幸福配達人は二度目の鐘を鳴らす

幸福配達人は二度目の鐘を鳴らす

last updateLast Updated : 2025-07-09
By:  水鏡月聖Ongoing
Language: Japanese
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好きな人の隣に立てるのはどうして一人だけなんだろう? 隣には右と左の二つあるのに…… 結婚相手が二人まで可能となった世界線で恋をする連作短編集  わたしは誰の後ろめたさを感じることもなく、世界のすべてに祝福されながらこのヴァージンロードを歩いている。  その先で優しくわたしを迎えてくれるのは、学生時代からずっと一途に想いつづけていた彼――。 と、その妻。

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Chapter 1

第1話 幸福配達人は二度目のベルを鳴らす ~悠里朋絵のケース~

如月透子(きさらぎ とうこ)が離婚を決めた日、二つの出来事があった。

一つ目は、新井蓮司(あらい れんじ)の初恋の人が海外から帰国したこと。

蓮司は億単位の金を注ぎ込んで、特注のクルーズ船で彼女を出迎え、二人きりで豪華な二日二晩を過ごした。

メディアはこぞって、二人がヨリを戻すと大騒ぎだった。

もう一つは、透子が大学時代の先輩の誘いを受けて、かつて二人で立ち上げた会社に戻ると決めたこと。

部長として、来月から新たなスタートを切る予定だった。

もちろん、彼女が何をしようと、誰も気にも留めない。

蓮司にとって、透子はただの「新井家に嫁いできた家政婦」に過ぎなかった。

彼女は誰にも知らせず、

ひっそりとこの二年間の痕跡をあらい家から消し去り、

密かに旅立ちのチケットを手に入れた。

30日後には、

ここでのすべてと、蓮司との関係は完全に終わる。

――もう、赤の他人になるのだ。

【迎え酒のスープを届けろ、二人分】

突然スマホに届いた命令口調のメッセージに、透子は目を伏せ、指先が震えた。

今は夜の九時四十分。

蓮司はちょうど朝比奈美月(あさひな みづき)の帰国パーティーに出席している最中。

かつて彼は、決して透子に外で酒のスープを持ってこさせなかった。

彼女の存在を世間に知られるのが恥ずかしいからだと、家の中だけで飲んでいた。

だからもし、前だったら――

「やっと自分を認めてくれたのかも」なんて、喜んでいたかもしれない。

でも今は違う。

視線は「二人分」の文字に留まる。

――そう、これは美月のためのスープだ。

本物の「愛」の前では、彼は堂々と「価値のない妻」を見下し、さらけ出すことを恐れなくなった。

透子は静かに手を下ろし、キッチンに向かってスープの準備を始めた。

蓮司の祖父との契約も、あと29日で終わる。

カウントダウンの画面を一瞥し、ため息が漏れる。

契約が切れたら、やっと自由になれる――

二年も傍にいたのに、愛は一片も手に入らなかった。

所詮、それが現実だった。

もう、愛する力すら残っていない。

最後の一ヶ月。

「妻」としての仕事だけは、きっちり終わらせるつもりだった。

鍋の中、ぐつぐつと煮立つスープは、彼女が最も得意とする料理。

なにせこの二年、何十回とその男のために煮込んできたのだから。

ふと目を奪われ、胸の奥がじんわりと冷えていく。

三十分後、きっちりと蓋を閉めた保温容器に、スープを二人分詰め、タクシーでホテルへ向かった。

車内で、透子は朝届いた見知らぬ番号からのメッセージを見返す。

【透子、覚えてる?私、美月だよ。帰国したの。また会えてうれしいな。蓮司を奪ったことは気にしてないよ。私たち、ずっと親友だったじゃない?今夜、ご飯でもどう?】

蓮司から歓迎会の話なんて一言もなかった。

透子がそれを知ったのは、美月からの「お誘い」があったからだった。

その文章の行間から滲む「寛大で気にしてないフリ」に、透子は皮肉に口元を歪めた。

奪った……?

違う。蓮司の祖父が反対したんだ。

美月は二億の慰謝料を受け取って、海外に行ったはずだ。どこが「奪った」?

確かに、彼に対する欲はあった。

でも自分から奪いにいったわけじゃない。流れに乗っただけ。

「寛大で善良な女」?ふん。

昔なら信じていたかもしれない。

でも高校に上がってから、全てが嘘だと知った。

遅すぎたけれど――

あのとき、自分はすべてを失った。

人間関係も、居場所も。孤立無援で、陰湿ないじめの標的だった。

……そしてその裏には、美月の影があった。

今日のパーティーには、当時の高校の「友達」も多数出席している。

当然、みんな美月の味方だ。

透子は、あのパーティーに出るつもりはなかった。

どうせ招かれた理由なんて、歓迎じゃなくて公開処刑。

あの頃の「同級生」と顔を合わせる気分にもなれない。胸の奥がざわつく、ただただ不快だった。

だから、スープだけ渡したらすぐ帰るつもりだった。

目的地に着き、個室の前で深呼吸。心を落ち着かせてから、扉をノックする。

数秒後――

扉が開くと、現れたのは蓮司じゃなく、純白のドレスを纏った美月だった。

「透子、来てくれたんだ!みんな待ってたよ〜」

満面の笑顔にきらびやかなメイク。まるでプリンセスのような装い。

首元には、あのネックレス――「ブルーオーシャン」。

一昨日、蓮司が落札したばかりのもの。やっぱり彼女に贈ったのね。

「いえ、スープを届けに来ただけ」

透子は感情のない声で、淡々と答えた。

「え〜、二年ぶりなのにそんなに他人行儀?私は蓮司を奪われたこと、もう気にしてないのに〜」

美月は唇を噛んで、先に「傷ついたフリ」を演じ始める。

……その猫かぶりな態度にはもう、うんざりだった。

透子はスープを置こうと身体をずらす。

だが、美月はさりげなく手を伸ばし、保温容器の蓋に指をかけた。

「来たくないなら、私が蓮司に渡しておくよ〜」

あくまで「優しげ」に申し出てくる。

透子は眉をひそめた。

すんなり引くような女じゃないのに、あまりに「親切」すぎる……

とはいえ、彼女自身もこれ以上関わりたくなかった。

だから、容器を渡そうと手を伸ばした――その瞬間。

「――っ!」

容器が受け止められず、真っ逆さまに床へ。

ガシャン!

蓋が外れ、熱々のスープが床にぶちまけられる。

そして美月はわざとらしく一歩後ろに下がりながら、甲高く叫んだ。

「きゃっ!痛っ……足が……!」

次の瞬間、個室の中からいっせいに視線が集まる。

蓮司がすでに立ち上がり、素早く駆け寄ってきた。

「透子、お前は……スープ一つもまともに持てないのか?」

彼は半身をかがめ、脱いだジャケットで美月の足を拭きながら、怒りに満ちた声で透子を叱りつけた。

「私……」

透子が言葉を紡ぐよりも早く、

「蓮司、透子を責めないで。私が受け取り損ねたの」

美月がしおらしく庇ってみせる。

蓮司は床に落ちた容器の蓋を拾い上げた。

割れてもいない、傷もない――完璧に無傷。

「これ、どう説明する?美月が手を滑らせた?それとも最初から蓋を開けて持ってきた?」

彼は鋭く睨みつける。

透子は驚きで言葉を失った。

この保温容器は頑丈そのもので、普通に落とした程度で蓋が外れるなんてありえない。

けれど、現に蓋は外れていて、しかも傷一つついていない。

「私は開けてない。じゃなきゃ道中こぼれてるはずでしょ」

必死に言い返す。

「言い訳は結構。やったことはやったことだろ」

蓮司の声は冷たく切り捨てるようだった。

彼にとって透子は――金目当てで祖父を丸め込み、

美月を追い出し、無理やり妻の座を奪った女。

信じる理由なんて、どこにもなかった。

蓋を放り捨て、蓮司は美月を抱き上げようと身を屈めた……

そのとき――

視線の端に、赤く腫れた透子の足が映る。

スープを浴びたのは、美月だけじゃなかった。

むしろ透子のほうが広い範囲をやられていた。

眉をわずかにひそめる。何かが一瞬、胸をよぎった。

……でも、それだけだった。

すぐに視線を逸らし、口をつぐんだまま立ち上がる。

透子がどれだけ火傷していようが、自業自得だ。

他人を傷つけようとした報いだと思えば、同情する理由なんてない。

美月を横抱きにすると、彼女は恥じらいながらも、心配そうに言った。

「蓮司、透子の足……」

「気にするな。死にゃしない。勝手に病院行くだろ」

吐き捨てるように答えた。

「お前はモデルなんだ。足が命だろ。そっちが優先だ」
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第1話 幸福配達人は二度目のベルを鳴らす ~悠里朋絵のケース~
世界のすべてがわたしたちを祝福してくれている。 ヴァージンロードを覆う毛足の長い絨毯も、チャペルのステンドグラスから差し込む色とりどりの光も、名前も知らない小鳥の家族のさえずりさえも、すべてがわたしたちのためだけに祝福してくれている。 一度はあきらめたこともある。  あきらめずにその願いを追いつづけようとすること。それはとても不道徳な行為で、世界はそれを許さなかった。 でも今は違う。世界が変わったのだ。 わたしは誰の後ろめたさを感じることもなく、世界のすべてに祝福されながらこのヴァージンロードを歩いている。 その先で優しくわたしを迎えてくれるのは、学生時代からずっと一途に想いつづけていた彼――。と、その妻。 妻の差し出した二本のマリッジリング。それぞれ一本ずつにハート型の装飾があり、二つを重ねると四つ葉のクローバーになるデザインは二人で決めた。彼はその一つをわたしの左手薬指にすっと通した。全身から幸せという幸せがあふれ出しておさえきれない。わたしはもう一つの指輪を手にとり、彼の左手薬指に通す。彼の薬指に二本目のマリッジリングが一本目のリングの隣でキラキラと輝く。 誓いを立て、二人はめでたく結婚することになった。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第2話
ホテルに併設したチャペルでの式を終えたわたしたちはそのままホテルの披露宴会場へと移動する。披露宴会場の高座の中心には花嫁であるわたし悠里朋絵改め重光朋絵と、その隣には新郎重光正輝。そしてそのもう一つ向こうには学生時代からの親友である重光空良。五年前に結婚した彼女はコバルトブルーのカクテルドレスに身を包む。背中の大きく開いたそのシックなデザインは知的でスタイリッシュな彼女にぴったりのドレスだ。だけど、今日の主役はわたしだ。純白のレースのドレスは主役であるわたしだけに許された特権。昨今、二五を過ぎればすでに行き遅れだとか負け組だとか言われる最中、二八にしてようやくつかんだ主役の座。結婚披露宴の司会進行役の女性は四〇代と思われるベテランな口調ではあるが、何分このような結婚式のスタイルは未だ不慣れな様子で、流暢な口調ながらも時々ではあるが信仰に戸惑う様子が見られる。一方、わたしの主人(言って少し照れる)と共同経営者である折田さんという代表取締役は「新しい時代を担う若者たちの希望に満ちた未来を象徴したような結婚だ」と言葉詰まることなく乾杯の音頭を取った。さすがに人とは違った目線でベンチャー企業を立ち上げる人物だと感嘆する。披露宴が始まって初めて気づいたこと。それは結婚披露宴がこんなに忙しいなんて知らなかったということだ。次から次へとこなすイベントとあいさつに、お色直し。目の前に次々と出てきては、手をつける間もなくさげられてしまう料理に名残惜しさを感じてしまう。彼の一つ向こうに座る親友の空には少しばかりの時間の余裕もあり、料理を楽しむ姿にまたしても嫉妬してしまう。わたしと言う女はつくづく人が持っている物に対してうらやましがるのだ。照明が落とされ、スライドショーが始まる。となりで旦那様(これも言ってみたかった!)は今こそチャンスと目の前に並べられた料理を次々とかきこむ。わたしは無理をして閉めたコルセットがたたってあまり食べる気にもなれず目の前に映し出されるこれまでの新郎と新婦の半生を巡るスライドショーが映し出される。まずは一枚目の写真。二八年前にこの世に多くの人の愛に囲まれてこの世に誕生したわたしと新郎の正輝さん。今とは色々なものがちがったであろうこの時代ではあるが、いつの時代でも決して変わることのないもの。それはこの世に生まれてくる全ての命が両親に、そして世界に愛されてい
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第3話
小学校の入学式での写真。わたしの両脇には仲睦まじい様子の両親がにっこりとほほ笑み、すくすくと育つわたしの姿に幸福を感じている。とても幸せだったころの写真。三人でそろってとった最後の写真。このしばらく後で両親は離婚をした。「永遠の愛なんて存在しなかった」 子供心に、母のつぶやいた言葉が突き刺さった。 母は女手一つでわたしを育て、遠く離れた父は別の家庭を築いているが、わたしとは時々連絡を取り合っている。決して、父はわたしをキライになんてなっていない。それどころか今でもとても愛してくれている。 父はわたしと一緒にヴァージンロードを歩きたかったのだろうが、父は自ら自分にその資格はないと断った。 新時代の結婚式だからこそ、そういうのも悪くないといい、今日の結婚式には参加しなかった。それが、愛していないことではないのは言うまでもない。 愛しているからこそのけじめというものだろう。高校生時代の写真。いよいよ別々だったわたし達の生活がひとつに重なり始める。写真の風景は何でもない教室の風景。左奥の隅っこにいるわたしが、写真の中央に写っている正輝さんに想いを寄せていただなんて、きっとこの時は誰も気づいてなどいなかっただろう。気配を消すことが上手かったわたしは、自分の本心を隠すのも上手かった。いつも明るく朗らかな彼はクラスの人気者で、笑うと顔にくしゃっと皺が寄る。そのとき不意に見せる幼い表情が特徴的で、内気なわたしは友達になるどころか声を掛けることすらままならなかったが、ただ遠くで眺めているだけで幸せを感じられることができた。そんなわたしにも、友達と言える存在があった。加藤空良(かとうそら)と言うその女子生徒は男女誰とでも分け隔てなく仲良くなれるタイプの少女だった。なんで彼女のようなタイプの女性がわたしなんかと仲良くしてくれるのか、それが理解できなかった。あるいは理由なんて存在しないのかもしれない。そんな理由をいちいち考えてしまうからわたしは友達ができないのだと考え始めていたころだった。ある日、わたしは空良と街に出かけた時、偶然街中で重光君(当時はまだ正輝さんなんて呼んでいなかった)に出会った。本来ならば街で出会ったとしても彼がわたしなんかに声を掛けてくるとは考えにくい。同じクラスとはいえ、わたしと重光君との間で会話が取り交わされたことはほとんどない。にもかかわらず声を掛けてきたのは
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第4話
「あれ? 加藤じゃん。偶然だな。なにしてんの?」 ――隣に立っているわたしに一瞥しただけで空良に話しかける重光君。本当は偶然なんかじゃない。その日、重光君がそこに行くことを友達と話していることを聞いたわたしが空良を誘って出かけたのだ。こんな風に偶然を装って出会えるように。「ねえ、せっかくだからどっかに座って話でもしようよ」 ――ずっとわたしが言いたくても言えなかったような言葉を空良は出会い頭一分で言ってしまう。「あたし、重光君のこと好きになっちゃった」その日の帰り道。空良は重光君のことを好きになったと宣言した。 悪いのはわたし。初めに空良に自分が重光君のことを好きだと言っておけばこんなことにはならなかったかもしれない。だけれども空良の気持ちがすでに動き始めた今更となっては「自分も重光君のことが好きだ」だなんてとてもじゃないが言い出せない。それはあきらかに卑怯だ。 二人は間もなく恋人同士になった。わたしはそれを祝福した。せつない想いだったけれども、うれしくもあった。重光君のことは好きだったけれども、それ以上に空良のことが好きだった。 二人の幸せを壊すつもりなんてなかったし、壊さないままでわたしは重光君とも、空良とも一緒に居られることができるのだ。そんな幸せなことはない。 ちょうどその時期。マスコミでは毎日のように話題にされているのが『出産軽減税率』だった。独身者から重い所得税をとり、その税金を育児家庭の支援に回すというものだ。とあるアンケートの結果、二十代の男性のおよそ30パーセントが将来、結婚を希望しないと答えた。これは結婚、育児をすることによってかかる費用と労力を考えれば致し方のない事なのかもしれない。結婚などせず、自分で稼いだお金を自分のためにだけ使い、将来的に子供に残してやろうなどと考えなければ、それほどの収入がなくとも裕福な生活ができる。少なくとも既婚者に比べれば……  世間の意見は賛否両論あったようだけれども、当時高校生だったわたしの周りではおよその意見が『賛成』派だった。その頃は誰だって自分が生涯独身だなんて考えてもいなかっただろうし、税金を支払うという立場でもなかった。 それにわたし自身、特別な理由もなく子供を産まない人生を選ぶ人間はずるいと思っていた。自分自身のためだけにお金を使い子供を育てることの苦労もないまま悠々自適にその反省を過ごした
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第5話
 そのころ、高校を卒業とともに就職した友人たちからは悲鳴のような声が聞こえてきた。 出産軽減税率に伴う独身者の所得税負担額は想像を超えた額だった。ましてや新卒の少ない初任給から税金を引かれてしまうと残りの金額はすずめの涙だった。 世間の流れは自然と学生結婚を推奨する流れに変わっていった。マスコミではこぞって結婚、出産をして重税から逃れる道を推奨。結果。なるべく学生時代に結婚相手をを見つけ、卒業とともに結婚、そして出産。少しでも早く独身の重税地獄から抜け出すために大学生は学業そっちのけで婚活を始めた。 新卒の大学生の女子は就職を選ばないものも多い。新卒の初任給よりも結婚、出産した場合の育児給付金の方が多い。それに新卒女子社員はなるべく早くに結婚、出産して退職しようとするものが多く、そのため男女間の就職の不平等化はより深刻になった。 世のフェミニストたちの多くは声高らかに政治批判を行ったが、世間の目はフェミニストに対し、『結婚できないことに対する僻み』という目で見た。声をあげればあげるほどに負け犬感の強まる状態に、次第にフェミニストたちの声は小さくなっていく。本質を突けば、フェミニストの多くは男女不平等に声を上げることによって『弱者たる女性の代弁者』あるいは『デキるオンナ』を装って自己満足を味わいたいだけのものが多く、『負け犬』とみられることを良しとはしない。そんなことに心血を注ぐ暇があるならば一刻も早くいい相手を見つけなくてはならないと感じるだけだ。 『女性はなるべく早く出産し、育児を終えてから就職した方が有利だ』という見出しが雑誌の紙面の多くを飾った。育児を終えた宣言をしてからの方が就職には有利というのが一般的な認識になっていった。新卒すぐに結婚、出産をした場合、その子が育児給付金がもらえる未就学児を終えるのが大体三十歳前後。それから第二の人生を歩み始めるとしてもまだ十分に若いと言える。一方、新卒で就職の道を選ばない女性が増える分、新卒男性の就職のライバルが減り、比較的恵まれた環境での就職が可能となった。あるいはここまですべてが政府の計画だったのかもしれない。就職氷河期はいとも簡単に終わりを告げ、同時に早くから結婚、出産することを意識させることにより少子化に対する歯止めが急速的に進むことになる。さらに言えば若くして子を産めば、その子もまた早く大人になる。このままい
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第6話
 周りが婚活に必死になっている最中、わたしはひとり余裕を持っていた。大学を卒業すると同時に自分は重光君と結婚するものだと信じていた。言葉にはしていなかったが、彼自身、卒業とともに結婚をするような意思があることを言葉の端々に漂わせていた。 特に就職活動はしていなかった。卒業後はすぐに結婚、出産して育児にめどがついてから本格的に就職をするつもりだった。それが世間一般の平均的な考え方だったし、何よりも男女間での就職格差が生まれてしまった世の中で無理やり就職したところで、出産軽減税率が適応されない給料の手元に残る残金はたかだか知れている。その額よりも出産して、国から受ける育児給付金の方が額が多いうえ、旦那さんの給料の30%が毎月自動的に自分の口座に振り込まれるが、同時に旦那さんの出産軽減税率による所得税の減税額でかなりの額が相殺される(元々の所得が多く、所得税を多く払っている一部のものはかえって増額する事さえある)ことが原因だ。卒業後のわたしは結婚して、子供が生まれるまではパートでやりくりをしようくらいに考えていた。しかし、都会に出ていた空良は違っていた。幼いころからジャーナリズム関係の仕事をすることが夢だった彼女は恋人だった正輝さんと別れてでも都会の大学に進学し、一生懸命頑張っていたのだ。新卒の女性の就職環境は極めて悪かった。ほとんどの女子学生は在学中に結婚相手を決めて卒業とともに結婚、そして出産を迎えることが目標で、結婚せずに就職するものでもなるべく早くに結婚、出産することを考えているものが多い。それにならい企業もいつ辞めるともわからない新卒を雇うつもりなど毛頭なかった。大学四年の夏休み。内定どころかロクに見てももらえないエントリーシートを書きつづける毎日に嫌気がさした空良が傷心で田舎に帰省してきた。就職活動の真っ最中でせわしなくしている重光君に相手にしてもらえていなかったわたしはその夏、空良とふたりで過ごした。どこまでも青くてすきとおった田舎の青空に浮かぶ雲を見上げて、ラムネの瓶を片手に空良は言った。「だめね…… アタシ。あんなに夢だったのに…… 全部捨ててでも叶えたかった夢なのに……」「空良が悪いわけじゃないよ。……きっとこんな時代のせい」「あああ…… どうしよっかな…… これから……」「ねえ、こっち帰っておいでよ。またこっちで一緒に頑張ろう……ねっ」 空良は
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第7話
 ――大切な話がるんだ。 もうその言葉だけでほとんどネタバレしているようなものだ。タイミングから言っても、それが結婚の話だっていうことがわからない人間なんてこの世にいるのだろうか。 わたしは浮かれていた。一番お気に入りのドレスを用意し…… でもそれはいささか派手すぎだと考え直し、落ち着いた清楚系なワンピースでいつもよりも高いヒール、最高のメイクで家を出た。 ビルの最上階にある夜景の見えるレストラン…… ではない。どこのでもあるような街の小さなフレンチレストランだった。それでもこんなところに来るのはいつ振りだったろうか、舞い上がりすぎてせっかくの料理の味を堪能する余裕もなかった。 メイン料理が終わり、デザートに熱々のりんごのスフレがテーブルの上に置かれた。 早速スプーンですくうわたしを尻目に「猫舌だから」と言ってスフレをテーブルに置いたままの正輝さん。いよいよここが正念場と緊張している姿が見て取れる。わたしはあえてそれに気付かないふりでりんごのスフレばかりをみている。「あ!」うわずった、少し大きめの声を出した正輝さん。「あの……」続いたその言葉は対照的にとても小さい声。 ――待っていました。 と心で呟き、「はいっ」と短く返事をした。「け、け、結婚……」「は、はい……」 高鳴る胸の鼓動を必死でこらえつつ、次の言葉をひたすらに待つ。「け、結婚しようと思うんだ……」 正輝さんはうつむいて目を合わせようとしない。「だ、だから……」 だからどうしたいというのだ。はっきりしろ! 男だろ! と心の中でエールを送る。「だ、だから…… 別れてほしい……」「え……………」「け、結婚しようと思うんだ…… そ、空良と…… だ、だから……」 わたしは怒らなかった。 ふたりを祝福した。「そう…… おめでとう……」 そして…… 毎晩泣いて過ごした。 どうにもならないとわかっていながら、どうすることもできない自分の気持ちを追いやる場所なんてどこにもなかった。 半年後、二人の結婚式の日に、わたしは友人代表としてスピーチをした。どんなにきれいなドレスで着飾っていようとも、その純白に勝る色などはどこにもない。空良の白い肌と衣装に映える口紅と、照れて染まった頬の薄桃色だけがいつまでも頭から離れることはなかった。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第8話
 五枚目の写真。気なれないパンツスーツに身を包んだわたしがぎこちない笑顔で笑っている、職員室の中での写真。 公立の高校の非常勤講師として採用されたのはラッキーだった。公立の、そして教師と言う職業柄、世間一般の企業のようにあからさまに男女が不平等な雇用状況は示せない。それもあってこの業界では比較的に女性が活躍している。翌年度には正式雇用されてどうにか生活力もついてきたが、世間の目は冷たい。特に近年若い独身女性教員と言うのは負け組認定されやすい。事実、新卒で結婚できなかった、しなかった女子学生の多くが教師の道を目指す。イメージは悪くなる一方だ。ただでさえ一度社会に出てしまうと結婚が難しくなるというのに…… 正輝と空良とは相変わらず友達でいた。いや、正確に言うなら空良とは友達のまま。正輝とは友達に戻ってそのまま、と言うことになる。結婚した二人は早速子作りに励んでいるようではある。新婚早々3LDKのマンションを購入したのはやがて生まれてくる子供のために十分な広さを確保してのことだ。あとそれに、正輝さんの就職先がなかなかの有名企業だということもある。それでもローンの支払いは大変らしい。夫婦共働きとはいえ子供のいない二人にはそろって重税がのしかかってくる。決して楽とは言い難いだろう。 わたしが給料の手取りが少ないことを嘆いたり、広くて快適そうな新築マンションをほめる度、空良は決まって、「よかったらここで一緒に住まない? 部屋、余ってるし」 と持ちかけてくる。三人で住めば生活がもう少し楽になると考えたのだろうか? 悪い提案ではなかったが、いつか子供が生まれてその時に追い出されるのも癪に障るので断ったが、それではなんだか最近海外のセレブの間で流行っている〝ハーレム婚〟みたいだと思った。 裕福なセレブな男性(あるいは女性)が特定の人と結婚するのではなく、同時に何人もの相手を同時に自分の家に住まわせて共同生活をする、通称ハーレム婚が一部で流行していることをよく耳にしていたが、その時は嫌悪感しか抱いていなかった。 それから三年後、世界中いたるところでハーレム婚が流行していた。きっかけはハリウッドのカリスマ的な人気を誇る若い男性スターが同じ映画で共演した美人女優と、そしてさらに人気モデルと三人でハーレム婚をしていることを公表した。このことで世界でのハーレム婚に対する考え方は一変した。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第9話
 六枚目からの写真は、すべてふたり、あるいは空良を合わせた三人で写っている写真ばかりだ。どれも笑って写っていはいるが、その裏に不穏なものを抱えていたことをこの写真を撮った時、おそらく誰も気づいてはいなかっただろう。 正輝と空良の間に子供はいなかった。相変わらず一緒に住もうと誘われることはあったが断り続けた。しかしながら、時として二人のマンションに遊びに行くことも多くなった。いつの間にか当番制で食事をつくる役割のサイクルに私の名前が入っていた。仕事が終わると空良たちのマンションに行き、食事を済ませてから自宅に帰る。 空良は子供を産むのをあきらめたのかもしれない。そう思うこともしばしばあった。 その頃正輝さんは努めている会社の上司とともに仕事を辞め、ベンチャー企業を立ち上げると言い出した。一流ともいえる企業に就職し、結婚はしたものの、収入が多い分税金も多かった。「働くだけ意味がない」とつぶやいていた正輝さんだったが、どうせなら今の内に一勝負したいと言い出した。出産軽減税率のおかげで高い税金を取られるとはいえ、あくまでそれは収入に比例するものだ。事業を起こして数年は収入が少ないかもしれないが、同時に税金も安くなるし、空良の稼ぎだっていくらかあるうちなら、リスクを背負って勝負するなら今しかないと踏み切った。 空良は空良で最近仕事が面白くてたまらないようだった。会社も空良のことをすぐに子供を産んで退職するだろう社員のリストからはとっくに外しているようだ。多くの仕事をまかせてもらうようになり、県外や、時には海外まで取材に出かけて家を留守にすることが多くなった。  ある夏のことだった。大型の強い台風が日本列島全土を覆った日のことだ。沖縄に取材に行っていた空良は『飛行機が飛ばない』という内容のメールをよこしてきた。夕方頃にはこっちの天気も大荒れになった。横殴りの雨がベランダにを飛び越え窓を激しくたたく。暴風がタワーマンションをゆっくりと揺らしているのを感じながら、多めに用意していたビーフシチューは正輝と二人で食べることになった。「……そんな、無理しなくてもいいよ」「無理してなんかないよ。ただ美味いからお替りしているだけだ」 そんなのは嘘に決まっている。いつもだってそんなに食べなんかしないじゃないか…… なんて思いながらも少しだけ嬉しい。ああ、わたしにもこんな素敵な旦那さんがいた
last updateLast Updated : 2025-07-03
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第10話
 わたしのことをそっと抱きしめた正輝さんの手を振りほどかなかったことは罪だろう。「わたし、もう帰らなきゃ……」 その言葉を言ったから、もうわたしには罪はない。自分にそう言い聞かせることで罪悪感を和らげようとした。「無理だよ…… 電車、とまってるって…… もう、今日は帰れないよ」 台風が過ぎ去り、空が何事もなかったように晴れ渡ると、正輝さんもまるで何もなかったことのように、あの夜のことは忘れてしまっているようだった。 わたしはあの夜のことがどうしても忘れることができなかった。 ――なぜ、愛する人の隣に立つことはひとりにしか許されないのだろうか? 〝愛する人の隣〟は右と左、両方にあるじゃないか…… その時わたしは初めてハーレム婚を肯定した。 もし、許されるならばどんな形だっていい。愛に形なんてはじめから必要じゃない。 その頃。ハリウッドでハーレム婚を流行らせた張本人である映画スターが心臓発作で急死した。子供はいなかった。彼の遺産を巡る裁判では複数の内縁の妻、それら全員が事実上婚姻関係にあったと判決し、それぞれに相続権が与えられた。この判決は世界中でひとつの意識改革をなした。 〝複数の相手が、事実上の婚姻関係にあった〟 法律がそう判断したのだ。 それからしばらくしてフランスで重婚、すなわち一人の人が複数の相手と結婚することを認める法律が誕生した。さすがフランスは愛の国だと思った。フランスでは同性愛の結婚だってもうずっと前から認めている。一夫多妻が認められているイスラム教ならともかく、キリスト教徒の多いフランスではその考えに異論をするものも少なくはなかったが、それを言うなら同性愛婚だって十分にキリスト教の教えには反しているはずだ。時代が進めばきっと意識は変わっていくのだろうと思う。それに比べて日本はまるで駄目なんだろうと思った。同性愛の結婚も認めていなければ、重婚なんてとんでもない事なんだろう。高校の教師をしているわたしはこの問題について、授業で一度生徒たちに意見を言ってもらったことがある。……その答えは、予想を超えてはるかに肯定的な意見であった。若い少年少女たちの間では圧倒的多数で日本でも重婚を認めるべきだという意見が多かった。時代が変わっていくんだということを感じはじめた。いつかはこの国もきっと……
last updateLast Updated : 2025-07-03
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