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性悪婚約者に見世物にされた私を連れ去ったのは、黒い噂の財閥会長でした
性悪婚約者に見世物にされた私を連れ去ったのは、黒い噂の財閥会長でした
Author: 東雲桃矢

1話

Author: 東雲桃矢
last update publish date: 2026-06-13 00:11:32

 平日の昼下がり。スーツを着こなした女性が、長い黒髪をなびかせながら高級住宅街を歩く。彼女の名は宝生百合。有名ブランドのデザイナーとして成功した上に、大企業の副社長という肩書をもつ優しくて顔のいい婚約者がいる。

 セレブが多いこの高級住宅街の住人に身近な成功者を聞いたら、多くの人が彼女の名前をあげるだろう。百合は元々、高級住宅街に住めるような身分ではない。富裕層とは縁のない一般家庭で産まれ、物心付く前から、母とふたり暮らしをしていた。

 熊谷矢絃《くまがいやいと》という肩書も顔も完璧な男と婚約し、高級住宅街に住むようになった。彼とは政略結婚の予定ではあるが、矢絃は百合を大事にしてくれている。最近妊娠が発覚すると、少し鬱陶しく感じるほど過保護になった。

 誰もが百合を、「シンデレラのようだ」と羨ましがった。そんな百合が昼下がりに自宅に向かっている理由は、よくある話だ。仕事で急遽別の資料が必要になり、その資料を取りに帰路を歩いている。

 豪邸に着くと、百合はポストを確認する。昔から帰宅したらポストを見るのがクセなのだ。

「あら?」

 時間的にまだ何も入っていないだろうと思っていたが、1通の手紙が入っていた。不思議に思いながらも手紙を手に取る。どうやら百合宛のようだが、封筒に書かれているのは百合の名前のみで、送り主の住所や名前も書かれていなければ、切手も貼られていない。どうやら誰かが、直接ポストに入れたようだ。

「何かしら?」

 手紙の割には少し重さがある。それに、少し固い。入っているのは便箋の類ではないらしい。

 気になってその場で開封してみると、裏返しの写真が何枚か入っている。

(誰かが自分でデザインしたものでも入れたのかしら?)

 天才デザイナーと呼ばれるようになった頃から、デザイナー志望の人間が自分でデザインしたバッグや財布などのサンプルやラフ画、写真を送ってくるようになった。大半が百合がいる会社か、商品を取り扱っている店舗に送られてくる。

 自宅に送られてきたのは初めてだが、交流をしてみると、デザイナーや芸術家を夢見ていた女性がそれなりにいる。きっと彼女達の中の誰かがポストに忍ばせたのだろう。

 写真をめくり、頭が真っ白になった。そこに写っていたのは作品の写真ではなく、矢絃だった。写真の中の矢絃は、金草マキという女性と腕を組み、ラブホテルに入っていく。

 金草マキは社長令嬢で、芸術大学時代の同級生だ。自分が1番でないと気がすまないマキは、いつも教授に褒められ、特別講師として来た現役デザイナーにも認められる百合を毛嫌いし、嫌がらせをしてきた。

 大学を出て会うこともないと思ったが、矢絃と交際して社交界に顔を出すようになると、そこで再会し、会う度に嫌味を言ってきたり、足を踏んできたりする。挙句の果てにはこけたふりをして、食べ物や飲み物を百合にかけてきたりもした。

 それだけでは飽き足らず、人気ブロガーでもあるマキは、ブランド品辛口レビューブログで、百合がデザインした商品を貶したり、パクリだと書いたりしている。

 矢絃はふたりの因縁を理解し、百合の味方だと言ってくれた。実際、会場でマキを見つけると、遭遇しないように離れたところへエスコートしてくれたりもした。

「なんで? どうして?」

 見たくないと思っても、写真をめくる手が止まらない。写真はどれも残酷な不貞行為を写している。路地裏や居酒屋でキスしている写真や、社内の会議室や休憩室などで性行為をしている写真もあった。

(なんで、よりによってマキとなんて……)

「ぐうっ!」

 ショックで真っ白になった百合を現実に引き戻したのは、尋常ではないほどの腹痛。手から滑り落ちた写真は地面に落ち、その上に倒れ込んでしまった。

「い、いたっ……。ああっ!」

「ちょっと、大丈夫!?」

 痛みに悶絶していると、買い物で通りかかった中年女性が買い物袋を投げ出して百合の元に駆け寄る。

「お腹が、赤ちゃんが……!」

「子供がいるの!? 待ってて、すぐ救急車呼ぶから!」

 女性はカバンからスマホを出し、救急車を呼ぶと、投げ出した買い物袋からミネラルウォーターを出す。

「飲めそうなら飲んで。大丈夫、救急車すぐに来るからね!」

 女性は救急車が来るまで、百合のそばにいてくれた。

(矢絃さん、どうして……。よりによって、マキとだなんて……)

 脳裏によぎるのは、先程見た写真の数々。救急隊員の呼びかけには上の空で、絶望しながら病院に搬送される。

 大学病院に運ばれると、治療を施され、病室のベッドに運ばれる。頭の中は不貞行為のことでいっぱいで、どんな治療を施されたのかはほとんど記憶にない。

 無気力で天井を見つめていると、医師が入ってきた。

「残念ながら、流産です……」

「そんな……!」

 百合にとって、お腹の中の赤ちゃんは希望だった。その希望が絶たれ、ショックで過呼吸になる。医師は看護師を呼び、吸入器を使って呼吸を落ち着かせてくれる。

「しばらく、安静にしていてください。なにかあったら、ナースコールを押してくださいね」

 医師はそれだけ言うと、病室から出ていった。

(赤ちゃんが、もういない……)

 流産という言葉と事実が、百合に重くのしかかる。受け入れられずに、動くことすらできない。

 廊下からガシャン! と派手な物音が聞こえ、我に返る。

「もう、気をつけなさいよ」

「すいません」

 新人がやらかしたと想起させる会話が聞こえてくる。

「連絡、しなきゃ……」

 サイドテーブルに置いてあったスマホを手に取ると、矢絃に電話をかける。彼はすぐに電話に出た。

「もしもし、百合? こんな時間にかけてくるなんて珍しいね。どうしたんだい?」

 いつもの優しい声は、今では凶器でしかない。この声でマキにも愛を囁いていたと思うと、胸が張り裂けてしまいそうだ。

「矢絃さん、私、私……!」

「百合? 落ち着いて。何があった? 今、どこにいる?」

「大学病院に……」

「なんだって? 赤ちゃんは、無事なのか?」

 赤ちゃんという言葉に、息が詰まる。流産を伝えたら、彼はどんな反応をするのだろう?

(怖い……)

 それでも、伝えなくてはいけないと分かっていた。不貞行為を問い詰めるためにも……。

「私、流産したの……」

「情けない女だ」

 返ってきたのは嘲笑うような声。その声に怒りが込み上げてくる。

「情けないですって!? 私がどうして流産したと思う!? あなたがマキと不倫してる写真を見たせいで……!」

「写真だと? くだらん。そっちには行ってやる。それまでに冷静になって、本当に悪いのは誰か考えるんだな」

 電話は一方的に切られてしまう。百合はベッドに身を預けた。ただでさえ心も体もボロボロなのに、怒りをぶちまけたせいで余計に悪化したような気がする。

「どうして。こんな……」

 百合は空になった腹部に手を添え、静かに涙を流す。

 30分も経たないうちに、矢絃が来た。彼は病室に入るなり、百合を平手打ちする。

「いっ……! くぅ……!」

 叩かれた頬は、痛みの後にじんわり熱を持つ。

「何が俺とマキのせいだ! お前が弱いから流産したんだろうが! 俺とマキに責任転嫁するな。この恥知らずが」

「なんですって……!」

 暴言を吐き捨てられ、再び怒りがこみ上げる。矢絃の言い分はあまりにも身勝手だ。彼が不貞行為などしなければ、百合は幸せのまま過ごせたし、赤ちゃんを失うこともなかったのだから。

「お前も、お前の母親も、うちに養われている身だ。自分の立場をよくわきまえろ」

 その言葉に、百合は唇を噛みしめる。あの豪邸に住めるのは、彼の言う通り矢絃のおかげではある。押し黙る百合を見て、矢絃は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。怒りが頂点に達した百合は、口を開く。

「あなたと別れる! 婚約解消よ。慰謝料も請求するわ。結婚してなくても、婚約関係にあるなら、請求できるんだから!」

 百合が婚約解消を言い渡しても、矢絃は笑ったまま。

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