「す、すみません。褒められることが今までなくて、どんな言葉を返せばいいか分からなくて。あ、でも本当にエリーゼ様の髪飾りは素敵だと思ったんです。太陽みたいに光り輝くオレンジもエリーゼ様のお人柄をあらわしているようで綺麗だなと。」
私は焦りながらも本心だということを熱弁した。
「ふふふ、ありがとうございます。それなら葵様はいつもどのようにされているのですか?王子たちの言動に葵様は、少し困ったような顔をされているように感じたのですが。嫌な気持ちなのですか?」
「いえ、そんな、嫌な気持ちだなんてとんでもございません。ただ、私の生まれ育った国では褒められたら一度謙遜する文化があるのです。また褒め言葉を口にする機会自体が少なく言われると恥ずかしくてどう返せばいいのか分からないのです。」
「けんそん?」
「えっと……否定する、というか誰かに褒められたら『そんなことありません、でも嬉しいです、ありがとうございます。』と言った感じでしょうか」
「そのような文化もあるのですね。ここでは馴染みがないので不思議な感じですわ。それだと葵様もこの国は不思議に思われたでしょう?」
「はい…。最初は戸惑いました。でも、素敵なことは素敵と褒め称えられるこの国はとても素敵だと思っています。」
「ありがとう。嬉しいですわ。この国のことが大好きなの」
サラリオに国の学びを申し出てから、私は王立図書館に通う日々を送っていた。想像以上に広大で古今東西の書物が所狭しと並べられている空間に私は興奮していた。分厚い歴史書を読み解き、この国の文化や政治体制について学ぶことは私にとって何よりも新鮮で刺激的だった。メルが手配してくれた熟練の司書の方々やキリアンが、私の質問に丁寧に答えてくれ充実した日々を送っていた。ある日、サラリオが自ら私の学びの場を訪れてくださった。彼は私の隣に座り、私が広げていた古い地図を覗き込む。「葵はこの国の成り立ちに興味があるのか?」「はい。サラリオ様が背負っていらっしゃるこの国のことをもっと知りたいのです。どうして『龍愛の国』と呼ばれるようになったのか、なぜこれほどまでに女性が尊ばれているのか……」私の問いにサラリオ様は微笑んだ。その瞳は遠い昔を見つめるかのようだった。★バギーニャ王国は、古くから豊かな自然に恵まれてきた。しかし、その恵みゆえに幾度となく他国の侵略に晒されてきた過去がある。かつてこの地は争いが絶えない荒れた土地だった。そんな中、一人の偉大な女王がこの国を統治した。彼女は、武力ではなく知恵と慈愛をもって国を導いたという。敵対する部族を力でねじ伏せるのではなく共存の道を模索し、争いではなく交易で国を豊かにする基盤を築いた。彼女の治世においてこの国は初めて真の平和と繁栄を手にしたのだ。&nbs
「サラリオ様……私、この国のことを、もっと深く学びたいのです」私の突然の申し出に、サラリオ様は少し驚いたように目を見開いた。「この国の歴史、文化、政治システム、経済……何もかもが私にはまだ分からないことばかりです。ですが、もし許されるのならこのバギーニャ王国が、そしてサラリオ様が、さらに繁栄するために微力ながらも力になりたいと願っています」言葉を選びながら私の心からの願いを伝えた。私の心は日本の家訓に縛られていた時とは違う、新たな使命感の光が宿っていた。サラリオ様は、私の言葉をじっと聞いていた。彼の瞳の奥に、わずかな驚きと深く温かい感情が宿るのが見て取れた。そして、ゆっくりと口を開いた。「葵……なんて素晴らしいことを言ってくれるのだ、嬉しいよ」サラリオの声は私の耳には信じられないほど甘く響いた。私の手を取り、甲にそっと唇を寄せた。「葵が望むのなら私も喜んで協力しよう。この国には、古今東西の知識が集まる王立図書館がある。あらゆる文献が揃っているし、必要であれば専門の者を呼んで君の疑問に答えさせよう」サラリオの言葉は、私の心を解き放ち新たな道を示してくれた。私の知的好奇心は、とめどなく溢れ出した。これまで「妻の務め」という漠然とした義務感でしか捉えられなかった。しかし今は
日本にいたときにしていた『誰かのために尽くすこと』、この国に来てから知った『誰かに尽くしてもらった時に喜んで受け取ること』、そんな心の変化と共に私の内に新たな感情が芽生え始めていた。それは、ただ愛されるだけ、尽くされるだけの存在では終わりたくないという強い願いだった。これまで「夫の成功のために尽くす」という日本の家訓に盲目的に従ってきた。そのために自分の感情を押し殺し、ひたすら影となって夫を支えようと努力した。しかし、その「尽くし」は誰からも感謝されることなくただ虚しく終わりを告げた。しかし、この国では違う。この国は「人々が活気ある暮らしを送り、その笑顔が増えることこそが国の豊かさや発展に繋がる」と信じている。そして、その活気の源こそが女性であり、女性が自らの意思で愛する人の子を産み、その家族が幸せであることが国の繁栄に直結するとされているのだ。日本の家訓で培った「夫の成功を支える」という尽くしを、もしかしたらこのバギーニャ王国で、「国の繁栄のために尽くす」というより大きな意味で活かせるのではないか。一方的に尽くされるだけでなく、お互いに尽くし尽くされ手を取り合うことで絆が深まっていくと感じた。そして、そのことが『尽くし』ではなく『創造』に発展するのではないか、この国で王子やメル、貴婦人たちと接していくうちに感じるようになった。(単に愛されるだけではなく、私も尽くしを返すことでこの国の役に立ちたい。創造していきたい)私は、意を決してサラリオが普段過ごしている執務室へと向かいドアをノックした。
私は、幸助さんの『特別』になりたかった。ありがとうと心の底から微笑み、優しい瞳で受け入れられたかった。幸助さんにありがとうと言われたことを想像すると心が温かくなる。自分がしたことに、嬉しそうに相手が反応してくれることで幸せな気持ちになる。幸助さんに望んでいたはずなのに、いざ自分が受け止る側になると『ありがとう』という言葉が出てこなかった。ルシアンの言葉は、私の孤独だった時の心を思い出させた。そして、愛情をもって接してくれている王子たちに無礼な態度を返している自分を恥じた。「葵がこの前好んで食べていたフルーツをまた取り寄せたんだ。今日一緒に食べないか。」この日もサラリオが私の様子を伺いに部屋に来てくれた。私はいつも小さく微笑むだけなので、サラリオは話が終わると部屋を出ようとしていた。「サ、サラリオ様。フルーツも、いつもこうして気にかけてくださることもとても嬉しいです。あ、あの……ありがとうございます。」整った顔立ちと澄んだ綺麗な碧い瞳をまっすぐ見るのは照れてしまいいつもは顔を合わせられなかったが、今日はドキドキしながらも背の高いサラリオの目を見るために顔を上げて瞳を逸らさず思いを告げた。「え、あ、ああ……どうしたんだ急に」サラリオは口元を手で隠し目を逸らした。いつもの私がするような仕草を今日はサラリオがしてる。「普段、たくさんのご好意
ルシアン様から言われた褒め言葉に対して「ありがとう」という返しの言葉は、私の心を縛っていた見えない鎖を解き放ってくれたようだった。褒められることへの戸惑いはまだ完全に消え去ったわけではないけれど、少なくとも素直に感謝を伝えることの喜びを知った。王子たちがくれる愛情をようやく真正面から受け止められるようになったのだ。「葵、今日ね庭で綺麗な花が咲いていたから部屋に飾るように摘んできたよ。君みたいで綺麗でしょ。」「わあ、本当、綺麗なブルーですね。ルシアン様、ありがとうございます」「ふふふ、違った。君の方が綺麗だね」ありがとうの後にまた甘い言葉を返してくるルシアンにはまだ慣れていないが、素直に受け取っていいと言うのは新たな発見で、私自身も少しだけ自分のことが好きになっていった。日本にいる時は、夫に尽くすのが自分の役目だと思っていた。夫の幸助さんとは親同士が決めた政略結婚で、愛はなく形だけの冷めた関係だった。それでも夫婦の、妻としての役目を果たそうと炊事、洗濯、掃除など日常生活の家事に励み、仕事で疲れた幸助さんが休める場所を作るように務めていた。しかし、いくら家事に励んでも雇っている家政婦とやっていることは同じで幸助さんの心に響くことはなかった。家事をしても、薬学を覚えようとしても周りにいる家政婦や看護助手の代わりでしかなくて幸助さんの特別な存在になることはなかった。相手のために出来ることを考えて動いていたつもりだが、一方通行の尽くしに心が折れていた。
「私は、生まれてきてから夫を支えることは女性の使命だと教えられてきました。夫のために人生も身も捧げるのが当たり前と教えられてきました。それが自分の価値を証明するための方法だったのかもしれません」思わず、心の奥底に秘めていた本音を漏らしてしまった。すると、侯爵夫人は優しく私の手を取った。「葵様。葵様の国のように義務ではありませんが、この国でも愛する人のために人生を捧げるという考えはあります。ここでは、女性は尊い存在です。愛され、敬われ、そして愛に応えることで、共に未来を築いていくことが、夫婦の喜びなのです。どちらか一方が一方に『捧げる』ものではなく、互いの力を合わせ、『共に創造する』ことなのです」(共に想像する……。)その言葉は私の心を深く深く打った。日本の「尽くす」価値観が、この国では「捧げる」ではなく「共に創造する」という意味合いを持つことを、この時、私は肌で理解した。私はこれまで誰かに「価値」を与えられることでしか自分の存在を認められなかった。けれど、この国の女性たちは自身の中に価値を見出しそれを誇りとしていた。私は、自分の中に隠された力、まだ見ぬ可能性を自覚し始めた。私が日本で培ってきた知識や、困難に耐え抜いてきた経験は、もしかしたらこの国で私自身の「創造する力」となるのかもしれない。王子たちからの寵愛が、単なる「愛される」こと以上の意味を持ち始めた瞬間だった。それは、私の自己認識が大きく変化するまさに転換点だった。