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第6話

Author: 安田徹
冷たい汚水が一気に降り注ぎ、襟元から流れ込み、全身の隅々まで濡らしていく。

冷たい――けれど、その冷たさは、彼女の心には到底及ばなかった。

「もうすぐ俺の妻になるからって、おばさんに手を出していいと思うな。次があったら、水なんかじゃ済まさないぞ」

男の警告を前に、彼女はゆっくりと顔を上げる。

その瞳は、凍りつくように冷えていた。

「彼女のために......私にこんなことをするの?」

彼は答えなかった。

そのまま身をかがめ、和歌奈を抱き上げて歩き出す。

「おばさん、安心して。家まで送るから」

すれ違いざま、彼はちらりと彼女を一瞥した。

その無情で遠い眼差しに、静野の胸は一瞬で締めつけられる。

痛みはさらに深く、重く広がっていった。

「静野さん、大丈夫か?翔悟もわざとじゃないんだ。あいつ、昔からそうなんだよ。和歌奈さんに何かあると、見境がなくなる。たぶん家に帰ったら、もう忘れてるさ」

翔悟の友人が彼女を慰める。

その目には、同情の色が浮かんでいた。

「そうそう。次はもう和歌奈さんに手を出さないでよ。あの人は翔悟にとって特別なんだ。誰にも触れさせない存在。これからは気をつけたほうがいい」

静野は深く息を吸い、顔を上げて彼らを見た。

「どうして翔悟は、あんなに彼女を大事にするの?

そういえばあなたたちは『さん』って呼ぶのに、どうして彼だけ『おばさん』?」

「若いからだよ。『おばさん』なんて呼び方、どうしても違和感あるだろ?でも確か......翔悟も最初は俺たちと同じ呼び方をしたがってたっけ。けど和歌奈さんが『私は翔悟の母親の友達なんだから、ちゃんとおばさんって呼びなさい』ってさ。

多分和歌奈さんは、呼び方を通じて世代とか立場とかの違いを強調したかったんじゃないのかな。

それとあいつがあんなに大事にしてる理由だけど......母親が早くに亡くなってさ。その頃、和歌奈さんは隣に住んでいて、よく家に来て面倒見てくれてたんだ。あいつの一番つらい時期を、一緒に乗り越えたのが彼女なんだよ......

翔悟、昔は本気で和歌奈さんのこと好きだったな。それが結城のばあさんに知られて、大騒ぎになってさ。彼女が海外に行ったあと、あいつはボロボロだった。

そのあとで静野さんに会ったから、やっと吹っ切れたのかと思ってたんだけどな」

「その話はもういいだろ」

誰かが話を遮る。

「静野さん、とにかく早く帰って着替えたほうがいい。風邪ひくぞ」

――

静野が外に出ると、土砂降りの雨が降っていた。

タクシーを捕まえようとするが、ずぶ濡れで惨めな姿を見てか、一台も止まってくれない。

歩いて帰るには遠すぎる。

仕方なく、彼女は翔悟に電話をかけた。

「翔悟、迎えに来てくれない?私......」

「よくそんな顔で電話してこられるな。君のせいでおばさんは熱を出したんだぞ。自分で帰れ」

冷たい声。

そして通話はすぐに切れた。

暗くなっていく画面を見つめながら、静野は付き合い始めた頃のことを思い出す。

最初の一年。

雨の日になると、どこにいても彼女が連絡する前に、彼は必ず迎えに来てくれた。

「静野、俺たちは雨の日に出会ったんだ。だからこれから先、雨が降る日は全部、君と一緒にいたい。どこにいても、必ず迎えに行くよ」

――なのに今は、これほどまでに冷たい。

彼女は連絡先を開き、洋子の番号を探し出した。

すぐに電話は繋がる。

「もしもし?静野ちゃん?やっと連絡くれたのね......」

「おばあさま......迎えに来ていただけませんか......?」

洋子の声を聞いた瞬間、静野は堪えきれず泣き出した。

この数年、洋子だけは本当に自分を大切にしてくれていたと、彼女は信じていた。

......

結城家の屋敷。

静野は着替えを済ませ、ソファに座って温かいお茶を飲みながら、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。

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