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後宮の鳥籠、朱き翼を隠して
後宮の鳥籠、朱き翼を隠して
Author: 影山御影

第一話 姫の帳、自由の楔

Author: 影山御影
last update Petsa ng paglalathala: 2026-06-10 16:00:00

夕暮れの庭に、乾いた音が響いた。

 木剣と木剣がぶつかり合い、火花の代わりに鋭い衝撃が空気を震わせる。

「甘い」

 低い声と共に、主人公の握る木剣が弾かれた。

 手のひらが痺れる。

 だが主人公――朱璃(しゅり)は、すぐに体勢を立て直した。乱れた呼吸を整えながら、再び父へ踏み込む。

 夕日に照らされた長い黒髪が背中で揺れた。

 本当なら、切ってしまいたい。

 もっと短く。

 弟のように。

 そんな考えを振り払うように、朱璃は木剣を振るう。

 しかし父の一撃は重い。

 受け止めた瞬間、腕が軋み、木剣が地へ落ちた。

 乾いた音が庭へ響く。

「……参りました」

 膝をつきながらそう言うと、父は小さく息を吐いた。

「動きは悪くない。だが力任せだ」

「はい」

「お前はもっと冷静に相手を見るべきだ」

 そう言って父は木剣を下ろす。

 厳しい人だ。

 だが決して冷たいわけではない。

 幼い頃から、父は朱璃へ剣を教えてきた。

 倭国では、武家の娘も武を学ぶ。

 家を守るため。

 己を律するため。

 だが、それはあくまで“娘として”だった。

「兄上ーっ!」

 庭へ駆け込んできた小さな影に、朱璃は目を瞬かせた。

 淡い桃色の着物を翻しながら飛び込んできたのは、末の妹・琴葉だった。

「兄上、また父上とお稽古してたの!?」

「こら、琴葉」

 朱璃は思わず笑う。

「そんな勢いで走ると転ぶよ」

「だって兄上のお稽古好きなんだもん!」

 無邪気にそう言って、琴葉は朱璃の腕へ抱きつく。

 その後ろから、侍女が困ったように頭を下げた。

「申し訳ございません、姫様。琴葉様、“兄上”ではなく“姉上”ですよ、と何度も――」

「えー」

 琴葉は不満そうに頬を膨らませる。

「でも兄上の方がかっこいいもん」

 一瞬だけ、空気が止まった。

 侍女が困ったように視線を下げる。

 父も何も言わない。

 朱璃は静かに笑った。

「ありがとう、琴葉」

 ただ、それだけ返す。

 胸の奥が少しだけ温かくなる。

 誰にも理解されないことがあっても、琴葉だけは、いつも自然に自分を見てくれる気がした。

「姉さん」

 不意に声がして、朱璃は振り返る。

 廊下の向こうに立っていたのは弟の蒼真だった。

 まだ十五になったばかりだが、既に父に似た鋭い目をしている。

 次期当主として期待されている弟。

 けれど朱璃は知っている。

 蒼真が、本当は優しい人間だということを。

「父上、お客様がお見えです」

「……客?」

 父が眉を寄せる。

 蒼真は小さく頷いた。

「龍蘭帝国からの使者だそうです」

 その瞬間、父の表情が僅かに変わった。

 朱璃はその空気に気付く。

 何かある。

 そう思った時には、既に嫌な予感が胸へ広がっていた。

    ◇

 夜。

 屋敷の大広間には重たい空気が満ちていた。

 倭国の武家らしく質素に整えられた室内。

 その中央に、異国の装束を纏った男が座っている。

 煌びやかな刺繍。

 鮮やかな深紅の衣。

 倭国とは違う空気を纏ったその男は、静かに朱璃を見た。

「こちらが朱璃姫ですか」

 値踏みするような視線。

 朱璃は僅かに眉を寄せた。

「……初めまして、神凪家長女の朱璃と申します。」

 形式通り頭を下げる。

 男は満足そうに笑った。

「龍蘭帝国第三皇子殿下のもとへ嫁がれるには、少々武人らしすぎる気もしますが……顔立ちは美しい」

 朱璃の指先がぴくりと動く。

 父は静かに口を開いた。

「朱璃」

 低い声だった。

「お前に縁談が来た」

 やはり。

 胸の奥が冷えていく。

「相手は龍蘭帝国第三皇子だ。」

 朱璃は黙ったまま父を見る。

「お前は後宮へ入ることになる。」

 その言葉に、琴葉が目を丸くした。

「こうきゅう?」

「琴葉」

 母が優しく制する。

 だが朱璃には、周囲の声が遠く感じられた。

 後宮。

 女たちが、美しさと寵愛を競う場所。

 そんな場所へ、自分が?

「……何故、私なのですか」

 気付けば口にしていた。

「蒼真がいるでしょう」

 空気が変わる。

 父が眉を寄せた。

「朱璃」

「僕は――」

 その言葉を、朱璃は飲み込む。

 違う。

 言ってはいけない。

 ずっとそうやって生きてきた。

「私は、後宮向きではありません」

「これは国のためだ」

 父の声は静かだった。

「龍蘭帝国との関係は重要になる」

「だから僕が行けと?」

「朱璃!」

 父の声が鋭くなる。

 しまった、と思った時には遅かった。

 広間が静まり返る。

 朱璃は唇を噛んだ。

 今、“僕”と言った。

 幼い頃から時々出てしまう癖。

 母が悲しそうに目を伏せる。

 父は深く息を吐いた。

「……お前は姫だ」

 その一言が、胸へ深く刺さる。

「武を学ぶのは良い。だが、それを忘れるな」

 朱璃は拳を握り締めた。

 分かっている。

 父に悪意がないことくらい。

 父は家を守ろうとしているだけだ。

 それでも。

 それでも苦しい。

「……姉さん」

 隣で蒼真が小さく呟く。

 その声に振り返ると、蒼真は俯いたまま言った。

「姉さんの方が、強いのに」

 誰にも聞こえないほど小さな声だった。

 けれど、その言葉は確かに朱璃へ届いた。

 父は気付いていない。

 母も。

 誰も。

 ただ朱璃だけが、蒼真の苦しさを知っていた。

 男として生まれた弟。

 その理由だけで、自分より多くを与えられてしまう弟。

「蒼真」

「……ごめんなさい。」

 朱璃は目を見開く。

「俺が男に生まれただけで、全部俺のものになってしまう。」

 蒼真の拳が震えていた。

「本当は姉さんの方が――」

「やめなさい」

 朱璃は静かに笑った。

「そんな顔しないで」

 その笑顔が、自分でもひどく弱々しく感じた。

 広間の外では、夜風が静かに庭木を揺らしている。

 遠い異国の空を思いながら、朱璃はそっと目を伏せた。

 ――後宮。

 そこへ行けば、自分は“姫”として生きるしかないのだろうか。

 それとも。

 まだ、何かを変えられるのだろうか。

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