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第118話

Autor: るるね
last update Fecha de publicación: 2026-06-20 23:59:47

 由衣としても、紗月を傍に置いているだけで目障りだったのだろう。

 だからこそ、こんなやり方で自ら諦めて身を引いてくれればいいと考えた。

 それに、今日立花が紗月にオーディションの話を持ちかけたことを思い出すだけで、由衣の胸には苛立ちが込み上げてくる。

 一刻も早く紗月を自分の前から消してしまいたかった。

 視界に入らないだけで、どれほど気が楽になることか。

 慎一がどういうつもりで紗月を自分の傍に置いたのか、由衣には分からなかった。

 最初は、数日だけ自分のおもちゃ代わりにして遊ばせるつもりなのだと思っていた。

 だが、どうやら由衣の思っていたような話ではなかったらしい。紗月は毎日律儀に現場へ顔を出し、慎一は一度として撮影所に姿を見せない。

 由衣自身、もうこんな嫌がらせじみた遊びを続ける気力はなくなっていた。

 紗月が嫌いなのは本当だが、慎一のいない場所でどれだけ紗月を虐めたところで、自分には何の得もない。

 それどころか、毎日の撮影でようやく保っている機嫌まで悪くなる。

 まったく割に合わなかった。

 もちろん由衣は知らない。

 もし選べるのなら、紗月だって好きでここで仕事をし
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  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第119話

     飯野は普段から口が軽く、思ったことをそのまま口にするタイプだった。今の言葉も、ただ下品な冗談のつもりで口にしただけだ。 まさか紗月が一瞬で顔色を変えるとは思っていなかった。 目を大きく見開き、何かに怯えるような表情を浮かべる。 その反応はあまりにも異様で、飯野も思わず呆気に取られた。 さらに冗談を続けようとしていた口も止まる。「まさか……当たったの? 本当に妊娠してるとか? ちょっと待ってよ、怖いんだけど! 俺、妊婦とどうこうする趣味はないからね」「あ……違います……違う、そんな……」 紗月は慌てて否定しようとする。 あまりにも動揺していて、飯野の言葉がどれほど失礼かを考える余裕すらなかった。 ただ、胸の奥には奇妙な恐怖がじわじわと広がっていく。 ――もし、本当に当たっていたら。 こんなひどい生活の中で、もし本当に慎一との子供ができていたら……。 そう考えただけで、紗月の顔からさっと血の気が引いた。 あれほど自分を嫌っている慎一が、その子を歓迎してくれるはずがない。 気づけば、紗月の手は無意識のうちにお腹へ伸びていた。 まだ何の実感もない。 けれど、ここ数日は確かに疲れやすく、食欲もなかった。 ずっと仕事の疲れだと思っていた。 しかし今、この止まらない吐き気が、紗月に別の可能性を疑わせる。 そう考えた瞬間、顔色はみるみる失われ、頭の中は真っ白になった。 そんな紗月に、飯野が再び手を伸ばそうとしたことで、彼女はようやく我に返る。「すみません……」 小さくそう言い残すと、紗月は逃げるようにその場を後にした。 バッグを取りに戻る余裕すらなかった。 紗月はスマートフォンで検索し、一番近いドラッグストアへ向かうと、そのまま妊娠検査薬を購入した。 こういうものを買うのは初めてだった。 結婚してから夫婦生活はあったが、慎一は毎回きちんと避妊をしていて、その可能性を徹底的に排除していた。 ただ、最近の数回だけは確かに……。 検査薬の箱を握りしめながら、紗月はこれまでのことを思い返していた。 慎一でさえ余裕を失うほど激しかった時もあり、何度かは完全に避妊できていなかったこともあったのかもしれない。 その頃の紗月は、意識を失うほど疲れ切っていて、目を覚ました時にはいつも慎一がすべてを片付け終えていた。 だからこそ、これま

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     由衣としても、紗月を傍に置いているだけで目障りだったのだろう。 だからこそ、こんなやり方で自ら諦めて身を引いてくれればいいと考えた。 それに、今日立花が紗月にオーディションの話を持ちかけたことを思い出すだけで、由衣の胸には苛立ちが込み上げてくる。 一刻も早く紗月を自分の前から消してしまいたかった。 視界に入らないだけで、どれほど気が楽になることか。 慎一がどういうつもりで紗月を自分の傍に置いたのか、由衣には分からなかった。 最初は、数日だけ自分のおもちゃ代わりにして遊ばせるつもりなのだと思っていた。 だが、どうやら由衣の思っていたような話ではなかったらしい。紗月は毎日律儀に現場へ顔を出し、慎一は一度として撮影所に姿を見せない。 由衣自身、もうこんな嫌がらせじみた遊びを続ける気力はなくなっていた。 紗月が嫌いなのは本当だが、慎一のいない場所でどれだけ紗月を虐めたところで、自分には何の得もない。 それどころか、毎日の撮影でようやく保っている機嫌まで悪くなる。 まったく割に合わなかった。 もちろん由衣は知らない。 もし選べるのなら、紗月だって好きでここで仕事をしているわけではないことを。 目の前に置かれた、今にも溢れそうなほど並々と注がれたビールジョッキを見つめながら、紗月はわずかに躊躇した。 すると、周囲から「飲んで!」「いけるいける!」と囃し立てる声が上がった。 一人ではない。 次々と声が重なり、その場の空気はみるみるうちに熱を帯びていく。 まるで、紗月が飲み干すまでこの騒ぎは終わらないと言わんばかりだった。 由衣は冷ややかな笑みを浮かべながら、迷っている紗月を眺める。やがて紗月は両手でジョッキを持ち上げ、ゆっくりと何口か続けて飲んだ。 しかしジョッキを下ろしても、中身はほんの少し減っただけだった。 それを見た一人の俳優が面白そうに笑う。 もっと飲めと囃し立てながら、男はしつこく紗月を急かした。 もともとは向かいの席に座っていたが、それでは不便だと思ったのか、いつの間にか隣のスタッフと席を替わり、紗月のすぐ横へ移動してきていた。 そして、笑顔のまま、一口飲むたびにまた次の一口を勧めてくる。 由衣はそんな様子を黙って見ていた。 当然、その男の下心にも気づいている。 紗月は女優ではない。 ただの付き人だ。 そし

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     由衣は立花に対しても、いつも通りの甘く愛らしい笑顔を浮かべていた。 だが、立花は特別な反応を見せることはない。 他のスタッフのように機嫌を取ることもなく、終始一人の役者として接しているだけだった。 穏やかに頷き、「分かりました」と一言だけ返すと、再び紗月へ視線を向ける。「さっきの話は、また今度にしましょう」 紗月ははっとして、慌てて頷いた。「……あ、はい」 立花の姿が完全に見えなくなるまで見送った瞬間、由衣の顔から、それまでの愛らしい笑みが跡形もなく消えた。 紗月の肩を掴んでいた指先にも力がこもり、痛みに思わず身を引こうとした。 しかし、由衣は手を離さなかった。 それどころか、逃げられるのを恐れるかのように、さらに強く肩を掴んだままだった。 一瞬、由衣の表情が醜く歪む。けれど、何かを思い出したように、すぐさま無理やり笑顔を作った。 その笑みはひどく不自然だった。 演技力には定評のある女優なのに、紗月を前にすると、どうしても感情を隠しきれないらしい。「ねえ、あんたも役者になりたいんだ?」 由衣は唇を吊り上げる。「そういえば、昔立花監督の映画を受けたことがあるって聞いたことあるなぁ。だからあんなに気にかけてくれるってわけ?」 立花の作品に出演するため、由衣は以前から立花本人のことはもちろん、その交友関係や人脈についてもかなり調べていた。 その過程で、紗月がかつてオーディションに合格し、事務所から出演決定の連絡まで受けていたことも知っている。 けれど、その話はいつの間にか立ち消えになっていた。 どうして由衣がそんなことまで知っているのか、紗月には分からなかった。 もしかしたら、慎一が話したのかもしれない。 そう考えた瞬間、胸の奥がずしりと重くなる。 紗月が何も答えずにいると、由衣は苛立ったように口元を歪めた。 その無反応な態度が気に障るらしく、腹立たしさを滲ませながらも、どうにか感情を押さえ込む。「理由は知らないけど、芸能界に入りたいなら私が力になってあげてもいいよ?今夜、打ち上げがあるの知ってるでしょ? この世界って人脈も大事だから。分かるよね?」 そう言ってから、由衣はにっこりと笑った。 その口ぶりでは、紗月も一緒に参加させるつもりらしかった。 紗月は反射的に断ろうとする。「いえ、私は――」「ねえ」 由

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     紗月にも、自分がどこでまた慎一の癇に障ったのか分からなかった。 慎一の顔色は完全に沈み込み、明らかに怒っている。 塗り終えた薬を無造作に置くと、立ち上がり、再び上から見下ろすように紗月へ視線を向けた。 紗月は何も言わない。 短い沈黙のあと、慎一は怒りを押し殺すように低く笑った。「紗月。これはお前が自分で選んだことだ。後悔しても知らないぞ」 それだけ言い残し、慎一は控室を出ていった。そして、その後は二度と戻ってこなかった。 今日以降、撮影現場に姿を見せることもない。 由衣の付き人として過ごす日々も、思っていたほど辛いものではなかった。 慎一が来なくなってからというもの、由衣も紗月を相手にする気を失ったらしく、任されるのは細々とした雑用ばかりだった。 だが、怪我の功名と言うべきか――。 そのおかげで、紗月は撮影スタッフたちと接する機会が増えた。 由衣が撮影に入っている間、手の空いた時には、撮影の流れや現場の進行を間近で見ることができた。 認めざるを得なかった。 由衣は私生活では決して性格がいいとは言えない。けれど、ひとたびカメラの前に立てば、まるで生まれながらの女優のようだった。 演技は自然で完成度も高く、台本の理解力にも優れている。 ミスをすることもほとんどなく、時には紗月自身も思わず見入ってしまうほどだった。 暗闇の中から、ライトに照らされたセットを見つめていると、いつの間にか自分の感情までも役者たちと共に揺さぶられ、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。 かつて紗月が憧れていた世界。 夢見ていた景色が、今こうして目の前に広がっている。 ただ一つ違うのは――その中に、自分の居場所がないことだった。 その現実は、撮影が終わるたびに美咲から別の雑用を言いつけられる度に重くのしかかり、自分がかつて手放したものがどれほど大切だったのかを、嫌というほど思い知らせてくる。  そんなある日。 紗月が小道具を片付けていると、こちらへ歩いてくる立花の姿が目に入り、思わず手を止めた。 立花はちょうど一つの撮影を終えたばかりで、現場全体もちょうど休憩時間に入っている。 特別に紗月を探していたわけではない。 だが、彼は紗月を見つけた瞬間、わずかに足を止めた。 歩調を緩めながら近づいてくると、やがて紗月の前で立ち止まる。 その視線は、

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     慎一が持ってきた袋はコンビニのものではなかった。 どこで買ってきたのか、腫れや捻挫に効く薬がいくつも詰め込まれている。 こういうことには慣れていないのか、似たような効能のものまで何種類も買ってきてしまったらしい。 湿布に冷却シート、塗り薬に包帯まで入っていて、その量はまるで、全部まとめて紗月に使うつもりでいるかのようだった。「……自分でやるから」 紗月はぎこちなく断ろうとした。 だが、慎一はそんな言葉など聞こえていないかのように取り合わない。 いくつかある薬の中から一つを選ぶと、長い指で手際よく箱を開け、キャップを外した。 白い薬が指先に取られる。 落ち着かない様子で身じろぎする紗月を見て、慎一は眉をひそめた。その目には、苛立ちと呆れが入り混じったような色が滲んでいた。「動くな」 低くそう告げると、慎一はもう片方の手をそっと紗月のふくらはぎに添え、逃げないよう軽く押さえた。 そのまま、薬を乗せた指先で赤く腫れた部分へ触れる。 口調とは裏腹に、その手つきは驚くほど丁寧だった。 痛みを刺激しないよう細心の注意を払うかのように、慎一はゆっくりと薬を塗り広げていく。 その手つきは何か大切なものを扱うように慎重で、先ほどまでの刺々しい言葉とは結びつかないほど穏やかだった。 そんな慎一の様子に、紗月も自然と大人しくなる。 慎一の指が触れる場所に痛みはなく、彼の指先と掌はひんやりとしていた。 もともと体温の低い人だからだろう。 その冷たさが傷んだ場所に触れるたび、痛みまで和らいでいくようで、紗月の身体から少しずつ力が抜けていった。 紗月は、自分の前にしゃがみ込み、頭を下げたまま薬を塗っている慎一を静かに見つめた。 まるで、自分が大切な存在であるかのような手つきだった。 こんな光景は夢みたいで。少し前の自分なら、夢の中でさえ願ってやまなかったはずなのに。 ――どうして。 どうして、こんなにも遅かったの。 今さらこんな優しさを向けられても。 そんなことを思いながらも、紗月はぼんやりと慎一の横顔から目を逸らせなかった。 そうしているうちに、慎一は薬を塗り終えていた。 それなのに、彼はすぐには手を離さなかった。 何かを考えているのか、紗月のふくらはぎに触れたまま、しばらく同じ姿勢で動きを止める。 沈黙だけが静かに流れた。 

  • 愛し続けた彼を、私は手放すことにした   第114話

     男の様子がおかしいことに気づき、紗月は思わず数歩後ずさった。背中が壁にぶつかったところで、ようやく足が止まる。 男は紗月の方へ歩み寄りながら、真っ直ぐ彼女を見つめていた。 その視線に、紗月はぞくりと頭皮が粟立つのを感じる。 悲鳴を上げようとした。 だが恐怖で喉が塞がり、さらに自分の思い込みかもしれないという考えも頭をよぎって、結局声を出すことはできなかった。 ほんの数歩の距離。 そのわずかな時間の中で、紗月の脳裏には最悪の想像ばかりが次々と浮かんでは消えていく。 無意識に背後へ手を伸ばし、何か武器になりそうなものを探した。 しかし、指先に触れたのは冷たい壁だけ。 何一つ掴めない。 逃げ道も、助けになるものも、そこには何もなかった。「……っ」 男がとうとう目の前までやって来た。 紗月は震える唇を開き、何か言おうとする。 だが、漏れたのは途切れ途切れの単音だけで、恐怖のあまり一つの文章すらまともに口にできなかった。「きみ――」 男も口を開く。 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。 外からドアを開けようとして失敗した音が響き、数秒後には遠慮のないノックが何度か続く。 そのあとすぐ、不機嫌さを隠そうともしない慎一の低い声が扉越しに響いた。「紗月、開けろ」 目の前の男は、明らかに一瞬固まった。 すぐに慌てたように衣装ラックへ駆け寄ると、一番手前に掛かっていた衣装を適当に掴み、そのまま急ぎ足でドアへ向かう。 扉を開けた瞬間、外にいた慎一と危うくぶつかりそうになった。 二人は一瞬だけ視線を交わした。 だが男は何も言わず、逃げるように控室を飛び出していく。 慎一が反応するより早く、その背中はすでに廊下の向こうへ消えていた。 慎一はしばらく男が去っていった方向を見つめていたが、やがて控室の隅で小さく身体を縮こまらせている紗月へ視線を向ける。 その姿を目にした途端、彼の眉が深く寄せられた。「誰だ、あいつ」 紗月の様子が明らかにおかしいことに気づいたのか、慎一はそのまま控室の中へ足を踏み入れ、低い声でさらに問いかけた。「……何をされた」 紗月の心臓は、まだ激しく脈打っていた。 先ほどの恐怖が身体に残っていて、指先は小さく震えている。 それでも、慎一が現れたことで、胸の奥にじわりと安堵が広がっていくのを、紗月は止

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