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心撃

心撃

By:  白樹(しらき)Completed
Language: Japanese
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私は夫を5年間愛し続けたが、その愛に対して彼からの返事は一切なかった。 私が死んだその翌日、夫は彼の「初恋」である白石美砂のもとへと向かった。 私がこの世から消えた日々、彼はこう皮肉に笑った。「また何か企んでいるのか?」 そして、彼が警察から電話を受け、遺体の確認を求められたとき、彼は私が仕掛けた策略を暴く機会だと思い込んでいた。 だが彼は知らなかった。私がすでに何日も前に亡くなっていたことを。

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Chapter 1

第1話

大晦日、私は最後に一度、裁判所へ行った。

今回は、裁判官が私に息子の親権を取り戻すためにまだ訴えるつもりがあるかどうか尋ねた。

私は首を横に振った。

「訴えを取り下げに来ました。親権はもういいです。離婚に同意します」

夫の江口渡(えぐち わたる)との結婚生活の9年間に、私は6回も裁判に立ち会った。

そして、6回にわたる大晦日を、私は裁判所で過ごすことになったのだ。

喜びは全くなく、ヒステリックな非難だけだった。

私は疲れた。

息子も疲れた。

だから、ついに手放す決心がついた。

今年帰省するための飛行機のチケットも予約した。

裁判官はこれ以上何も尋ねず、離婚協議書を手渡した。

私は署名を終えたばかりだったが、扉が開かれた。

渡と息子だ。

彼らは多分、私がこれまでの6回のように、まだ訴訟を起こすつもりだと思ったのだろう。

渡の口調は氷のように冷たかった。

「7回も訴えたのか?紬希(つむぎ)、本当に根性あるな」

彼は続けて嘲笑した。

「でも今回、お前が負ける。悠斗はもう8歳、誰と一緒にいるか自分で決められるんだ」

息子の江口悠斗(えぐち はると)は渡の後ろに隠れていた。私を見つめるその目には、冷たくよそよそしい光が満ちていた。

彼は迷わず口を開いた。

「僕はパパと詩織さんと一緒にいたい」

私は突然、昨夜神原詩織(かんばら しおり)が送ってきた動画を思い出した。

彼らは大晦日を前倒しで祝い、年越しそばを食べていた。

楽しそうで、まるで三人家族のようだった。

食卓で悠斗は眉をひそめて言った。

「ママのせいで、毎回早めに年越しそばを食べなきゃいけないんだ」

私は違うと悠斗に説明したかった。

毎年の裁判は、渡が仕事で手が離せないと言って大晦日まで延期していただけで、私のせいじゃない。

しかし、次の瞬間、悠斗は続けた。

「こんなに長い間、ママはまるで狂ったように僕たちにまとわりついてる。

こんなママ、本当に嫌い。詩織さんがママだったらよかったのに」

その瞬間、私は説明する気を失った。

6年間の裁判はまるで笑い話のようだ。

私が親権を勝ち取りたいのに、悠斗は最初から私についてくるつもりはなかった。

ましてや、私を母親として認めるつもりもなかった。

だから今、悠斗が私の目の前で、父親と一緒にいたいと言ったとき、私の心はただ麻痺するように痛んだ。

「ちょうどいい、私は訴えを取り下げに来たの。もうあんたはいらない」

悠斗は私がそんなことを言うとは思っていなかったらしく、瞬時に目に怒りが滲んだ。

「うそ!本当に僕が欲しくないなら、ずっとパパを訴えたりしないはずよ!」

私は署名済みの離婚協議書を取り出し、悠斗の親権を自発的に放棄する箇所を指さしながら、冷たく言った。

「さっき署名したばかり。今日は来る必要がなかったこと、言い忘れてたわ」

渡は、私がすでに署名を終えていたとは思わなかった。

しばらくして、彼は口を開いた。

「本当に決めたのか?離婚したら、簡単に悠斗に会えないぞ」

私はうなずいた。

渡と結婚して9年になるが、結婚3年目に私たちは詩織をめぐって離婚騒動を起こした。

あの時、まだ2歳の悠斗が泣きじゃくり、つたない言葉で「ママ、行かないで……」と私にすがってきた。

だから、悠斗のために、私は丸6年も親権を争ってきた。

しかし6年間で、変わったものは多すぎた。

悠斗だけが嫌気をさしていたわけではない。

私も、もう疲れ果てていた。

だから今、私は離婚協議書を渡に差し出した。

「署名しなさい」

私は、あなたたちに自由を返す。

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第1話
「ポタ、ポタ……ドン!」真夜中だった。私は机の上にある、徐々に溶けていく水色のケーキをじっと見つめていた。ケーキの上には一本だけ立てられたロウソクがあり、それもすでに燃え尽きていた。25歳の誕生日は、静かに幕を閉じた。ゆっくりとテーブルの近くに歩み寄り、その忘れ去られたケーキを指で一かけらすくって口に運んだ。「お誕生日おめでとう」自分に向けて、そっとつぶやいた。その後、迷いなくケーキを丸ごとゴミ箱に投げ入れた……深夜、彼が帰ってきた。扉を開けて入ってくる男を見つめながら、私は言った。「お帰りなさい」綾川景人(あやかわ けいと)の冷ややかな視線が私に向けられ、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。「酒ばっか飲んで、他にちゃんとやることないのか?」私は手に持っていたグラスを軽く振りながら、薄く笑った。「お酒を飲むのが、ちゃんとしたことだよ」ふらふらと彼の前まで歩み寄り、「お酒って、いいものよ。ほら、あなたも一口……」と言いながら、グラスを彼の口元に差し出した。とろりとした目で彼を見つめながら、「ねえ、景人も一口どう?」と促した。彼は目を細めて私の手を払いのけた。「もう寝ろ」その勢いで私は危うく床に倒れそうになり、グラスの中の赤ワインも半分以上こぼれた。その一撃で少し目が覚めた私は、グラスを置き、改めて彼の方を振り返った。口元に薄い笑みを浮かべたまま。「今日、私の誕生日なんだよ」その言葉を聞いた景人の目が一瞬だけ止まったが、すぐに何事もなかったように戻った。「誕生日なら、当然プレゼントがいるよね」私は息を吐きながら言った。「あなたがくれないなら、私からあげるよ」そう言って、ソファ横の引き出しから一枚の書類を取り出し、彼に差し出した。「これが私からのプレゼント」彼の目が書類の表紙に止まり、「離婚届」の文字が視界に入ると、眉間にしわが寄った。淡々とした声で言った。「今度は何を考えているんだ?」「私の父が生前、あなたを無理やり縛り付けた。この数年間、本当に申し訳なかった。あなたはずっと初恋の人を思ってたんだよね?だったら彼女のところに行きなよ」私は離婚届を彼の手に押し付け、彼が驚く間もなく、つま先立ちになって彼の唇に軽くキスをした。数秒も経たないうちに、彼は私を強く押し返した。その拍子
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第2話
昼近くになり、いつもの癖で時計を見た。この五年間、毎日欠かさず景人の会社に昼食を届けていたが、今日は来なかった。秘書の高橋美優(たかはし みゆ)は何かを察したようで、すぐに景人に外部から昼食を取り寄せた。三十分後、注文した食事が届いた。「藤沢社長、先にお昼をどうぞ」美優は昼食を置くと、すぐに部屋を出ていった。景人が手元の仕事を片付けたのはそれから十分後のことだった。彼は弁当箱を開け、一口食べて少し眉をひそめた。どうやら、味が違うことに気づいたようだった。彼は数口だけ食べて弁当を脇に置いた。机の上のスマホが振動し、私はその画面を覗き込んだ。表示された名前は見覚えのあるものだった。景人の目は相変わらず書類に向けられたままだったが、スマホを手に取り、通話ボタンを押した。「景人、もう仕事終わった?」景人は視線を画面に落とし、少し口角を上げた。「うん、大体終わったよ」「じゃあ、今夜一緒にご飯食べない?」景人は机の上の書類を見たまま、静かに答えた。「いいよ」景人はペースを上げ、手元の書類を処理すると会社を後にした。銀星インターナショナルホテル。景人の車が遠くから駐車場に入っていくと、白石美砂(しらいし みさ)は身につけたドレスの裾を整え、微笑みながら彼の到着を待っていた。「景人」景人は車の鍵を門番に渡し、美砂の方へ歩み寄った。「待たせた?」美砂は自然な仕草で彼の腕に手を添え、優しく答えた。「ううん、私も今着いたところよ」景人の腕は一瞬硬直したが、すぐに何事もなかったかのように戻った。二人はホテル三階のフレンチレストランに向かった。景人は紳士的な仕草で美砂の椅子を引き、彼女が好きそうな料理をいくつか注文した。これを見て、私は笑いたくなった。景人は私には一度もこんなことをしてくれなかったのに。私が一生懸命料理を作り、期待の眼差しで彼を見つめても、彼はいつも冷たく言ったものだ。「雪奈、少しは自尊心を持てよ。そんな無駄なこと、いい加減やめろ」美砂は上機嫌のようで、ずっと柔らかな微笑みを浮かべていた。豪華な料理が次々と運ばれる中、彼女は女性らしい控えめな態度を保ちながら、時折彼に料理を取り分けていた。景人は視線を上げて美砂を見つめ、優しい声で尋ねた。「体調はもう良くなった?」ま
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第3話
「いつも俺のことを束縛してきて、ほんとにうんざりだ!」美砂はずっと景人のそばに付き添いながら、どうやら彼の独り言を耳にしたようだった。彼女の顔色が一瞬曇り、細い腰に両腕を回して、優しい声で宥めた。「景人、もうあなたたちは離婚したのよ。今はもう誰にも束縛されることなんてないよ。だから、禁酒だとか早く帰るとか、そんな約束を守る必要もないのよ」「離婚?」景人は少し目を閉じ、微笑んだ。「ああ、離婚だ。俺たちはもう離婚した……」そうだ、私たちは離婚したのだ。彼の嬉しそうな顔を見て、私は改めて悟った。こんなにも長い間彼を愛してきたけれど、結局その愛は一片の見返りも得られなかったのだ。景人はふらふらと他の人から渡された酒を受け取り、一気に飲み干した。少量の酒が彼の口元から喉元へと流れ落ちていった。美砂はその瞬間、まるで悪魔のように魅惑的な景人の姿を見つめ、思わず唇を噛んだ。「はいはい、それくらいで終わりにしましょうね」彼女はちょうどいいタイミングで他の人が差し出してきた酒を制しながら言った。「もう今日はここまでにしましょう、景人は酔っちゃったから、私が休ませるよ」そう言うと、美砂は景人を支えながら、ゆっくりと個室を後にした。景人は一言も発さず、美砂に付き添われながら個室を出て、エレベーターで60階に向かった。「ほら、景人、足元気を付けてね」美砂は景人をある部屋のドアの前まで連れて行き、事前に用意しておいたカードキーを取り出してドアを開けた。「さあ、中に入って」目の前でこれから始まるであろう情景を見せつけられるなんて、私にとってあまりにも残酷だった。二人が部屋に入ると、美砂は景人をベッドに横たえさせ、彼のジャケットを脱がせようとした。その時、景人は突然起き上がり、彼女を突き放した。その深い瞳には多くの感情が読み取れなかった。美砂は一瞬驚いたが、恐る恐る尋ねた。「どうしたの?」「もう一部屋取る」景人は立ち上がったが、朦朧とした頭のせいで足元がふらつき、危うく倒れそうになった。景人はふらふらと歩きながら廊下の出口に向かい、その途中でちょうど歩いていた客室マネージャーにぶつかった。マネージャーに部屋を取らせると、彼は一人でその新しい部屋に入り、扉を軽く閉めた。景人の行動は理解しがたかった。この日を待ち続けていたはずなのに
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第4話
美優は一瞬戸惑ったような顔を見せた後、すぐに答えた。「いいえ、来ていません」景人は目を伏せ、それ以上何も言わなかった。美優の表情には困惑が浮かんでいた。きっと景人はこれまで一度も自分から私のことを尋ねたことがなかったのだろう。いつも私が彼にまとわりついていただけだったのだから。景人は熱いコーヒーを飲み終えると、スマホを置き、新たな仕事に集中し始めた。昼になると、美優は彼のために弁当を注文した。景人は弁当を二口ほど食べた後、またもや眉をひそめた。「この弁当、どこで注文した?」「春風食堂です」美優は少し考えた後、ためらいながら尋ねた。「お口に合いませんか?別のものを注文しましょうか?」「以前の弁当と同じ店なのか?」「……いいえ、違います」「これからは前に注文していた店にしろ」「……」美優は景人を見上げたが、何も言えなかった。景人は彼女を一瞥し、低い声で言った。「できないのか?」美優は心の中で何か葛藤があったのか、少し黙った後、正直に告げた。「以前のお弁当は、すべて奥様が用意していたものです」彼女は緊張した面持ちで続けた。「この数年間、奥様は雨の日も風の日も欠かさず、昼食を届けてくださっていました。社長が召し上がらないのを心配されて、私には絶対に奥様が用意したことを伝えないようにと言われていました。ですので、社長には黙っていました。申し訳ありません、社長。私が勝手に判断してしまいました」これは食べ慣れた味だったから、急に変わると違和感を覚えるのだろう。景人はその言葉を聞いても何も言わず、ただ手を振って美優を下がらせた。彼は目の前の弁当を見つめながら、どこか捉えどころのない表情をしていた。私もその弁当に目を向けると、料理はまあまあ整っているものの、どこか平凡な印象を受けた。以前、私が作った弁当は一つ一つが丁寧に盛り付けられ、特別美味しいとは言えなくても、どこか家庭的で心温まる味があった。景人はもう一度スマホを開き、すべてのメッセージを確認したが、やはり何の連絡もなかった。彼は目を伏せ、しばらく黙った後、スマホを置き、再び仕事に戻った。すべての仕事を片付けた頃には、すでに遅い時間になっていた。景人は時計を見て少し考えた後、車の鍵を手に取り、会社を出た。駐車場で車に乗り込むと、彼は別荘へと車を走
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第5話
しかし、そんなことはなかった。警察署に到着した景人は、黒田綾香が数人の警官の間に立ち、悲しげな表情をしているのを目にした。彼は眉をひそめながら、彼女の方へ歩み寄った。綾香は冷たい目で彼を一瞥し、そばにいる警官に向かって言った。「彼は雪奈の夫です。署名できます」彼女の目は赤く腫れており、泣いた後のようだった。声もかすれている。景人は苛立ったように問いかけた。「一体何をしているんだ?」一人の警官が彼の肩に軽く手を置き、慰めるように言った。「お悔やみ申し上げます」景人の瞳孔が一瞬収縮し、その言葉の意味が理解できない様子だった。「まず遺体を確認してもらいましょう」そう言われ、彼は警官についていくことにした。私は、彼が私の遺体を見たときにどんな表情をするのか、ほんの少しでも悲しむのか、気になって彼らの後を追った。彼らは一つの部屋に入った。そこにはベッドがあり、その上には頭から足まで白い布で覆われた人が横たわっていた。警官が説明した。「遺体はすでに二日間保管されています。この暑い気候では、損傷部分が腐敗し始め、死斑も出ています。間もなく臭いが発生する可能性がありますので、早急に火葬を進めることをお勧めします」「遺体?」景人は困惑した声で言った。「何を言っているのか、よく分からない」警官は低い声で説明した。「奥様は二日前に交通事故で亡くなられました……」その言葉は、彼にとって冗談のように信じがたいものだった。彼は少し困惑した表情を浮かべ、思わず垂れ下がった手を握り締めた。「そんなことが、あるはずがない」彼はベッドの上の人物が私であることを信じられなかった。一歩一歩ベッドに近づき、指先で白布に触れた。布をめくろうとした。一瞬ためらい、少し間を置いてからゆっくりとそれをめくった。景人は目の前の女性をじっと見つめていた。その顔は彼にとって骨の髄まで染み付くほど見覚えのあるものだった。しばらく呆然と立ち尽くし、一言も発さなかった。やはり、彼の視線には私に対するどんな感情も映っていなかった。冷たく無表情なままだった。景人はふと過去を思い出し、問いかけた。「彼女は自殺したというのか?」綾香は冷たく笑った。「そんな偶然があると思う?彼女はあなたに心を壊され、病に身体を壊され、どうしようもなくなったのよ。綾川
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第6話
彼の視線はウェディング写真の中、彼女の愛らしく微笑む顔に戻り、そっとつぶやいた。「ごめん……ごめん……」彼は背を向け、肩が微かに震えていた。「景人、私たちが結婚した後は、私を裏切ることは絶対にしないで。他の女の子と抱き合ったりキスしたりするのは、私以外ではだめよ。わかった?」もしかしたら、この言葉だけは彼の心に残っていたのかもしれない。それで彼は、毎日決まった時間に帰宅していたのだろう。結婚後、最初に迎えた彼の誕生日、私は手編みの薄灰色のマフラーを彼に贈った。2度目の誕生日には、彼の故郷に足を運び、そこで学んだ地元特有の料理を作り、彼に振る舞った。3度目の誕生日には、夜中の12時ちょうどに、自分で作ったケーキを手渡した。しかし、4度目の誕生日……その記憶だけがどこにも見当たらなかった。そうだ、その年の誕生日は、彼と一緒に過ごしていなかったのだ。その日、白石美砂が泣きながら彼に電話をかけた。彼は衝動的に車を飛ばし、別の街にいる彼女に会いに行ったのだった。彼は立ち上がり、クローゼットの隅から、彼女が編んでくれたマフラーを取り出した。そのマフラーを手に取りながら、彼は信じられないような表情を浮かべ、心の奥底に小さな痛みが湧き上がるのを感じたようだった……葬儀の日、薄く小雨が降り注いでいた。黒田綾香は早朝から墓地に現れ、黒い傘を差しながら静かに墓石の前に立っていた。多くの弔問客が次々と墓石の前を訪れては去っていった。最後に残ったのは、藤沢景人と綾香の二人だけだった。景人の瞳は深く沈んでおり、彼の心の中を誰も読み取ることはできなかった。「彼女が癌を患ったのはいつからだ?」綾香は一歩前に出て、写真に降りかかった雨粒を袖で優しく拭いながら答えた。「1週間前、一緒に夕食を食べる約束をしたときのことよ。突然腹痛を訴えて倒れたから、病院に連れて行ったの。その診断結果が出たのは、彼女が亡くなる前日だった。その日、彼女から電話があった。奇妙なことをいくつか言われたけど、問いただしてもはぐらかされたのよ。景人、不治の病の痛みよりも彼女を絶望させたのは、あなたが彼女を愛していなかったことよ」……景人はどうやって家に戻ったのか、自分でもわからなかった。彼は何も言わず、真っ直ぐ階段を上がり、寝室へと入った。
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第7話
使用人の視点:葬儀が終わった後、ご主人は変わった。彼はいつも通り時間通りに出勤し、退勤しているように見え、表面上は変わりないようだった。しかし、秘書の高橋美優が、彼の異変に気付いていた。以前は定時に出勤しても、定時に帰ることは滅多になかった。だが今では、定時になるとすべてを放り出して家に帰るようになった。昼間には、自分で弁当を持参してきていた。その弁当箱は、以前彼が家から持ってきていたものと全く同じだった。例えば、仕事に没頭しているときに秘書がコーヒーを持ってきた隙に、彼は淡々と尋ねた。「雪奈から今日は電話があったか?」美優は一瞬手を止め、「いいえ」と答えた。すると、彼は視線を落とし、自分に聞こえる程度の声で呟いた。「まだ怒ってるのか……」驚いた美優が彼を見つめると、彼はすでに再び仕事に集中していた。彼は毎日、いつも通り会社に出勤し退勤する。そして家に帰ると、夕食を部屋に運ぶよう指示し、必ず二人分を用意させていた。さらに、夜中には酒棚からワインを一本持ち出し、グラスも二つ用意して部屋に戻っていった。その夜も同じようにワインを持って階段を上がる途中、彼はふと足を止めた。彼は傍らに目を向け、微笑みながら言った。「奥さんのためにおつまみを用意してくれ」「かしこまりました」使用人は「おつまみ」という言葉にだけ注意を向けていたが、しばらくしてようやく違和感に気付いた。彼女はぎょっとして震えながら言った。「お、奥様のために準備するんですか?」「景、景人様……」ご主人は腕を組んだまま、視線を横に向けたままで、静かに答えた。「なんだ」彼は振り返り、使用人を見つめると、顔にまだ笑みを浮かべながら言った。「雪奈はお酒を飲むときにおつまみを好むんだ。準備してくれないか」使用人は目をこすりながら、驚きの表情をさらに深めた。「景人様……何を抱きしめていらっしゃるんですか?」景人は眉をひそめ、どこか不機嫌そうな目で言った。「雪奈がここにいるのに、見えないのか?」そう言うと、彼は視線を傍らに戻し、少し黙り込んだ後に独り言を呟いた。「うん、わかってる。別に怒ってるわけじゃない。ただ、君がここにちゃんといるのに、彼女が君を見えていないなんて不思議だと思っただけだ」ご主人は時々人を困惑させるような行動をすることがあ
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