เข้าสู่ระบบ百合は疲れ切った顔で家に帰る。あの後、秋明と情報を共有していて遅くなってしまった。彼は百合が矢絃の家に住んでいると知ると、新しい家を用意するからすぐに出られるようにしろと言っていた。
これは百合にとって嬉しい話だ。1秒でもはやく、この家から出たいと思っている。(色々話したいけど、母さんはもう、寝てるだろうな……)
腕時計を見ると、もう12時になろうとしている。早朝から仕事がある母はきっと寝ているはずだ。
(私も、シャワー浴びてはやく寝よう……)
自室に戻ることを考えながら玄関の前に立つと、ドアが開いた。
「母さん……!」
「おかえり、百合」
パジャマにカーディガンを羽織った母・藤子が玄関を開けて出迎えてくれた。
「母さん、起きてたの?」 「矢絃さんが、他の子を婚約者として発表するって言ってるのを聞いてしまったの。そんなこと聞いたら、心配で眠れないわ」 藤子は力なく笑う。その笑みが百合の胸を締め付けた。 「母さん。私達、近いうちにここを出ることになるわ」 「どういうこと?」「詳しい話は、私の部屋でしましょう」
百合は家の中を見回す。寒々しい廊下には誰もいないが、どこで他の使用人達が耳をそばだてているか分かったものではない。
「お母さんは先に部屋で待ってるから、お風呂入ってきなさい。着替えも用意してあるから、そのまま行って」
「ありがとう、母さん。カバン、お願いね」
百合はカバンを藤子に預けると、浴室に向かった。温かい風呂に入ると、緊張して固まっていた心と体がほぐれていく。気に食わない男の家であることが腹立たしいが、足を伸ばして入れる浴槽が、百合を回復させた。
風呂から出ると、髪をざっと乾かして部屋に戻る。藤子が冷たいお茶を用意して待っててくれた。
「喉渇いてるでしょ?」
「ありがとう、母さん」
お茶を半分飲み干すと、冷たい液体が胃に落ち、体内が潤っていく感じがする。お茶を注ぎ直してテーブルを挟んで母の向かいに腰を落ち着ける。
「実はね……」
百合は藤子に今日の出来事を説明した。矢絃がマキと婚約発表したこと、秋明が2年の契約結婚を持ちかけたこと。そしてその条件で藤子が自由になること。 「私、この話に乗ろうと思う」 「百合! ダメよ、そんなこと……」 「どうして!? このままじゃ母さんは、一生あの人達の言いなりじゃない!」 「それでいいの。百合、私のことは気にしないで。あなただけでもここから出て、自分の幸せを追いかけなさい」藤子は怯えたような、諦めたような顔をしていた。
(こんな顔、母さんにさせたくない。絶対、ここから連れ出さないと)
「なんで、そんなこと言うの……?」 「契約書をちゃんと読まなかった私が悪いの。矢絃さんがあんなひどい人だと見抜けなかったのも私。私のせいで、百合につらい思いさせちゃったわね」 「母さん……」 まさか母がこんなに自分を責めていたなんて、思ってもみなかった。それでも藤子には、幸せになってほしい。彼女は多くの苦難を乗り越えながら、百合を専門学校まで行かせてくれた。今の百合があるのは、藤子のおかげだ。 「母さん、もうあの人たちの足元で生きるわけにはいかない。妻夫木秋明は別の深淵かもしれない。でも、これが唯一、そこから抜け出すチャンスなの。私はこのチャンスに賭けたい」 「百合……」 藤子は苦しそうに百合を見つめる。どうすれば安心してもらえるか考えていると、無遠慮な足音が聞こえ、乱暴にドアが開けられた。 怒りで目をギラつかせた矢絃は、部屋に入ってくるなり、百合の首を掴む。「あがっ、ぐうぅ!」
「やめて!」
「うるせぇババア!」
百合が苦しくてもがくと、藤子が助けようと矢絃の手を掴む。矢絃は藤子を突き飛ばし、百合に顔をぐっと近づけた。
「お前があの男とどんな話をしていたのか知らない。だが、ここから出ていくつもりなんだろ? さっき聞こえたぞ」
百合はせめてもの抵抗で押し黙り、睨みつける。 「情けで教えてやる。お前にまったく情がないってわけじゃないしな。夫木秋明は、人を骨までしゃぶり尽くす男だ。アイツに救いを求めてついて行って、地獄に落ちた奴は何人もいる。お前なんか二週間ももたないぞ!」 矢絃は投げ捨てるように百合を開放すると、乱暴にドアを閉めて出ていく。 「百合、大丈夫!?」 「私は平気よ」藤子に抱えられながら身を起こし、お茶を飲む。矢絃に喉を掴まれたダメージが、少しだけマシになった気がする。
「やっぱり、ここにいるわ。私が我慢すればいいだけなんだから」 「それは絶対ダメ! 私に任せて。今度は私が母さんを助ける番」「でも……」
「これだけは譲れない。私が、母さんを守るから」
百合は藤子を抱きしめる。これ以上母に、しなくていい苦労をさせたくない。
「部屋まで送るわ」
「ありがとう、百合。けど、無理はしないで……」
「大丈夫だから。おやすみ、母さん」
藤子を部屋まで送ると、自室に戻る。スマホを充電してから、ベッドに潜り込む。
「大丈夫、全部うまく行く」
百合は自分にそう言い聞かせると、目を閉じた。
翌朝、起きてスマホを確認すると、秋明からメールが届いている。朝10時、矢絃の会社の前で待つようにとのこと。「何をするつもりなのかしら?」
気になりはするが、昨晩話した感じだと、彼は詮索されるのを嫌う。百合は了承の返信だけすると、職場に休むと連絡をし、身支度を整えた。
朝食を食べてから、少しはやめに熊谷グループのビルに向かう。熊谷グループは矢絃の父が経営している大手企業だ。ブティックやジュエリーショップをメインに、様々な事業を展開しているらしいが、百合は詳細を知らないし、知りたくもない。
ビルの前には秋明の他に、スーツを着た男が数名おり、物々しい雰囲気だ。声をかけることをためらっていると、百合に気づいた秋明が手招きをする。
「来たか。早かったな」
「何をするつもり? この人達は?」
「弁護士とボディガードだ。いい報告を聞かせてやれる。ところで、このビルに入ったことは?」
「えぇ、何度かあるわ」
「それなら、休憩スペースがどこにあるか分かるな?」
「1階、3階、5階に」
「1階の休憩スペースで待ってろ」
「あなたは、何をするの?」
「お前は俺を信じて待っていればいい」
秋明は百合の唇にキスをすると、彼女の腰に手を回して歩き出す。ビルに入ると、受付嬢が目を丸くしてこちらを見ている。
「百合、休憩スペースで待っててくれるか?」
秋明は甘い恋人の顔になり、百合に笑いかける。百合は驚きながらも頷き、休憩スペースに向かうフリをして、物陰に隠れて受付を見る。
受付嬢と2、3やり取りをすると、受付嬢と共にエレベーターに乗る。彼らが何階に行くかは見当はつけど、尾行は危ない。
百合は休憩スペースで大人しく待つことにした。
事態は想像よりも遥かに進んだらしく、10数分もすると、秋明からメールが届く。
『受付前で待っててくれ。すぐ向かう』
指示通り受付前に行く。2分もするとエレベーターが開き、秋明、弁護士、ボディガードと、矢絃が出てきた。
「なんで、矢絃さんが? どういうこと……?」
「熊谷、彼女に言うことがあるだろ?」
秋明が矢絃に声を掛けると、ボディガードのひとりが矢絃の背中を押す。矢絃は百合の前に立つと、深々と頭を下げた。
「すまなかった……」
「え……?」
あのプライドエベレストの矢絃が、ずっと見下していた百合に頭を下げた。想定外のことに、百合は困惑する。
「他に、言うことあるよな?」
「君と、君の母親を解放する。違約金も、無しだ」
顔を上げた矢絃は、悔しそうな顔でそれだけ言うと、踵を返して再びエレベーターに乗った。
「なにがあったの……?」
聞いてみても、秋明は涼しい顔をするだけで、答えてくれない。
数日後、秋明が退院して帰ってきた。紫苑が付き添いと荷物持ちをし、一緒に家に入ってくる。「おかえりなさい、秋明さん。帰って来るなら、連絡くれればよかったのに」「色々立て込んでてな。百合、少し話がある。リビングに行くぞ」「え? えぇ」 百合は戸惑いながらも秋明と共にリビングへ行く。ルリがすかさず3人分のお茶を持ってきた。少し遅れて紫苑が来ると、秋明は自分の向いに座るように促した。「紫苑、お前も座れ」「はい」 秘書である紫苑が座ることは滅多にない。百合はとんでもないことが起きているのだと身構える。「実はここ数日、妻夫木財閥が抱える会社の売上や株が、ほぼ同時に下がっていてな」 秋明は紫苑に目配せをする。紫苑は小さくうなずき、口を開く。「各社の責任者達に聞いた結果、優秀な社員達が次々に辞めているんです。そちらも、示し合わせたように、同時期に……」「それって、誰かが裏で辞めるように仕向けてるってこと?」 百合の問いに、秋明がうなずく。「どうやら、そうらしい。まだ、しっかりした証拠は出てきていないが、幹部の山本五郎という男が怪しい。専属の探偵に調べさせているところだ。まだ推測の域を出ないが、山本が他社と組んで、引き抜きに協力している可能性が他界。」「ねぇ、どうして私にそんな話を? 会社の話をされても、私には知識なんてないわ……」 できることなら力になりたいが、一介のファッションデザイナーが出る幕ではない。「熊谷矢絃が絡んでる可能性がある。だからお前に話した」「なんですって!?」 驚くのと同時に、矢絃の執念にぞっとする。いったい何がそこまで彼を動かしているのか、百合には分からない。「斎賀を呼べ」 秋明は紫苑に命じる。「斎賀って、斎賀梓さん? 彼女を呼び出してどうするの? 彼女、デザイナーであって、幹部とかじゃないでしょ」「ある意味、幹部よりも信頼できる」「連れてきます」
百合はマリを連れ、藤子の家に行った。マリは家庭菜園を眺めながら、外で待機する。「百合、おかえりなさい。外で待ってる子は?」 藤子は訝しげな目で、外にいるマリを見ている。「ただいま、母さん。あの子はマリちゃん。お手伝い兼護衛なの。秋明さんが、最近物騒だから連れて行けって言うから、ついてきてもらったの」「そうだったの……。入れてあげたいけど、事が事だから……。そうだ、ちょっと待っててくれる?」 藤子は台所に行く。彼女はペットボトルのお茶を持ってきて、百合に手渡した。「マリちゃんに渡してきてくれる?」「分かったわ」 百合は外に出ると、マリにお茶を差し出す。「マリちゃん、これ。母さんから」「わぁ、ありがとうございます」 マリは嬉しそうに受け取ると、早速ひと口飲んだ。「はぁ、生き返る……。藤子様に、ありがとうございますと伝えていただけますか」「えぇ、もちろん。マリちゃん、なんなら近場で涼んできてもいいのよ?」「いえ、今回は護衛ですので、お庭で待たせていただきます」「そう? つらくなったらすぐに言って」 百合はちらりと空を見る。9月上旬の曇りだが、まだ蒸し暑い。「お気遣い、ありがとうございます。暑さでやられそうになったら、車に避難するので大丈夫です」「できるだけはやく終わらせるから」 百合は家の中に戻ると、藤子の向かいに座った。藤子は1通の古びた封筒を、百合に差し出す。「これが、お父さんからの遺言書よ。中身は見てないから、私にも、何が書かれてるのか分からないの」「父さんからの……」 百合は慎重に封筒を手にする。カサリとした手触りとかすかに漂う古びたにおいが、短い歴史を感じさせた。「ねぇ、父さんって、どんな人?」 百合は初めて父について藤子に聞いた。父に関する記憶は、ほとんどない。父親
「大丈夫でしたか?」 正樹の病室から出ると、紫苑が心配そうに百合の顔を覗き込む。「えぇ、大丈夫よ。秋明さんの病室に戻りましょう」「はい」 百合は秋明の病室に戻ると、正樹から聞いたことすべてを伝えた。「ふん、思わせぶりな態度を取っておきながら、大した情報がない。つまらん男だ」 話を聞いた秋明は、吐き捨てるように言う。これには百合も同意だ。「ここまでの失敗をしたんだ。熊谷矢絃には、見捨てられただろう。中務正樹は、もう警戒する必要はない」「そうね。けど、あの誘拐が囮だったっていうのが気がかりだわ……」「分かってる。紫苑、調べておけ」「かしこまりました」「百合、念の為出かける時はあの双子を連れて行け。何かあったら困る」「分かったわ」「奥様、家までお送りしますよ」「ありがとう」 百合と紫苑は病室を後にすると、家に帰る。紫苑は百合を下ろすと、調べごとがあるからと行ってしまった。「厄介なことにならないといいけど……」 紫苑を見送りながら、ぽつりと呟く。 スマホが鳴り、メールが来たことを知らせる。「誰かしら?」 確認してみると母からで、遺言書を取りに来いとのことだった。 その頃秋明は、第2秘書に内密に持ってこさせたノートパソコンを枕の下から出し、起動させる。「やはり秘書は、2、3人いたほうがいいな。紫苑に頼んだら、持ってきてもらえるどころか、説教される……」 起動するのを待つ間、そんな独り言を言う。前回怪我で入院した時も、怪我人は安静にしてろと言われ、パソコンを持ってきてもらえなかったのだ。 秋明は自社ブランドの株や売上をチェックし、渋い顔をする。「おかしい……」 過去のデータを何度も見返す。どういうわけか、ほぼ同時期に、何10社もの株や売上が緩やかに落ち始めているのだ。ほんの2、3社なら、ただの偶然で済ませることができただろう。 さすがに20社以上の売上が同時期に落ちるのは、どう考えてもおかしい。秋明は紫苑に電話をかけた。『秋明様、どうなさいました?』「20社以上の売上が、同時期に下がっている。なにがあったのか調べてくれ」『かしこまりました。ですが、秋明様?』「なんだ?」『どうやってパソコンを持ち込んだんですか?』 紫苑の声は明るいが、どこかヒヤッとするものがある。「スマホで株を見てただけだ」『つくならもう少
「深い意味はあらへんよ。ただ、君だけ呼ぶって、映画のワンシーンみたいで、意味深な感じせぇへん?」「は?」 理解できずに思わず素っ頓狂な声を出すと、正樹はケタケタ笑う。「あっはは! えぇ反応するなぁ。っと、いたた……」 傷に障ったのか、顔をしかめる。それでも正樹はどことなく楽しそう。「はぁ、銃弾なんか受けるモンやないなぁ。百合ちゃんも気ぃつけるんやで」 どう返していいか分からずに黙っていると、正樹は力なく笑った。「ここ、笑うところなんやけど」「いいから、話して」「はいはい。相変わらずそっけないなぁ。ま、そういうところも好きやけど」 軽口を叩く正樹にイラっとした百合は、バッグを振り上げた。「冗談やって。妻夫木の妻やっとるだけあって、怖いなぁ」「はやく話しなさい」「その前に、百合ちゃんはシオン、やっけ? あれから話は聞いとるん?」「そうよ、だからここに来たの」「そらそうか。失礼しました。あの秘書くんにも言うた通り、熊谷サンとは手ぇ組んどるよ。前に商業パーティーで、君と熊谷サンがバチバチしとったやろ? あそこに俺もおったんや」 初めて参加した商業パーティーのことを思い返す。あの時百合は、熊谷矢絃とその恋人のマキに、パクリだなんだと言われたのだ。確かにあの会場には、和ニカケの新作も展示されていた。「それで熊谷サンと手ぇ組めば、妻夫木財閥に傷をつけるくらいはできる思うたんや」「そんな理由で、あの人と組んだの?」「和ニカケは、ある意味まっさらな会社なんよ。裏との繋がりなんて、なーんもあらへん。そないな会社が妻夫木財閥に喧嘩売っても、潰されるだけや。けど、熊谷サンも、妻夫木財閥と同じく裏との繋がりがあるやろ? その上、妻夫木財閥を恨んどる。せやから手ぇ組んだわけやけど、あかんかった……」 正樹は虚空を見つめる。彼が何を思っているのか、百合には想像することすらできない。「私の誘拐に、あの人はどれくらい関わってるの?」「君を眠らせた睡
「盗み聞きとは悪趣味だな、紫苑」 秋明は睨みつけるが、紫苑は楽しそうに笑っている。(流石は幼馴染……。秋明さんの怖い顔に動じないなんて……) 童顔で可愛い顔をした紫苑だが、その見た目に反して肝が据わっている。秋明は凄んでも無駄だと悟ったのか、ため息をつく。「いつからそこにいた?」「秋明様が奥様に、何故辞めたのか聞いたあたりからですね」「ほとんどずっとじゃないか」「大事な話をしていたので、廊下で待ってました」「まったく……。それで、何しに来た?」「中務正樹のところに行ったので、ご報告に」 中務の名前を聞き、百合に緊張が走る。すっかり忘れていたが、あの男も銃弾が当たって入院していた。「熊谷矢絃との繋がりを認めました」「熊谷だと?」 秋明は眉間にシワを寄せる。「百合の誘拐に、あの男も関わってたのか……」「中務の言葉を信じるのなら、関わっているといっても、ガッツリ関わってるわけではなさそうです」「間接的にってことか?」「おそらく。熊谷矢絃と手は組んだけど、今回の誘拐は、少し手を貸してもらっただけ、としか答えないんです」「そこまで喋ったなら、全部話せばいいものを……」「それが……。奥様になら、全部お話するとおっしゃっていまして……」 紫苑は困ったように百合を見て、秋明はテーブルを叩いて怒りを露わにする。指名された本人は、困惑した。「どうして私なのかしら?」「まずは当事者に話すのが筋だとか……」「俺も充分当事者だがな」 秋明は苦い顔をする。脇腹を撃たれた秋明は、医者から絶対安静を言い渡されており、ベッドから出られない。正樹は正樹で太ももを撃たれて思うように動けないだろう。「私、中務のところに行くわ。紫苑、案内してちょうだい」「バカなことを言うな。病院とはいえ、何をするか分からない相手のところに、お前を行かせられるか」「言ったでしょ、守られてばかりはもう嫌って。大丈夫、無理はしない」 しばらく見つめ合っていたが、秋明はため息をつき、ベッドにもたれかかる。「紫苑、案内してやれ。中務の病室前で待機だ」「はい、秋明様。奥様、行きましょうか」「えぇ。ありがとう、秋明さん」 秋明はそっぽを向き、返事もしない。それでも、秋明に少しだけ認められた気がして嬉しかった。 紫苑の案内で、中務正樹の病室に行く。秋明のふたつ隣のVIP用
秋明が入院している間、百合は忙しなく動いていた。護身術や経営についてを学び、習得していく。護身術は体を動かして学べるからいいが、経営について学ぶのは苦労した。分からないことも、考えることも多すぎる。 経営セミナーや護身術教室に通い、合間に自分なりに経営について勉強をする。 本当はジュエリーデザイナーの勉強もしたいが、今は経営の勉強で精一杯だ。「秋明さんは、利益を投げうって私を助けてくれたんだもの……。このままじゃいけないわ」 中務正樹に誘拐された時、百合は秋明が来るとは思わなかった。来てもボディガードか紫苑だと思っていた。だからこそ、秋明が商談ではなく自分を選んだことがこれ以上ないくらい嬉しかった。 利益より感情と人命を優先してくれた秋明に見合うためには、最低限でも自立は必要だ。そのためにも会社を設立するつもりだ。できればアレグリアのためにもジュエリーデザイナーとしての知識や実力をつけておきたかったが、残念ながらそこまでの余裕はない。 学び始めてから3日目、秋明からメールが来た。「なにかしら?」 本当は見舞いに行きたかったが、今は少しでも休んでほしくて、あえて顔を出していなかった。メールを開き、百合は困惑した。『話がある。できるだけはやく病院に来い』「話って、なんなの……」 そわそわして落ち着かない。何か特別にトラウマがあるというわけではないが、昔から「話がある」と言われると、身構えてしまうのだ。 護身術教室から帰ってきたばかりで、ジャージ姿だ。汗もかいている。百合はシャワーを浴びて外行きの服に着替えると、病院に足を運んだ。「失礼しまーす……」 恐る恐る病室のドアを開けると、秋明は怪訝な顔をして百合を見る。「はやく来い」「え、えぇ……」 曖昧に笑い、ベッドの横にある椅子に座る。気分は説教を待つ子供だ。「それで、その……。話って?」「お前、エトワールを辞めたそうだな。どういうつもりだ?」 それは純粋な問いかけ。言葉の裏に、刺々しさは一切ない。(相談せずに辞めたのは、よくなかったわね……) 今更ながら、勝手に辞めたことを反省する。「勝手に辞めたのはごめんなさい。けど、私なりに考えがあるの」 百合はまっすぐ秋明を見つめる。ベッドにその身を横たえている秋明は、少し小さく見えた。「私は今まで、何も知らずに、秋明さんに頼り切
ビルから出ると、リムジンが停まっていた。ボディガードのひとりがドアを開ける。秋明は何食わぬ顔でリムジンに乗ると、困惑しながら立ったままの百合に目を向ける。「何ぼさっと突っ立ってるんだ。はやく乗れ」「え、えぇ……」 おずおずとリムジンに乗り、百合は目を見開く。L字型をした革張りの座席があり、その向かいには小さなバーカウンターを想起させるテーブルがある。小型の冷蔵庫と食器棚もあり、食器棚の中には高そうなグラスが並んでいた。「お前は俺の隣に座るんだ」「分かったわ」 少し距離を作って座ると、秋明はあからさまに不機嫌になる。どうしたらいいか分からずにいると、秋明は距離を詰め、百合の肩に手
百合は秋明のオーラに圧倒され、言われるがままにキスをしてしまう。「あの女、妻夫木さんにキスをしたぞ!」「どういうことなの!?」 会場はどよめき、矢絃とマキは呆然としている。秋明は更に百合を抱き寄せ、人々に振り返る。「この女性は宝生百合といって、最近噂になっている高級ブランドのデザイナーであり、俺の婚約者でもある。そこの副社長のストーカーなどしていない」 秋明の言葉に、会場は更にどよめく。百合は何がなんだか分からず、固まっている。「なんだ、お前は! コイツに何をした!? お前もお前だ! 男だったら誰でもいいのか? このアバズレが!」 顔を真っ赤にして怒った矢絃が、ふたりの間に割
晩餐会当日、高級ホテルにあるきらびやかな会場には多くのセレブがいる。百合は暗い気持ちで壁の花を決め込む。 成功したデザイナーとはいえ、セレブの仲間入りを果たしたわけではない。矢絃がいなければ、このような場にはいられないだろう。(こんなところ、願い下げよ) 百合は矢絃から送られてきた日程を伝えるメールを思い出し、心の中で吐き捨てる。メールには日時と会場と、「本来はお前ごときが参加していい場ではない。晩餐会に出られること、感謝するんだな」という一文が添えてあった。 あれから矢絃はマキの家にでも転がり込んでいるのか、帰ってこず、母の藤子と数人の使用人と奇妙な同居生活をしていた。 藤子に
「何がおかしいの? 言っておきますけどね、私ひとりの稼ぎでも、母とやっていけるのよ」 更に言葉を続けるも、矢絃の勝ち誇った顔が崩れることはない。「出て行くだと? お前の母親は終身サービス契約にサインしている。違約すれば8千万だ」「8千万!? どういうこと……!?」 母の藤子は、矢絃が副社長を務める会社で清掃員として働いている。母は常々、「今の生活があるのは熊谷さんのおかげなんだよ」と言っていた。百合はてっきり、母は矢絃が自分を雇ってくれたことに感謝しているのかと思っていた。(そういえば、最近そういう言葉聞かなくなった……)「聞いてなかったのか? お前の母親が、契約書をまともに読ま







