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第2話

Penulis: るるね
last update Tanggal publikasi: 2026-03-21 02:47:12

 電話を切ってから四時間後、ようやく慎一は酒席を切り上げ、家へ戻る気になった。

 すでに時刻は深夜十二時に近い。

 それでも席に残っていた者たちは、立ち上がった慎一を見て、忘れたようにおべっかを並べる。

「社長、もうお帰りですか? 奥さまのところへ急いで戻られるんですか?」

 その一言をきっかけに、周囲も次々と追従し、慎一の“良き夫”ぶりを持ち上げ始めた。

 今がどれほど遅い時間かなど、誰も気にしていない。

「さすがは社長ご夫妻、相変わらず仲睦まじいですね。奥さまが羨ましいですよ、こんなに有能で、しかも奥さまを大切にされている男性と結婚できて」

「本当ですよ。社長は毎月、奥さまのためにサプライズも欠かさないとか。先月は九百九十九本のバラを用意されたって、社内でも話題になってましたよ。どれだけの人が羨ましがったことか……」

 部下たちの媚びへつらう声を聞きながらも、慎一は否定しない。その顔には、薄く引き伸ばしたような、どこか距離のある微笑みが浮かんでいた。

 いつも通り、人前で見せる紳士的な仮面。

 そして彼は、その言葉に便乗するように、何のためらいもなく口にする。

「ええ。妻が家で待ってるから。あまり遅くなると、また機嫌を損ねてしまう」

 その一言で、場の空気はさらに盛り上がり、羨望のため息があちこちから漏れた。

 まるで、理想的な夫そのものだ。

 だが、車に乗り込んだ途端、慎一の表情は完全に冷え切った。

 専属運転手はバックミラー越しに彼の様子をうかがいながら、いつものように慎重な口調で尋ねる。

「社長、本日も昨日のホテルへ向かわれますか」

 慎一はしばらく沈黙した。

 電話越しに聞こえた、あの女の掠れたような弱々しい声。まるで縋りつくように、自分を求めてきたあの懇願が、ふいに脳裏をよぎる。

 その瞬間、慎一の瞳がわずかに陰を帯びた。

 ほんの一瞬、言葉にできない鈍い重さが胸の奥をかすめる。

 それもすぐに押し潰される。

 煩わしい、とでも言うように視線を逸らし、感情の名残ごと切り捨てるように、彼の表情は再び冷えきったものへと戻っていった。

 そして、不機嫌さを隠そうともしないまま、低く、押し殺した声で命じる。

「……家だ」

*

 家に着いた頃には、さらに時間は遅くなっていた。

 扉を開けると、室内は明るく灯りがついている。

 玄関からリビングへ続く廊下には、紗月が脱ぎ捨てたコートや、ばらばらに散らばった私物がそのまま放置されていた。

 慎一はそれを一瞥しただけで、拾い上げる素振りすら見せない。そのまま無言でリビングへと歩いていく。

 紗月はソファの前のラグの上で、身体を丸めるようにして倒れていた。細く痩せた体は紙のように頼りなく、背中は弓なりに丸まっている。

 物音に気づいたのか、ゆっくりと顔を上げた彼女の頬は熱に浮かされて赤く染まり、泣き腫らした瞳はさらに赤く潤んでいた。

 もともと整った顔立ちは、その弱々しさゆえにいっそう儚く、見る者の庇護欲を誘う。

 近づけば、かすかな呼吸音が聞こえる。

 まるで泣き声をこらえているかのような、細く震える息。

 もし別の男であれば、きっと胸を締めつけられていたに違いない。

 慎一の表情には何の変化もなかった。

 その視線は、まるで滑稽な道化でも眺めるかのように冷ややかだった。

 ラグの上に投げ出されていた紗月のスマートフォンを、彼は無造作に足で蹴り飛ばす。

 それはソファの下へと滑り込んでいった。

「言ったはずだ。用もないのに、軽々しく俺に連絡するなと」

 その瞳も、声音も、ひどく冷たい。

 慎一は苛立たしげにネクタイを引き抜き、ソファへ放り投げると、そのまま腰を折り、物でも扱うかのように、床に倒れていた紗月の腕を掴み上げ、乱暴にソファへと放り投げた。

 目の前でこれ見よがしに弱さを装う紗月の姿は、彼の神経を逆撫でする。

 この三年間の結婚生活と同じように、常に、この女に欺かれてきたという屈辱を思い出させるからだ。

「……慎一」

 紗月はそれ以上、言葉を続けることができなかった。

 込み上げる悔しさと悲しみで、涙を湛えた瞳が照明に反射して、刺すように揺れている。

 けれど慎一はただ立ったまま、見下ろすだけだった。

 そこに、情けや優しさは一切ない。

 しばらく彼女を見つめたあと、彼は片脚をソファに乗り上げ、そのまま紗月の身体に覆いかぶさる。

「言っただろう」

 低く、冷えた声。

「俺を呼び戻した以上、それ相応の代償は払ってもらう」

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