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第3話「女神と新米騎士」

Auteur: 真上悠
last update Date de publication: 2026-08-20 14:43:10

心地よい微風が吹き抜ける朝の神殿の回廊。

シルフィは、今日も完璧な『慈愛の風の柱』としての微笑みを浮かべながら、朝の祈りのため礼拝堂へと向かっていた。

「おはようございます、シルフィ様。今日の御髪も夏の若葉のように美しい。結婚してください」

回廊の角から現れたのは、配属されたばかりの新任騎士、ユーロスだった。

純白の騎士服に身を包み、朝陽を背負う彼は、まるで絵物語から抜け出た王子のように優雅に片膝をつき、息をするように求婚してきた。

「おはようございます。しません」

シルフィは歩みを止めることなく、極めて流麗に、そして即座に言い放った。その眉間には若干の皺を寄せながら。

「……分かりました。では、せめて朝の祈りの護衛はお任せを」

即座に断られたことなど全く気にしていない様子で、ユーロスは立ち上がり、主人の後ろを歩く大型犬のように、シルフィの斜め後ろにピタリと付き従う。

彼の登場に、すれ違う神官や侍女たちが足を止め、ひそひそと黄色い声を上げていた。

無理もない。ユーロスは配属されて数日にして、すでに神殿中の話題をかっさらっていた。

圧倒的な長身と、鍛え抜かれた厚い胸板。彫刻のように整った精悍な顔立ちに加え、若手でありながら剣術も魔力操作も神殿騎士団で随一。

誰に対しても紳士的で、非の打ち所がない若き英雄候補なのだ。

(なぜ、あんなにも優秀で前途有望な若者が、毎朝あのようにからかってくるのでしょうか……)

シルフィは前を向きながら、内心で静かに首を傾げていた。

彼ほどの男なら、若くて可愛らしい令嬢がいくらでも寄ってくるはずだ。

十以上も年上で、恋愛からはすっかり遠ざかった自分など、どう考えても恋愛対象に入るはずがない。

シルフィは、枯れ葉が枝から地まで落ちる隙間の時間で、そう結論づけていた。

彼の一見すると熱烈な求婚は、若さゆえの質の悪い冗談か、さもなくば、柱に対する過剰な崇拝が少々おかしな方向にこじれてしまっているだけだろう、と。

「シルフィ様、階段です。お手を」

「一人で歩けますから、結構です」

「では、せめてこのマントを床に敷かせてください。あなたの尊い足裏を汚すわけにはいきません」

「やめなさい。神殿の床は毎朝清められています」

彼は大真面目に、心底シルフィを崇拝し、案じてくる。

そのスマートでありながらどこかズレた過保護ぶりに、シルフィは「優秀だけれど、少し頭のネジが外れた新人が入ってきてしまった」と内心でため息をつきつつ、表面上は完璧な女神の微笑みを崩さなかった。

礼拝堂での祈りを終え、シルフィは日課である大書庫での調べ物に向かった。

天井まで届く塔のような本棚の前で、彼女は上段にある古い文献を見上げる。

「あの本が必要なのですが……」

独り言のように呟いた瞬間――

ふわりと風が舞うようにユーロスが背後に立ち、シルフィの頭上へ軽々と手を伸ばしてその本を抜き取った。

「こちらですね、我が女神」

爽やかな微笑みと共に、恭しく本が差し出される。

その所作は洗練されており、間近で見ると同性すら見惚れるほどの美丈夫ぶりだった。

「……助かりました。ありがとうございます」

「あなたのお役に立てるなら、この命など惜しくありません。ですので、今すぐ結婚を……」

「本を取ってもらっただけで命を懸けないでください。そして、しません」

大真面目に重たい提案をしてくる彼に、シルフィは呆れ顔でピシャリと言い放った。

本を受け取り、衣服の皺を払うと、何事もなかったかのようにすまし顔を作る。

「今日の護衛はもう十分ですから、持ち場に戻りなさい」

シルフィは小さくため息をつき、本を抱えて書庫を後にした。

彼女にとっては、単なる「忠誠心が強すぎて空回りしている厄介な部下」との日常風景。

しかし、残されたユーロスは、その後ろ姿をどこまでも熱く、そして純粋な憧憬を宿した瞳で見送っていた。

「ああ……。今日も、お声をいただけた……。シルフィ様……」

鉄壁の風の女神と、ひたすらに誠実で重たい若き騎士。

二人の嚙み合わない日常は、こうして静かに幕を開けたのである。

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     恋人という関係に昇格してから、シルフィの胸には新たな、そして重大な悩みが居座っていた。(……いつも、彼にばかり尽くさせてしまっています) 絶妙な温度の紅茶、冷えないように掛けられるひざ掛け、そして過剰なまでの賛辞。 ユーロスから与えられるばかりの自分に、シルフィは「年上の恋人」としてのプライドを刺激されていた。「たまには私の方から、彼の心身を労う何かを……そう、手料理など作って差し上げるべきではないでしょうか」「柱」としての膨大な知識から、シルフィは一つの結論を導き出した。「『胃袋を掴む』。古今東西、愛を繋ぎ止めるにはこれが一番の近道と聞きます。幸い、私には風の精霊を操る緻密な魔力制御があります。料理など、容易いことでしょう」 そう自信満々に、神殿の厨房の片隅を借りたのが一時間前。 現在のシルフィは、目の前の「玉ねぎ」という名の強敵に、かつてない戦慄を覚えていた。「……おかしいですね。なぜ、切れば切るほど涙が止まらないのでしょう。魔族による精神干渉魔法の類でしょうか……っ」 碧い瞳を潤ませ、鼻先を赤くしたシルフィは、震える手で包丁を構える。「ええい、こうなれば風の魔力で……! 精霊たちよ、この野菜を極薄の輪切りにしなさい!」 風の柱としての、超精緻な魔力制御。 本来なら数千の風の刃で敵を微塵切りにする魔法が、狭い厨房で発動した。『シュババババッ!!』 凄まじい風切り音と共に、玉ねぎが空中へ舞い上がる。 しかし、料

  • 恋を諦めた風の女神、一途な年下騎士に求婚され続ける ~慈愛の風の柱は今日も受け流せません~   番外編⑤「忠犬の牙、あるいは零度の嫉妬」

     その日、風の神殿の接見の間には、不穏な「華やかさ」が満ちていた。「おお、ダイタニアの至宝、美しき風の柱シルフィ閣下。貴女の瞳を拝見しただけで、我が故郷の青い海を思い出します」 大仰な仕草で跪き、シルフィの白手袋を嵌めた手に唇を寄せようとしているのは、隣国の特使として訪れた若き伯爵、ジュリアンだった。 金髪を揺らし、香水の匂いを漂わせる彼は、大陸でも名の知れた浮き名を流す色事師である。 シルフィは完璧な女神の微笑みを貼り付けたまま、内心で静かに悲鳴を上げていた。(……近いです。非常に、距離感がおかしいです、この方は) いつもなら、ここで「シルフィ様!」と危急の声が飛んでくるはずなのだが、今日は後ろに控えている「彼」が、驚くほど静かだった。 シルフィがおそるおそる背後を振り返ると、そこには「発光する大型犬」の面影を完全に消した、氷の彫像が立っていた。「……特使閣下。我が主君の御手は、外交の調印のためにあるものです。貴国の親愛を示すのであれば、その唇は、あちらに用意した羊皮紙にのみ捧げていただけますか」 ユーロスの声は、シルフィが聞いたこともないほど低く、冷ややかだった。 彼の周囲だけ、物理的に気温が数度下がったのではないかと思えるほどの、絶対零度の威圧感。「おや、厳しい護衛殿だ。シルフィ様、これほど野暮な男が隣にいては、貴女の慈愛が曇ってしまう。どうでしょう、この会談が終わった後、月の見えるテラスで口直しに……」 ジュリアンがさらに甘い声を重ねようとした、その瞬間。『メキッ』 静寂の中に、不穏な破砕音が響いた。 ユ

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