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第275話

作者: 藤崎 美咲
悠真がしばらく何も言わないのを見て、花音は胸が締めつけられるように心配になった。

「お兄ちゃん!」

思わず、彼の耳元で呼びかける。

悠真はようやくその声に気づいたように、はっとして顔を上げ、花音を見た。

花音はたまらず聞いた。「お兄ちゃん、いったい何があったの?

結衣さんと何かあったの?」

悠真は答えなかった。黒い瞳を伏せ、さっきと同じように黙り込む。

花音はお粥を差し出した。悠真は今回は受け取った。

白粥の上には、刻んだ青ねぎが散らしてある。味は淡く、炊き立ての米の香りがやさしく鼻をくすぐった。

見た目も香りも悪くない。だが、彼の胃はまるで空っぽのようで、食欲というものがまったく湧かなかった。

胸の奥がぽっかりと空いている。

言葉にしづらい感覚が、胸の中でぐるぐると渦を巻く。

そして、抑えきれずに星乃のことを思い出してしまった。

以前、体調を崩したときは、彼女が薬を飲ませてくれて、栄養スープまで作ってくれた。

――自分は今、病気なんだ。

身体だけじゃない。心の方も。

悠真が黙り続けているのを見て、花音はいてもたってもいられなくなった。

「星乃が、お兄ちゃんと結衣さんに何かしたの?」思わず口をついた。

昨夜、連絡を受けて病院に駆けつけたときから、結衣の様子がどこか変だった。

そして悠真が目を覚ましてからも、二人は一言も言葉を交わしていない。間に流れる空気が、どこかぎこちない。

思わず問いかけたが、二人とも口をつぐんだままだった。

二人の間に何かあったのは間違いない。

原因はきっと星乃だ。

昨夜の星乃も、どこか様子がおかしかった。

今までなら悠真が少しでも体調を崩せば、誰よりも早く駆けつけて、甲斐甲斐しく世話を焼いていたのに。

昨日の彼女の態度は、まるで別人のようだった。

星乃とお兄ちゃんが離婚したのは知っている。

でも、あの星乃が、急に気持ちを切り替えられるとは思えなかった。

この三人の間には、きっと自分の知らない何かがある。

星乃の名が出たとたん、悠真の目がかすかに揺れた。

「星乃は……まだ病院に来てないのか?」

問いかけの形をしていたが、声の響きは断定に近かった。

花音はうなずき、顔をしかめた。「電話したけど、来ないどころかお金を請求してきたのよ。

「星乃って、もう完全にお金のことしか考えてないの
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