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恋人だと思った幼馴染は嘘つきだった

恋人だと思った幼馴染は嘘つきだった

Oleh:  柳マツタケTamat
Bahasa: Japanese
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幼馴染の保志紀香(ほし のりか)と一夜を共にするのは、これで何回目になるのだろう。 それでも彼女は、相変わらず情熱的だった。 翌朝。 全身に引っかき傷やキスマークを付けられた倉木駿介(くらき しゅんすけ)は、身動きするたび、昨夜の熱に浮かされたような時間を思い出していた。 部屋にはまだ、夜の名残が漂っている。 紀香は駿介の腕の中に身を預け、細く長い指で引き締まった胸元をなぞりながら、ふと思い出したように口を開いた。 「明日、一緒に実家に来て。ちゃんとした格好で来てよ」 その言葉に、駿介は驚いて顔を上げた。胸の奥に、隠しきれない期待が膨らんでいく。 「……僕たちのこと、やっと家族に話してくれるのか?」 紀香は眉を上げ、きょとんとした顔で駿介を見る。 「何の話?明日、好きな人を家族に紹介するの。駿介には、場を盛り上げてもらおうと思って。相手が気まずくならないようにね」 その一言一言が、駿介の胸に突き刺さった。 頭の中が真っ白になり、心臓まで止まってしまったようだった。 「……好きな人?じゃあ、僕は……何なんだ?」 紀香はベッドを出て、服を身につけながら気怠げに駿介を振り返る。 「駿介が?」 そして、あっさりと言った。 「もちろん、いろんなことを一緒にする友達だよ。一緒にご飯を食べたり、ゲームをしたり。それから……お互いの欲求を満たすための、身体の友達ってやつ?」

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Bab 1

第1話

駿介の身体から、すっと熱が引いていった。顔から血の気が失せ、唇がかすかに震える。

そんな彼を見て、紀香の笑みが少しずつ消えていった。そして、彼の顔を覗き込む。

「まさか駿介……今まで、私たちが付き合ってると思ってたの?」

そのからかうような口調は、まるで鋭い刃のようだった。

駿介は鼻の奥に込み上げてくるものを必死に堪えた。

「そ、そんなわけ……ないだろ」

声がうまく出ない。

「僕、シャワー浴びてくる」

慌てて立ち上がり、足元もおぼつかないまま浴室へ向かう。

扉を閉めた瞬間、全身から力が抜け、駿介はその場に崩れ落ちた。

さっきの言葉が、何度も頭の中で繰り返された。駿介は自分の身体に残った、細かな傷を見つめた。

それは昨夜、紀香に付けられたもの。

次の瞬間、堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。

2人が知り合ってから、もう20年以上になる。

子供の頃からおやつを分けて食べ、一冊の漫画を奪い合うように読んだ。

20歳の頃には、酒に酔った勢いで一線を越えた。

一度きりのはずだった。

けれど、それが二度になり、三度になり――いつしか、数えることすら意味をなさなくなった。

夜になれば、互いの距離は限りなく近くなる。

昼間だって、恋人同士がするようなことを当たり前のようにしてきた。

人混みの中で手をつないで歩いた。新年を迎えるたび、来年も一緒にいようと約束するように口づけを交わした。

毎日のように長電話をして、他愛のない話を何時間も続けた。

だから駿介は、ずっとそう思っていた。

――自分と紀香は、もう付き合っている。ただ、まだ周囲に公表していないだけなのだと。

それなのに。

今、紀香は言った。

自分たちは付き合っていない、と。

胸が痛くて、息ができない。

震える手でシャワーを最大まで強くする。水音に紛れさせなければ、泣き声が紀香に聞こえてしまいそうだった。

どれほどそうしていたのか。涙さえ枯れ果て、気持ちがようやく少しだけ落ち着いた。

駿介は何事もなかったような顔を作り、浴室を出た。

紀香は着替えを済ませ、ソファに座って電話をしていた。

「明日は人が多いから、個室は広めでお願い。雅也はあっさりしたものが好きだから、料理の味付けは薄めに。ケーキはブラックフォレストで。花はピンクと白のバラ。会場の飾りつけが終わったら、写真を送って。私が確認するから。

それから、ドレスは10着くらい用意しておいて。戻ってから選ぶから。色は全部黒でお願いね。雅也は黒が一番好きだから」

「雅也」という名前を聞いた瞬間、駿介の胸が大きく跳ねた。

思わず紀香へ目を向ける。

その横顔には、今まで見たことがないほど甘やかな笑みが浮かんでいた。

駿介の目から、すっと光が消えた。

明日、家族に紹介するという相手は、村上雅也(むらかみ まさや)だったのか。

だとしたら、紀香がこんなにも嬉しそうな理由が分かる。

高校時代、紀香は雅也に片思いをしていた。駿介の前でも、毎日のようにその名前を繰り返していた。

けれど、想いを伝える前に、雅也は海外へ行ってしまった。

それ以来、紀香の口から雅也の名前を聞くことはなくなった。

やがて駿介と紀香は、一夜の過ちをきっかけに、少しずつ距離を縮めていった。だから駿介は、紀香はもう雅也のことは忘れたのだと思っていた。

けれど――違った。

雅也の名前を口にしなくなっただけで、あの頃の想いを、紀香は一度も手放していなかったのだ。

駿介の胸を襲っていた痛みが、再び込み上げてくる。

あまりの苦しさに、手にしていたスマホさえ握っていられない。

指から力が抜け、床に落ちた。

――カタン。

物音に気づいた紀香が振り返る。その顔には、相変わらず柔らかな笑みが浮かんでいた。

「それじゃ、私はもう帰るね。部屋代はもう払ってあるから、あとでチェックアウトして」

そう言ってコートを手に取った紀香は、ドアへ向かう。だが、出ていく直前になって、ふと足を止めた。

振り返った顔には、少しからかうような笑みが浮かんでいる。

「駿介。私、ずっとあなたのことを友達だと思ってた。だから、そんな落ち込んだ顔をしないで。じゃないと、駿介が私に変な気を起こしてるのかって、勘違いしちゃうじゃない。

私たちって、お互いのことを何でも知ってるでしょ?目を合わせるだけで、あなたが何を考えてるかすぐ分かるし。そんな毎日、つまらないと思わない?」

紀香は笑ったまま、最後の言葉を口にする。

「もし本当に付き合ったとしても……そんな関係じゃ、始まった瞬間に終わったようなものでしょ?」

その声は、遠ざかる足音とともに少しずつ小さくなっていったが、駿介の胸の中にずっと響いていた。

冷え切ったベッドに一人座り、駿介は俯いたまま、ふっと笑った。

やがて、その笑い声に涙が混じった。

――そうだったのか。

紀香は、ずっとこんなふうに自分を見ていたのか。

駿介は一人、深夜まで部屋に残っていた。ようやく重い腰を上げて階下へ降り、チェックアウトを済ませる。

外は、いつの間にか激しい雨になっていた。

けれど、駿介は雨など降っていないかのように、何も考えられないまま家へ戻った。

ずぶ濡れになった姿を見た父・健一(けんいち)と母・静江(しずえ)は、慌てて乾いたタオルを持ってくる。

「こんな大雨なのに、どうしてタクシーを使わなかったの?」

駿介はぼんやりと両親を見つめた。目には光がない。

そして、掠れた声で、ぽつりと言った。

「父さん、母さん。仕事の都合で、海外に移住したいって言ってただろ?僕もついていく。一生戻って来られなくてもいいから」

半年以上、息子を説得し続けてきた両親にとって、思いがけない言葉だった。静江は戸惑いを隠さないまま、問いかける。

「本当にいいの?もしかして……その彼女と別れたの?」

そう聞かれ、紀香の言葉が再び脳裏に蘇る。胸の奥が、ずきりと痛んだ。

駿介は苦笑を浮かべ、ゆっくり首を横に振った。

「彼女なんて、最初からいなかったんだ。結婚しろってうるさく言われるのが嫌で、嘘をついてただけだよ」

それが本当なのかどうか、駿介の両親には分からなかった。

それでも、息子がようやく移住を決意したことは嬉しかったのだろう。すぐに移住の手続きを始めると言って、駿介にも荷物をまとめるようにと念を押した。

駿介は短く「わかった」と答え、自分の部屋へ戻る。そして、紀香に関するものを処分し始めた。

10年以上、大切に保管していた何冊もの分厚いアルバム。

紀香から贈られた腕時計、服、手編みのマフラー。どれも、捨てるなんて考えたことがなかったものばかりだった。

けれど今は、そのすべてがゴミ袋へ放り込まれていく。

「坊ちゃん……これ、全部坊ちゃんが大切にされてきたものでしょう?捨ててしまって、本当によろしいのでしょうか?」

捨てられていく品々を見つめ、使用人が心配そうに尋ねる。

駿介は静かに頷いた。

「ああ、もう必要ないからな」

物だけじゃない。

好きという気持ちも、紀香という存在さえも、もう必要ないのだ。

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Tomo Tomo
Tomo Tomo
手抜きのテンプレ作品。 ほぼほぼ同じストーリーの女性主人公の小説を見たことある。主人公が男性だとこうなる、的なひねりも面白味も全くない。
2026-11-08 12:22:33
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25 Bab
第1話
駿介の身体から、すっと熱が引いていった。顔から血の気が失せ、唇がかすかに震える。そんな彼を見て、紀香の笑みが少しずつ消えていった。そして、彼の顔を覗き込む。「まさか駿介……今まで、私たちが付き合ってると思ってたの?」そのからかうような口調は、まるで鋭い刃のようだった。駿介は鼻の奥に込み上げてくるものを必死に堪えた。「そ、そんなわけ……ないだろ」声がうまく出ない。「僕、シャワー浴びてくる」慌てて立ち上がり、足元もおぼつかないまま浴室へ向かう。扉を閉めた瞬間、全身から力が抜け、駿介はその場に崩れ落ちた。さっきの言葉が、何度も頭の中で繰り返された。駿介は自分の身体に残った、細かな傷を見つめた。それは昨夜、紀香に付けられたもの。次の瞬間、堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。2人が知り合ってから、もう20年以上になる。子供の頃からおやつを分けて食べ、一冊の漫画を奪い合うように読んだ。20歳の頃には、酒に酔った勢いで一線を越えた。一度きりのはずだった。けれど、それが二度になり、三度になり――いつしか、数えることすら意味をなさなくなった。夜になれば、互いの距離は限りなく近くなる。昼間だって、恋人同士がするようなことを当たり前のようにしてきた。人混みの中で手をつないで歩いた。新年を迎えるたび、来年も一緒にいようと約束するように口づけを交わした。毎日のように長電話をして、他愛のない話を何時間も続けた。だから駿介は、ずっとそう思っていた。――自分と紀香は、もう付き合っている。ただ、まだ周囲に公表していないだけなのだと。それなのに。今、紀香は言った。自分たちは付き合っていない、と。胸が痛くて、息ができない。震える手でシャワーを最大まで強くする。水音に紛れさせなければ、泣き声が紀香に聞こえてしまいそうだった。どれほどそうしていたのか。涙さえ枯れ果て、気持ちがようやく少しだけ落ち着いた。駿介は何事もなかったような顔を作り、浴室を出た。紀香は着替えを済ませ、ソファに座って電話をしていた。「明日は人が多いから、個室は広めでお願い。雅也はあっさりしたものが好きだから、料理の味付けは薄めに。ケーキはブラックフォレストで。花はピンクと白のバラ。会場の飾りつけが終わった
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第2話
翌朝。駿介は、スマホの通知音に起こされた。紀香から大量のメッセージが届いている。「何時に来るの」とか、「早く来てね」といった催促ばかりだった。画面を見つめながら、駿介は胸の奥で苦く笑った。――紀香。自分がどれだけ残酷なことをしているのか、一度でも考えたことがあるのだろうか。震える指で、短く返す。【ごめん、今日体調が悪いから、行けなくなった】しばらくすると、部屋のドアがノックされた。「駿介、起きてる?」ドアを開けると、健一と静江が立っていた。「紀香と喧嘩して、拗ねてるんだって?そんなに意地を張ってないで、早く紀香の家へ行きなさい。今日のこと、紀香はずっと楽しみにしてたんでしょう?あの子、昔から村上くんのことが好きだったらしいわよ。彼が帰国したと聞いたら、すぐにお父さんに頼んで、話を通してもらったんだから」健一も頷いた。「そうだ。村上くんは昔、私のところでしばらくピアノを習っていてね。今回の話も、私が彼のご両親に直接話をして、ようやくまとまったんだ。保志家は贈り物から食事の席まで、念入りに準備しているらしい。駿介を呼んだのも、場を和ませるためだろう。同年代の男が一人いれば、村上くんも少しは気が楽になるからな」少し間を置いてから、健一が諭すように続けた。「紀香は今回、本気なんだと思う。あなたたちは仲がいいんだろう?だったら、少しくらい協力してやったらどうだ?」紀香は駿介が来ないと知ると、両親にまで連絡を入れたらしい。2人の言葉を聞きながら、駿介は込み上げてくる苦しさを必死に飲み込んだ。「……分かった」それだけ答え、身支度を整えて家を出る。倉木家と保志家は近い。10分ほどで、駿介は紀香の家の前に立っていた。いつものように玄関へ入り、靴箱を開ける。けれど――そこにあるはずのものが、なかった。何度見ても、紺色のスリッパが見当たらない。駿介は靴箱の中を上から下まで探した。それでも見つからず、ふと玄関の外へ目を向ける。家の前に置かれたゴミ箱。その中に、見覚えのあるスリッパがあった。駿介のものだった。それだけじゃない。ゴミ箱には、彼が使っていたカップや歯ブラシ、タオル、パジャマまで入っている。「こちらはお嬢様が処分されたものです。ひとまず、こちらのスリッパをお使いくださ
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第3話
夕方になると、保志家が車を手配し、紀香、雅也、そして駿介はレストランへ向かった。後部座席には、3人が並んで座っている。真ん中に座った紀香は、道中ずっと雅也の世話を焼いていた。エアコンの温度を調整したかと思えば、寒くないかとブランケットを用意したり、喉が渇いてないかと水を手渡したり。そんな紀香と雅也が楽しそうに話す姿を、隣に座った駿介は黙って眺めていた。そして何も言わず、窓の外へ顔を向ける。途中、突然、滝のような雨が降り始めた。フロントガラスを叩く雨粒がみるみる増え、辺りは一気に薄暗くなる。そのとき、対向車のハイビームが視界に飛び込んできた。雨粒に乱反射した光が目を刺し、一瞬、前が見えなくなる。ちょうど車が下り坂に差し掛かり、目の前の道路が大きくカーブした。運転手が慌ててハンドルを切る。だが、間に合わなかった。次の瞬間、車体が大きく振られ、そのままガードレールへ突っ込んだ。「危ない!」衝突する直前、紀香は反射的に雅也を庇うように身を乗り出した。――ドンッ!凄まじい衝撃が車内を襲った。窓ガラスが砕け散り、無数の破片が車内へと飛び込んでくる。紀香が雅也を庇った一方で、駿介はまともに衝撃を受けた。全身にガラスの破片が突き刺さり、鮮血が一気に流れ出す。「……っ!」身体中を激痛が駆け抜けた。まるで骨の一本一本まで、粉々に砕かれてしまったかのようだった。薄れゆく意識の中、駿介は右側のドアが開くのを見た。紀香が、血相を変えて雅也を車外へ連れ出している。「大丈夫?怪我はない?」そう声をかけながら救急車を呼び、何度も雅也を安心させるように言葉をかけている。まるで――車内に、駿介もいることなど忘れてしまったかのように。やがて救急車が到着した。医師や救急隊員は、重傷者から搬送しようとする。けれど、血だまりの中に倒れている駿介と、恐怖で顔を青ざめさせている雅也を前にして、紀香は数秒迷っただけで、雅也を先に救急車へ乗せるよう、医者に頼んだ。遠ざかっていく救急車を、駿介はぼんやりと見つめていた。視界の焦点が、少しずつ合わなくなっていく。それでも、涙だけは止まらなかった。紀香。20年以上、一緒に過ごしてきた時間さえ――雅也が向けた、たった一度の視線にすら敵わなかったの
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第4話
その夜、駿介は航空券の予約サイトを開き、波浜市からS国へ向かう直行便を探していた。決済を終えた、そのときだった。病室のドアが開き、紀香が雅也を連れて入ってきた。「駿介、いい報告があるの!」紀香は嬉しそうに笑い、雅也と繋いだ手を見せる。「雅也と付き合うことになったの。駿介は一番の親友だから、真っ先に報告しにきた!」2人の指が、しっかりと絡み合っている。駿介はそれを一瞥すると、静かに微笑んだ。「そうか、よかったね……おめでとう」雅也も幸せそうに微笑み、穏やかに言った。「ありがとう。倉木くんがかなりひどい怪我をされたと、お母さんから聞いたが……早く回復するといいな。お見舞いに、うちの母が作った海鮮雑炊を持ってきた。よかったらどうぞ」そう言いながら、雅也は紀香に目を向ける。「紀香、そこのスープジャー、持ってきてくれる?」「あ、はい」紀香は素直に頷き、スープジャーを手に取り、蓋を開けた。その姿を見て、駿介は一瞬、言葉を失った。紀香が、こんなにも素直に誰かの言葉を聞くなんて。それが雅也の言葉だからなのだと気づくまで、少し時間がかかった。「……ありがとう。でも僕は……」駿介が断ろうとすると、紀香の表情が一瞬で冷えた。「これ、雅也のお母さんが作ってくれた雑炊だよ?本当は私だって、駿介にはあげたくなかったけど、雅也があなたの怪我を心配してるから、わざわざ持ってきてくれたのよ」そう言いながら、紀香はスプーンを駿介の手に押しつける。「ほら、今飲んで」「いや、だから――」説明しようとした駿介の手首を、紀香が掴んだ。その拍子に、スープジャーが大きく傾く。熱い雑炊が、駿介の傷口へまともにこぼれ落ちた。「っ……!」激痛が走る。額から冷や汗が噴き出し、駿介は顔を歪めた。雅也が驚いて、慌ててティッシュを手に取る。けれど紀香は、そんな雅也をすぐに自分の後ろへ庇った。「大丈夫、雅也のせいじゃないから。駿介なんて昔から体が丈夫だし、このくらい、どうってことないって」駿介の手が、ティッシュを握ったまま小さく震えた。胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。その直後、病室のドアが開いた。「駿介!」入ってきた健一が、血の滲み始めた包帯を見て顔色を変え、慌てて看護師を呼んだ。静江も駆け寄
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第5話
保志夫妻が口を開く前に、駿介が先に答えた。「……誰も。紀香の聞き間違いだよ」保志夫妻は、驚いたように顔を見合わせ、それから駿介へ視線を向けた。けれど紀香は、両親の怪訝そうな表情には気づきもしない。そのまま駿介の腕を引いた。「ちょうど会いに行こうって思ってたの。お父さんたちとの話も終わったんでしょ?ちょっと付き合ってよ」そう言って、紀香は駿介を引っ張り、車に乗り込んだ。途中、2人の間に会話はなかった。やがて車が止まると、駿介は眉をひそめた。目の前は高級ブランドの店だった。紀香は店員に声をかけると、次々と服や靴、バッグを運ばせた。そして、駿介に言う。「これ、全部試して」「……何のために?」戸惑いを隠せず尋ねる駿介を、紀香はそのままフィッティングルームへ押し込む。「いいから、試してみて」有無を言わせぬ口調だった。駿介がなおも断ろうとしたところで、店員が服を手渡すと、扉を閉めた。一着試着するたびに写真を撮られ、着替えが終われば、また別の服を渡される。その繰り返しだった。一着、また一着。気づけば、駿介は百着近い服を試着させられていた。さすがに体力も尽き、履き慣れない革靴で擦られた足は、とうとう血が滲んでいる。「……もういい」限界を迎えた駿介は、店員を止めた。そして紀香の前まで歩いていく。「僕は、こんなものを買ってもらうまで謝罪してほしいわけじゃ――」「このワインレッドのスーツ以外、全部マウンテンヒルズのこの住所に送って。受取人は村上雅也にすればいいから」紀香の声が重なった。駿介は、そこで言葉を失った。目の前で紀香が迷いなくカードを切る。その光景を見つめながら、やがて乾いた声を絞り出した。「……僕に試着させたのって、村上さんに贈るためだったのか?」紀香はあっさりと頷いた。口元には、かすかな笑みさえ浮かんでいる。「そうよ。彼にプレゼントしたいんだけど、好みに合わなかったら嫌じゃない?駿介は雅也と体格が似てるし、試着してもらえば、間違いないと思って」それだけ言うと、紀香は次の予定まで当然のように口にした。「このあと、上の階のディーラーと時計のお店、それからメンズ用品のお店も見に行くから。食べ物も飲み物も、使うものも、全部駿介が試してみて。雅也に贈る
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第6話
翌朝。駿介が1階へ下りると、そこには紀香がいた。ソファに腰を下ろし、いかにも機嫌が悪そうな顔をしている。「駿介!」何日も溜め込んでいた苛立ちが、その低くて硬い一声に滲んでいた。それでも駿介は、彼女の機嫌を取ろうとはしなかった。「……おはよう」淡々と挨拶をすると、時計に目をやる。「ちょうど出かけるところなんだ。彼女と約束があるから、悪いけど今日は相手できない。ゆっくりしていって」その一言で、紀香の中に溜まっていた怒りが一気に噴き出した。「……彼女?」紀香は勢いよく立ち上がり、駿介の前に立ちはだかった。「いつの間に、彼女なんてできたの?」駿介は答えなかった。紀香にきつく睨まれても、表情を変えない。「黙ってないで、答えなさいよ!」紀香はさらに声を荒げた。駿介は少しも動揺を見せず、冷たい声を返した。「どうして答えないといけないんだ?あなたは関係ないだろ?」「何よ、それ」「余計なことに首を突っ込むなって言ってるんだよ」2人の間に張り詰めた空気が走った、そのときだった。階段を下りてきた静江が、慌てて2人の間に入った。「まあまあ、2人とも落ち着いて。紀香、駿介の話、真に受けなくていいからね。この子は今、いろいろと忙しいんだから、彼女なんて作る余裕はないよ。それに、恋愛のことは、落ち着いてから考えても遅くないって、何度も言い聞かせたのよ。駿介も、紀香には優しくしてあげて。2人は子どもの頃からずっと一緒だったんだから、言いたいことがあればちゃんと話しなさい。喧嘩はよくないよ」静江にそう言われ、2人ともそれ以上は言い返さなかった。しばらくして静江が外出すると、紀香もようやく気持ちを落ち着かせた。さっきは少し感情的になりすぎた。そう思ったところで、静江の言葉が引っかかった。――今、駿介はいろいろと忙しい?恋愛は、落ち着いてから?なぜそんな言い方を?紀香にはまるで心当たりがなかった。「……さっきの、嘘だったの?」駿介はちらりと紀香を見ると、部屋の隅の椅子へ腰を下ろした。「……それより、何か用?」また話を逸らされた。駿介が素直に答えてくれる気がないことに気づき、紀香は気持ちを切り替え、本題に入った。「私の誕生日パーティー、どうして来ないって言った
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第7話
誕生日パーティーも半ばに差しかかった頃、紀香と雅也が結婚の日取りを発表した。そこで駿介は初めて知った。今日が紀香の誕生日というだけではない。2人の婚約披露も兼ねた宴だったのだ。会場は、割れんばかりの拍手に包まれた。あちこちから祝福の声が飛び交う。駿介は一人、隅のソファに座ったまま、幸せそうに口づけを交わす2人を眺めていた。不思議なほど、何も感じなかった。やがて祝杯を挙げる時間になると、雅也が紀香の手を取り、笑顔で駿介のもとへやって来た。「倉木くんは、紀香の幼馴染だよな。俺たちの結婚式に、ぜひ来てくれ」「誘ってくれて嬉しいけど、その日は予定があって、行けそうにないんだ」あまりにも迷いのない返事に、紀香の表情が目に見えて強張る。冷たい視線を駿介に向け、硬い声で言った。「別に来なくてもいいわ。ご祝儀だけ忘れないでね」駿介は軽く頷いた。「それはもちろん。僕たちは幼馴染だからね」穏やかで、誠実な声音だった。まるで、本心から2人の結婚を祝っているかのように。紀香の脳裏に、駿介を買い物に連れて行った日に、彼が言っていた言葉が蘇る。その瞳に、複雑な色が一瞬だけ浮かんだ。そのとき、会場に明るく軽やかなピアノの旋律が流れ始めた。紀香は何を言えばいいのか分からないまま、雅也の手を取る。そして2人でダンスフロアへ向かった。スポットライトが、寄り添う2人の姿を追いかける。軽やかなステップを踏みながら、まるで2匹の蝶が舞うように、2人は華やかなフロアを行き交っていた。仲睦まじい姿に、周囲の客からは羨望の眼差しが集まる。「本当にお似合いね。まさに美男美女って感じ。でも、知り合って1ヶ月ちょっとで婚約なんて、少し早すぎない?」「そんなことはないよ。紀香さんは昔から雅也さんのことが好きだったのよ。何年も想い続けて、やっと再会したらしいの。そりゃあ、早く婚約して、一緒になりたいんでしょ」駿介はソファに身を預け、黙って2人を眺めていた。ふと、昔のことを思い出す。紀香に社交ダンスを教えたのは、自分だった。あの頃、2人は息が合わなくて、紀香が何度も駿介の足を踏んだ。それでも、普段ならすぐに投げ出してしまうほど気の短い紀香が、そのときだけは諦めなかった。悪戯っぽく笑いながら、駿介の耳元に顔を寄せて――「
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第8話
医師から「骨には異常がありません。少し深めの擦り傷程度です」と告げられ、駿介はようやく胸を撫で下ろした。傷の手当てを終えると、そのまま家へ戻った。出国の日が近づくにつれ、リビングには大小さまざまなスーツケースや段ボールが積み上がっていく。数日ほど休んだあと、駿介は親しい友人たちに、海外へ移住することを伝えた。すると友人たちは、駿介のために送別会を開いてくれた。別れを惜しむ空気が漂う中、皆が口々に「向こうへ行っても、ちゃんと連絡しろよ」と声をかけてくれる。宴が終わったのは日付が変わる頃だった。駿介は皆を見送り、会計を済ませると、コートを取りに個室へ戻った。部屋を出たところで、隣の個室から聞き覚えのある声が聞こえてきた。「紀香さん、ずっと憧れてた人と結ばれた今って、どんな気分ですか?」扉は少しだけ開いていた。中から聞こえてくる紀香の声は、楽しそうに弾んでいた。「たぶん、今ここで死んでもいいって思えるくらい幸せ」その言葉に、部屋の中から一斉に笑い声が上がった。続いて、誰かがからかうように尋ねる。「じゃあ、あの幼馴染は?」数秒ほど、沈黙が落ちた。やがて紀香が口を開く。その声は、相変わらず軽かった。「駿介?……まあ、体の相性は悪くなかったかな」「寝たい時に寝てくれる相手がいるのっていいよね、しかも責任を取らなくていいんでしょ?紀香さんが羨ましくて死んじゃいそう」「ふふ、何それ」他の誰かが笑い声を上げる。紀香は眉を上げただけで、何も言わなかった。やがて、また別の声がする。「紀香はもう村上さんと婚約したんでしょう?あの幼馴染とは、これからどうするの?」紀香の返事に迷いがなかった。「きれいに終わらせるわ。私が好きなのは雅也だけだもの。彼以外は、誰もいらない」きっぱりと言い切るその声に、周囲からは「一途だね」と称賛の声が飛んだ。扉の外にいる駿介は、ぼーっと立ち尽くしていた。指の関節が白くなり、爪が掌に食い込むほど両手を強く握りしめる。もう、心が痛くなることはないと思っていた。けれど――紀香本人から聞かされた言葉は、思っていた以上に残酷だった。20年以上、一緒に過ごしてきた時間も。何年も続けた、眠るまでの長電話も。何気なく繋いだ手も、唇を重ねたことも。
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第9話
事情を確かめず、自分を一方的に責める紀香を前に、駿介の胸に残っていた痛みが、限界まで膨れ上がった。それでも、まだ冷静さは失っていなかった。どうしてこうなったのか、せめて事情だけは分かってほしい。「……違うんだ、紀香。先に手を出したのは村上さんだった」駿介は必死に説明した。「村上さんは仲間を集めて、僕を痛い目に遭わせようとした。階段から落ちたのだって、自作自演だ。信じられないなら、あっちの個室を見に行けばいい。中にまだ2人――」「嘘はやめろ!」雅也が慌てたように声を上げる。そして、紀香の手を握ると、必死に訴えかけた。「先に挑発してきたのは倉木くんだ。俺が、お前たちの関係に割り込んだ卑怯な人間だって……散々ひどいことを言われたんだ」雅也は苦しそうに顔を歪める。「それで、俺が気に入らないからって突き落としたんだ!俺は何もしてないのに……」駿介と雅也。2人の言葉が食い違う中で、紀香は迷うことなく雅也の言葉を信じた。彼女は雅也を庇うように、彼の前に立つ。そして、胸の奥で燃え上がった怒りを、そのまま駿介へぶつけた。「雅也があなたを傷つけようとしたって?そんなわけない。雅也が、そんなことをする人間じゃない!駿介こそ、雅也を突き落としておいて……今度は自分が被害者みたいな顔をするの?」紀香はさらに言葉を重ねた。「駿介は昔から、私に付きまとってばかりだった。両家の付き合いがあるから、一緒にいてあげただけなのに、変な勘違いをして、私の大切な人まで傷つけた……駿介にがっかりだよ。もう二度と、私の前に現れないで!」駿介の心から、最後に残っていた温もりが消えた。しばらく紀香を見つめると、はっきりと言った。「……分かった。あなたがそう望むなら、僕はもう二度と、あなたとは関わらない」その冷たい声音に、紀香の怒りはさらに募った。「今すぐ消えて!二度と顔を見せないで!」明日は海外へ飛び立つ日だ。だから、紀香の願い通り、これから先2人が顔を合わせることは、もうない。そう考えながら、駿介は振り返ることもなく、その場を去った。……一晩休んだ駿介は起き上がると、壁に掛かった日めくりカレンダーから最後の一枚を破り取った。そして荷物を詰めたスーツケースを手に、車庫へ向かおうとする。そのとき、後ろから健
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第10話
翌日の早朝、紀香はようやく帰宅した。脱いだコートをソファに放り、がらんとしたリビングを見回す。「ふぁ」とあくびをしながら、掃除をしていた使用人に尋ねた。「昨日、家から何度も電話がかかってきてたけど、何だったの?」使用人は手を止め、恭しく答える。「旦那様と奥様が倉木様ご一家をお食事にお招きしていたのですが、昨日――」「もういいわ」「倉木」という名前を聞いた途端、紀香は露骨に顔を曇らせた。「これから倉木家のことは、話せなくていいから」それだけ言うと、紀香は自室へ戻って、布団に入った。目を覚ました頃には、もう昼近くになっていた。1階へ下りると、ちょうど両親が昼食を取っているところだった。紀香を見つけた武が、手招きする。「紀香、駿介に電話してみてくれ。もう――」紀香はそのまま席につき、素っ気なく遮った。「この後結婚式場を見に行くから、そんな暇がないの」佳苗もそれ以上何も言わなかった。代わりに自分のスマホを取り出し、静江へビデオ通話をかける。その直後、紀香のスマホに、雅也から電話がかかってきた。紀香の顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。イヤホンをつけると、嬉しそうに声を弾ませた。「今日は早起きね。そっちに行くから、一緒にお昼を食べましょう」そう言いながら立ち上がる。両親のそばを通り過ぎようとしたとき、紀香はふと母親のスマホへ目を向けた。画面に映っていたのは――どこか穏やかな笑みを浮かべる駿介の顔。その背後には、ホテルの一室にも見える見慣れない風景が映っていた。「……?」紀香は足を止めかけた。こんな時間に、どうして家にいないのだろう。小さな疑問が胸に浮かぶ。尋ねようとしたところで、イヤホンの向こうから雅也の声が聞こえた。「昼ごはんはあの店の海鮮丼にしない?連れてってあげるよ」「あ、いいね。今から行く」紀香はそれ以上気に留めず、玄関へ向かった。靴を履きながら、リビングから聞こえてくる母親の声が耳に入る。「もう向こうに着いたのね?そっちの天気は?」紀香の手が、ほんの一瞬止まった。――着いたって、どこに?倉木一家、旅行にでも行ったのだろうか。それくらいしか思いつかなかった。けれど、それ以上考えることもなく、紀香は急いで家を出た。……それか
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