LOGIN会社をクビになり、所持金も底を突いたユウマが辿り着いたのは、ゲーム内通貨で宿代を支払えるVRMMO《VALORIUM》。 だがこの世界では、モンスターは金を落とさない。代わりに報酬を決めるのは、行動の「評価」だった。 効率だけを追い、最短で稼ごうとするユウマ。 一方、彼の使い魔ウミは、人助けにこだわる少女だった。 食べ物すら奪い合う過酷な世界で、効率か、意義か。 今日の宿代を稼ぐため、価値観の違う二人のサバイバルが始まる。
View Moreそれは、どこにでもある小さな“シアワセ”だった。
朝。寝息を立てているユウマの肩に、妻が優しく手を置く。
「ユウマ、起きて起きて」
「むにゃむにゃ、もっと寝てたい」
「駄目。会社に行く時間よ」
「ぐぐー、ん、朝?」
瞳を開く。目の前には妻の優しい笑顔があった。ユウマはダブルベッドから上半身を起こし、右手を口元に掲げて大あくびをする。
「ふわあ」
「あら、大きなあくびですこと」
「朝食は?」
「出来ています。着替えて、ダイニングへ来てくださいな」
「ああ、分かった」
クスッと笑って妻が部屋を出て行く。スリッパの足音が遠ざかって行った。
ユウマはベッドから出て支度をする。ワイシャツにスーツのズボンを履いた。ネクタイと上着を持ってダイニングへと歩く。テーブルの席にはすでにユウマの娘、ウミが座っていた。小学生になったばかりのお転婆少女である。ユウマを指さしてウミが指摘した。
「お父さん! お髭生えてるー」
「今から剃るんだ」
「早く剃ってきて」
「分かったよ」
背広の上着とネクタイを椅子の背もたれにかけて、ユウマはユニットへ入る。シェイビングクリームをつけて髭を剃る。二十代の若い顔立ちが鏡に映った。
蛇口をひねって水を出し、顔を洗う。冷たい感触が肌に心地よい。
それからテーブルに戻り、椅子に座って朝食となった。妻が料理を並べてくれる。
「いっただっきまーす」
ウミの賑やかな声である。
「いただきます」
「はいどうぞ」
三人で両手を合わせた。
穏やかな朝だった。
日だまりのような光景。
けれど、違和感を覚える。
(昨日……何をしていた?)
ウミがウインナーをパリパリとかじる。それからお味噌汁をすすってご飯を口に運んだ。
隣では妻が穏やかな瞳をたたえており、ハシで目玉焼きを割る。
「ウミ、ゆっくり食べなさいね」
「ママはーい」
ユウマも味噌汁をすすった。
部屋の掛け時計を見る。ユウマは焦って声を上げた。
「もうこんな時間だ!」
仕事に行かなければいけない。急いで食べ出す。
「そんなに急いで食べたら、喉につっかえますよ」
妻が諭すようにつぶやく。
手早く朝食を終えた。妻が用意してくれていた黒いカバンと上着を持って席を立つ。
「それじゃあ行ってくるよ」
「貴方、ネクタイがまだです」
妻が立ち上がり、その青いネクタイを手に取って首に巻いてくれた。慣れた手つきで結んでくれる。何気ないその行動に溢れるような幸せを感じた。
「じゃあ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
「パパー、行ってらっしゃい!」
家族に見送られて、ユウマはダイニングの扉をくぐった。玄関で靴を履いて外へと出る。春風が吹いた。桜の花びらが風に運ばれて玄関をチラチラと舞う。太陽の光が眩しかった。
何も心配のない暮らし。
それが答えだと思っていた。
いつまでもこの幸せを守って生きていきたい。
そこで、視界がぐにゃりと歪んだ。
まるでユウマの幸福を否定するかのように。
夢だったのだ。
「お客様、ヴァルが足りません」
隣室から起こった声に、はっとしてユウマは顔を上げた。
黒いマットの床。目の前にはデスクトップとVR機器がある。
そうだ。
ここはログネストだった。蒲田区にあるネットカフェでありそのマットルームである。
全てを思い出した。
ユウマに家族などいない。
そして昨日、会社をクビになったのである。
データ入力オペレーターの職務だった。正確さと速さを求めるその仕事は性格に合っていた。しかし作業効率を求めすぎたせいで、上司とユウマは衝突してばかりの日々。その上、非効率な作業はできる限りお断りしていた。そしたら上司に、肩を叩かれてしまった。
「君、明日から来なくていいよ」
――え?
マジですか。
だけど、
分かってた。
(俺、融通利かないですよね)
派遣会社が用意してくれた寮はもう使えない。
彼女もいない。
いた歴も無い。
こんな時に頼れるような友達も無い。
未来は無い。
(悲しいことを言うな)
世界に一人ぼっちである。
金が無いと叫びたい。いや、昨日夜空に叫んだのだった。
朝だ。
ユウマに残された選択肢は三つ。派遣会社、ハローワーク、ネット求人。
財布に入っているのは一万円札一枚と小銭が少し。これが全財産である。別に、野良猫にキャビアを餌としてあげていた訳じゃない。度重なるストレスが衝動食いへとユウマを走らせたのだった。
とりあえず立ち上がった。コーヒーでも汲んでこよう。そう思い、革靴を履いてルームを出る。ログネストの通路を歩いた。玄関へと行き、ドリンクバーの機械でコップに黒い液体を注ぐ。
ふと後ろから声がかかった。
「お客様」
ユウマは振り向く。女性店員が右手を掲げていた。どうしたのだろう? 彼はカウンターへと歩み寄る。
この時ユウマは、まだ知らない。
ここが、自分の戦場になることを。
まだ二十代そこそこであろう女性店員の顔が、
おとぎ話に出てくる魔法使いのように見えたのは、
一体どうしてだったのだろう。
人気SNSサイトZeebにて、ユーザー名『アランクルスの裁縫職人晴恋』はゲームのスキンカードを売っていた。 Aランク、白銀の騎士団長、45万ヴァル。 Bランク、レザーで編まれた軽装鎧、20万ヴァル。 Cランク、カジュアルジャケット&ジーンズ、10万ヴァル。 スキンは男女兼用だった。 下着もある。 Aランク、プリンセスズシークレット、50万ヴァル。 Bランク、ハッピーバレンタイン、30万ヴァル。 購入希望者はDMにて、お待ちしております。 いま、準決勝戦前の休憩だった。長引いた試合がいくつかあり、12時を回っている。 静岡のログネストで、晴夏は昼食を摂りながらスマホをいじっていた。狭いマットルームである。室内は冷房が効いており、涼しかった。注文したスジコおにぎりと唐揚げ、シーザーサラダをつまみながらスマホをいじる。開いているZeebのマイページには、今日もお客さんからのDMが来ている。お客さんは二人いて、一人目はレザーで編まれた軽装鎧、二人目はハッピーバレンタインを欲しいようだ。(くぷぷ、また売れました) 晴夏は文字を打つ。取引の約束と、待ち合わせの時間と場所を尋ねる文章を作って返信した。 二つ合わせて50万ヴァルの売値だ。だけど儲けは50万ヴァルでは無い。裁縫のミニゲームに挑戦するための素材費用が高いせいだった。 それでもかなりの儲けが出ている。 ゲーム内の晴夏のレベルは、この間30を越えた。20レベルから30レベルに上がるためには1200万ヴァルほどかかることが判明した。30レベルになったことにより、超越スキル、ダークナイトを覚えている。この事は、みんなにはまだ秘密にしてある。(くぷぷぷ、もっともっと稼ぎたいです) 以前に撮った、お客さんがスキンを着て笑顔でピースをしている写真があった。その写真をアップロードして、Zeebに投稿する。掲載許可はもらってある。お買い上げ誠にありがとうございます、とコメントを添えた。 今夜もニキと別れた後で、宿屋に行かなければいけな
:キャルル丸ぅぅ、頑張れぇぇ!:一生懸命ダイエットしたのに全然やせてないw:馬鹿よく見ろ、腹が縮んでるぞ。ほんのちょっとだけなw キャルル丸の初戦が始まろうとしていた。 いま試合場では、キャルル丸とミリッサが距離を置いてにらみ合っている。(ちくしょう、腹が重くて仕方無い) キャルル丸は顔をしかめた。その腹は大きく膨らんだままだ。まるで妊婦である。ずっと走っていたせいで、キャルル丸の身体は汗だくだった。ちょっと汗臭い。 観客席ではウミとアイギスがフェンスを握って応援していた。ウミの隣にはどうしてかエリザもいる。エリザが「キャルル丸ー、勝ちなさいよー!」と声をかけてくれた。キャルル丸の耳に入るのはエリザの声だけだった。 エリザに向けて手を振る。「きゃるる、きゃるっ」(エリザ、見ていてくれ!) 試合場に風は入ってこない。太陽の日差しがじりじりと照りつけており、ミリッサは困った顔をしていた。どうやらこのウサギは、暑さに弱いようだ。一方キャルル丸は暑さに強い。だけどその事が、試合の命運を分ける訳では無さそうだった。 試合の始まりを待っている客たちが今か今かと足を踏みならしている。 審判長が拡声器を掲げた。「それでは、キャルル丸対ミリッサの試合、開始です!」 ゴングが鳴った。 キャルル丸は獰猛に口を開き、のっしのっしと動いた。走っているつもりだった。だけど身体がなまりのように重い。 ミリッサがニタニタと笑った。「ぷうぷう」(お前は亀よりも遅いね)「きゃるぅ」(何だと?)「ぷうぷうっ」(こっちだよ、デブ助) ミリッサが背中を向けて距離を取るように走る。「きゃるるっ」(待てこの野郎!) キャルル丸はどっしどっしと追いかけた。だけど足が遅い。これでは攻撃を繰り出す前に、近づくことすらできない。 ミリッサが唱えた。「ぷうっ」(キャロットファスト) ミリッサの頭上にニンジンのマークが灯る。
「おいおい、キャルル丸、太りすぎさ!」 ニキが責めるような口調で相棒の背中を撫でていた。 キャルル丸は弱ったような顔をしてうなだれる。発した声はいつもよりも低い。太りすぎたせいで重低音だった。「ぎゃるるぅ」「ぎゃるるぅじゃないよ、もう!」「ぎゃるぅ」「どうしてあのピンク色の竜のぶんのステーキまで食べたさ?」「ぎゃる、ぎゃるるぅ」「お前、こんな相撲取りみたいな身体つきで、戦えるのかよ?」「ぎゃる!」 キャルル丸は大丈夫だというふうに右手を振る。 ニキは深いため息をついた。(これじゃあ負けちまうさ):キャルル丸は終わりマスタ。:リログしても痩せないですよ。:……早くダイエットしなきゃ。:俺の50万ヴァルを返して。 円形闘技場の入り口前の地面に、グラスオースのメンバーは集まっていた。晴恋だけはいない。晴恋は試合を見張っており、キャルル丸の試合が近くなったら呼びに来てくれる手はずだ。 キャルル丸の初戦は三試合目である。 辺りに一般プレイヤーや乗り物はいない。ファストフードを売るNPCの露店だけがあった。円形闘技場では試合が始まっているようで、お客さんの歓声が響いてきていた。賭け事が熱狂しているようで、罵声まで飛んでいる。それを聞いて、ニキはイライラしたように眉間にしわを寄せた。 キャルル丸のぼよぼよとした腹を、ニキがわしづかみにする。「何だよこの情けない腹は! こんなに太ったら早く動けないさ。この馬鹿ちん!」「ぎゃるるぅ……」「みんながお前に50万ヴァルを賭けているんだぞ?」「ぎゃるぅ」「もうっ! ずんぐりむっくりになっちゃって!」「ぎゃる……」「おいニキさん、その辺にしておけ」 トウマがニキの肩にやんわりと手を置いた。 ニキが振
「きゃるるぅ、きゃるるぅ!」(食ってやる、食ってやるぞ!) 大食い対決だった。 円形闘技場の試合場では、給仕たちが次々とステーキを運んできている。料理の種類はステーキだけのようだ。乗り物たちは競い合っており、ステーキをがぶがぶと食べていた。制限時間は30分。空けた皿の枚数で勝敗は決まる。:頑張れキャルル丸ぅぅ。:いま、11皿を完食です!:キャルル丸がちょっと太ってきたなw これはやばいぞ! 夏の太陽がじりじりと地面を照らしていた。観客たちは大変な盛り上がりであり、乗り物たちに向けて声援が飛んでいる。 キャルル丸は11皿目のステーキを食べ終えると、ぐらりと立ちくらみがした。右に身体が傾いて、慌てて足を踏ん張る。下腹がぽよぽよと膨らんできていた。 げぷっとゲップを一つこぼす。(ふん、まだまだ食えるぞ) 給仕が台車を押して12皿目のステーキを運んで来る。ステーキは脂がぎらぎらとしており、あっさりとした酸味のあるソースがかかっている。キャルル丸はかじりついた。がぶがぶと食べる。噛めば噛むほどに甘い肉汁がじゅわっと染み出る。極上に美味いステーキだったが、食べ過ぎたせいで美味いとはもう感じなかった。それでも勢いよくステーキを平らげる。口から肉汁が垂れて、地面に脂がぼとぼととしたたった。 観客席からはウミの声が一段と高く響く。「キャルル丸ー、いま一位ですよー!」「キャルル丸、もっともっと食べる!」 アイギスも両手を硬く握って応援している。 12皿目を食べ終えて、キャルル丸は口をべろりとなめ回した。「きゃるる!」(そうか、いま一位か!) ならば余裕だと思った。 キャルル丸の給仕が台車を押して、円形闘技場の入り口へと向かった。次のステーキが運ばれて来るまで、しばしの休憩である。 その時だった。 キャルル丸の隣にピンク色の竜がどしどしと歩いてくる。 振り向くと、エリザが弱ったような表情で立っていた。その後ろではエリザの給仕が台車を押してお
ゴーレムを倒し終えると、ノーファンの村へと二人は転移した。 辺りには木造りの民家が立ち並んでいる。遠くを見ると森や山があった。地面は土。その道路で、トウマとウミは隣り合って佇んでいた。 「普通の村だな」「そのようですね」「とりあえず、狩り場に行くついでに、村を見て回ってみるか」「はぁい!」 二人で並んで歩き出す。 すぐに他プレイヤーの姿があった。 横切っていく通行人。その顔色は明らかに沈んでいた。他にも座り込んでいる女性がいた。壁にもたれかかっている男。空を見上げている魔法使いふう。誰もが死んだ魚のような目をしている。 異変に気づいたウミが声をひそめてつぶやく。不安に揺れ
ロッジのような一室。木造りの天井と丸太で出来た壁。そこのベッドにユウマは腰掛けていた。 ここがゲームの中らしい。 顔の前にはステータス画面のような半透明の青いボードが浮かんでいる。 システム音声が響いた。 「プレイヤー様。VALORIUMオンラインの世界へようこそ!」 「あ、はい」 「まず、プレイヤー名を決めてください」 「トウマで頼む」 彼の本名は冬野悠馬である。 「トウマ、その名前は使用できます」 「良かった」 「次にゲーム内職業を選んでください」 画面には様々な種類のジョブが並んだ。 そして右上には特別コード入力の文字。そこをタップして、暗記し
ログネストの玄関は広い空間になっている。背の高い天井。タイル敷きの綺麗な床。 しかし、空気は息苦しいほど重かった。 今も、通路からドリンクを汲みに来た利用客がある。ちらりと振り返ると、寝ていないような疲れた顔をしていた。 ふと隣には男性店員に連れられた太り気味の客がやってきた。太り気味の客は男性店員に頭を下げて大声を出す。 「待ってください! あと五時間、五時間プレイできれば、ヴァルを払えそうなんです!」「お客様、すでに退室の時間でございます」 (……ヴァル?) 背中に鳥肌が立つのを感じながらユウマはカウンターに向き直る。 茶色い受付台を挟んで、ユウマの前には女性店員が立って
それは、どこにでもある小さな“シアワセ”だった。 朝。寝息を立てているユウマの肩に、妻が優しく手を置く。 「ユウマ、起きて起きて」「むにゃむにゃ、もっと寝てたい」「駄目。会社に行く時間よ」「ぐぐー、ん、朝?」 瞳を開く。目の前には妻の優しい笑顔があった。ユウマはダブルベッドから上半身を起こし、右手を口元に掲げて大あくびをする。 「ふわあ」「あら、大きなあくびですこと」「朝食は?」「出来ています。着替えて、ダイニングへ来てくださいな」「ああ、分かった」 クスッと笑って妻が部屋を出て行く。スリッパの足音が遠ざかって行った。 ユウマはベッドから出て支度をする。ワイシャ
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