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76話

Auteur: 東雲桃矢
last update Date de publication: 2026-08-18 11:00:46

「えぇ、分かったわ。ごゆっくり」

 百合は秋明に笑いかけてから、書斎から出る。

 足音が遠ざかるのを聞いた秋明は、書斎の鍵を閉める。

「油断した……」

 ため息をつき、椅子に座って鍵付きの引き出しを開ける。中には大事な写真と書類が入っている。紫苑さえ知らない最重要物だ。

「アレグリア……。まだ時間がかかりそうだが、いつか必ず……!」

 封筒の中身をデスクの上に広げる。そこには書類と数枚の写真が入っていた。店の前で微笑み合う宝生夫妻の写真や、まだ赤子の百合の写真。幼稚園に入園した時の写真まである。

 秋明はそれらをしばらく眺めた後、封筒にしまって引き出しに戻した。

「場所を変えないとな……。まだ、百合に知られるわけにはいかない」

 秋明は紫苑にメールをし、会長室に置く金庫を購入しておくように指示した。

「さて…&hell

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    「お店?」 百合の言葉に、紫苑は小首をかしげる。「それとも道路だったかしら? 秋明さんの車、放置されてるの……」 思い出そうとするが、焦っていたせいで正確な位置は思い出せない。「でしたら、回収しに行きましょうか。奥様、秋明様のお車の運転、頼めますか?」 うなずきたいところだが、百合は軽自動車しか乗ったことがない。そんな自分が左ハンドルの大きな車を乗れるとは思えなかった。「ごめんなさい、自信がないわ……」「左ハンドルですからね。それなら、ルリとマリに回収してもらいましょう。少々お待ちを」 紫苑はスマホで双子に連絡を入れる。「おまたせしました。行きましょうか」「そうね」 紫苑の車で帰宅すると、双子が庭で待っていた。「ルリ、マリ。秋明様の車をお願いします」「いいですけど、どのへんにあるんですか?」「私が教えるわ」 百合がだいたいの場所を教えると、双子は紫苑から鍵を受け取って車を回収しに行った。 紫苑と共に家の中に入ると、彼は紅茶を淹れてくれる。「どうぞ」「ありがとう」 紅茶をひと口飲み、息を吐いて気持ちを落ち着かせる。「そうね、どこから話そうかしら」 揺れる紅茶を眺めながら、ぽつりと呟くように言う。百合は紫苑がどこまで知っているのかを、把握していない。「私がストーカーされてた話って、秋明さんから聞いてた?」「ストーカー? 初耳です」 紫苑の表情が険しくなる。紫苑になら話しているとてっきり思っていたものだから、百合は意外に思った。「気付いた時から、1ヶ月も経ってないと思うわ。誰かにつけられてるような気配があったの。それで秋明さんに相談したら、習い事をリモートでできるようにしてくれたり、出かける時は、双子ちゃんのどちらかを連れて行くように言ってくれて……」「なるほど、双子に頼んだから、私に声をかけなかったのでしょう。犯人は、そのストーカーだったのですか?」「分からない……。けど、関係があると思うの」「奥様は、加害者の顔を見たんですよね? どんな人だったんですか?」「熊谷矢絃よ。あの人、私を誘拐しようとしたの。秋明さんは、私を助けようとして、あんな怪我を……」「熊谷が……。奥様も大変でしたね。本日は、どうぞごゆっくりお休みください。私なりに調査してみますので」 一礼して出ていこうとする紫苑の腕を、百合は咄嗟に掴んだ

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    「契約を破る気か?」 秋明は百合を睨みつけるが、百合にはどうすることもできない。「そうやって奥様を脅さないでください。奥様、ダメですからね」「えっと……」 百合はふたりを交互に見てオロオロする。百合としては休んでほしいし、腕を怪我しているのにパソコン作業などしたら、治りが遅くなるような気がする。だが、持ってこなければ契約違反だ。「分かりました、こうしましょう。お医者様に聞いて、OKが出たら持ってきます」「いいだろう」「奥様、もう少ししたらお医者様が説明をしに来ますので、お待ち下さい」「分かったわ。秋明さん。私としては契約違反するつもりはないけど、無理をしてほしくないの」 秋明を見つめながらお願いすると、彼は諦めたようにため息をつく。「分かった、休めばいいんだろ」「ふふ、奥様には弱いんですね」 紫苑が楽しそうに言うと、秋明は顔をしかめる。「勘違いするな。これ以上心配されても鬱陶しいから休むんだ」「素直じゃないんですから」「おい、ニヤニヤするな」 百合はあたたかい目でふたりを見る。紫苑といる秋明はいつもより子供っぽくて人間味がある。仕事中の冷たい秋明や、外面を良くするために演技をしている秋明よりも、今の秋明の方が好感が持てる。「着替え、持ってきましょうか?」「一晩様子を見るだけだからいい。それより、警察に言ったりするなよ」 秋明に言われ、警察に通報していなかったことを思い出す。大量の血を見て、とにかく秋明を助けなければと必死で、すっかり忘れていたのである。「警察のこと、忘れてたわ」「そのままでいろ。自分でどうにかする」「分かったわ」「随分素直だな。警察に行けと騒ぐと思ったが」 秋明は不思議そうに百合を見上げる。「だって、あなたには自分でどうにかする力があるもの。前の職場の件がニュースにならなかったのも、秋明さんの力なんじゃない?」

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    「分かりました。では、まずはあなたのご両親についてお聞かせください」「はい……」 百合は知っていることをすべて探偵に話した。探偵はメモをしながら話を聞く。「なるほど……。何か分かったら連絡します」「お願いします」 百合は探偵に一礼すると、探偵事務所を後にしてまっすぐ帰る。(これで何か分かればいいけど……) 不安を胸に車を走らせる。百合は財閥が持つ紋章の意味を知らない。紋章どころか、家紋の知識すらない。 同じ紋章ということは、血縁者の可能性もある。なんとなくそんな気がしている。もし万が一、秋明と血の繋がりがあったらと思うと、気が気でなかった。 3日後、探偵事務所から連絡が来た。仕事帰りに探偵事務所に行く。「この獅子の紋章は、財閥一族の紋章だということが分かりました」「一族? それって、血縁者ってことですか?」「いえ、財閥の一族は少々特殊でして。一族というより、連合や同盟と言ったほうが分かりやすいかもしれませんね」「同盟?」「はい。例えば、A家とB家は、赤の他人ですが、思想が同じです。両家は助け合うことを誓い、同じ紋章を持つ、といった感じですかね」 探偵の説明に、百合は安堵する。どうやら秋明とは血の繋がりはないようだ。だが、ひとつ新しい疑問が生じる。「ということは、母さんは、財閥令嬢だったってこと、ですか?」「えぇ、そうです。現在分かっているのはそれだけで、あなたのお母様が分家の人間なのか、本家の人間なのかはまだ分かりませんが……。藤子様のお父様、百合さんのお祖父様ですね。お祖父様は宝石店を起ち上げ、成功を収めていたそうです」「宝石店? それに本家に分家って?」 宝石店と聞いて、秋明が百合にやたらジュエリーデザイナーにならないか聞いてきたことを思い出す。(そのことと関係があるのかしら?)「一族のリーダーを本家、それ以外を分家と呼ぶんです。宝石店の方ですが、店の名前などはまだ不明ですが、成功していたというのに、忽然と消えたのですよ。ですので、情報を集めるのが少々困難でして」 百合は100万円をテーブルの上に置く。これは百合の貯金から捻出した100万円だ。秋明のことを調べるのに、彼からもらったお金を使うのは気が引けた。「お金はいくらでも払います。徹底的に調べてください」「分かりました。何か掴めたら、またご連絡します」「お願

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     平日の昼下がり。スーツを着こなした女性が、長い黒髪をなびかせながら高級住宅街を歩く。彼女の名は宝生百合。有名ブランドのデザイナーとして成功した上に、大企業の副社長という肩書をもつ優しくて顔のいい婚約者がいる。 セレブが多いこの高級住宅街の住人に身近な成功者を聞いたら、多くの人が彼女の名前をあげるだろう。百合は元々、高級住宅街に住めるような身分ではない。富裕層とは縁のない一般家庭で産まれ、物心付く前から、母とふたり暮らしをしていた。 熊谷矢絃《くまがいやいと》という肩書も顔も完璧な男と婚約し、高級住宅街に住むようになった。彼とは政略結婚の予定ではあるが、矢絃は百合を大事にしてくれている。

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