サラリオside
「葵?どうしたんだ。そんな深刻な顔をして。」
執務室に現れた葵の表情を見て、私の胸に嫌な予感がよぎった。何事もないかのように振る舞い、笑顔を向けても葵の顔は強張ったままだった。彼女の視線は、揺るぎない決意を秘めて私を真っ直ぐに見つめていた。
「サラリオ様、大切なお話があります。」
その言葉に、私の心臓がドクンと大きく鳴り響く。
「……なんだろうか。」
「私、ゼフィリア王国に行きたいと思います。」
その言葉は、私の耳には信じられないほど遠く、しかしはっきりと響いた。私は反射的に叫んでいた。
「待て、駄目だ。まだ期限まで日にちはある。対策を考えよう。」
「でも……何度話し合いを重ねてもいい策は出ませんでした。そして、すぐには出ないことをサラリオ様もお感じになっているのではないでしょうか?これ以上、みなさんを悩ませるのは大変心苦しいのです。」
周りのことを優先し、気持ちを尊重する葵の事だ。いつか、いつの日か葵が、自らゼフィリア王国へ行くと言いだす日が来るのではないかと危惧していた。
アンナ王女sideバギーニャ王国に三度目の訪問をした私を、ルシアン様が出迎えてくれた。彼の顔には、この前よりも明るさを取り戻していたが、その瞳の奥には、わずかな影が残っているように見えた。「ルシアン様、庭園の花を見たいのですがご案内していただけますか?」「もちろんです。さっそく行きましょう。」ルシアン様が差し伸べてくれた手に、そっと自分の手を置く。ルシアン様の温かさが伝わってくると、それだけで興奮と恥ずかしさで心臓がバクバクと音を立てて騒がしかった。咲き誇る花々が私の高鳴る心を映しているかのようだ。「アンナ王女、この度は私との縁談を受けていただきありがとうございます。本来なら私が訪問すべきところを、ご足労いただき感謝します。」その言葉はしっかりしているが、どこかよそよそしく他人行儀だ。丁寧すぎる言葉遣いが、私との間に壁を作ろうとしているように感じられた。「ルシアン様。これからは夫婦になるのですから、そのような言葉遣いはやめてください。今後、私のことはアンナとお呼びくださいませ。あと一つ気になっていることがあって伺ってもいいでしょうか。「はい、なんなりと。アンナ王女。」私は、気持ちを落ち着かせようと小さく深呼吸をした。
アンナ王女side「え、え、えーーーー!?それは本当なのゼフィリアーヌ!?」私は、国王の側近であるゼフィリアーヌからの報告に、驚きと興奮で彼の襟元を掴み、揺さぶりながら尋ねた。心臓は、まるで身体から飛び出しそうなほど激しく脈打っていた。「アンナ王女、く、苦しいです。本当ですのでまずは手を離して頂けますか。」「あっ、ごめんなさい。」体格が逆だったら、脅しにしか見えないぐらいの勢いで詰め寄ったので、ゼフィリアーヌは喉を押さえながら必死に答えた。(ルシアン様から私に縁談の話?そんなの、どうするか聞かれなくても答えは決まっている!『YES』の一択しかない!!!)私の頭の中は、ルシアン様の言葉と笑顔でいっぱいになった。ダッダッダッダッ――――バタンッ!「お父様、私をバギーニャ王国へ行かせてください!!!」興奮していた私は、またしても、国王である父の部屋にノックもせず勢いよく入ってしまった。
葵side「ルシアン、待って、待ってっ!!!!!」私は、息を切らしながら必死にルシアンの名を叫び、ドレスを引きずりながら懸命に走った。その姿を見て、ルシアンは優しく微笑んでその場に立ち止まる。「第一王子に寵愛されている姫が、そんな息も乱して必死に追いかけてくれるなんて光栄だな。」ルシアンの言葉はいつも通りだったが、その瞳の奥には私への気遣いが感じられる。「ルシアン―――。私もやっぱりルシアンに行ってほしくない。ルシアンの言うことは分かるけれど、それでもルシアンはここにいて欲しい。」私の声は震えていた。彼を失うかもしれないという恐怖が、私の心を締め付けていた。「葵、葵は前に言ったでしょ?『この国に来て、全く違う価値観に触れられたことに感謝していて、今とても幸せだ』って。だから僕も新しい場所で、全く違う価値観に触れてみようと思うんだ。」「でも……。」それ以上、言葉が続かなかった。彼の瞳に宿る、強い意志の光に、反論の余地がないように感じられたからだ。「それにね、葵は前の旦那さんの愛がなかったと言っていたけれど、アンナ王女は僕のことを心から応援してくれてい
サラリオside「ルシアン……!」「僕も話そうと思っていたんだけれど、葵に先を越されちゃったね。葵、つらい思いをさせてごめんね。」ルシアンはそう言って葵に優しく微笑みかけた。葵は、状況が理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。私は再び嫌な予感が頭をよぎった。ルシアンの穏やかな笑顔の裏に何か大きな決意が隠されているように感じた。「兄さん、ゼフィリア王国には僕が行くよ。」その言葉は、雷鳴のように私の耳に響いた。「ルシアン!!!」葵の身代わりとして、弟が行くなど到底許せることではなかった。「みんなには言っていなかったけれど、アンナ王女が言ったことはもう一つあったよね。ゼフィリア王国には後継者となる男性がいない。それなら、僕が後継者としてゼフィリア王国に行く。」ルシアンの言葉は、冷静かつ論理的だった。しかし、私は冷静には到底なれなかった。「駄目だ。そんな、葵の代わりにお前がなんて……誰も行かせはしない!」「兄さん、僕がゼフィリア王国に行
サラリオside「葵?どうしたんだ。そんな深刻な顔をして。」執務室に現れた葵の表情を見て、私の胸に嫌な予感がよぎった。何事もないかのように振る舞い、笑顔を向けても葵の顔は強張ったままだった。彼女の視線は、揺るぎない決意を秘めて私を真っ直ぐに見つめていた。「サラリオ様、大切なお話があります。」その言葉に、私の心臓がドクンと大きく鳴り響く。「……なんだろうか。」「私、ゼフィリア王国に行きたいと思います。」その言葉は、私の耳には信じられないほど遠く、しかしはっきりと響いた。私は反射的に叫んでいた。「待て、駄目だ。まだ期限まで日にちはある。対策を考えよう。」「でも……何度話し合いを重ねてもいい策は出ませんでした。そして、すぐには出ないことをサラリオ様もお感じになっているのではないでしょうか?これ以上、みなさんを悩ませるのは大変心苦しいのです。」周りのことを優先し、気持ちを尊重する葵の事だ。いつか、いつの日か葵が、自らゼフィリア王国へ行くと言いだす日が来るのではないかと危惧していた。
サラリオside執務室に夕焼けの光が差し込み、私の頬を赤く照らす。カーテンを閉めるために窓に近づくと、その先に、この国に葵が初めて訪れた時に通ったあの泉が目に入った。葵がこの国に訪れてから、一年半が経とうとしている。葵を父のいる王宮から連れ戻した日、国王たちが裏で葵の引き渡しの取引をしていたことを知った。私は激怒し、ゼフィリア王国の国王になんとか考え直してほしいと懇願をして、対策を練るために一年の猶予をもらった。女神を正しく導くことが出来ると証明するために、一年で何かしらの成果を上げると熱意に燃えていた。翌月から、葵とキリアンで侍女や執事を対象にした薬学講座を開いて、まずは貴族たちの間で薬学の普及させることに努めた。私とルシアンはゼフィリア王国に行き、国王が求める代替案を探りに行ったが、国王の口から聞くことが出来ず、大した収穫はなかった。薬学の普及を重点的に行うよう方針を変えたが、半年経ってから貴族たちに受け入れられていないと報告を受けた。何度も協議を繰り返したが、新しい対策は見つからず、約束の期限まであと二か月に迫り、私たちの顔には焦りと狼狽が見え隠れするようになった。皆、口には出さないが、諦めの気持ちが芽生え始めていた。「一体、どうすればいいんだ――――――。」私は、自問自答を繰り返していた。この国の未来、そして何よりも愛する葵の未来が、私にかかっている。自分の無力さと国を動かすことの大変さを痛感していた。コンッコンッ―――その時、静かにドアをノックする音が響いた。「はい、どうぞ。」「失礼します。」そんな私の焦りを感じ取ったのか、ある人物が部屋を訪れた。少し緊張した面持ちで手をギュッと握っている。しかし、その瞳は決意を固めたような強い光を宿し、私を真っ直ぐに見ていた。