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第7話

Author: るるね
last update publish date: 2026-03-26 00:19:00

 家。

 二度目のアラームが鳴り響いて、玄関でぼんやり立ち尽くしていた紗月は、ようやく我に返った。

  目の奥がじんと痛み出し、手の甲で押さえて和らげようとする。だが触れた肌は熱く、熱はまったく引いていなかった。

 この体調では休んだほうがいいのではないかと、そう思いかける。

 けれど、部下の体調など一切気にも留めず、ただ頭ごなしに怒鳴りつける部長の性格を思い出し、結局は考えるのをやめた。

 そのまま部屋へ戻り、出勤の支度を始める。

 結婚してから、紗月はようやく契約を結んだばかりだった芸能事務所を辞め、ほぼ話がまとまっていたドラマ出演の契約も断った。

 すべては慎一の「妻が外で目立つのは好きじゃない」という一言のため。

 自分の夢も仕事も、すべてを手放して、彼の妻として生きる道を選んだ。

 ただひたすらに、慎一を支えることだけを願って。

 けれど、結婚初日、慎一は帰ってこなかった。

 結婚披露宴にも姿を見せず、教会で形式的に式を終えたあと、そのまま姿を消した。

 紗月は笑顔を貼りつけたまま、一人でドレス姿のまま来客に頭を下げ、謝罪しながら応対し続けた。

 祖父がそばにいてくれたおかげで、どうにか耐えられた。

 だがその騒動のせいで、祖父は怒りのあまり心臓発作を起こし、数週間も入院することになってしまう。

 結婚の翌日。

 酔い潰れた様子の慎一が家に押し入るように帰ってきた。目は血走り、何かを決意したような、追い詰められた表情をしていた。

 そして、前の晩こっそり涙を流していた紗月を押し倒し、何の優しさもないまま、初めての夫婦としての行為を強引に終わらせた。

 そのあと、足元もおぼつかない紗月の手を乱暴に引き、病院へ向かう。

 祖父に謝罪し、「必ず紗月を大切にする」と何度も約束した。

 そうして慎一は、人前では理想的な夫を演じる術を身につけた。

 だが、二人きりの家の中で、紗月に向けられるのは、屈辱と、怒りの捌け口でしかない行為だけだった。

「これは、お前が恥知らずにも手に入れた結婚だ。受けるべき報いだろう」

 そう、彼は言った。

 紗月はそれをただの意地だと思っていた。自分の意思で結婚を選べなかった慎一が、拗ねているだけだと。

 時間が経てば、きっと自分の気持ちは伝わる。この結婚も、きっと違う形に変わっていく。

 そう信じていた。

 自分が努力し続ければ、いつか慎一の心も少しは揺らぐはずだと。

 そもそも彼女は、ただ一度だけ祖父に、慎一と結婚したいという気持ちを打ち明けただけにすぎない。

 それ以上に何かを強要したことなど一度もなかった。

 それなのに、そのことを知った慎一が、ここまで激しく怒るとは、思ってもみなかった。

 希望の見えないまま続いた三年間の結婚生活。

 慎一のそばには、いつも「ある人」に似た若い女性が次々と現れては消えていった。

 その顔を見続けるうちに、紗月はようやく悟る。

 愛されることのない相手というのは、最初から決まっているのだと。

 慎一が愛する人は、最初から自分ではなかった。

 それでも、今の紗月には、まだ手放すことができない。

 長い年月をかけて愛し続けてきたその人も、その人との幸福とは言えないこの結婚も。

 体調の悪さを押し殺しながら会社へ向かうと、案の定、出勤した瞬間から部長の怒声が飛び交っていた。

 紗月は自分の席で身体を小さく縮め、できるだけ目立たないようにする。

 幸い、この会社では彼女の存在感は薄い。

 特別に優れているわけでもなく、かといって目を引くほど劣っているわけでもない。

 だからこそ、午前中の仕事はいつも通り、何事もなく過ぎていった。

 昼休み。

 席から立ち上がった瞬間、激しいめまいに襲われ、紗月の視界がぐらりと揺れた。

 水分を取ろうと給湯室へ向かおうとしたそのとき、背後から誰かが勢いよくぶつかってきた。

 衝撃は絶妙にコントロールされていて、紗月は数歩よろめいただけでなんとか踏みとどまる。

 だが、ぶつかってきた相手のほうは、「きゃっ……!」と大きな音を立てて、そのまま床に倒れ込んだ。

 か細い悲鳴が響き、オフィス中の視線が一斉に集まる。

 床に倒れたまま、女は弱々しく肩を震わせている。

 俯いたままの顔は見えない。

「ご、ごめんなさい……大丈夫ですか……?」

 声をかけようとしたそのとき、背後からもう一つの足音が近づいてきた。それと同時に、紗月にだけ向けられる、慎一の冷えきった声が落ちる。

「何があった」

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