Se connecter不倫から家庭に戻った妻の高城美晴(たかしろ みはる)に、僕はあの男ときっぱり縁を切るための面会を3回だけ認めた。 彼女はその機会を逃すまいと、彼と夕食を共にし、一緒にものを作る時間を過ごし、夜通し看病した。 戻ってくると、彼女はあの男にまつわるものをすべて捨て、あらためて僕の手を握った。 「信じて。もうあなたを裏切らないから」 それは、僕が運転中に血気盛んな若い男と衝突事故を起こすまでのことだった。 相手の男が苛立たしげに助けを求めて電話をかけると、聞こえてきたのは妻の親しい友人の声だった。 「美晴、行かないほうがいいよ。3回とも、もう使い切ったでしょ。今度行ったら、旦那さんはきっと離婚を切り出すよ」 続いて聞こえたのは、それでも動じない美晴の声だった。 「悠人(ゆうと)は孤児で、これまで誰にも愛されたことがないの。離婚を恐れているのは、私よりあの人のほうよ。 みんな、このことは黙っていて。ちゃんと分かってる。これが最後だから」 血だまりに横たわる僕は、心まで冷え切っていった。 目の前で余裕を見せる男こそ、彼女が心を捧げた浮気相手だったのだ。 20分後、もう家庭を裏切らないと誓った美晴が、血相を変えて病院へ駆け込んできた。
Voir plusその場にいた参列者たちが、一斉に息をのんだ。美晴の手が強張り、口元が引きつった。「悠人、あなた……何を言っているの?このところずっとあなたを捜して、何も手につかないほど苦しんできたのに……どういう意味なの?」僕はもう一枚の離婚届受理証明書を彼女に差し出した。美晴にも心当たりがあったのだろう。大きく息を吸った。「あれは何も知らずに署名したの。あなたの冗談だと思っていたわ。どうして本気にするの?」僕は自嘲気味に笑った。彼女は怜央のために僕が人前で責め立てられるのを黙って見過ごし、さらに、僕が何より大切にしていた園長先生を傷つけることまで許した。その瞬間から、彼女に僕の妻を名乗る資格はなかった。「僕が冗談を言っているように見えますか?高城さん、知っていたかどうかは関係ありません。僕は離婚を決めました。届出はすでに受理されています。もう覆りません」美晴は感情を押し殺した。「悠人、もうこんなことはやめて。お願い。怜央とはもう別れると決めたし、警察にも通報した。あなたのために、必ず罪を償わせる。ここまでしても、まだ足りないの?」失われたのは、かけがえのない一人の命だ。そんなことで償えるはずがない。その時、耐えきれなくなった怜央が僕に飛びかかってきた。「この卑怯者!離婚するふりなんかするな。本当は誰より美晴から離れられないくせに!彼女を失えば、何者でもなくなるくせに!」「黙りなさい!」美晴は怜央に平手打ちを食らわせ、床へ倒した。彼女は僕へ向き直った。その目には、納得できないという思いが滲んでいた。「私を試しているの?もう嘘はつかないと言ったでしょう。私たちの間には、信頼も残っていないの?」僕は迷いなくうなずいた。「残っていません。僕はあのとき、3回だけ機会を与えると言いました。でも、君は約束を破った。3回と4回では、大した違いはないように見えるかもしれません。けれど、神谷からの電話を受けて病院へ駆けつけたとき、君は僕たちの信頼を完全に壊したんです」美晴は2歩後ずさった。その目に、後悔の色がよぎった。僕はもう取り合わず、警備員に頼んで2人を追悼式の会場から退去させた。その場には紗季のほか、佐伯園長に育てられた子どもたちもいた。誰もが深い悲しみに沈んでいた。「園長先生、
意識が朦朧とするなか、幼なじみの小野寺紗季(おのでら さき)が炎の中へ飛び込み、僕を救い出してくれた。だが、彼女はたった1人だった。すでに息を引き取っていた佐伯園長まで運び出すことはできなかった。紗季も僕と同じく児童養護施設で育ち、園長先生を実の親以上に慕っていた。僕たちは抱き合って泣いた。それでも紗季は、僕を気遣って言った。「悠人、あなたのせいじゃない。悪いのはあの人たちよ」僕が退院する頃には、紗季が職員に連絡を取り、園長先生の遺骨を引き取ってくれていた。僕たちは一緒に墓地へ向かい、その遺骨を納めた。園長先生が生前一番好きだったひまわりを墓石のそばに供え、目を赤くしながら告げた。「力を貸してくれ。必ず、神谷怜央に、罪を償わせる」紗季は人脈を頼り、集めた証拠をすべて警察に提出した。防犯カメラの映像を見た瞬間、僕の心は完全に打ち砕かれた――怜央は何人かを連れて佐伯園長を病院から拉致し、児童養護施設の屋根裏に縛りつけていた。高齢で衰弱していた佐伯園長は瀕死の状態で、床に落ちた心臓病の薬を拾うことさえできなかった。僕の姿を目にして、ようやく名残惜しそうに目を閉じたのだ。紗季は僕の手を握た。「今度こそは、美晴さんが彼をかばっても、思いどおりにはさせない。でも聞いたところ、美晴さんはあなたも火事で亡くなったと思って、すっかり取り乱し、見る影もないそうよ。それでいいわ。今度は彼女が、身を切られるような悲しみを味わう番よ」佐伯園長の追悼式の日、怜央が突然姿を現した。僕を見た瞬間、彼は幽霊でも見たような顔をした。「悠人さん……まさか、まだ生きていたなんて」目に滲む憎しみを隠すことはできなかった。「何をしに来た?今すぐ出ていけ!」そう言って、僕は湯呑みを彼に投げつけた。彼は難なく身をかわし、辺りを見回した。「決まってるだろ。僕の傑作を見に来たんだ。あの女は僕をヒモ呼ばわりした。あんな最期を迎えて当然だ!お前も一緒に死ねばよかったのに。生きてたって、美晴を奪い合うだけだろ?」頭に血が上ったが、僕は必死に怒りを押し殺した。「ヒモでないと言うなら、何なんだ。今すぐ出ていけ。もう顔も見たくない!」怜央が逆上し、僕に掴みかかろうとしたその時、美晴が現れた。「怜央、やめなさい!」美
「何ですって?今、何て言ったの?」美晴は秘書の返事を待つこともできず、よろめきながら火災現場へ引き返した。目の前には、黒く焼け焦げた遺体が横たわっていた。「こ、これは誰……?悠人じゃないわよね?」現場の担当者が慌てて説明した。「違います。身元を確認したところ、亡くなったのは佐伯和子(さえき かずこ)さんという女性です」それは、児童養護施設の園長だった。それでも、美晴の緊張は少しも解けなかった。「どうして火事で亡くなったの?病院にいたはずでしょう?私が心臓移植に向けた手配を進めていたのに……」悠人がおとなしく謝ると約束してから、美晴は移植手術の手配を進めさせていた。それなのに、なぜ佐伯園長がここにいるのか。担当者は困ったように答えた。「この女性は何者かに拉致され、施設へ連れ込まれていました。病院にも確認済みです。誰が拉致したのかは、さらに調べる必要があります。また、この火災は放火の可能性が高く、現時点では、1人の犯行とみています」悠人は昔から佐伯園長を家族のように慕っていた。その人が今、焼け焦げた遺体となって目の前にいた。美晴はいたたまれず目を逸らし、突然姿を消した悠人への不安を一層募らせた。もう1度電話をかけると、少し離れた場所から聞き覚えのある着信音が鳴った。美晴は1歩ずつそちらへ近づき、地面に落ちていた焼け焦げかけの携帯を拾い上げた。「こ、これは夫の携帯よ」そばにいた担当者が説明した。「火災現場で見つかりました。もしご主人が本当に中へ入ったのなら、すでに……という可能性も否定できません」「そんなはずない!」美晴は我を忘れて叫んだ。「夫が焼け死ぬなんてありえない。でたらめを言わないで!」美晴の視界は霞み、ほとんど何も考えられなくなった。悠人はついさっきまで自分と言い争っていたのに。そんなはずが……そのとき、ボディーガードが突然、怜央を押さえつけたまま連れてきた。「社長、監視カメラを確認しました。佐伯園長を拉致したのはこの男です」怜央はボディーガードの腕の中で激しくもがいた。「離せ!僕は高城社長が大切にしている人間だぞ。何の権利があって僕を捕まえるんだ!美晴、話を聞いて。僕はただ悠人さんを少し脅かしたかっただけなんだ。まさか急に火がつくなんて……」言い終え
「早く消防に通報して!火事よ!」人々はたちまち混乱に陥り、四方へ逃げ惑った。炎は勢いを増すばかりで、熱気が絶え間なく押し寄せてくる。目の前の光景に美晴の胸がざわつき、悠人のことが頭をよぎった。「悠人は?ここの火事を知っているの?」秘書は慌てて電話をかけたものの、首を横に振った。「社長、旦那様は電話に出ません。ですが、ここは人里離れた山の中ですし、子どもたちはまだ学校から戻っていません。建物の中に人はいないはずです」それを聞いて、美晴はひとまず胸を撫で下ろした。「すぐ消防隊を呼んで。できるだけ建物が残るよう消火してもらうのよ」悠人へ連絡しようとしたところで、怜央がそっと美晴の手をつかんだ。「美晴、この火、悠人さんがつけたんじゃないかな?今夜、僕たちが視察に来ると知っていたから、火を放って、メディアの前で僕たちに恥をかかせようとしたんじゃ……」その言葉に、美晴は先ほど悠人が取り乱し、ことあるごとに怜央を責め立てていた姿を思い出した。「そうね。今日はずっとあなたに突っかかっていた。いつからあんなに計算高くなったのかしら?」悠人と怜央が同じ事故に巻き込まれたときも、美晴は迷うことなく怜央の見舞いへ向かった。そのことで、悠人はひどく傷つき、失望しているようだった。美晴は独り言のように呟いた。「3回も4回も大して変わらないでしょう。ほんと細かいんだから」そう口では言いながらも、激しく燃え盛る炎を前にすると、胸の奥がずきりと痛んだ。消防隊が駆けつけ、懸命な消火活動を始めた。何度電話しても悠人は出ない。美晴の胸に、嫌な予感が広がった。振り返ると、秘書に指示した。「あなたはここに残って。何かあれば知らせて。私はいったん家に戻るわ」「承知しました」怜央も車へ乗り込もうとしたが、美晴は初めて彼に苛立ちを露わにした。「運転手に送らせるわ。忙しいの」そう言い残すと、車が怜央に接触して彼が倒れても、美晴は構わず、そのまま車を走らせた。帰る道すがら、美晴は児童養護施設が火事になったことを悠人へどう伝えるべきか、言葉を探し続けた。あの施設は悠人にとって家も同然で、ほとんど毎週のように足を運んでいた。それが今や焼け跡になってしまったのだから、きっとまた深く傷つくだろう。美晴はひとまず悠人への怒