LOGIN「ふあ、さむ……っ」
仕事が終わり、俊紀は早足で自宅を目指した。
今日は仕事に集中できない理由があり、一日中ソワソワしていた。
その理由はひとつ。
やっぱまずい気がしてきた……!
何がまずいかと言うと、昨日から始まった男子高校生との同居のこと。恐ろしい話、今のところ彼について分かってることは名前と年齢、住所だけ。
それだって微妙だ。嘘をついてる可能性もあるが、確かめる術もない。
……にもかかわらず、普通に彼に留守を任せて今日は出勤してしまった。
でも家で休んでるように言ったのは自分だし……。
気付けばもうマンションの前まで来ていた。
彼は家にいるだろうか。もし金目当ての不良だったら、なんて良からぬ妄想まで浮かんでしまう。
だけど、そう思う度に彼の辛そうな表情が脳裏にチラつく。それに後悔するにしたって、彼を家に置いて出てきてるんだからもう遅い。
……昨日の自分が信じてみようと思ったんだ。ここは腹を括るしかない。
中に入ると、いつもと同じく静まり返っていた。
「……た、ただいま?」
リビングにひょこっと顔を出すも、荒れた形跡は一切ない。いつも通りの景色だけど、一つだけ明らかに違う、新しい存在がある。
「……夕都くん?」
白いダブルのソファで静かに寝息を立てる少年。
今日一日ずっとソファで寝ていたんだろうか。
でも朝はワイシャツ一枚だったのに、今はしっかりブレザーを着ている。怪我してんのにどこか出掛けてたのか?
彼は高校二年生。世間的には、あと少しで大人の括り。
……こんなに幼い寝顔をしてるのに。
ひとり息をつき、軽く首を傾げた。
とまぁ、とにかく。
「夕都くん、こんな所で寝てたら風邪ひくぞ。寝るならベッドで」
軽く揺さぶって起こそうとした。
しかし夕都の内ポケットから、何かが重い音を立てて床へと落ちる。
それが何なのか、理解するのに時間はかからなかった。
ナイフ!!
一応、拾った。想像していたより重い。
この時点で心拍数はかなり上がったが、さらに恐ろしいことに気付いて息を飲んだ。よく見ると、昨日見たものより一回り大きい。
マジかよ……。
物騒なナイフと少年の穏やかな寝顔を交互に見つめ、俊紀は重たい溜め息をもらした。
やっぱり、信頼できない一番の原因はここにあるみたいだ。
「……ん」
そうこうしてる間に、夕都は目を覚ました。
「あ、俊紀さん。おかえり……」
彼は明るい調子で話しかけてきたが、俺の手にあるナイフを見てすぐさま表情を変えた。
「何で俊紀さんがソレ持って……」
「えっ。いや、君を起こそうと肩揺らしたら落ちてきたんだ! 寝てる間に何かしようとしたわけじゃないから誤解しないでくれよ!」
とにかく焦って、ジェスチャーつきで弁解した。彼は黙って聞いていたけど、堪えきれないといった様子で笑い出した。
「何で笑うんだ」
「ははっ……ごめん、俊紀さんすっごい必死だから、つい」
夕都は起き上がり、床に膝をつく俊紀と向き合うように正座した。
「だって普通だったら追い出すでしょ。誤解を解かなきゃなんないのは俺の方なのに、何で貴方がそんな気ィ遣うかな」
「それは……」
「それに、まだちゃんと謝ってなかった。何も関係ない俊紀さんを巻き込んだりしてすいません。驚いたでしょ、ははは」
正直、そのことに関しては全く怒ってなかった。
けど逆に、軽いノリで告げた感満載の謝罪には少し殺意が湧いた。
「てか俊紀さんってモテるでしょ。イケメンだもん」
加えて、藪から棒に進む彼の会話にはついていけない。
「独身だよね。彼女はっ? いるの?」
「いないよ。……君は? 俺から言わせりゃ君がイケメンだけど」
嫌味な様に聞こえたかもしれないが、これは本音だった。
彼は整った顔立ちで、不思議な雰囲気を出している美少年だからだ。……格好だけで判断すればただのチャラ男だけど。
「いや、彼女いたんだけど俺は最近別れた。そもそもお互いそんな好きじゃなかったみたい」
「全く……ま、それも青春か」
手に持ったナイフをもてあましながら呟いた。
「夕都くんもいつか本当に好きな人ができるといいな」
「呼び捨てでいいってば。くん付けは嫌なんだ」
「あぁ……別にいいけど。そんなことが何で嫌なんだ?」
「俺の嫌いな人間は皆そうやって呼んでくるから」
夕都は俊紀から視線を外して、拗ねた子どもの様な表情を浮かべた。
「そう……」
嫌いな人間。クラスメイトとかだろうか。
でもそんな呼び方、親しくないにしてもあんまり使わない気がするけど……。
「あ! そういえば俊紀さん、それ貸して。危ないから」
夕都はナイフを渡すよう、俊紀に手を差し出した。
……。
俊紀は黙って、持っていたナイフを彼に渡す。
「ちょっ……俊紀さん、離す気ある?」
しかし、ナイフの柄を掴んだままだ。
「夕都」
彼の質問より先に、どうしても自分の中に燻ってる疑問を解消したいと思っていた。
「これだけは絶対答えてほしい。……何のためにこんなもん持ってんだ」
「それは……」
茶化すように笑った夕都だったが、次の言葉が出てこなかった。
俊紀は先程までと打って変わって、悲しそうな眼で見つめてきたからだ。
「護身用だって、……信じてくれる?」
夕都は笑ったつもりだったが、実際はかなり困った表情になってしまっていた。こんな複雑な気持ちになったのはいつぶりだろう。
……嘘じゃないのに、嘘をついた気分だ。
「……俊紀さん」
軽く頭を掻いて、自傷気味に夕都は笑った。
「情けないけど、俺臆病なんだ。だからこんなもん持って……これで無理やり気持ち落ち着かせてる」
それは本音だった。こんな事を会って間もない他人に話してる自分が一番信じられないけど。
「今は人が怖い。もちろん使ったりなんかしないけど……怖くて」
夕都の手は、震えている。その事を俊紀だけが気付いていた。
「俺は味方がいない。独りだし……」
そう言ってうつむいた夕都の頭の上に、俊紀は優しく手を置いた。
「俊紀さん?」
まさかそんな事をされるとは思わず、夕都は驚いて俊紀を見た。
「何があったのかは話してくれないと全然わからない。でも、一人で抱え込む必要なんかない」
宥めるように零し、俊紀は夕都の頭を撫でた。
「お前を信じるよ。……何にも知らないからこそ、力になれることもあるだろうし」
そう言って笑う俊紀を見て、夕都は目を見開いた。
誰かに頭を撫でられたのは何年ぶりだろう。
人前でやられたら分からないけど、案外悪くない。
それともこの人だから……嬉しく思ったんだろうか。
「俊紀さん。……ありがとう」
夕都はナイフから手を離す。そしてかろうじて聞き取れる程の声で呟いた。
「ふあ、さむ……っ」仕事が終わり、俊紀は早足で自宅を目指した。今日は仕事に集中できない理由があり、一日中ソワソワしていた。 その理由はひとつ。やっぱまずい気がしてきた……!何がまずいかと言うと、昨日から始まった男子高校生との同居のこと。恐ろしい話、今のところ彼について分かってることは名前と年齢、住所だけ。それだって微妙だ。嘘をついてる可能性もあるが、確かめる術もない。……にもかかわらず、普通に彼に留守を任せて今日は出勤してしまった。でも家で休んでるように言ったのは自分だし……。気付けばもうマンションの前まで来ていた。彼は家にいるだろうか。もし金目当ての不良だったら、なんて良からぬ妄想まで浮かんでしまう。だけど、そう思う度に彼の辛そうな表情が脳裏にチラつく。それに後悔するにしたって、彼を家に置いて出てきてるんだからもう遅い。……昨日の自分が信じてみようと思ったんだ。ここは腹を括るしかない。中に入ると、いつもと同じく静まり返っていた。「……た、ただいま?」リビングにひょこっと顔を出すも、荒れた形跡は一切ない。いつも通りの景色だけど、一つだけ明らかに違う、新しい存在がある。「……夕都くん?」白いダブルのソファで静かに寝息を立てる少年。今日一日ずっとソファで寝ていたんだろうか。 でも朝はワイシャツ一枚だったのに、今はしっかりブレザーを着ている。怪我してんのにどこか出掛けてたのか?彼は高校二年生。世間的には、あと少しで大人の括り。……こんなに幼い寝顔をしてるのに。ひとり息をつき、軽く首を傾げた。とまぁ、とにかく。「夕都くん、こんな所で寝てたら風邪ひくぞ。寝るならベッドで」軽く揺さぶって起こそうとした。しかし夕都の内ポケットから、何かが重い音を立てて床へと落ちる。それが何なのか、理解するのに時間はかからなかった。ナイフ!!一応、拾った。想像していたより重い。この時点で心拍数はかなり上がったが、さらに恐ろしいことに気付いて息を飲んだ。よく見ると、昨日見たものより一回り大きい。マジかよ……。物騒なナイフと少年の穏やかな寝顔を交互に見つめ、俊紀は重たい溜め息をもらした。やっぱり、信頼できない一番の原因はここにあるみたいだ。「……ん」そうこうしてる間に、夕都は目を覚ました。「あ、俊紀さん。おかえり……」彼は明る
またどこかで間違えた。────痛い。あてもなく走り続けて思った。許されるなら倒れたい。しかしそれだけは駄目だと脳内で告げている。なのにどうして追われて、どうして逃げているのか。それすらも理解できなくなっていた。◇『お前、男が好きなんだろ?』そう言われたのはいつだっただろう。言ってきた奴は当時の親友で、中学のときだ。俺は確か……そうだ、高校受験を間近にした三年生だった。長い間隠してきた秘密がバレてショックだったことを覚えてる。だけどそれ以上に、親友に浴びせられた言葉にショックを受けた。なのに何を言われたのか肝心な内容は思い出せない。多分、意識的に記憶から消した。重く暗い出来事。一番仲が良かったから……話せば分かってくれる、なんて淡い期待を抱いたのがそもそもの間違いだった。崩れ落ちた友情から学んだことは、良くも悪くもその後の自分を守る術となった。あの日から、絶対に男を好きにならないと決めた。永遠に独りでもいい。自分の力で生きていくんだと。「清水さん、お疲れさまでした」「おぉ、お疲れ。また明日」……もう二十二時時か。勤め先のスポーツジムから外に出てスマホを一瞥する。堤俊紀(つつみとしき)、二十五歳。大学を卒業し、インストラクターとして今の職場に就職した。仕事の内容には満足しているし、多少収入が少なくても何とかなっている。それに意外と出会いもあるから楽しかった。スポーツをやってる爽やかな好青年。恐らくそれが、傍から見た自身の印象。でも実際はそんなことない。爽やかよりは、いくらか過去を引きずるタイプだ。個人的には恵まれてると思う。スポーツが好きだから頑張って体育大学に行ったけど、勉強が苦手なわけではなくむしろ得意な方だ。……今日は別の道から帰るか。普段の帰り道である大通りからそれて、人気の少な雑木林沿いの道に入った。何でこの日に限ってこの道を選んだのか。これは後になって、一生の疑問点となる。 違う道を行っていれば、また別の人生を歩んでいたんじゃないか。そう思えてならない。この道は林のせいで昼も薄暗い為、女性が夜歩くのは危険かもしれない。まぁ俺が歩くぶんには大丈夫だ。ゆったりしたペースで進んでいると、森の奥から何かが近付いてくる音が聞こえた。ガサガサと草木を掻き分けている。鳥? 猫……にしては音が大きすぎる。少