す。

慶は私を見下ろし、氷のように冷たい声で言った。

「杏奈に誓え。二度とこんないやしい真似はしないと。

さもないと、お前は一生長谷川家の人間にはなれないぞ」

周りでは無数のスマホのカメラが光り、カシャカシャという小さなシャッター音が響いた。

私はなんとか立ち上がり、顔を上げて彼の視線を受け止めた。

「長谷川家なんて、こっちから願い下げよ。

でも、私に濡れ衣を着せるなんて絶対に許さない!」

パシン。

乾いた音を立てて、平手打ちが私の頬を叩いた。口の中に鉄さびの味が広がる。

慶の目には、激しい憎しみと嫌悪が浮かんでいた。

「この一発で、少しは目が覚めたか」

たとえ夫婦になれなくても、私たちは少なくとも、お互いを一番信頼しあえる仲だと思っていた。

なのに今、慶は杏奈の真偽もわからない一言で、私に手を上げた。

私が反応するより早く、父が駆け寄ってきた。

「結衣!お前は何を考えているんだ!早く謝れ!」

母もそれに続いた。「そうよ、結衣。いい子だから早く謝って。事を大きくしないで」

涙がどっとあふれ出した。二人の顔に浮かぶ焦りは、私が怪我をしたからじゃない。慶の機嫌を損ねて、家の仕事に影響が出るのを恐れているからだ。

私が濡れ衣を着せられているとわかっているのに、彼らは何も言おうとしない。それどころか、私に杏奈へ頭を下げろと迫ってくる。

母はまだ私を説得し続けている。父は慶の顔色をうかがいながら、ひたすら謝っていた。

周りの視線が針のように突き刺さる。同情、軽蔑、そして面白い見世物を楽しむような好奇の目。

私の頑なな態度に不満だったのか、慶は首を振ると、杏奈を抱きかかえて人ごみの中へ消えていった。

私のそばを通り過ぎる時、杏奈は私をじっと見つめ、意味ありげな微笑みを残していった。

スカイテラスにずっと立ちつくしていた。風が私の体の血の跡を乾かしてしまうまで。

家に帰ると、両親はいなかった。

簡単な荷物だけをまとめて、自分の小さなマンションへ引っ越した。

傷口に消毒液を塗ると、しみるような痛みに思わず息をのんだ。でも、頭はかつてないほどすっきりと冴えていた。

パソコンを開いて、先月指導教官から届いたメールを探した。F国皇室芸術学院からの招待状だ。

あの頃の私は、バカみたいに【結婚が近いので、今は考えられません】なんて返信していた。

その一文を見つめながら、私は深く息を吸った。そして、キーボードを叩く。

【先生、招待をお受けします。来週から入学させてください】
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