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愛とは繭を作ること

愛とは繭を作ること

By:  猫は魚を食べるCompleted
Language: Japanese
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私・橋本和紗(はしもと かずさ)のネット恋愛の相手である江口安英(えくち やすひで)は、姉・橋本寧々(はしもと ねね)の宿敵だ。 安英と姉は高校時代、席が隣同士だった。姉は学年一位で、彼は学年二位だった。 お互いに気が合わず、顔を合わせれば張り合っていたくせに、結局は二人とも地元の同じ大学に進学した。 休みのたびに帰ってくると、姉は何日もかけて私にその「宿敵」の愚痴をこぼしていた。 ところが今回は、珍しく笑顔でスーツケースを引きながら帰ってきた。 母がからかうように言った。 「今回はあの人の話をしないのね?ずいぶん機嫌がいいじゃない。まさか、何かあったんじゃないでしょうね?」 姉は笑いながら、母に金のネックレスを一つ手渡した。 「これ、お母さんの未来の婿さんが買ってくれたの」 その場にいた私は、その金のネックレスを見た瞬間、心臓がドクンと跳ねた。 スマホを開くと、安英とのチャット履歴は3日前で途切れたままだった。 彼が私に尋ねていた。 【どの金のネックレスが一番きれいだと思う?】 私はじっくり見比べて、その中の一つを選んだ。 それが、母の手にあるものとまったく同じだ。 姉が私に目を向け、突然尋ねてきた。 「和紗、大学入試の結果はもう出たんでしょう?どこの大学に行くか、もう決めたの?毎日スマホばかりいじってないでよ! お母さん、和紗はまだしっかりしてないんだから、お父さんと二人でちゃんと考えてあげないと……」 母が手を振って何か言おうとしたとき、私は突然口を挟んだ。 「もう決めたの。S市に行きたい」 姉は一瞬ぽかんとした。 そして反射的に口を開いた。 「S市?そこって家から200キロ以上も離れてるんだけど」

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Chapter 1

第1話

「昔から臆病なんだから、そんな遠くに一人で行ったら、誰も面倒を見てくれないでしょう」

姉は眉をひそめて言った。

鼻の奥がツンとし、私はうつむいて、くぐもった声で言った。

「もう決めたの。あっちが経済的にも発展してるし、卒業したあとも仕事を見つけやすいから」

私の様子がおかしいことに気づいた姉は、それ以上何も聞かなかった。

母も唇を結び、少し驚いたような顔をしていた。

何しろ、私はこれまで一度も県外の大学に行きたいなんて言ったことがなかったから。

涙をこらえきれなくなりそうで、適当にいくつか返事をすると、私は逃げるように自分の部屋へ駆け込んだ。

私と姉が生まれたのは、たった数秒しか違わない。

それなのに、幼い頃から今まで、姉はずっと私より輝いていた。

私より話すのが上手で、人に好かれるのも上手い。

勉強だって私よりずっとできて、何度も飛び級した。

親戚たちは姉の話になると、口をそろえて「こんな娘がいて幸せね」と私たちの両親を褒めた。

けれど、私の話になると、決まって気まずそうに笑う。

聞き分けがよくて、親孝行で、手のかからない子――それが私の数少ない長所だった。

私の成績では、せいぜい普通の二流大学に進学するのが精一杯だった。

一方の姉は、小学校から大学まで、いつだって人の輪の中心にいた。

そして、姉と安英が関わり始めたのも、その頃からだった。

高校3年間、ずっと隣の席だった。

そして、姉は学年一位で、彼は学年二位だった。

どちらも相手に負ける気などさらさらなかった。

安英は姉のことを気に入らなかった。

いつも自分より一つ上の順位にいる姉が気に食わないうえに、何かと偉そうな態度を取るのも腹立たしかったらしい。

けれど、誰の目にも明らかだった。

口では姉を嫌っているくせに、彼の視線はいつも自然と姉のほうへ向いていた。

休みになるたびに、姉は私をつかまえて、何日も安英の愚痴をこぼした。

「子供っぽいし、口は悪いし、いちいち鬱陶しいのよ。あいつ、頭おかしいんじゃない?成績だって大したことないくせに、毎日私に張り合ってくるんだから」

私はその隣で、黙って話を聞いていた。

何度も聞いているうちに、安英という名前が、少しずつ私の心の中に入り込んでいった。

その後、あるゲームのライングループで、一人の口の悪い人と出会った。

ネット上の名前は「Q」だ。

文字を打つのが速く、口も悪い。

グループ内の誰かと口論になれば、一歩も引かない。

私はそれが気に入らなくて、彼に一言返した。

するとその日の夜、私たちはグループ内で何十通ものメッセージを飛ばし合って言い争った。

最後には、彼のほうから私を友達登録してきた。

最初の一言はこう書かれていた。

【ずいぶん口が達者だったのに、どうした?もう続きはないのか?】

そのとき、私はまだ腹を立てていた。

だから、こう返した。

【頭おかしいんじゃない?】

すると、彼から疑問符が一つ送られてきた。

そして、こう続いた。

【へえ。気の強い女だな】

それから私たちは、さらに2日間、言い争いを続けた。

そして3日目、彼は突然、私に尋ねてきた。

【ゲーム、やる?】

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松坂 美枝
松坂 美枝
姉妹愛が尊い話 完璧な姉に気後れして表立って言いたいことが言えずにいた主人公が羽ばたいて行った 姉がさっぱりした良い女性だったおかげで良い読後感だった
2026-09-24 09:40:10
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10 Chapters
第1話
「昔から臆病なんだから、そんな遠くに一人で行ったら、誰も面倒を見てくれないでしょう」姉は眉をひそめて言った。鼻の奥がツンとし、私はうつむいて、くぐもった声で言った。「もう決めたの。あっちが経済的にも発展してるし、卒業したあとも仕事を見つけやすいから」私の様子がおかしいことに気づいた姉は、それ以上何も聞かなかった。母も唇を結び、少し驚いたような顔をしていた。何しろ、私はこれまで一度も県外の大学に行きたいなんて言ったことがなかったから。涙をこらえきれなくなりそうで、適当にいくつか返事をすると、私は逃げるように自分の部屋へ駆け込んだ。私と姉が生まれたのは、たった数秒しか違わない。それなのに、幼い頃から今まで、姉はずっと私より輝いていた。私より話すのが上手で、人に好かれるのも上手い。勉強だって私よりずっとできて、何度も飛び級した。親戚たちは姉の話になると、口をそろえて「こんな娘がいて幸せね」と私たちの両親を褒めた。けれど、私の話になると、決まって気まずそうに笑う。聞き分けがよくて、親孝行で、手のかからない子――それが私の数少ない長所だった。私の成績では、せいぜい普通の二流大学に進学するのが精一杯だった。一方の姉は、小学校から大学まで、いつだって人の輪の中心にいた。そして、姉と安英が関わり始めたのも、その頃からだった。高校3年間、ずっと隣の席だった。そして、姉は学年一位で、彼は学年二位だった。どちらも相手に負ける気などさらさらなかった。安英は姉のことを気に入らなかった。いつも自分より一つ上の順位にいる姉が気に食わないうえに、何かと偉そうな態度を取るのも腹立たしかったらしい。けれど、誰の目にも明らかだった。口では姉を嫌っているくせに、彼の視線はいつも自然と姉のほうへ向いていた。休みになるたびに、姉は私をつかまえて、何日も安英の愚痴をこぼした。「子供っぽいし、口は悪いし、いちいち鬱陶しいのよ。あいつ、頭おかしいんじゃない?成績だって大したことないくせに、毎日私に張り合ってくるんだから」私はその隣で、黙って話を聞いていた。何度も聞いているうちに、安英という名前が、少しずつ私の心の中に入り込んでいった。その後、あるゲームのライングループで、一人の口の悪い人と出会った。
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第2話
私は返した。【やらない】すると、安英はまた尋ねてきた。【じゃあ、なんで俺を追加した?】私はむっとしながら文字を打った。【そっちから友達申請してきたんでしょ?】向こうから、しばらく返事がなかった。やがて届いたのは、一言だけ。【そう?】その日、私はその【そう?】という言葉をじっと見つめて、なぜかふっと笑った。それから私たちは、本当に少しずつ親しくなっていった。ゲームの話から学校の話へ、学校の話から日常の話へ、そして日常の話から、毎晩寝る前の「おやすみ」へと、私たちの会話は少しずつ広がっていった。彼は私が誰なのか知らなかった。私と寧々が姉妹だということも知らない。そして私は、彼と知り合ってから1ヶ月近く経った頃、彼が送ってきたある時間割や愚痴から、彼が安英なのだと薄々気づいた。私はその名前を長いこと見つめていた。心臓が激しく高鳴った。それでも、何一つ聞けなかった。こんなことをしてはいけないと分かっていた。それでも、手放したくなかった。ネットの中では、私は姉の影に隠れた、目立たない妹なんかじゃなかった。彼と言い争うこともできた。彼とふざけ合うこともできた。そして、彼からメッセージが届くだけで、こっそり何時間も嬉しい気持ちでいられた。当時、彼はいつも私のことを「橋本ちゃん」と呼んでいた。私は、どうしてそう呼ぶのか尋ねた。すると彼は、【呼びやすいから、なんか親しみがあるだろ】と答えた。私はその言葉を見つめながら、耳のあたりが少しずつ熱くなっていくのを感じた。けれど、私は知らなかった。あの頃、彼が私を「橋本ちゃん」と呼んでいたのは、私自身をそう呼んでいたのか。それとも、私を姉だと思っていたからなのか。大学入試が終わったあと、彼は私に告白してきた。彼は言った。【橋本ちゃん、俺と付き合ってみない?】私はその一行を見て、頭が真っ白になった。しばらくしてから、恐る恐る返信した。【私のどこが好きなの?】安英からの返事は、すぐに届いた。【気が強いところ。意地っ張りなところ。俺とよく言い争うところ。一つ一つは全部、結構うっとうしい。でも、全部合わせると……なんだかんだ、俺はけっこう好きなんだよな】スマホを握る私の手は、震えていた。そ
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第3話
申請の備考欄には、こう書かれていた。【橋本ちゃん、何を拗ねてるんだ?】指先が震えた。涙が、ますます止めどなくこぼれ落ちていった。安英はまだ、私がただ拗ねているだけだと思っている。私は申請を承認しなかった。そのままスマホの電源を切り、ベッドの上に放り投げた。けれど、2分もしないうちに、また画面が光った。また友達申請だった。今度の備考欄には、【メッセージを見たら返信して】と書かれていた。私は唇を強く噛みしめ、その文字を見つめた。胸が、ズキズキと痛んだ。以前、喧嘩をしたときもいつもそうだった。私が彼を無視すると、彼は一通、また一通とメッセージを送ってきた。口では強気なくせに、実際は誰よりも甘えん坊だった。一度、わざと半日ほど返信しなかったことがある。彼は十数通もメッセージを送ってきた。最後には、我慢の限界に達したように、こんな一言を投げてきた。【まだ無視するなら、警察に通報するからな】私は返信した。【何を通報するの?】すると彼は言った。【ネット恋愛の相手が行方不明になったって】あのとき私は、笑いすぎて机に突っ伏し、しばらく顔を上げられなかった。でも今は、彼から送られてくる友達申請を見つめても、目を開けていることさえつらかった。なぜなら、私はようやく分かったから。私だけに向けられていると思っていた彼のあの優しさも、あの甘えたような態度も、もしかしたら最初から、私のためじゃなかったのかもしれない。あるいは、全部が私に向けられたものではなかった。私はベッドの端で膝を抱え、スマホをマナーモードにした。それでも、友達申請の通知は次から次へと表示された。【どうした?】【橋本ちゃん?】【一体どうしたんだ?金のネックレス、気に入らなかった?】【話してくれ】最後の一通が届いたのは、それから10分後だった。短い言葉だった。【何かあったのか?】私は目を閉じた。涙がスマホの画面に落ちた。こんな状況になっても、彼はまだ私のことを心配している。なのに私は、彼を問い詰める資格すらなかった。最初から最後まで、自分の正体を隠していたのは私だったから。彼と姉が一体どうやって付き合うようになったのか。どうしてこのネット恋愛が始まったのか。
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第4話
ほぼ同時に、リビングからドアの開く音が聞こえた。姉だった。彼女も階下にいる人に気づいたらしい。玄関でしばらく立ち止まったあと、眉をひそめながら階段を下りていった。私はカーテンの陰に隠れ、二人が木の下で話しているのを見つめた。距離が遠すぎて、何を話しているのかは聞き取れない。それでも、姉がかなり苛立っていることは分かった。ただ腕を組み、冷たい顔で何かを言っている。安英は彼女の前に立っている。いつもはどこか気だるげで余裕のある彼の表情が、珍しく強張っている。怒りを必死に抑えているようにも見えた。何かを確かめようとしているようにも見えた。やがて、彼が低い声で何かを言った。姉の表情が、わずかに変わった。数秒後、彼女は突然、冷笑を浮かべた。そして、そのまま背を向けて歩き出した。安英はその場に立ち尽くし、しばらく呆然としていた。それから追いかけ、姉の手をつかんだ。二人は街灯の下で抱き合った。私は窓枠に手をつきながら、手足が冷たくなっていくのを感じていた。その夜、安英から友達申請が届くことはなかった。私もそのアカウントを完全に削除した。こうすれば、私と安英の間にあった誰にも知られてはいけない関係も、一緒に消し去れるような気がした。大学から入学通知が届くと、私はすぐに荷物をまとめてS市へ向かった。出発の日、姉が私を空港まで送ってくれた。彼女は私のスーツケースを押しながら、ぶつぶつ文句を言った。「身分証とか、ちゃんと全部持った?着いたら家に連絡するのよ。大学の寮が良くなかったら言って。必要なものがあれば送るから」私は小さく返事をした。けれど、目の奥が熱くなるのを抑えられなかった。搭乗する直前、姉は突然、一枚のカードを私に押しつけた。「生活費が足りなかったら、これ使いな」私は慌てて首を横に振った。「お金ならあるよ」姉は眉をひそめ、きつい口調で言った。「持ってけって言ってるんだから、持ってきなさい。向こうで無理するんじゃないよ」私は鼻の奥がツンと痛くなり、その場で泣き出しそうになった。姉は昔から、ずっとそうだった。口は悪いけれど、本当は優しい。大学生活が始まると、私はすぐに新しい暮らしに慣れていった。新しいルームメイトも、新しい時間割
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第5話
リビングは、異様なほど静まり返っていた。最初に我に返った母が、少し声を張り上げた。「どういうこと?来年は長期休暇も帰ってこないって?」私はうつむき、できるだけ平静を装って答えた。「交換留学は1年間なの。手続きが順調に進めば、次の学期から行くことになる」父は眉をひそめ、手にしていた湯呑みをテーブルに置いた。「そんな大事なこと、どうして今まで言わなかった?」私は唇を軽く噛んだ。「まだ最終的に決まったわけじゃないから。とりあえず申請しただけだよ」もちろん、それはすべて本当というわけではなかった。必要な書類は、もうほとんど準備してある。指導教員の推薦状も、語学試験の成績も、申請書も、私は一つ一つ、期限に間に合うように準備してきた。それどころか、荷物のリストまでパソコンに作ってある。なぜなら、自分でもよく分かっていたから。何もかも前もって準備しておかなければ、本当に旅立つその日に、家族から「寂しい」と一言言われたり、「心配だから」と言われたりしただけで、また気持ちが揺らいでしまうかもしれない。でも、揺らいではいけなかった。姉は私の隣に立ち、まだ私のスーツケースを持っている。しばらく私を見つめていた彼女の眉間に、少しずつ皺が寄っていく。「どうして私には言ってくれなかったの?」私は目を伏せ、何も答えなかった。けれど、姉もそれ以上追及はしなかった。ただ私を見つめるその表情が、少しずつ曇っていく。幼い頃からずっと、姉は私のことを一番よく分かっていた。私がこうして何でもないことのように振る舞えば振る舞うほど、何かから逃げているのだと、彼女は知っている。けれど今は、リビングに家族や相手の家族まで集まっている。さすがに、これ以上私を問い詰めることはしなかった。母がまだ何か言おうとした。けれど、父が先に口を挟み、場を取りなすように言った。「帰ってきたばかりなんだ。まずは少し休ませてやろう。話はあとでいい」その言葉で、ようやく張りつめていた空気が少し緩んだ。それでも、どこか微妙なぎこちなさは消えなかった。特に、安英だ。私が話し終えてから、彼は一言も口を開いていない。私はもう彼を見ることができなかった。それでも、彼の視線がずっと私に向けられているのを、はっきりと
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第6話
私は、自分はもう十分遠くまで離れたと思っていた。県外まで、もうすぐ海外にまで行こうとしているほど遠くへ……姉から時々送られてくる、安英についてのほんの些細な話さえ、平静な気持ちで読み終えられるほどに、私はもう彼への未練を手放せたと思っていた。けれど、違った。彼が目の前に現れさえすれば、彼があんなふうに私を一目見さえすれば、必死に押し殺していた感情が、またすべて蘇ってしまう。ドアの向こうから、かすかに話し声が聞こえてきた。両家の両親が、婚約の日取りについて話しているらしい。よく聞き取れなかった。ただ、「来年」「先に決めてしまいましょう」「二人の仲も安定している」といった言葉が、途切れ途切れに聞こえてくる。その一つ一つが、私に言い聞かせているようだった。――和紗、もう終わったことなの。あの1年間、彼と付き合っていたのかどうかなんて関係ない。彼があとになって、私の正体に気づいたのかどうかも関係ない。今、外に座っているあの人は、もう姉の婚約者なのだ。そして私は、この家に休みの間だけ帰ってきて、数日過ごしたら、またすぐに離れていく人間にすぎない。私は目を閉じ、無理やり立ち上がった。鏡に映った顔はひどく青白かった。それなのに、目だけは不思議なほど静かだった。私は簡単に顔を洗った。そして外から食事に呼ばれてから、ようやくドアを開けた。食卓には大勢の人がいた。安英は姉の隣に座り、いつもと変わらず淡々とした表情をしていた。年長者たちが話しかけたときだけ、二言三言返す。礼儀正しく、節度があり、どこにも非の打ち所がない。私の記憶にある、画面の向こうで甘えたり、すぐに拗ねたりしていた彼とは、まるで別人だった。私が帰ってきたからなのか、姉は時々私の皿に料理を取り分けてくれた。私が遠慮しないように、小声で「もっと食べて」と言ってくる。私は「うん、うん」と返事をしながら、ずっと顔を上げなかった。けれど、避けられない視線もある。たとえば、向かいから注がれてくる安英の視線。安英はほとんど何も話さなかった。それでも、私が箸を動かすたびに、コップを置くたびに、彼に見られていることを感じた。そしてついに、食事も半ばまで進んだ頃、私は立ち上がり、キッチンへスープをよそいに行った。
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第7話
私は唇を噛みしめ、しばらくしてからようやく口を開いた。「かなり前から」「どのくらい前?」「大学入試の前」空気が、また一瞬静まり返った。安英は私を見つめ、ふっと口元を歪めた。笑っているようには見えなかった。むしろ、自嘲しているようだった。「じゃあ、最初から知ってたんだな。俺が誰なのかも、俺とお前の姉がどういう関係なのかも知っていて、それでも、あんなに長いこと俺と話してた」私は顔から血の気が引いていくのを感じた。「わざと騙してたわけじゃない。ただ……」「じゃあ、どうして言わなかった?」喉が詰まって、私は一言も答えられなかった。彼の言っていることは、すべて正しかったから。私は確かに逃げていた。最初は、怖くて言えなかった。そのうち、言いたくなくなった。そして気づいたときには、何もかもが間違った方向へ進みすぎていて、もう言い出すことなんてできなくなっていた。私が黙り込んでいると、安英はとうとう、呆れたように笑った。彼は目を伏せ、少し掠れた声で言った。「和紗、あの夏休み、俺がどれだけ馬鹿みたいだったか知ってるか?俺は、ついに寧々を振り向かせたんだと思ってた。でも、俺が言ったことも、好きなものも、嫌いなものも、何一つ彼女とは噛み合わなかった。最初は、俺をわざとからかってるんだと思った。でも、あとになって気づいたんだ。俺が人違いしてたんだって」私の目頭が、一気に熱くなった。そんなこと、考えたことがなかったわけじゃない。けれど、それを彼の口から直接聞くと、やはり胸を無理やり引き裂かれたようだった。私は掌に爪を食い込ませ、どうにか取り乱さずにいた。「じゃあ、今はもう分かったんだね」私は小さな声で言った。「それで?もう姉さんと婚約するんでしょう」その言葉を聞いた瞬間、安英の表情が明らかに曇った。彼は私を見つめた。長い沈黙のあと、掠れた声で言った。「俺と彼女のことは、お前が思ってるようなものじゃない」でも私はもう聞きたくなかった。本当に、聞きたくなかった。私は首を横に振り、声は少し震えていた。それでも、できるだけ静かに言った。「もういい。安英、終わったことだよ。最初に誰を間違えていたとしても、あとから何に気づいたとしても、今、外にいるの
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第8話
けれど、それもほんの一瞬だった。次の瞬間には、安英はふいに我に返ったように、ゆっくりと手を放した。私は彼に背を向けたまま、心臓を大きな手で強く握りしめられ、何度も揉みしだかれているような苦しさを感じていた。あのアカウントを削除したとき、私は夜中に一人で部屋にこもって、息ができなくなるほど泣いた。県外へ行ったときも、飛行機の中でずっと考えていた――これからは、本当に会えなくなるのかもしれない、と。それからも、姉が彼の話をするたびに、私は自分を落ち着かせるのに長い時間がかかった。けれど、そんなことは一言だって口にできない。私はスープの器を抱えたまま、キッチンを出た。自分の手がどれほど激しく震えていたのか、私はよく覚えている。その日の夕食は、後半になるとほとんど何も喉を通らなかった。それでも両家は、婚約の細かな段取りについて話し合い続けていた。日取り、ホテル、どの親戚を呼ぶか。交わされる一言一言が、まるで私に言い聞かせるようだった――さっきキッチンで過ごしたほんの数分間、あれは本来なら存在してはいけなかった出来事にすぎないのだと。食事が終わると、江口家の人たちは先に帰っていった。私は疲れたからと口実をつけて、見送りには出なかった。ただ2階の廊下にある窓辺に立ち、階下の車が一台、また一台と走り去っていくのを見つめていた。安英が車に乗り込む直前、ふいに顔を上げ、こちらを見た。夜の闇と窓ガラス越しだったが、それでも私は彼の姿をはっきりと見た。そして彼も私を見つけた。たった一度、視線が交わっただけだった。車のドアが閉まった。けれど、私は分かっていた。これで終わるはずがないと。案の定、翌朝早く、知らない番号からショートメッセージが届いた。そこには、たった一言だけ書かれていた。【下りてこい】誰なのか、考えるまでもなかった。私は数秒間画面を見つめ、それからそのままスマホの画面を消した。けれど、スマホを置いた直後、また一通のメッセージが届いた。【下りてこないなら、俺が上に行く】息が止まりそうになり、私はほとんど反射的に立ち上がって窓辺へ向かった。階下には、見慣れた黒い車が停まっていた。その傍らに安英が立ち、私がいる方を見上げている。指先がこわばった。数秒迷っ
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第9話
安英の言葉は、あまりにも率直だった。率直すぎて、私はそれ以上考えることすら怖くなった。ただ無意識に、一歩後ずさった。「もう言わないで」けれど安英は、まるで聞こえていないかのように、私を見つめたまま続けた。「俺は確かに、昔はお前の姉が好きだった。彼女を気に入らなかったのは、いつも彼女に勝ちたくて、いつも俺のことを見てほしかったからだ。そのうち、俺は思い込んだ。スマホの向こうで俺と言い争って、俺の習慣を何もかも覚えていてくれた『橋本ちゃん』も、彼女なんだって。認めるよ。あの頃の俺は、お前たち二人を重ねてた。でも、和紗。あの頃とはもう違う」息が苦しくなり、心臓が制御できないほど速くなった。それでも私は、本能的にそれ以上踏み込むことを拒んだ。分かっているから。彼がどれだけ甘い言葉を並べたとしても、その中には、間違った認識を土台にした部分がある。彼が最初に好きになったのは、姉だった。その事実だけは、誰にも変えられない。たとえそのあと、彼が私に気持ちを抱くようになったとしても、その感情の中には、人違いも、重ね合わせも、私が怖くて触れられないほど多くのものが混ざっている。私は首を横に振り、震える声で言った。「でも、私はそんな『違い』はいらない。安英、私は姉さんの代わりじゃないわ。あなたが迷った末、仕方なく選ぶほうにはなりたくないの」彼の顔色が、一瞬で変わった。「俺はお前を代わりだなんて思ってない」「じゃあ、最初から好きだったのは私だったって言える?」そう問いかけたときには、私の目に涙が滲んでいた。それでも私は彼を見つめ、一つ一つ言葉を重ねた。「初めて私を『橋本ちゃん』って呼んだとき、頭に浮かんでいたのは誰?私に告白したとき、誰だと思ってたの?私の気が強いところも、意地っ張りなところも、あなたとよく言い争うところも好きだって言ったとき、それが私なのか、それとも姉さんなのか、本当に区別できてた?」風が激しく唸り声を上げていた。彼はその場に立ったまま、長いこと答えなかった。その沈黙こそが、答えだった。私は突然、ひどく疲れてしまった。私を一番苦しめていたのは、彼が姉を好きだったことではなく、彼の私への気持ちがいつから「私だけ」のものになったのか、彼自身にも分からないこと
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第10話
姉は何も言わなかった。私は目を閉じ、ようやくすべてを話した。ゲームのグループで知り合ったこと。少しずつ親しくなっていったこと。彼が誰なのか知ったのに、怖くて言えなかったこと。その後、彼が私を姉のサブアカウントだと勘違いしたこと。そして、大学入試が終わったあとに始まった、短くて、あまりにも馬鹿げたネット恋愛のこと。私はゆっくりと、まとまりのないまま話した。途中で何度も言葉に詰まった。それでも姉は、一度も私の話を遮らなかった。ただ私の向かいに座り、黙って聞いていた。その表情は、話を聞くほどにどんどん険しくなっていった。私がようやくすべてを話し終えると、部屋の中は凍りついたように静まり返った。私は俯いたまま、姉の顔を見ることができなかった。恥ずかしくて、いたたまれなくて、手まで震えていた。長い沈黙のあと、姉がようやく口を開いた。その声はひどく小さかった。「だから、急に県外へ行って、そのあと海外に行こうとしたのも、全部そのせい?」私は鼻の奥がつんと痛くなり、小さく頷いた。「うん」姉はそれ以上何も言わなかった。私は長いこと待って、ようやく勇気を出して顔を上げた。すると、姉の目が少し赤くなっていた。私は一気に慌てた。「姉さん……」けれど姉は手を振った。それから深く息を吸い、感情を押し込めるように言った。「何で謝るの。あなたは何も悪いことしてないでしょう」私は呆然とした。姉は私を見つめていた。その瞳には、複雑な感情がすべて浮かんでいた。「私は、自分に腹が立ってるの。何も知らなかったくせに、毎日のようにあなたの前で彼の話をして、私と彼のことまで話してた」姉は口元を少し引きつらせて、笑おうとしたようだったが、笑えなかった。「あなた、どれだけつらかったんだろうね」その瞬間、私の涙が一気にこぼれた。昔から、ずっとそうだった。真実を知ったあと、姉はいつだって先に、自分が私を守れなかったことを責める。何も知らなかったのは姉だって同じなのに。姉だって、何も知らされずにいた側なのに。私は息が詰まるほど泣いた。姉がそばに来て、私を抱きしめる。その手は子どもの頃と変わらず、優しく私の背中を撫でてくれた。「ほら、もういい。泣かないの。こ
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