アゼルと葵がキスをした。アゼルの無事を知り、安堵したのも束の間、アゼルが口にした「口移しで水や薬も飲ませてくれた」という言葉は私の心を容赦なく切り裂いた。薬を飲ませるためという理由があったとしても、あの小さくて可憐な葵の唇が、他の男、それも私の弟であるアゼルに触れたかと思うと平常心ではいられなかった。胸の奥から形容しがたい熱い塊が込み上げてくる。それは、嫉妬と、そして強い独占欲のような感情だった。
翌朝、食堂でのことだ。ルシアンがまたしてもその話題に触れた。
「アゼルと葵がキスをしたって、本当?」
ルシアンの悪戯っぽい声が響き、私の神経を逆撫でする。アゼルが「ああ、本当だ」と認めた時には、理性で押さえつけていた感情が再び喉元までこみ上げてきた。
「へー、葵は何度もしたことは否定するけど、キスしたことは否定しないんだね」
ルシアンの意地悪な指摘に葵が顔を赤くして言葉に詰まっているのを見るたび、私の胸は苛立ちに締め付けられた。
だが私の平静を最も乱したのは、その後のルシアンの発言だった。
「でも、僕たち夜の庭で抱き合った仲だもんね」
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓は嫌な音を立てた。
(抱き合う?ルシアンと葵が?アンナ王女が訪問する前夜に?一体、どこまでの仲なのだ。挨拶のような軽いハグなのか
「私は常に葵のことを思っている」あの言葉を葵に伝えて以来、私の心は落ち着きを失っていた。執務が一息ついた時も、休憩中に窓の外を眺めている時も、そして夜、ベッドに入り目を閉じた時も、ふとした瞬間に葵のことを思い出していた。葵が、私の言葉に戸惑いながらも頬を赤らめて「常に……ですか」と呟いた表情が、何度も何度も脳裏に蘇る。あの時、葵は本当に私からの愛の告白を待っていたのではないだろうかーー彼女の瞳に宿っていた微かな期待の光を感じ取っていた。(もしかしたら、この気持ちを正直に伝えたら葵は頷いてくれるかもしれない。)そんな淡い希望が私の胸に燃え始めていた。ルーウェン王国のリリアーナ王女が来訪するまで、あと一週間と迫っている。今回の訪問の真の目的が、私と王女の縁談であることは明らかだった。王として国の繁栄を考えるならば、この縁談は最善の選択かもしれない。しかし、もし縁談が成立してしまえば、この先、私は永遠に葵の側にいることができなくなってしまう。国の王として、私はこの縁談を受け入れるべきなのか?それとも、一人の男として自分の心に従うべきなのか?理性と感情が激しくせめぎ合う。夜になり月の
サラリオの胸の鼓動、その力強い拍動が、私の頬に直接響いてくる。彼の体温と、心地よい吐息を感じながら抱きしめられると、まるで時が止まったような不思議な感覚に包まれた。これまでの人生で誰かに触れられることも、これほど安らぎを感じたことはなかった。アゼルやルシアンに抱き寄せられた時のような驚きや緊張とは全く違う、穏やかで、そして胸の奥から湧き上がってくる幸せな気持ちに、このままずっとこの温かい腕の中にいたいという衝動にかられていた。「サラリオ様……」気持ちが昂ぶり、気がつけば私の瞳は熱く潤んでいた。きっと頬は紅潮し熱を持っているだろう。私は静かに顔を上げて、サラリオ様の澄んだ碧い瞳を見つめた。私を愛おしむように目を細めて優しい眼差しで見つめ返してくれる。視線が交わった瞬間、私の視線は自然と彼の唇へと吸い寄せられていった。私の期待に応えるかのように、サラリオ様の顔が、ゆっくりと少しずつ近づいてくる。彼の息遣いが頬にかかると心臓が飛び出しそうなほど胸が高鳴った。私は、これから起こるであろうことを心待ちにして、そっと目を閉じた。やがて、温かい唇が、私の唇に触れ合った。互いの柔らかい感触や、温かさを確かめ合うように、優しく、そして深く。それは、アゼルに薬を飲ませるためにした時とは全く違う、優しさと愛情に満ちたキスだった。愛おしいーーー。その言葉の意味を、私は今日、初めて心から体感した。このキスは、サラリオ様と私を繋ぐ、確かな愛の証だった。
リリアーナ王女が来訪が決まったある日、私はサラリオ様から執務室へ呼ばれた。「ゼフィリア王国の一件もあるため、王女が訪問している間は、葵に関する変な噂が流れたりしないように、公の場に姿を見せない方がいいと考えたのだがどうだろうか?」前回のこともあり、私を守るために事前に説明し、意見まで求めてきてくれたことが大事にされていると感じて嬉しかった。「誤解がないように言っておくが、これは葵を守るためだ。決して葵のことを悪く思い、隠したいわけではない。私は常に葵のことを思っている。」彼の瞳が私を真っ直ぐに見つめる。その澄んだ碧色の瞳には嘘偽りのない誠実さが宿っていた。『私は常に葵のことを思っている。』その言葉が私の胸を熱くさせた。まるで愛の告白のように聞こえて頭の中をこだまする。胸がバクバクと大きな音を立て、頬に熱が集中していくのを感じた。そして、その戸惑いは声に漏れた。「常に……ですか。」自分でもわかるほど上ずった声と、真っ赤にしている私を見てサラリオ様は一瞬だけ目を見開き無言になってしまった。(ああ……。私ったら勘違いしてしまった。サラリオ様は王国の長として皆の安全を守るのが使命だもの。安全に過ごせるように考えているとい
ゼフィリア王国との一件が落ち着き、王宮にようやく穏やかな空気が戻りつつあった頃、バギーニャ王国に新たな隣国からの訪問話が舞い込んできた。今度の相手は、以前からの友好国であるルーウェン王国だ。国王からの書簡には、親睦を深めるために王女を派遣したいと記されており、その裏には、将来的にサラリオ王子の妃として、両国の絆をより強固にしたいという意図が明確に見て取れた。ゼフィリア王国の時とは異なり、何人かいる王女の中でも今回は第一王女のリリアーナ王女のみの訪問。しかも、書簡には明確にサラリオ王子の名を記載しての縁談であり、相手国の本気度がひしひしと伺えた。「キリアン、縁談の話って頻繁になるものなの?」ある日の午後、王宮内の書架で誰もないことを確認してから、私はキリアンにそっと尋ねた。書架の間に差し込む柔らかな光が、彼の銀色の髪をきらめかせている。「あんまりないよ。特に、国王陛下とサラリオ兄上のような、国の中心となる皇族に関してはね。ただ、偶然なんだけれど、バギーニャ王国の周辺の国は、王家の正当な血筋の者は王女しかいないんだ。いてもすごく歳が離れていたり、リオやレオンみたいにまだ幼くて。僕たちの年代で、男の皇族がいないから話が上がりやすいんだよね。男性がいれば、国内同士の結婚もあるよ」キリアンは、いつものように落ち着いた声で、丁寧に説明してくれた。彼の言葉は、常に論理的で分かりやすい。「そう、なんだ……」私は、彼の言葉を聞きながら、国の繁栄のためには、男女が揃い、子をなすことがいかに重要かという、普遍的な事実を改めて実感した。不妊治療や先進医療などないこの時
アゼルと葵がキスをした。アゼルの無事を知り、安堵したのも束の間、アゼルが口にした「口移しで水や薬も飲ませてくれた」という言葉は私の心を容赦なく切り裂いた。薬を飲ませるためという理由があったとしても、あの小さくて可憐な葵の唇が、他の男、それも私の弟であるアゼルに触れたかと思うと平常心ではいられなかった。胸の奥から形容しがたい熱い塊が込み上げてくる。それは、嫉妬と、そして強い独占欲のような感情だった。翌朝、食堂でのことだ。ルシアンがまたしてもその話題に触れた。「アゼルと葵がキスをしたって、本当?」ルシアンの悪戯っぽい声が響き、私の神経を逆撫でする。アゼルが「ああ、本当だ」と認めた時には、理性で押さえつけていた感情が再び喉元までこみ上げてきた。「へー、葵は何度もしたことは否定するけど、キスしたことは否定しないんだね」ルシアンの意地悪な指摘に葵が顔を赤くして言葉に詰まっているのを見るたび、私の胸は苛立ちに締め付けられた。だが私の平静を最も乱したのは、その後のルシアンの発言だった。「でも、僕たち夜の庭で抱き合った仲だもんね」その言葉を聞いた瞬間、私の心臓は嫌な音を立てた。(抱き合う?ルシアンと葵が?アンナ王女が訪問する前夜に?一体、どこまでの仲なのだ。挨拶のような軽いハグなのか
「それに、サラリオ兄さんとアゼル兄さんの葵に対する気持ちは、王宮内の人間なら僕じゃなくても、誰でもわかると思うよ。見れば一目瞭然だ」ルシアンは、キリアンの言葉に納得したように頷いた。「まあ、そうだよね。誰でも見ていれば分かるよね。あんなに分かりやすい感情表現をする人も珍しい。でも、肝心なことだけ、分かっていない人もいるんだよね」ルシアンとキリアンは顔を見合わせ、まるで息が合ったかのように、少し呆れを含んだ同じ言葉を口にした。「葵だよね」 「葵でしょ?」二人の視線が、一瞬だけ食堂から出ていく葵の背中を追った。「アゼル兄さんの葵への気持ちは、多分、今回のことで少しは分かったと思うけれど、サラリオ兄さんに関しては、未だに『王の国務として自分に接している』と葵は思っている気がするんだよね」キリアンの言葉に、ルシアンは深くため息をついた。「あんなに嫉妬を露わにしているのにね。特にアゼルが葵とキスしたと聞いた時の顔といったら。頑張って隠しているのに、隠しきれずに出てしまっているよね。アゼル兄さんが分かりやすすぎて、かえってサラリオ兄さんの感情が葵に伝わっていないのかな。」ルシアンは不満げに口を尖らせた。