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第8話

Author: 朝霧 七瀬
「お前なんかが紬音と比べられると思ってんのか!」

聡雅は怒りに任せて、潤音の首を思いきり掴んだ。

潤音は床に崩れ落ち、そのまま蹲った。

彼女も悟っていた。紬音にあの写真を送ったことがバレてしまった以上、もう言い訳は通じない。

だからこそ——今度は「子ども」で彼の心を引き留めようとした。

涙で顔を濡らした潤音は、必死に訴えかけた。

「聡雅さん、でも、私たちには子どもがいるのよ!?紬音さんがいなくなっても、私と赤ちゃんがそばにいるじゃない!

それに、あなたは『私を守る』って……お父さんと約束してくれたじゃない!」

その一言が、逆に聡雅の怒火に油を注いだ。

その目は真っ赤に充血し、吐き捨てるように言い放った。

「子ども?あんな卑怯な手で手に入れた、穢れた存在が、俺の子だとでも?

たしかに、先生と約束はした。だがな……お前が、どうして紬音と並べられると思った?」

次の瞬間、彼の手が勢いよく振り下ろされ——

乾いた音とともに、潤音の頬がはじけた。

彼女は声をあげて倒れ、身体を丸めて泣き出した。

聡雅は、その姿を見下ろしながら、まるで汚れたゴミでも見るかのような目をしていた。

そして、スマートフォンを取り出し、録画を始めた。

「紬音、見てくれ。俺は、あの女に報いを与えた。彼女なんか、俺の中では何の価値もない……俺が愛してるのは、永遠に君だけだ」

それからの彼は、紬音の行方を探すために、あらゆる人脈を使い、金に糸目をつけず情報を集めようとした。

だが——

いくら動いても、紬音の居場所はどこにもなかった。

まるで、初めからこの世界に存在しなかったかのように、彼女は跡形もなく消えていた。

もし、家中に残された彼女の気配がなければ、すべてが幻だったのかと疑ってしまいそうだった。

彼は自室に閉じこもり、紬音が使っていたものを一つ一つ丁寧に磨き上げ、酒に溺れながら、彼女がまだそこにいる錯覚に縋った。

ある日、友人が見かねて声をかけた。

「紬音さん、たぶん今は怒ってるだけだよ。だって、何も持って行ってないじゃないか。本気で出ていくつもりなら、全部片づけてるはずさ」

だが、聡雅は首を振りながら泣き崩れた。

「もう戻らないよ。あいつは、俺のことを……本当に終わらせたんだ」

長年一緒に暮らしてきた——

彼は誰よりも、紬音の性格をわかっていた
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